私 ミヤコは10年以上に渡って絵画モデルのお仕事をさせていただきました。 楽しいこと、大変なことはもちろん、随分マニアックなエピソードも記録させていただきました。 興味ある方は是非どうぞ!
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ついでに、もう一件犯罪物件を報告させていただきたい。これはかなり特殊な例だった。何がって、犯人の見事な勘違いぶりが。近所の公民館で、ヌードモデルの仕事が入った。生徒さんは1人だという。新規の生徒さんで、ヌードモデルの場合、公民館で仕事をするのが事務所の決
写真モデルの時は、時折おかしな男が1人は紛れ込んでいて、モデルの股の間ばかりを撮ろうと狙っていたりしている。そんなやつのカメラには一切視線を投げない、という仕打ちで返すのがモデルの間の無言の決まりごとみたいになっている。しかしながら美術の教室の生徒さんは
2009年くらいだったか。7月に写真モデルの仕事が入った。台風が心配で、もしかしたら中止になる恐れがあったが、無事開催されてホッとした。マネージャーはタマさんだった。彼女の車で、大分から撮影地の玖珠へ向かった。途中で、目の前を30キロくらいで走る車が現れた。し
ヌードモデルなんてしているから、サチエちゃんはてっきり子持ちのシングルマザーかと思っていた。するとなんと旦那がいるというのである。しかも再婚で、旦那もモデルの仕事を許しているのだそうだ。「文句なんか言わせないわよ。あたしがやりたいことやるわ。怒ったらあた
サチエちゃんの怒りがようやく収まり、話題は「仕事中に生理になった時どうしているか」に移った。サチエちゃんはタンポン派だという。私は、あの毛羽立ったものを膣に押し込むのがどうしても苦手で、タンポンを使用したことがなかったし、これからも無理だ、と言った。する
新人さんが研修のため私のモデルぶりを見学に来たことがあった。どんな新人かと思っていたら、モデルの経験なんか全くなさそうな、農家のおばちゃん、といった風情の人だった。こんな人で大丈夫かと思っていたら案の定、生徒さんからクレームが来た。モデルどころか絵も描い
前回、タマさんから受けたひどい扱いを書き殴ったあと、驚くことに書いた内容と似たようなことが先日私の周りで勃発した。薄気味悪くなって、全文削除させていただいた。1回読んで面白かったからもう一回読もうと楽しみにしていた人、ごめんだよ。私はこのようなことがよくあ
ひどい扱いというのはこうだ。その前年の9月くらいのある日のこと。タマさんから仕事が入った。12月に、福岡での写真モデルだった。すると数日後、また仕事が入った。やはり12月に、福岡で3日連続泊まりでの絵画のモデルだった。2つの仕事を合わせると、かなりのまとまっ
ロケが終わり、帰りの車中、実にいろんな話をした。やはりタマさんの話でエキサイトした。エキサイトといっても怒りの方のエキサイトである。要するに悪口だ。話が前後してしまうが、私はこのロケの直前に、タマさんから随分ひどい扱いを受けたことがあった。かなり大きな仕
なんとテレビの温泉番組の仕事が入った。しかし驚くべきは、そのバイト代の安さであった。もちろん温泉モデルとして登場するのだが、一応タオルを巻いて撮影するため、普通のコスチュームモデル扱いになるのだ。しかも拘束時間が2時間なので、絵画のコスチュームモデルを2
2009年くらいだったか。緑ヶ丘高校の木炭デッサンと油絵の夏休み講習会に呼ばれた。暇な夏時期には嬉しいまとまった仕事だった。いくつかの教室に分かれてするので、他のモデルも何人か来るとのことだった。特に事務所があるわけでもないため、他のモデルと会うことなど滅多
しのぶちゃんのことを、しきりに「綺麗な人」と形容してきたが、心の底からそう思っていたわけではない。彼女はよく見たらロバに似ていたし、ホステスのバイトをしていただけあって肌のたるみがひどかった。それを隠そうとあそこまで一生懸命化粧をして、あそこまで綺麗な喋
そういうわけで、しのぶちゃんには何となく振り回されて終わった。しかし、彼女からは「新しい仕事」という嬉しい置き土産をいただいた。大分大学での彫刻の授業の時、私のヌードを見たしのぶちゃんが、社長のたまさんに、私の体が綺麗だから写真の仕事もすべきだと大絶
彼女は、相手の両親や親戚からも随分ひどい対応をされ、我慢の果てにとうとう離婚をしたという。蛇がとぐろを巻くように怨念凄まじく延々と語られる愚痴を、私はあっけにとられて聞いているしかなかった。しかしこれは女性の癖なのだろうか。しのぶちゃんの会話の端々に
しのぶちゃんは綺麗だし、フレンドリーだし、声も鈴の音のように美しい。旦那さんもきっと素敵な人なのだろうなあ…と思っていた。しかし意外なことにシングルマザーだった。だからだろうか。頻繁に「今から遊びに来ない?」のメールが来た。家が割と近所だったので
2007年くらいのこと。夕方に大分大学の美術学部彫刻科でのモデルの仕事が入りだした。10月から1月までのロングランなので、たまさんからは「儲かるわよー」と言われたが、他の仕事が入れづらくなるし、しかもたったの2時間だからそこまでいい話ではなかったが、仕事に
その授業も最終日となった。早川さんはもはや遠くからなんとなく遠慮がちに私をうっすらと見つめているだけになっていた。最後のポーズが終わったら、おそらくまた彼は「モデルさん、お疲れ様でした」と恭しいしつこい挨拶をしてくるだろう。素人感満載の絵の自慢もして
授業は長丁場で、毎週水曜日のみ、2ヶ月に渡って行われた。早川さんは、休み時間も笑顔で私を遠くからじいっと眺めている。モデルさんを優しく見守っているという感覚なのだろうが、外見が外見なので不気味である。そしてポーズごとに服のシワチェックが入る。私は、冷淡な
クロッキーに何ポーズかとった後、固定ポーズに入る。私はパイプ椅子に座らされ、「右の膝をもうちょっと中に」「少し顔を左に」といった、生徒さんからの細かい注文通りにポーズを調整して行く。ポーズが決まり、生徒さんたちがガタガタとイーゼルを動かし、自分たちの
2009年の6月くらいだっただろうか。その日は大分合同新聞文化教室で授業があった。合同新聞文化ビルのロビーには大分ゆかりの画家、高山辰雄の版画が飾られている。各階の踊り場に、合同新聞の前身なる「豊後日報」という新聞が飾られている。記事も筆文字で、もちろん
モデル休憩中に、生徒さんたちの絵を見て回ってると、素晴らしい水彩画があり、しばし見とれていた。作者は、90歳くらいのご婦人である。このようなご高齢で、素晴らしい色彩感覚と斬新な感性を持たれていることに感動し、人生の質は年齢なんかで決まるものではないなぁ、
画布の上を滑る鉛筆音のみが響く教室でポーズをとっていると、宮瀬んじいちゃん(大分弁で、宮瀬のおじいさん)が、パイプ椅子からゆっくり立ち上がり、そのまま不思議な位置にぼうっと突っ立っている。誰かの作品を鑑賞している位置でもなく、モデルの私をじっくり違う角度
ある日、大分合同新聞文化センターでの絵画教室の仕事が入った。私は教室に入り、隅っこで椅子に座って生徒の様子を伺っていた。生徒さんは退職したであろう60代以上の方が多く、15、6人くらいの教室だった。入り口のドアが開き、おじいちゃんぽい人が入ってきて、私
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