ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。潔さとか簡潔とかに関連して『中論』の第三章(眼等なる根を考察することと名付けられる第三の章)の第二偈の言葉が関心をひきました。「実に、それ、〈見るもの〉は、ほかなるそれこそを、すなわち自らのアートマンを、見ない。〔自らの〕アートマンを見ないもの、それは、どのように、他なるもろもろのものを見るであろうか。」「眼(根)等は自らを見ない。自らを見ることができないもの、それはどうして他を見ることかできるであろうか...カーネーションの花びらが束ねられている一点(自と他)
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