日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお
落葉松北原白秋からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。からまつはさびしかりけり。たびゆくはさびしかりけり。からまつの林を出でて、からまつの林に入りぬ。からまつの林に入りて、また細く道はつづけり。からまつの林の奥もわが通る道はありけり。霧雨のかかる道なり。山風のかよふ道なり。からまつの林の道はわれのみか、ひともかよひぬ。ほそぼそと通ふ道なり。さびさびといそぐ道なり。からまつの林を過ぎて、ゆゑしらず歩みひそめつ。からまつはさびしかりけり、からまつとささやきにけり。からまつの林を出でて、浅間嶺にけぶり立つ見つ。浅間嶺にけぶり立つ見つ。からまつのまたそのうへに。からまつの林の雨はさびしけどいよよしづけし。かんこ鳥鳴けるのみなる。からまつの濡るるのみなる。世の中よ、あはれなりけり。常なけどうれしかりけり。山川に山...落葉松北原白秋
「私が与える水を飲む者は決して渇かない。」ヨハネ福音書4:14イエスは人の心をご存知です。人の心が渇いているのを知っておられます。激しい渇きの原因は罪にあります。罪は、私たちの心を神に対して閉ざします。それで魂は空虚になり、何かを求めて叫びますが、それが何であるかは判りません。それで魂の渇きをいやそうと、あれこれと試みます。気晴らしをはじめます。娯楽を探し始め、ついには悪い習慣に身を任せるほどになります。魂がそれほど渇いているからです。しかし、これらの試みは成功しません。一時的な処方にすぎないのです。それは酒や麻薬と同じです。それをやめると、前よりももっと渇き、その上、健康も損なうのです。そこで、ほかの治療を探します。仕事に夢中になります。一生懸命働き、有能になり、その方面で頭角をあらわします。しばらくは、その..."渇き”
夕方5時が過ぎてもまだ明るい。気が付けば、新年も1月半ば。諸事情で、一日が猛スピードで走り去り、心が落ち着かない。ともあれ、私の大切な人生の時が、着々と過ぎてゆく。不安と期待の入り混ざる微妙な2021年の1月14日、木曜日、午後5じ23分。1月のつぶやき
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