(2021日) 慶応2年(1866)7月、家茂は倒れた。 慶喜が見舞う。長州だけは倒したかったと家茂は語る。3日後他界。 家茂は天璋院には次の将軍は田安の亀之助と伝えていたが、 まだ幼児であり老中は反対。一橋しか考えられなかった。 和宮は家茂の苦しみを慶喜に味わわせたかった。 慶喜は、家茂が幕閣に将軍職を慶喜に譲りたいと語っていたと 老中板倉勝静に確認し、引き受けることを決断。 但し、徳川に大ナタを振るうとも付け加える。 数日後、慶喜は参内。徳川宗家を継ぐことにした。 孝明天皇は必ずや長州を討てと命じた。 長州再征討にて御用人手附を仰せつかった。大出世だった。 平岡円四郎殺害の水戸浪士2人を殺した川村恵十郎は一橋家での1年先輩だった。 長州征伐はかなわず、慶喜は..