「平家物語」などに伝えられるところによると、俊寛ら3人の流罪された島は「硫黄島」と呼ばれ、また「鬼界ヶ島」と呼ばれることもある。謡の中にも「硫黄」「九州薩摩潟」「鬼界が島」といった言葉が出てくるのだが、この島が現在のどこにあたるのかは、実はいくつかの説があって現在でもわかっていない。俊寛が流された島はここだ、と名乗りをあげている島は、私の知る限り3つ、いずれも九州地方にある。1つめは、俊寛が晩年を過ごしたという「俊寛堂」が復元され、当地で中村勘九郎による歌舞伎「平家女護島」が演じられた硫黄島(鹿児島県)。2つめは、俊寛のものと伝えられる墓が残り、その墓の調査により俊寛のものと推定される人骨と木管、装飾具が発見されたという喜界島(鹿児島県)。そして3つめは、同じく俊寛の墓があり、当地を訪れた北原白秋が俊寛を憐れんで詠んだ歌碑の残る伊王島(長崎県)である。こうした島々を実際に見比べてみようと、平成8年春、私は「俊寛」伝説の残るこれらの3つの島々を順に訪ね歩いてみた。
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