賛否両論極まれりといった状態で始まったオリンピックですが、いざ競技が始まるとなんだかんだでやっぱり盛り上がりますし、現地には行けずとも応援したくなるものですよね。 ちなみに、現時点で日本のために一番頑張ってくれているのは、「日本のために…という熱い想いを胸に無観客の中で自分を奮い立たせて戦っている選手たち」であって、決して「コロナがどうこうと騒ぎながら、すでに開催した自国のオリンピックに対して難癖つけている人間たち」ではないんですよね。 これって、きっと気付いていないといけないことだと思いますし、当然忘れてもいけないことだと思います。 もちろん、医療関係者の方々が国民の命を守るために継続して頑…
先日の記事と少し関連するのですが、今回は自分の人生のとらえ方について書いてみたいと思います。 大切な人を亡くすのって、やっぱり予定外というか想定外のことですよね。でも、人間とか人類という大きな枠組みでとらえると、大切な人がいつか亡くなってしまうのは当然予想できたはずの出来事ですし、そういう意味では「実はすべては想定内の出来事」と言ってもいいはずです。 ちなみに、死別を経験して「自分の人生において完全に予定外のことが起きてしまった…」という考え方をしてしまうと、その後の人生の中で精神的に持ちこたえられない場面を迎えることが多くなってしまいます。特に、自分を「何の罪もない被害者」であるかのように感…
私は、人生の最期の瞬間に自分の人生を振り返るという経験をしたことがありません。ですので、まさに息を引き取ろうとするその時に、自分の人生に対してどういった感想を持つのかは想像することしかできません。ただ、どうせいつかはそんな場面を迎えるわけですから、できれば「いい人生だったな」「幸せな人生だったな」といった心境とともに振り返りたいものです。 おそらく、みなさんの中にもそう考える方は多いのではないでしょうか? ちなみに、「想像しかできない」とは言ってみたものの、私は間違いなく「最高の人生を送れたな」と感じながら死んでいくことが出来るはずです。ええ、間違いありません。これについては断言できます。 つ…
今年の命日に久しぶりに記事を書こうとしたのですが、時間に追われたせいでそのまま下書きに放り込んでました。今日はそれを思い出したので、ちょっと時間差ですが公開しておきます。 あれから20回目の5/22… 時が経つのはこんなにも早いものなんですね…にわかには信じられないほどです。とは言っても、「今もあの日の出来事をつい先日のことのように感じているか?」と尋ねられたら、これはこれで一部を否定する必要があります。 というのも、自分でもよくわからないのですが、頭の一部分ではあの日を「つい先日」と認識している一方で、また別の部分ではそれを「遥か昔」と認識しているみたいなので…そのせいか、死別について思い出…
大切な人を亡くすと、残りの人生ってなんか消化試合みたいな感じがしますよね?生きる気力もなくなるし、人生の目標もなくなるし… 何のために生きてるんだろう…? 何をすればいいんだろう…? どうすればこの苦痛から抜け出せるんだろう…? なんてことをいろいろと考えてしまって… こんな風に「その後の人生に対して生きる価値を見出せなくなる」というのは、死別で残された人間にとっては「あるある」だと思います。人生をかけて愛した人間が忽然といなくなっちゃったわけですから無理もありません。楽しいことや嬉しいことを分かち合える人間はもうどこにもいませんし、悲しみを和らげてくれたり憤りをなだめてくれる人間だってもうそ…
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