平場の館跡の見方について
ある方のブログで、直接、名指しではなかったものの、自分の城館跡、特に平場の館跡の見方について批判(嘲笑)があったので、反論というほどではないですが自分の考え方を書いておきます。わたしが城館跡に関心をもったのは、1982年の夏です。最初は、熊谷市の中世武士の館跡に手を付け始めた訳です。別府城や中条氏館は、現在でも土塁も堀跡も堂々たるものが残されていますが、多くは見捨てられていくような存在でした。『埼玉の館城跡』という名著がありますが、ここに記載された記録をもとに館跡を確認しに行くと、文献上は土塁、空堀が残っているとされる館跡も、実際にはその遺構ががわからないような場所が多かったですね。そこで、住宅地図などを利用して場所を特定し、地主さんをはじめ付近にお住まいの方にご教示やご案内を乞うわけですが、遺構とされるものが...平場の館跡の見方について
2019/06/10 20:17