私たちは自らの内にある秘密の宝=仏性を完全に理解し、「如来とは自分であり、自分とは如来である」という、自己と如来の一体性を自覚するに至る、とあります。一切の衆生に潜む仏性=霊性を開花させ、人々に自らが如来の子であり、さらには自らが如来自身でさえあることを自覚させる、このことはまさに弁栄上人の生涯をかけた使命でもありました。よってこれらの言葉から、上人が法華経の目的に深く共感していたことが伺えます。また、上人がこの経典を哲学的と呼んだ根拠は、この目的への思想的共感の他に、如来寿量品を中心に描かれる「久遠仏」
弁栄上人の法華経観 法話の中で頻繁に語っていることから、弁栄上人が法華経に造詣が深かったこと、また強い関心を抱いていたことは間違いありませんが、それでは上人は法華経をどのような経典と見ていたのでしょうか。それを伺うことができる上人の言葉があります。上人は『宗祖の皮髄』の中で、華厳経、法華経、無量寿経という大乗仏教を代表する経典について次のように語っています。 大乗仏教の釈尊は大哲人たるとともに大宗教家なりしなり。『華厳』および『法華経』等の教主としての釈尊は、実際哲学の方面より真理を悟る道を示され、『無量寿経』は宗教の教主として宗教の模範をたれたまえり。 ここで上人は、釈尊を哲学者と宗教家とい…
2024/08/07 06:00