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2017/07/02

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  • 【新潟県長岡市】照明寺

    御縁起:越後三十三観音霊場公式ホームページより引用照明寺観音堂の御本尊聖観世音菩薩は、弘法大師入唐の祈願仏として、大師住房の高野山龍光院(中院御房)に安置してあったが、永承2年(1047)栄秀阿闍梨が霊夢に依り、尊像を背負って諸国を巡行中、当所が景勝の地であったため、一庵を結び、本尊を安置し、如意山宝光院照明寺を開創した。寺伝に依れば源義経や上杉謙信も武運長久を祈念し、また、元禄8年(1695)5代将軍綱吉公の息女が眼病平癒の霊験を受けた折、幕命に依り村上城主榊原政倫が、新しい観音堂を建立寄進したと云う。其の後曲折があり、大正15年現本堂を再建した。照明寺(しょうみょうじ)(越後三十三観音霊場第二十番)長岡市寺泊片町2408【新潟県長岡市】照明寺

  • 【新潟県燕市】吉田寺

    御縁起:越後三十三観音霊場公式ホームページより引用吉田寺のご本尊は、古来より黒滝城の守り本尊としてまつられた聖観世音(行基菩薩御作)であります。たまたま、戦国時代の城主照田越前守日下部吉傳は深く仏法に帰依し、自ら出家し、石瀬種月寺第七世樂崇文詔禅師の弟子となり、永正年間(約480年前)城内に寺を建立して吉傳寺と称した。1578年御お館の乱おこり、黒滝城落城とともに数名の武士が、命がけで当時砦であった現在の地に移して寺を建てた(吉傳寺→吉田寺となる)。その後、何度かの火災にあい、特に大正14年11月に不慮の火災で伽藍悉く焼失し、昭和3年、現在の伽藍が完成して今日に至っている。吉田寺(きちでんじ)(越後三十三観音霊場第二十一番)新潟県燕市渡部1195【新潟県燕市】吉田寺

  • 【新潟県新潟市】景清寺

    御縁起:越後三十三観音霊場公式ホームページより引用昔景清という人がいた。源氏の家に生れたが故あって平家の一族となった。幼い頃母と同じ観世音の霊夢を見て作られたのが一寸八分の紫金の観世音である。この観世音の背後には景清の2字が刻まれている。源平の戦いで平家は亡び景清は悲運な運命をたどったが、常に観世音を念じ救われた。建保2年(1214)8月15日九州宮崎で景清は48才で亡くなった。景清の忠臣景門という人は、奥州飯田山の麓平沢村の出身であったが、景清の遺言によって観世音を守って故郷へ帰る途中この地を通り、故郷と同じ平沢村というのでここに観世音を安置して生涯をとじた。景清寺(けいしょうじ)(越後三十三観音霊場第二十四番)新潟市西蒲区平沢455【新潟県新潟市】景清寺

  • 【新潟県長岡市】徳聖寺

    長岡駅にほど近い、徳聖寺を参拝しました。都会風のお寺で、本堂へは階段を上がっていきます。ご住職は作業中とのことで、書置きの御朱印をいただきました。なお、このお寺は全国善光寺会の会員らしく、善光寺如来の御朱印もいただきました。徳聖寺(とくしょうじ)(越後新四国八十八ヶ所霊場第六十一番)長岡市上田町2-25【新潟県長岡市】徳聖寺

  • 【新潟県長岡市】千蔵院

    長岡市の市街地にある千蔵院を参拝しました。このお寺は昨年の11月に参拝しましたが、つい最近このお寺が越後三十三観音霊場会の事務局で専用の納経帳があるということを知り、この納経帳に改めて御朱印をいただきなおそうと思っています。すでに越後三十三観音の寺院は15か所回りましたが、これも含めて改めて回りなおそうと思っています。千蔵院(せんぞういん)(越後三十三観音霊場第十五番)長岡市柏町1-5-12【新潟県長岡市】千蔵院

  • 【新潟県新潟市】白山神社

    白山神社で七月の月詣御朱印をいただきました。図柄は、七夕です。夏の風鈴祭り、半年詣での茅の輪くぐりもやってました。白山神社(はくさんじんじゃ)新潟県新潟市中央区一番堀通町1-1【新潟県新潟市】白山神社

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