神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。 今日の詩編(詩編25.4+5a,10+14)はこのように歌われます。この歌のように、神は私たちに道を示し、真理へと導いてくださいます。
神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった。世にある造られた物は価値がある。滅びをもたらす毒はその中になく、陰府がこの世を支配することもない。 今日の第一朗読(知恵1.
心を合わせて主をあがめ、ともにその名をたたえよう。主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5,7+8)はこのように歌われます。この歌からは、祈りとは心を合わせておこなうものであるこ
アレルヤ、アレルヤ。主は私たちの病を身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスの愛、イエスによる癒やしとは、痛みとは何か、苦しみとは何かを分からない存在から施しのよう
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」 今日の福音(マタイ7.21-29)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスがこのように言ったのは、イエスを主
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である」 今日の福音(マタイ7.15-20)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「偽預言者を警戒しなさい」という言葉は、カルトへの警告の
神よ、わたしたちはあなたの住まいで、あなたのいつくしみを思いめぐらす。 今日の詩編(詩編48.2+3,10+11)はこのように歌われます。これは、死後に天の国で神のいつくしみを思い巡らすという意味なのでしょうか。 それだけではないように思い
(パウロは言った。)「その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもな
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じたのです」 今日の第二朗読(�コリント5.14-17)で、パウロはこのように書いています。イエスと出会って新しく創造されるのは、信仰を
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」 今日の福音(マタイ6.24-34)で、イエスは弟子たちにこのように言います。このイエスの言葉は、現代を生きる私たちにとって、とても
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」 今日の福音(マタイ6.19-23)で、イエスは弟子たちにこのように言います。誰でも、自分が大切にしている物事に心が奪われるのは当然でしょう。 自分の好みや興味関心は、自分の意志だけで生まれ
「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」 今日の福音(マ
神を信じるすべての人よ、神を愛せ。神は誠実に生きる人を守られ、思いあがる者に厳しい。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。神を信じる人に対して「神を愛せ」と呼びかけるということは、その二つには違いがあるので
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」 今日の福音(マタイ5.43-48)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、誰と
「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない」 今日の福音(マタイ5.38-42)で、イエスは弟子たちにこのように言います。一ミリオンとは
アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばである種をまくのがイエスであるなら、私たち人間が神のことばを宣べ伝えるとは、ど
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神の顔を仰ぎ見ることと、神から掟を授かることは一体なのかもしれません。 顔を見るとは、その人と出会うという
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.7+8,13+14)はこのように歌われます。もちろん、一人静かに祈り、黙想している時に、神との出会いが訪れることはある
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」 今日の福音(マタイ5.20-26)で、イエスは弟子たちにこのように言います。聖書では、律法学者やファリサ
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みを受けていない人は一人もいません。全ての人は神から愛され、その恵みを受けています。 神の恵みは、人間が考える「ご利益」とは違います。それは、こ
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 今日の第一
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」 今日の福音(マタイ5.1-12)で、イエスは弟子たちにこのように言いま
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」 今日の福音(マルコ3.20-35)に
イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 今日の福音(ル
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。 今日の詩編(イザヤ12.2,4,5)はこのように歌われます。信頼することと恐れないことは切り離せないのだと思います。あらゆる恐れは、信頼を欠くことから生
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでく
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,16+17)はこのように歌われます。たとえ昨日がつらく、苦しい日だったとしても、今日はまた新しい日です。 昨日までにはなか
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,15+16b,17+18)はこのように歌われます。私たちは、神が与えてくださった恵みにふさわしい
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。水のない荒れ果てた土地のように、わたしの心はあなたを慕い、からだはあなたをかわき求める。 今日の詩編(詩編63.2,3+4)はこのように歌われます。「からだはあなたをかわき求める」とあるように、信仰
「ブログリーダー」を活用して、U.Zさんをフォローしませんか?
神よ、あなたの道を示し、その小道を教えてください。あなたの真理のうちに、わたしを導き、さとしてください。 今日の詩編(詩編25.4+5a,10+14)はこのように歌われます。この歌のように、神は私たちに道を示し、真理へと導いてくださいます。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 今日の福音(ルカ1.39-45)で、洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトは、自分のもとを訪問したマリアにこのように言います。このエリザベトの言葉は、ただ神の言葉が実
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 今日の福音(ルカ1.39-45)にはこのように書かれています。マリアが住んでいたナザレと、エリザベトが住んでいたエイン・カ
門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。キリスト者にとって、栄光の王とは幼子イエスです。貧しい大工の子として、馬小屋で生まれた何の力もない幼子の中にこそ、私たちは神の栄光を見ます。 待
神よ、あなたはわたしを心にかけ、わたしのすべてを知っておられる。わたしが座るのも立つのも知り、遠くからわたしの思いを見通される。 今日の詩編(詩編139.1,2,13,14)はこのように歌われます。この歌は、神と私たち人間との関係をよく表し
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろう
王は海のかなたまで、川から地の果てまで支配する。 今日の詩編(詩編72.8+11,17)はこのように歌われます。現代の人間は地球の隅々まで到達しています。子どもでさえも、世界地図をなんとなく思い浮かべることができるでしょう。海のかなたも地の
神は憐れみ深く正義に満ち、罪人に道を示される。神は貧しい人を正義に導き、へりくだる人にその道を教えられる。 今日の詩編(詩編25.4+5a,8+9)はこのように歌われます。神は、ご自分に従って正しく生きる人だけに進むべき道を示すのではありま
主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。「イザヤの預言」12章にはこのように書かれている。主の威厳と何だろうか。それは必ずしも不思議な奇跡や、世の中や人の人生を大きく左右することとは限らないように思う。 不思議な出来
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、神がいつ自分に手を差し伸べてくださったか、正確に気づくことができるでしょうか。差し出された手が、神の救いなのか、悪の誘惑なのかを見極め
「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」 今日の福音(マタイ11.16-19)でイエスは、人々にこのように言
その恵みはすべてのものに及び、いつくしみは造られたすべてのものの上にある。 今日の詩編(詩編145.7+9,10+11)はこのように歌われます。神の恵み、いつくしみが注がれているのは、自分だけでも、自分が大切にしている人だけでもありません。
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。恵みとは、今嬉しいことだけとは限りません。今は痛みや悲しみでしかないことが、後になって振り返ると自分の成長の糧となっていることは珍しくないでしょう。
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」 今日の福音(マタイ18.12-14)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは「羊飼いは一匹の子羊が迷子になったら、九十九匹を置いてでも探しに行
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)にはこのように書かれています。天使ガブリエルがマ
種を手に涙を流して出て行く人は、束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。 今日の詩編(詩編126.1+2ab,2cd+3,4+6)はこのように歌われます。喜びのうちに豊かな収穫を獲たということは、この人は悲しみにくれながらも種を蒔くことをやめ
主が民の傷を包み、重い打ち傷をいやされる日、月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる。 今日の詩編(イザヤ30.19-21,23-26)はこのように歌われます。これは、ある特別な日、たとえば、イエスの再臨や終末の時を
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。「神に生きる人々の中で」という言葉からは、二つの意味が読み取れるように思います。 一つは、神を信じ、その教えに従って生きる人
アレルヤ、アレルヤ。見いだせるうちに主を尋ね、近くにおられる主に願え。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスとの出会いは、今ここではない、遠くのどこかにあるものではありません。日々の当たり前の生活の中に、最も身
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 今日の福音(マタイ15.29-37)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスはこう言って、
見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。 今日の第一朗読(マラキ3.1-4,23-24)にはこのように書かれています。神の使者との出会いと聞くとどのようなことを想像するでしょう
そのとき、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 今日の福音(ルカ1・46-56)には、エリザベトの挨拶を受けた直後にマリアが神を讃える姿が描かれています。 マリアは、「わたしは」ではなく「わ
恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。恋しい人はかもしかのよう、若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って窓口からうかがい、格子の外からのぞいています。 今日の第一朗読(雅歌2.8-14)にはこのように書かれ
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 今日の福音(ルカ1.26-38)には、数多くの名画に描かれている受胎告知の場面が描
すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 今日の福音(ルカ1.5-25)には、天使ガブリエルが祭司ザカリアの前に現れてお告げを告げる場面が描かれています。ザカリアはエリサベトの夫であり、
神よ、あなたの正義を王に与え、あなたの正しさを王に授けてください。王が正しく民をおさめ、正義をもって貧しい人を守るように。 今日の詩編(詩編72.1+2,11+13)はこのように歌われます。教会は、全ての信徒はキリストの三職務、すなわち、祭
「皆さん、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 今日の第二朗読(�テサロニケ5.16-24)で、パウロはこのように書いています。
アレルヤ、アレルヤ。主の道を整え、その小道を整えよ。すべての人は神の救いを見る。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。これは洗礼者ヨハネのことを指しています。ヨハネは偉大な人物です。最後の預言者であり、イエスの先触れ
アレルヤ、アレルヤ。主は来られる。平和の王である主を迎えよう。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスは平和の王です。平和をもたらすために、神の子でありながら人となってこの地上にお生まれになったのです。 にもかか
その恵みはすべてのものに及び、いつくしみは造られたすべてのものの上にある。 今日の詩編(詩編145.7+9,10+11)はこのように歌われます。神のいつくしみが全ての被造物の上にあるにも関わらず、痛みや悲しみの中にある人や、傷つけられている
神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。 今日の詩編(詩編103.3+4,8+13)はこのように歌われます。罪と聞くと、自分以外の誰かに迷惑をかける、痛みを与えるような行いを思い浮かべる人が多いと思います。 罪とは神の愛に背を向けることで
「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」 今日の福音(マタイ18.12-14)でイエスは、弟子たちにこのように言います。この有名な「
正義は神の前を進み、平和はその足跡に従う。 今日の詩編(詩編85.9,12+13+14)はこのように歌われます。この歌の通りならば、正義は平和に先立つ、正義のあるところに平和がもたらされるということになります。 しかし、実際には正義の名の下
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 今日の福音(マルコ1.1-8)にはこのように書かれています。二千年前の
また、(イエスは)群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」 今
世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、賛美の歌で神をほめよ。たて琴をかなでて神をたたえ、その調べに合わせてほめ歌え。 今日の詩編(詩編98.1,4+5)はこのように歌われます。歌にはもちろん無伴奏もありますが、楽器による伴奏があった方が音程も
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」 今日の福音(マタイ7.21,24-27)で、イエスは弟子たちにこのように言います。もちろんイエスは、「主よ、主よ」と
大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。 今日の福音(マタイ15.29-37)にはこのように書かれています。
王は助けを求める乏しい人と見捨てられた貧しい人を救う。貧しく不幸な人をあわれみ、苦しむ人に救いをもたらす。 今日の詩編(詩編72.12+13,17)はこのように歌われます。聖書は、弱い人間が神によって救われるという価値観で貫かれています。そ
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」 今日の福音(マタイ8.5-11)で、あるローマの百人隊長はこのように言って、イエスに自分の