動物園前一番街で買ったパンツまだはいてる浪速警察署近くの王将で八宝菜を食べ時報で七色に光る通天閣を真下にある銭湯の露天風呂から見上げるああナニワ節(笑)P.S執筆活動が忙しくなってきたのでこのあたりで本ブログは終了します^ ^/...
新世界のサンパツ店顔剃り洗髪込みで1100円QBハウスの出る幕はない(笑)...
北極星のオムライスはチキンよりハムトマトソースを増量できる幸福感^ ^ここもインバウンドしてるね...
黒門市場は昭和の歌謡曲が流れている外国人観光客でゴッタ返しているけど異空間のような静けさの伊吹珈琲店がスキ...
そういえば新世界のモデルはパリらしい通天閣はエッフェル塔ところでビリケンさんはどこ出身?...
道頓堀は毎日お祭り人は水辺の風情に癒されるんだろうなぁパリのセーヌ川を彷彿させる(笑)...
ミナミとキタ難波と梅田新宿東口と西口って感じ...
北新地は銀座8丁目って雰囲気関東よりスタイルのイイ女性が多い競争率が高いからか淀川の水のせいか(笑)...
全裸のオジサンを見たのは西成の三角公園横浜の寿町よりも緊迫感があるスナップ鍛える格好の場所なんだろうけど...
大阪にも原宿みたいな街がある道頓堀からちょっと外れたアメリカ村オープンでアートな雰囲気がスキオッサンはあまり歩いてないけどね^^;...
立食いうどんの出汁の色で異国に来た感冷コーは冷えたコーラじゃなくてアイスコーヒー^^;イカ焼きってイメージちゃうやんか(笑)...
どこの町もアーケードが発達している3kmも続いてたり、迷路みたいだったり写真を撮るには難しい暗いしアングルが単調になりやすい...
笑いを取ろうとする文化が根付いている人を笑かすことを生きがいにしているような府民総お笑い芸人...
大阪弁は東京とは根本的に異なる言語である男女差や老若差がない英語に似ている(笑)...
エスカレーターの追越車線が東京と逆けっこうインパクトあります^^;異国に来たような...
大阪の御堂筋線には終日女性専用車両がある男女平等の時代になぜ?それは猛獣がいるからか^^;...
どのくらい傾けたら転覆するのかこの世界から脱出できるのか...
写真は被写体がすべてそして時と場所も選ぶさて今晩は何処へ...
写真を志す人は絶対観るべき映画「欲望」ミケランジェロ・アントニオーニ監督私は観たことがない^^;写真の本質の一つ意図せず写り込んでしまう面白さと怖さ...
明日に架ける橋これも名訳AIじゃ出てこない解釈...
写真はどちらでもないどちらかと言うと騒騒かな(笑)...
涼しくなるとドッと疲れが出る^^;...
タバコまで電子になるなんてね綺麗がトレンドなんだろうけど「水清ければ魚棲まず」って言うしイカガワシサって皆んな意外とスキだよね...
金魚すくいの赤ヒマワリの黄色プールの水色...
大人になったら宿題はなくなるはずな訳なかった^^;...
年の瀬より夏の終わりに過ぎ行く年を感じるちょっと寂寥感があるよね...
夏も急ぎ足に過ぎ去ろうとしてるのか長いようで短かった夏私の体温は超えないでほしい(笑)...
台風と地震の二つの自然災害が見舞う日本人の諦観は世界に類を見ない自然の前では人間は無力この認識は世界にも広がってきてるのかも明日をも知れない今日を精一杯生きるってこと...
外人観光客は街でカメラを回しっぱなし日本人たちも写されることに慣れてきたかも東京オリンピックでどう変わるかそれにしても動画は見返さないたぶん一回ぐらいは観るのかな...
日本じゃ人なんてまったく撮らないのに海外に行くと街角の人々を写してくる本当は皆んな街で人間を撮りたいのだストリートスナップが撮りにくい時代スナップ写真の魅力を広めていけたらイイね...
写真を作品としてみている人はタイトルとかキャプションありきなのかなその時に添えた小賢しい言葉なんか振り捨てて語りかけてくるのが写真喜怒哀楽の情念がいかに圧縮されているか...
ネットに写真をアップするって手紙を入れたガラス瓶を海に流すよう何十年か後に誰かが見つけて気に入って部屋に飾るかもしれない撮り人知らずの写真ってイイなぁ〜...
完食なんて当たり前の世代にとって出されたものを残すことは罪悪スキなものをスキなだけ食べられるシステムスキだ^ ^街でもスキなものをスキなだけ撮る...
巨大な水槽の中を回遊しているようだ竜宮城をいくつか巡って龍がいたりいなかったり...
銀座よりも渋谷よりも新宿欲望のスタジアムとはよく言ったもんだ...
大道さんの新宿スナップ動画を見てるとおんなじことやってるなぁって笑っちゃうウエストバッグからフィルム出して交換してたけど自分はバッテリー交換(笑)...
連日のサウナ状態でもこの時節しか撮れない景色もあるわけでミネラルウオーター片手に街を流す...
「やってやる」という気負いではなく「そうなればいいなぁ」という希望でもなく当たり前に「そうなる」という確信...
一番好きな季節時が止まればいい...
遠くから「私たちを撮って!」って聞こえた想い出の季節ミネラルウオーターと汗の夏ミーンミンミン🎶...
見た瞬間にSDカードに記録されないかなだんだんズボラになっていく^^;...
どうすれば写真が崩れるのかカオスをどう投網にかけるのか偶然を必然にする方法は?写真は底なしの深さがある^^;...
ただでさえ女性は美しいのに陰翳が包むといっそう美しさが引き立つ...
トボトボスタスタノコノコテクテクヨタヨタヨチヨチルンルンサクサクリンリンランランリューエン(笑)...
静寂の中、微かな音を聴き取ろうとする人は喧騒の中でも聴き取ることができる「カクテルパーティ効果」って言うらしい視覚の場合、「目を凝らす」でも街では目を凝らしてたら何も見えないボーっと景色の概略を見る感じレーダーなんて無かった時代戦闘機のパイロットが広がる視界の彼方に敵機を見つけるように...
ダイドーさんのホームグランドでダイドーさんっぽく撮れました^^;...
完成を目指すことを端から放棄していて限りなく変わっていくことを目指す写真技巧とは別のところで生まれてくる写真...
一日中デスクワークのサラリーマン帰宅途中のスナップは出だし発散でもすぐに収集に変わってる日々集めた目の前の視界の断片何の縁で記録されたのか偶然なのか必然なのか...
写真は視覚に対する異議申し立て気がつけばそんな写真ばかり選んでる一度見ただけじゃ何が写っているか判らない...
同じ街を撮る毎日撮る撮れば撮っただけ厚みと深みが増す漆塗りのように一筆一筆重ねていくリアリティの艶が醸し出る...
内的必然性や衝動に対する断固とした態度遠回りに見えても結局は写真に出るそういう感覚を持つことが継続を可能にする...
ビルカニンガムのような人生を送りたい街角に立ってファッションの兆しを探す図鑑に載っていない新種の蝶を探すように寝食を忘れて野山を駆け回る子供のように夜眠りにつく時、ワクワクする感じ次の朝の仕事を思い浮かべて...
アッジェはひたすらパリの街角を記録したエッフェル塔やら凱旋門には見向きもせず画家たちの資料として街や人を撮った撮影者が自らの表現を放棄した記録写真世紀を経て被写体のパリが語りかけてくる...
放浪、漂流、彷徨、逍遥、散歩目的はあるのか自分の意思で行く先を決めるのか意思に無意識を含めるのか意思は眼前の事象によって流動するのか眼前の事象を撮った写真は何なのか...
月曜日の朝と水曜日の昼と金曜日の夜五感を通して伝わってくる街を歩く人々の表情言葉に表せない空気感の差異「生きる」ことの辛さ「生きている」ことの歓喜意識の片隅で反芻しながらシャッターを切る...
気配を消す習性が染みついて存在がどんどん希薄になるすれ違っても誰もよけてくれないし私は透明人間か(笑)...
最近、傾いてない写真が多い夏風邪の熱がモノクロームに変わる...
有楽町で逢いましょうp.s喉をやられた仕事が夢に出てきたヤバい(笑)...
涼しくて快適だけど異常だ...
2度と起きることがないことストリートでは当たり前だが人生も同じ人は歳をとると偏屈になり意固地になり変化を嫌い素直さを失ういつまでもフレキシブルでいるためには世界が常に流動していることを悟ることか...
「素直になれなくて」って邦題をつけた人いいセンス^ ^写真は撮った人が現実をどう解釈したか深遠でエレガントな解釈に言葉はいらない...
人々は現実から目を背け架空の世界に楽しみを見つけようとする結果として自分がどこにいるのかどこに向かっているのかを見失う写真を撮るという行為は自分を現実を再認識する機会を与えてくれる...
写真は現実を転写するメディアでありしかもその現実は刻一刻と変化している。「現実」をどう定着させるか常に見直して追い求めないと「写真内現実」を生み出すことはできない。...
人が何かを見るとき、目の前にあるものだけを見ているのではない。五感を総動員し、記憶を介して対象物のもつ何かに感応している。言葉になる以前の無意識下の反応が、脳内に蓄えられてきた膨大なイメージをふるいにかける...
夜が涼しいどこまでも歩いて行けそう^ ^...
瞬間を切り取るスピード罪悪感との矛盾...
世界を切り取っているという万能感しかし微々たるものしか切り取れない無力感...
感覚だけを活性化させてスナップするそれは「永遠の初心者」でいつづけることシャッターを押せば簡単に思うものが捕獲できてしまう写真初心者でいることは難しい...
撮れた写真がもたらす次なる予感それだけが撮りつづけていく動機未知への期待を自分に抱かせられるかどうか生命活動と重なってくるような写真との関係...
音楽も写真もデジタル化されてネットを通じて全世界に共有されたまったく無名だった人がある日突然世界的音楽家になれる時代文化、芸術は天下泰平の世に育まれる音楽も写真も世界の平和を志向する...
音楽も写真も鑑賞者の数だけ感じ方があるイイ音楽や写真は無意識下に語りかけてくる日常生活では想起しない深層心理にそこを刺激されると人は情動させられるそれは鑑賞者を懐かしい世界へと誘う...
音楽家は全ての譜面を意識して演奏してない無意識に脊髄反射的に演奏している瞬間音に心が表れるのではいくらテクニックで隠そうとしても内面の自意識がダダ漏れになる写真も撮影者の心がそのまま映る恥ずかしくても開き直るしかない^^;...
音楽は「何が起きたか」を後世に残す叙事詩から始まったそして「どう感じたか」の叙情詩へと変わる写真も記憶を記録するドキュメンタリーから主観的に表現するアート志向へ変遷した両者は現在もなお多様性を発揮し続けている...
コード、日本語では和音いわゆるハーモニー写真では色の配列、形の組合せ、明暗の対比クラシック音楽の偉大な作曲家たちは身近な世界に溢れる音を譜面にしたのかも写真は身近な世界に溢れる情景を定着するどちらも日常生活に在り特別なものではない...
演奏する曲を選ぶその順番を決める自然な繋がりが曲の魅力を倍加させるこの編集能力は写真と相通じる客観的視点を持ちながら自分の世界観を表現する写真も写真集となった時芸術と呼べるのかもしれない...
音楽には即興があるその場の雰囲気に応じて演奏する予定調和のプログラムから外れたアドリブテーマを決めずに街をブラブラして感じるままにパシャパシャ撮るストリートスナップにチョット似てる...
音楽はレッスンという自己練磨そして他者に聴かせる演奏写真は撮る、撮った写真から選択するそして他者に見せる永遠の繰り返しの過程でアウトプットの質が上がっていくプロセスに共通点があるいわゆる階段状短期間では変化してないように見えるが何かのキッカケでトンと一段上がる集中力を持続して飽くことなく繰り返す華やかに見えて実は地道な世界なのである...
生業(なりわい)は生きる業(ごう)と書くどちらも生業にするとタフな商売マーケットは飽和、縮小の一途自分がスキな写真と素晴らしい写真は違う写真を楽しむことを封じ込める業界内の常識、仕事としての写真写真を音楽に置き換えても当てはまるスポンサーやらクライアントやら銭が絡むと誰もが流されていく...
芸術の王道たる音楽と末席の写真いくつかの共通点があるまず言葉の壁がない時空を越えて人々に勇気と希望生きる活力を思い出させる...
近づいて見ちゃダメちょっと離れたところから鑑賞スルピサロの絵はスキ写真の解像度もほどほどでイイ...
限りなくモノクロに近いカラー...
健全な精神は健全な肩甲骨に宿る(笑)...
その街の記憶その街を記号化したさりげなく無意識下に沈められる...
写真は行為写真は習慣目を凝らせばそこにいつも写真が満ちている...
自分の意志で撮った情景も本当は写真の神様に撮らされていたなんて思う今日この頃^ ^...
眩しい季節縦もたまにはイイね^ ^...
ブランドはコンセプトなのかクォリティなのか宗教なのか憧憬なのか...
懐かしさと寂しさと愛おしさ...
街はステージであり舞台である美術館でありミュージアムであるギャラリーであり画廊である競技場でありスタジアムであるそしてライブラリーであり図書館である...
バーチャルな世界とリアル世界境界線がますます見えなくなってきたそのうち自分が生きているのかすら分からない時代が来るかもしれない写真は確かにその時代を生きた証である...
なぜならそこに銀座があるから(笑)...
グーグルのストリートビューにない路地...
撮れちゃった写真と撮った写真違いは何か?...
いや10年後でもいい今日撮った写真がどう見えるか...
昨夜はカメラの寿命を縮めたかも^^;...
途中で休憩時間が入る映画なんてローマで観た「トゥルーライズ」以来だ^^;...
人が「憂き」と書いて「優しい」ウキウキ生きたいね^ ^...
梅雨入り雨中スナップ大好き^ ^...
時代が変わっても失われない何か色褪せないものをブラさず撮れる日は来るのか...
「20世紀写真論・終章」西井一夫死を自覚した人の言葉って真っ直ぐ心に響いてくる...
「ブログリーダー」を活用して、scrapperさんをフォローしませんか?