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2019/01/03

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  • トキへの思い

    新潟県佐渡では、野生のトキがもう350羽以上も暮らしているんですね。すごいなあ。飼育していたトキたちを放鳥してから10年。その当時は、ちゃんと生きていけるか心配でしたが、野生の力を発揮してくれているようでうれしく思います。 トキの数がこんなに増えたため、環境省は、トキを「野生絶滅」から「絶滅危惧IA類」に変更することのことです。とはいえ、絶滅したと思っていたものが発見されたというような話とは違うのでちょっと目をぱちぱちしてしまいます。トキの場合は、絶滅したのち、中国から導入したわけですから。 こういう言い方をしてしまうと、よそから連れてきたんじゃ意味ないといっているみたいですね。そうではないんですが、トキの話をしていると、「その中国のトキの群れは日本のと同じなの?遺伝的に」みたいなことはよく聞かれたものです。 そう聞かれるたびに、そうかあ、そこ重要なんだ。と呪いのようなものを感じつつ苦笑いするのが常です。日本のものも中国のものもトキの形をしているので遺伝子はおおよそ同じだと思いますが、細かくたくさん遺伝子をみていけば全く同じということはないでしょう。 日本で生きていたトキだけをよみがえらせることにしか意味を見出さないなら、どんなにトキが増えてもそれは野良トキということになるのでしょうか?それはちょっと悲しいですね。 なんでトキを復活させることに意味があるのか?ときかれたとき、生態学者的な答えの一つとしては、「環境を守るための指標となる」だったりします。トキは比較的大型でドジョウや貝やカエルなどを食べる肉食動物です。このような生き物は食物ピラミッド(注)の上の方にいて(高次の捕食者)なので、その生き物が存在するということは、その生き物が生きていけるだけの環境が守られていますよ。という筋書きです。 でも、ドジョウをいけすで飼って餌場にしようとか営巣木を電柱でつくろうとか、問題解決能力が高すぎる方の意見もあって、やっぱり目をぱちぱちさせたものです。トキだけを生かそうという話になってしまうと、指標としてはぜんぜん役にたたないのです。

  • 良い天気すぎてたまらず自転車に乗りました

    今日はとても良い天気で自転車にのったら気持ちよかったですよ。というだけの話です。

  • 糖質制限と世界の中の日本

    またぞろ年金の支給開始年齢を上げようって話になっています。年金をもらう方としてはゆゆしき問題ですよね。国を信じてちゃんと年金を支払ってきたのに、いざもらう段になったら、この体たらく。どうしてくれるんだ責任者よんでこいといっても、どいつもこいつも責任をとらない気まんまんです。 それはともかく、こっちは命のある限り生き続けないといけない。年金に期待できないとしてもなんとかやっていくしかない。そのためにはできるだけ健康でいたいものです。それに世の中健康な人が多ければ、健康保険や介護保険のひっ迫とか、病院や介護施設の労働条件とか、なんだか知らないけど女子学生に不利な医学部の入試慣行とか、いろいろなこともついで解決できるはずです。 そんなわけで、最近、はやりの糖質制限です。程度にもよりますが、現代人にとってこれはかなり効果的だと思います。私仕事で米を作っているので糖質制限なんて言われると仕事を失いかねないんですが、それはそれこれはこれです。糖尿病学会も栄養士学会もついていけてませんが、巷のほうがよっぽど進んでいます。 ヒトの脳は糖が大好きなので、甘いものには弱いです。ちなみに英語では、甘いものをシン(罪)と呼びますね。なるほどなと思います。 しかし、人類が今ほど糖質にさらされるような事態は進化史上ありえなかったことで、思いの向くまま気の向くまま糖質をとってしまうと体に不調がでる。昨今のような砂糖漬けの世界は、まさに未知との遭遇なんですよね。 特に、お菓子とかジュースとか砂糖がそのまま入っているようなものが問題なのですが、コメやらイモやらも敬遠されつつある。確かにコメもイモも血糖値をあげるので、個人の健康だけを考えるならそういうことになる。仕方がない。 それはそうなんですが、みんながコメやらイモやらを止めて肉ばかり食べても大丈夫なのかという問題が一方にあります。日本は少子化で困っていますが、世界の傾向は真逆です。増え続ける人口増加をどうするか?と頭を悩ませています。地球上でこのように人口が増えた要因のひとつとしてコメや麦、イモなどの存在があります。これらの食べ物が大量に生産でき人びとの口にはいるようになったからこそこれだけ人口が増えました。狩猟採集や牧畜だけではこうはならなかったでしょう。

  • 野菜のサイズとパッケージングについて

    スーパーで買った玉ねぎが小さいのである。赤いネットに10数個入ったやつを小さいなこれと思いつつ買ってきたので、スーパーにだまされたわけではないんだけど。玉ねぎといえばちょっとしもぶくれで安定感のあるあの形がスタンダードなので、なんか小さいなこいつと改めて思ってしまう。 しかし、使ってみればこれが案外良いサイズなのである。あの大きな玉ねぎは、半分にしても、二人分にはちょっと大きすぎる。サラダにしても味噌汁の具にしても。4分の1に切るのはめんどうだし、えいやと半分食べるんだけど、ちょっともてあます。その点このスリムな玉ねぎはまったくもって丁度いい。 同じことはジャガイモにもいえて、あの、ちょうど掌にころんとのるくらいのスタンダードなジャガイモはちょっと大きいんですよね。ジャガイモは半分に切っておいておくと変色するからできれば使い切ってしまいたいのに。しかし、あーこれたぶん芽かきしてないよねっていう、あの小さいジャガイモが、やたら良いサイズなのです。 ちょっと話がとびますが、先日バスに乗っていたら、後ろの席でちょっと年上のお姉さんたちの会話に聞き耳をたてていたら(アバンティ風で)、 「最近、玉ねぎとか大きい袋で買うと腐らせちゃうのよねえ。こないだたくさん買った時に、娘にあげようとしたら、娘も買ったっていうのよー。タイミング悪い」 「うちなんかネットで買ったら、ずっと玉ねぎばっかり食べてる。」 とかそういう話をしてました。 世の中、核家族化がすすんだり、子供のいないうちも増えたりで、ものの買い方っていうのはだいぶん変わってきているんだろうなと思います。売る人、作る人はその辺も考えていく必要がありそうだと思ったしだいです。

  • 自然派の農家こそITを駆使してほしい

    今日は、工房ブログの更新をしました。「簡単に無線で温度を送受信したい」の第2回ですが、ここでは内容に立ち入りません。こういうことをやっているのは、多分にわたしがそういうことが好きだからというのが一番の理由なのですが、これからの農業のために、ITだのIoTだのといった情報技術が役に立つんじゃないかと思っているということもあります。勘違いかもしれませんが。 どう役にたつのかというと、ハウスの環境管理が楽になるとか、田んぼの水を見に行かなくて済むとか、トラクターが勝手に働くとか。そういうことじゃ全然なくて、もっと大きい問題に目を向けられるんじゃないと考えているのです。 勿体つけてなんですが、大きい問題とは、人間と自然の対立です。そう対立です。人が人たりうるのは、自然と離れることによります。なので対立は避けられません。しかし、対立しすぎて、このところかなりやばいことになっているのも事実です。しかももう手遅れなんじゃ?という状態です。しかしそれでもあきらめず何とかしようと考えるのも、また人というものです。 とはいえ、当然ながら、今までと同じようにやっていても糸口は見えてきません。同じことをしていて違う結果を出そうと考えるのは愚かです。善意とか努力だけでは、解決しそうにないということは明らかです。さらにいうと人が認識できる世界というのはごくごく狭い範囲でしかないので、環境を相手にすると思うとどうにも身動きがとれなくなってしまいます。そしてそういうことを考えないひとが大活躍しちゃうわけです。 そんなわけで、ここはひとつITだのIoTだのAIだの、そういったものに頼るのもいいのではないかということです。新しい感覚器官のひとつだと思えばいいんじゃないでしょうか。話がそれますが、将棋や碁でAIに勝てないと嘆くひとがいますよね。でもAI自体人間が作ったんだから、何で嘆くのかよくわかりません。それは人の成果なんだから、それをばねに将棋でも碁でも新しい世界を開けばいいじゃないかと門外漢は思います。 農業に話を戻すと、たとえば、作物の必要量だけではなくて、汚染流出を抑えるような施肥量を気温や湿度、土壌養分の実測値といったことから計算したり、地域全体の用水量を最適化して河川の水量を確保し生き物の生息場所を守ったり。なおかつ、その努力が消費者に伝わって購買意欲につながったり。

  • 本物のわら納豆はやたらうまいです

    おみあげにいただいた納豆は本物だった。

  • 野菜の本分

    「旬」と「地元」にこだわる八百屋さんの店長さんからお話。

  • 安全かどうか?そんなことじゃないさ

    ゲノム編集で双子を誕生させたというニュース。ショッキングな一方で、とうぜんそういうことも起きるよね。と思いました。そういうことができる環境であって、自分の興味がそこにあれば、ヒトは何でもしてしまうものだからです(どんな非道なことでもです)。それをやっていいのか?いのちとどう向き合うか?なんて、めんどくさいことはたいていよくは考えないものです。 そんなわけで、こういう記事もたいてい他人事モードなんでしょうけど、一方、食べ物の話となると、ちょっと様相がかわります。自分じしんにかかわってくるからです。 なんか気持ちわるい。 遺伝子組み換え食品は食べても大丈夫なのか?と。豆腐を買うときでも「遺伝子組み換えではない」というような表示のものをなんとなく選んだりしてますよね。だけど、その「気持ち悪さ」って本当に「安全性」についてのものなんでしょうか? 安全性に関わる話なのだ。ということにしてしまうと、ここぞとばかり推進派はいかに遺伝子組み換えが安全化について懇切丁寧に教えてくれます。そうして、だから問題ないよね?というわけです。安全性が問題だよなーと思っていたところへ、いえいえ安全なんですよ、それなら問題ないですよね?といわれれば、YESと答えるしかなく、かえって説得されてしまいます。 だけど、自分の場合、「気持ち悪さ」に安全性なんて関係ありません。だってふだん十分不摂生してますから。死ぬのが怖くて生きてられるかって話です。そうではなくて、何が気持ち悪いって、生命をいじること自体が気持ち悪いのです。生き物としての仁義に反すると思うのです。これはもう信仰なので、リクツもなく議論の余地もありません。だからやりたいヒトにやめろとも言いませんが、認めもしないという立場です。 あえてリクツをいうとすれば、人類にとってやるべきことはそれじゃないということです。いつか人類も滅ぶ日がくるでしょう。そのときまでに、成し遂げるべきことがいくつかあるのに、遺伝子操作なんて言う悪ふざけで道を閉ざしてしまう。医学の進歩に少しは貢献するかもしれないけど、もっととんでもないことをやらかす。そんなことになるんじゃないかと懸念するわけです。そうヒトが人になる前にね。

  • どうして自然栽培をするのか

    毎年、仕事で、自然栽培による米栽培をしています。ただし、自然栽培といってもやり方はいろいろあるようで、耕起(たがやすこと)しない、除草(草をとること)もしないのが自然栽培なのだという人もいます。 わたしの場合、耕起も除草もするので、それは自然栽培ではない(怒)といわれたら、はあ、すみません。ということにしています。 いろいろあるのはやり方だけでなく、考え方もさまざまです。たいていのお客さんは、自然栽培あるいは無農薬や有機栽培と聞くと安全だとか安心だとか、そういうことを期待してお買い求めになることと思います。作り手も安全・安心を願ってわざわざ苦労して栽培しているわけですが、実のところ、こうすれば絶対安全・安心という基準はありません。話はすこしずれますが、日本において、有機栽培であると謳うためには有機JAS認証を得る必要があります。しかし、この認証は、何を農地に入れてもいいかについてあれこれ決めているものの、アウトプットとしての農産物に対して「こうあるべき」という指標は与えていません。 もうひとつ自然栽培や無農薬有機栽培において期待されるのは、環境への負荷を小さくすることです。農薬を使えば当然そこで生き物が死にます。ターゲットとなる生き物以外に悪影響がでることもおうおうにしてあります。また、肥料を使えば環境を汚染します。水も大気もです。地球温暖化にも貢献します。 本当は、安全・安心な農産物の栽培と環境保全を両立させるような農業を考えるべきなんですが、正直なところ市場における環境保全へのニーズがあまりありません。たぶん話が遠大すぎるんでしょう。そのためか、生産者もあまりそちらには目を向けなくなってきているというのが現状です。そんなわけで、有機肥料といってもけっこう地球に負荷をかけているものが使われていたりします。資源の循環などお構いなしです。 その点、自然栽培のよいところは、とうぜん農薬を使わないし肥料も使わないので、環境に負荷をかけようがないわけです(注)。 そうなると、ほんとに自然栽培が可能なのか?という話になります。肥料を使わないで作物ができるはずがないというのが、一般常識ですから。勉強してきた人ほどそう思うものです。だって、世のひとびとが肥料を使い始めたのは、それが必要だったからで、肥料が不可欠だと思うのが道理です。

  • 雪の降る町を

    今年はおかげさまで雪がすくないですが、それはいいことなのか悪いことなのか

  • 便利な世界

  • タイ米がなつかしい

  • ある寒い朝の猫

  • 人工知能と自分探し

  • 白山のめぐみ

  • 小農宣言によせて

  • 全粒粉シチュー

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