【ヨハネによる福音書8章31~38節】先週、2月22日の水曜日から2023年の受難節、レントに入りました。今年は4月9日がイースターとなりますので、4月8日までがレントの期間となります。言うまでもなくこの期間は、主イエスをキリストと信じる者にとって、主の御受難を思いつつ過ごす時期であります。受難節となった2月22日の水曜日、昼の祈祷会で、ガラテヤの信徒への手紙5章を読みました。その箇所は「キリスト者の自由」というタイトルが付けられている箇所でありました。5章11節にこう記されています。「兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害をうけているのはなぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。」ここに「十字架のつまずき」と言う言葉があり...自由に生きるために
【ヨハネによる福音書8章21~30節】ヨハネによる福音書8章21節からを読んでいただきました。この時、主イエスはエルサレムの神殿で話をされていました。なぜ神殿にいたのか。エルサレムではユダヤ教の大切な祭りの一つ、仮庵の祭りが行われていました。この祭りは、これまで話をしてきましたが、「水」の祭りと呼ばれ、「光」の祭りとして知られていました。主イエスは、祭りが最も盛大に祝われている時、水がクローズアップされている時に、立ち上がって人々に宣言されました。「渇いている人はだれでも、わたしのところ来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」夕方となり、神殿の境内に設置してあった巨大な松明に灯が灯され、その光が神殿を越えて、エルサレムの町の隅々を...どこに属しているのか
【ヨハネによる福音書8章12~20節】今年度、ヨハネによる福音書を読みながら礼拝を守っていますが、本日は8章12節からの箇所が読まれました。主イエスが「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」と言われた場面であります。その前の箇所にイエスは「再び言われた」とあります。再びですから前にも同様の言葉が話されたことになります。どの言葉がそれにあたるのか、様々な詮索をせずに答えるとすれば、7章37節の御言葉「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」この御言葉がそれだと考えられます。先週の礼拝では...命の光を与えられる方
【ヨハネによる福音書8章1~11節】今日はヨハネによる福音書8章1節からを読んでいただきましたが、7章53節に「人々はおのおの家へ帰って行った。」とあります。なぜこのような文があるかと言えば、7章に記されていた場面は、「仮庵の祭り」の場面でありました。7章37節には、「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れでるようになる。』と主イエスは告げられました。人生の中で、生きる中にあって渇きを覚えている者よ、私のもとに来なさいと主イエスが宣言されたです。この御言葉を聞いた人々の中で、「この人は本当にあの預言者だ」という人もいれば、「この人は...神の視点と人の視点
【ヨハネによる福音書7章37~52節】2022年度になりまして、教会の礼拝ではヨハネによる福音書を連続して読んで参りました。本日は7章の締めくくりの場面となりました。7章はエルサレムで行われる仮庵の祭りでの場面です。仮庵の祭りは、水と深い関わりがある祭りと言われます。季節は秋、10月です。祭りのその名前から分かりますように、自分達の先祖がモーセに導かれてエジプトを出て40年もの間、荒野を放浪し生活をした。その出来事を子孫がいつまでも忘れないようにと主なる神が律法によって定めた大切な祭りでもあります。祭りは八日間行われました。安息日に始まり、安息日に終わる祭りでもありました。安息日は聖なる集会、すなわち礼拝が祭の中心であったと思われます。その安息日に挟まれた祭りの期間、祭司たちが毎日行わなければならない儀式...生きた水を飲み続けるために
「ブログリーダー」を活用して、日本キリスト教団 大塚平安教会 さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。