カトリックは内村鑑三をどうみるのか ー なぜお札の肖像にはなれないのか

カトリックは内村鑑三をどうみるのか ー なぜお札の肖像にはなれないのか

わたしの所属教会の信徒の集まりである「アカシアの会」(1)で、M氏の報告があった。テーマは「内村鑑三について」というものだった。長老のカトリック信徒が内村鑑三を論じるというのでわたしは是非お話を聞きたいと思った。テーマに惹かれてか多くの方が集まった。天皇誕生日の振替休日で教皇様の病状が案じられる中、15名もの方が集まった。講演としては、内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』(1895)(2)の内容紹介が中心だった。M氏が現役時代に作られたモデレーター・プログラムを配布されて、説明を加えるという形の報告だった。この本には内村の1888年のアメリカからの帰国までが描かれており、彼の数度にわたる「回心」の経緯が記されている。M氏は丁寧に内村の前半生を説明された。不敬事件など内村鑑三のその後の人生について...カトリックは内村鑑三をどうみるのかーなぜお札の肖像にはなれないのか