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葵 北風
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2018/09/17

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  • 歴史紀行 昭和時代 戦後 編 1 吉田 茂 像 1

    吉田 茂 元 総理大臣 像東京都千代田区 北の丸公園英雄、偉人、傑物。これら 二つ名の付く人物が日本には数多くいます。源平、南北朝時代では源 義経や楠木正成。戦国の世では、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。幕

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 8 東大寺 講堂跡

    東大寺 講堂跡奈良県奈良市雑司町講堂は、僧が説法を行ったり、講義、勉強を行うための建物で、東大寺の講堂は、大仏殿の裏手(大仏殿の北側)に建立され、回廊を通じて繋がってました。講堂は917年 延喜17年に火災、1180年治承4年に平家による南都焼き討

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 7 東大寺 戒壇院

    東大寺 戒壇院奈良県奈良市雑司町753年 、天平勝宝5年、日本の求めに応じるべく、足掛け12年におよぶ歳月をかけ、五度の渡航失敗の末に失明してもなお日本を目指した唐の高僧、鑑真和上が九州 薩摩に上陸、日本の土を踏みました。折しも聖武天皇

  • 歴史 今日の出来事 1880年 11月28日 1880年 - 北海道初の鉄道である官営幌内鉄道が開業

    1880年 - 明治13年 11月28日、北海道初の鉄道である官営幌内鉄道手宮 - 札幌間が開業。官営幌内鉄道は、先に開業した東海道本線 に次ぐ営業開業した鉄道で、目的は、北海道のほぼ中央部の空知地方の幌内太(現在の三笠市)で産出される石炭を運び出すことを前

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 6 東大寺 閼伽井屋(あかいや)

    東大寺 閼伽井屋(あかいや)奈良県奈良市雑司町閼伽井屋は、毎年 三月十二日 午前1時過ぎより、二月堂で修二会を始めるあたり、屋内の井戸より水をくみ取り、御香水(閼伽水~あかみず)として本尊 十一面観音にお供えするための儀式を行う場所で、752年 天平

  • 歴史 今日の出来事 1958年 昭和33年11月27日 宮内庁が皇太子・明仁親王殿下(現 上皇陛下)と正田美智子(上皇后陛下)の婚約を発表。

    1958年 昭和33年 11月27日、宮内庁が皇太子・明仁親王と日清製粉グループ会長の正田英三郎・冨美夫妻の長女、正田美智子氏との婚約を発表しました。明仁親王殿下と正田美智子氏とは、軽井沢のテニストーナメントで出会われたことから、テニスコートの恋ともては

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 5 東大寺 二月堂

    東大寺 二月堂奈良県奈良市雑司町東大寺 二月堂は、大仏殿を見下ろす東の高台に建立された懸崖造(けんがいづくり)で、奈良に春を告げる本尊、十一面観音の修二会(しゅにえ~お水取り)が行われる伽藍です。西に向けて舞台の様にせり出した回廊からは、

  • 歴史 今日の出来事 1868年 11月26日(明治元年10月13日) - 明治天皇が江戸城にお入りになられる。

    旧江戸城 富士見櫓1868年(明治元年10月13日) - 明治天皇が旧江戸城にお入りになられ、名称を東京城と改められました。更に皇居と定められました。にほんブログ村

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 4 東大寺 法華堂【三月堂】

    東大寺 法華堂【三月堂】奈良県奈良市雑司町法華堂は、東大寺の前身となった金鐘寺の遺構で、現存する東大寺最古の伽藍です。日本で初めて法華経が講じられた建物で、内部は入母屋造りの礼堂(らいどう)と天平建築の寄棟造の本堂の二堂からなります。

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 3 東大寺 南大門

    東大寺 南大門奈良県奈良市雑司町東大寺は、東に在る大寺ということから、東大寺と名付けられました。正面は五間、三戸、二重門の豪壮な入母屋造りで、高さは25メートルを超え、【大華厳寺】の扁額が掲げられています。阿、吽の金剛力士立像が左右

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 2 東大寺 大仏殿

    東大寺 大仏殿(金堂)奈良県奈良市雑司町東大寺 大仏殿は、奈良時代前期の747年 天平19年、聖武天皇の大仏造立の詔(みことのり)により、盧舎那仏(大仏)の造立とほぼ同時に建築が始まりました。完成は着工から四年後の751年 天平勝宝3年、坐像なが

  • 歴史紀行 奈良時代編 5 ー 1 東大寺 盧舎那仏坐像

    東大寺 盧舎那仏坐像奈良県奈良市雑司町国宝にして世界遺産に登録された東大寺の大仏さまです。正しくは、銅造 盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)といいます。盧舎那仏は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らす仏の意味を表します。東大寺

  • 歴史紀行 昭和時代 初期 編 1 読売巨人軍発祥の地 碑

    読売巨人軍発祥の地 碑 読売巨人軍発祥の地 碑千葉県習志野市谷津3丁目 谷津バラ園前昭和9年4月、元警察官僚で読売新聞社の辣腕社長 正力松太郎は、日本野球界の発展と健全娯楽の育成のために、全アメリカ選抜チームを招聘することを決めました。

  • 歴史紀行 奈良時代編 4 聖武天皇 御陵

    聖武天皇 御陵奈良県奈良市法蓮町第45代、聖武天皇は、飛鳥時代末の女帝 持統天皇を祖母に持ち、仏教に深く帰依した25年に及ぶ治世の中で、四度の遷都と東大寺の創建と大仏造立に代表される全国総国分寺、国分尼寺建立の詔を発譜しての寺院建立に情熱を傾けま

  • 歴史紀行 奈良時代編 3 ー 2 平城宮跡 大極殿

    平城宮跡 大極殿奈良県奈良市佐紀町710年 和銅3年の藤原京から、784年 延暦3年の長岡京に遷都するまでの74年間に渡る国政を担った平城京において、大極殿は天皇の即位式や数多くの儀式を執り行う最も重要な建物でした。現在の大極殿は、2010年 平

  • 歴史紀行 奈良時代編 3 - 1 平城宮跡 朱雀門

    平城宮跡 朱雀門奈良県奈良市佐紀町710年 和銅3年 女帝 元明天皇が飛鳥、藤原京から現在の奈良市佐紀の平地に築いた平城京に遷都し、奈良時代が始まりました。平城京遷都の詔(みことのり)は、708年 和銅元年 先代の文武天皇が発願し、唐の都、長安を参

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 21 藤原宮跡

    藤原宮跡奈良県橿原市高殿町藤原宮跡は、日本初の都城制の都、藤原京の中心宮殿として内裏、大極殿、朝堂院といった宮殿を中心に配置されていました。都城制の都の建設は40代 天武天皇の悲願で、天武天皇治世下に始まりましたが、病気がちの天武天皇は都の

  • 歴史紀行 奈良時代編 2 ー 6 薬師寺 玄奘三蔵院

    薬師寺 玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)奈良県奈良市西ノ京町玄奘三蔵は、西遊記で有名な三蔵法師の名で実在した人物です。玄奘三蔵は唐(現在の中国)の生まれで、日本の飛鳥時代に唐から釈迦の生誕の地 天竺(てんじく~現在のインド)へ釈迦の教典

  • 歴史紀行 奈良時代編 2 ー 5 薬師寺 食堂(じきどう)

    薬師寺 食堂(じきどう)奈良県奈良市西ノ京町薬師寺食堂(じきどう)は、その名前の通り、薬師寺の僧が斎食を取る建物で、730年 天平2年に造営されました。一度に300名の僧がお斎(おとき~僧の食事のこと)ができる当時の建物は、東大寺、大安寺に次

  • 歴史紀行 奈良時代編 2 ー 4 薬師寺 東院堂

    薬師寺 東院堂奈良県奈良市西ノ京町再建中の東塔の東側、回廊の影になるように、ひっそりと佇む平屋の入母屋造り和様建築の伽藍が東院堂です。東院堂は養老年間 717~724年 に建立された伽藍で、後に長屋王の変で自害する王妃 吉備内親王が元正天皇の冥

  • 札幌市 警戒レベル 4

    札幌 大通公園ぼくの故郷 北海道が大変な事態になっています。最近、新型コロナウイルスの感染拡大が続いていますが、特に4日連続で感染者が200人を超えた北海道は、17日にも独自の警戒ステージを札幌市だけ レベル4相当に強化して、札幌市との往来自粛

  • 歴史紀行 奈良時代編 2 ー 3 薬師寺 大講堂

    薬師寺 大講堂奈良県奈良市西ノ京町薬師寺 大講堂は、当時 講堂として、692年 持統天皇6年、天武天皇の後を継ぐ形で持統天皇が飛鳥 浄原の地に造営を命じて、本尊に阿弥陀大繍仏を安置した伽藍で、その後 都が藤原京に遷都されると薬師寺も藤原京に移りました

  • 歴史 今日の出来事 慶応3年 11月15日 坂本龍馬、中岡慎太郎 暗殺

    近江屋跡 坂本龍馬、中岡慎太郎 遭難地碑1853年 嘉永6年4月過ぎ、江戸に入った龍馬は、土佐藩邸で起居しながら千葉定吉道場で北辰一刀流を学びます。千葉道場 千葉定吉の長男、重太郎や妹、佐那とも親交を深め、江戸での生活も慣れてきた6月。ペリー提

  • 映画~罪の声~

    映画~罪の声~パンフレット表紙新型コロナウイルス。春の流行期から気をつけておりますが、晩秋に入ってからは、その猛威が一層加わっているようで、マスク~手洗いのみでは、免れないんじゃないか?と恐れています。歴史探索の遠出も、コロナウイルスの名が

  • 歴史紀行 奈良時代編 2 ー 2 薬師寺 西塔

    薬師寺 西塔奈良県奈良市西ノ京町薬師寺は飛鳥時代末期の680年 天武天皇9年、天武天皇が病に苦しむ皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し建立を命じますが、創建を見ずに祈願した天武天皇が686年に崩御します。病の癒えた皇后は天武天皇が建立を命じた薬

  • 歴史 今日の出来事 669年 11月14日 藤原氏始祖 中臣鎌足 逝去

    大原神社 中臣(藤原)鎌足 誕生地藤原鎌足 誕生地奈良県高市郡 明日香村小原後に朝廷の最高権力者となる藤原氏の祖、藤原鎌足は、614年 推古天皇22年に飛鳥の大原(現在の明日香村小原)の地で、鎌足の一族は祭官(祭司、当時の国の役人)として仕え

  • 歴史紀行 奈良時代編 2 ー 1 薬師寺 金堂

    薬師寺 金堂奈良県奈良市西ノ京町薬師寺は、680年 天武9年 、飛鳥時代末期の天武天皇が病に苦しむ皇后 (後の持統天皇)の病気平癒を発願して創建を決意しました。最初の薬師寺は天武朝の都があった飛鳥に創建され、藤原京に都が移ると移転し、さらに平

  • 歴史紀行 奈良時代編 1ー 5 興福寺 三重塔

    興福寺 三重塔奈良県奈良市登大路町興福寺境内の南西の隅に立つ三重塔は、平安時代後期の崇徳天皇の中宮、皇嘉門院が創建した現存する最古の興福寺伽藍で、窪弁才天像を安置する塔内部は毎年7月7日に特別開扉します。興福寺 まとめ藤原氏の氏寺

  • 歴史紀行 奈良時代編 1 ー 4 興福寺 南円堂

    興福寺 南円堂奈良県奈良市登大路町南円堂は、藤原北家 四代目の藤原冬嗣が父、内麻呂の冥福を祈り、813年 弘仁4年に建立した八角円堂で、これも焼失後、江戸時代後期の1789年 寛政元年に再建されたものです。南円堂は西国三十三ヵ所観音霊場として多く

  • 歴史 今日の出来事 皇極天皇2年 11月11日(643年12月30日) 山背大兄王が蘇我入鹿に襲われ自害

    伝 山背大兄王 陵推古朝で摂政を務めた聖徳太子の皇子 山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、622年 推古30年、太子の死後、有力な皇位継承者となりました。山背大兄王の一族は上宮王家と呼ばれ、蘇我氏と皇位継承者の擁立を巡り、暗闘が続きま

  • 歴史紀行 奈良時代編 1ー 3 興福寺 北円堂

    興福寺 北円堂奈良県奈良市登大路町興福寺 北円堂は、藤原不比等の没後一周忌の721年 養老5年に創建された八角円堂で、平安時代末期の源平争乱の最中に平 重衡の軍勢により焼失し、その後、1210年 承元4年に再建されたものです。にほんブログ村

  • 歴史 今日の出来事 1567年 11月10日(永禄10年10月10日) 東大寺 大仏殿の戦い~大仏殿焼失

    東大寺 大仏殿1567年 11月10日(永禄10年10月10日) 松永久秀と三好義継率いる軍勢が三好三人衆が陣取る奈良 東大寺を急襲し、この戦いにより大仏殿を含めた堂宇が消失、大仏~盧遮那仏も焼け落ちました。(東大寺大仏殿の戦い) 東大寺は平安時代末期

  • 歴史紀行 奈良時代編 1 ー 2 興福寺 五重塔

    興福寺 五重塔奈良県奈良市登大路町興福寺 五重塔は、奈良時代前期の730年 天平2年に建立されましたが火災により焼失し、その後も火災、戦災に見舞われて計五度の焼失を経て現在の五重塔は六代目で、1426年 応永33年の室町時代に再建されたもので、高さ50メ

  • 歴史紀行 奈良時代編 1 ー1 興福寺 東金堂

    興福寺 東金堂奈良県奈良市登大路町興福寺は、中臣(藤原)鎌足の夫人 鏡女王が病に臥した夫、鎌足の回復を願って山城国(現在の京都)に657年 斎明天皇8年に造営させた山階寺が始まりです。鎌足の死後、飛鳥に厩坂寺として移転、さらに都が平城京に遷

  • 歴史 今日の出来事 1867年 11月9日 (慶応3年10月14日)江戸幕府 大政奉還を奏上

    二条城 二ノ丸御殿ペリー来航以来、江戸幕府は続けていた鎖国政策を外圧により改めざるお得なく、ここから沸き起こった尊王攘夷運動により日本中(とりわけ京の都)の治安が脱藩浪士などの活動で悪化し、さらには西国外様諸藩の台頭、長洲征伐の敗北と幕府の政策は

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 20 藤ノ木古墳

    藤ノ木古墳奈良県生駒郡 法隆寺西町藤ノ木古墳は、1985年 昭和60年に発見された高さ約9メートル、直径約50メートルの横穴式前方後円墳で、石室からは武器や鎧、土器などが出土し、朱色に施された石棺からは装飾品に着飾られていたということで、皇子などが葬

  • 歴史 今日の出来事 1956年 昭和31年 11月8日 南極観測船 宗谷 出航

    旧 南極観測船 宗谷東京都江東区青海2丁目 南極観測船 宗谷その名前はご存知無くても、南極で置き去りにされ、一年間生き抜いて発見されたタロ、ジロの兄弟犬のことは、多くの方かご存知だと思います。地球上の様々な気象現象を調べるには、南極の観測が

  • 現代語釈 徳川実紀 26 初陣 松平元康 2

    寺部城跡碑 愛知県豊田市寺部町十七歳の初陣で兵を率いた元康君は、鈴木方の支城である広瀬、梅坪、挙母(ころも)の城を枝葉を刈る様にひとつずつ落とし、本城である寺部城は夜襲により落城させた。元康の采配を聞いた酒井雅楽助正親、石川安芸守清兼な

  • 現代語釈 徳川実紀 25 初陣 松平元康 1

    翌年、弘治も四年となり、永禄と改元が行われた。間もなく西三河、寺部城主の鈴木日向守重辰が織田方に寝返ったという知らせが届いた。今川義元は怒り、寺部城攻撃を元信君の初陣として飾ろうと考えた。元信君は、これに先立ち、祖父 松平清康の武勇にあや

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 19 飛鳥水落遺跡

    飛鳥水落遺跡奈良県高市郡明日香村飛鳥飛鳥水落遺跡は、専横を極めた蘇我入鹿を討ち倒して天皇家の実権を取り戻した中大兄皇子(後の天智天皇)が660年、斉明天皇6年に日本で初めて造った時計(水時計)の跡地です。245本の柱の径に沿って堀が掘られ、中に

  • 歴史 今日の出来事 1868年 11月6日(明治元年9月22日) 会津藩が降伏、会津戦争が終結

    鶴ヶ城 (会津若松城)福島県会津若松市1868年11月6日、(明治元年9月22日) 鳥羽伏見の戦いから始まった 戊辰戦争で、会津藩が降伏し、会津戦争が終結しました。江戸市中で殺人、強盗、強姦、放火と、様々な犯罪行為を起こして江戸の治安を乱して幕府

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 18 飛鳥板蓋宮跡【あすかいたぶきのみやあと】

    飛鳥板蓋宮跡【あすかいたぶきのみやあと】奈良県高市郡明日香村 岡飛鳥板蓋宮は、女帝 皇極天皇の宮殿でした。645年 皇極2年 6月12日、権勢を私物化している蘇我入鹿を中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が討ち取り、蘇我本宗家の勢力を一掃した後で皇極天

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 17 蘇我入鹿 首塚

    蘇我入鹿 首塚奈良県高市郡明日香村飛鳥643年 皇極2年 蘇我入鹿は、自らの権力をさらに大きくすべく、聖徳太子の皇子で、有力な皇位継承資格者であった山背大兄王を斑鳩宮で襲撃します。父、聖徳太子から、【諸の悪を作(な)すこと莫(なか)れ。諸の善

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 16 ー 3 法起寺 聖天堂

    法起寺 聖天堂奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本飛鳥時代 聖徳太子の皇子 山背大兄王により創建された法起寺は、蘇我入鹿により、山背大兄王の一族 上宮王家が襲撃された際は、斑鳩宮(現在の中宮寺)に居た一族が生駒山に避難したために焼失は免れました。

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 16 ー 2 法起寺 講堂

    法起寺 講堂奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本法起寺は、聖徳太子が606年 推古14 年、法華経を講説した岡本宮を、太子薨去に際して、皇子 山背大兄王が寺に改められたものと伝わります。創建した山背大兄王は、間もなく政敵の蘇我入鹿に襲撃され滅亡しました。

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 16 ー 1 法起寺 三重塔

    法起寺 三重塔奈良県生駒郡斑鳩町岡本法起寺は、聖徳太子摂政による推古朝の時代、仏教を精力的に取り入れた太子が自ら法華経を講説した岡本宮が起原となります。太子の法華経講説より十数年、622年 2月22日、流行り病に伏した太子は、死期を悟り、枕頭

  • 歴史紀行 地域版 48 熊谷直実 袈裟掛けの松跡、片葉の葦 碑 ~静岡県菊川市~

    熊谷直実 袈裟掛けの松跡 碑片葉の葦 碑熊谷直実 袈裟掛けの松跡 碑、片葉の葦 碑静岡県菊川市中内田平安時代末期の武将 熊谷直実は、元々は平家方の坂東武者でしたが、源 頼朝が挙兵すると源氏方につき、戦の無常を感じながら一の谷の戦い、い

  • 歴史紀行 飛鳥時代編 15 法輪寺

    法輪寺奈良県生駒郡斑鳩町 三井法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔とも言われる法輪寺は、聖徳太子の皇子、山背大兄王が622年 推古30年、病に伏した太子の病気平癒を願い建立しました。その後、推古朝から天武朝時代にかけて法隆寺西院と同じ形式で伽藍を整えま

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