「愛する皆さん、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進ん
神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった。世にある造られた物は価値がある。滅びをもたらす毒はその中になく、陰府がこの世を支配することもない。 今日の第一朗読(知恵1.
心を合わせて主をあがめ、ともにその名をたたえよう。主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5,7+8)はこのように歌われます。この歌からは、祈りとは心を合わせておこなうものであるこ
アレルヤ、アレルヤ。主は私たちの病を身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。イエスの愛、イエスによる癒やしとは、痛みとは何か、苦しみとは何かを分からない存在から施しのよう
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」 今日の福音(マタイ7.21-29)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスがこのように言ったのは、イエスを主
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である」 今日の福音(マタイ7.15-20)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「偽預言者を警戒しなさい」という言葉は、カルトへの警告の
神よ、わたしたちはあなたの住まいで、あなたのいつくしみを思いめぐらす。 今日の詩編(詩編48.2+3,10+11)はこのように歌われます。これは、死後に天の国で神のいつくしみを思い巡らすという意味なのでしょうか。 それだけではないように思い
(パウロは言った。)「その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもな
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じたのです」 今日の第二朗読(�コリント5.14-17)で、パウロはこのように書いています。イエスと出会って新しく創造されるのは、信仰を
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」 今日の福音(マタイ6.24-34)で、イエスは弟子たちにこのように言います。このイエスの言葉は、現代を生きる私たちにとって、とても
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」 今日の福音(マタイ6.19-23)で、イエスは弟子たちにこのように言います。誰でも、自分が大切にしている物事に心が奪われるのは当然でしょう。 自分の好みや興味関心は、自分の意志だけで生まれ
「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」 今日の福音(マ
神を信じるすべての人よ、神を愛せ。神は誠実に生きる人を守られ、思いあがる者に厳しい。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。神を信じる人に対して「神を愛せ」と呼びかけるということは、その二つには違いがあるので
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」 今日の福音(マタイ5.43-48)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは、誰と
「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない」 今日の福音(マタイ5.38-42)で、イエスは弟子たちにこのように言います。一ミリオンとは
アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神のことばである種をまくのがイエスであるなら、私たち人間が神のことばを宣べ伝えるとは、ど
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神の顔を仰ぎ見ることと、神から掟を授かることは一体なのかもしれません。 顔を見るとは、その人と出会うという
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.7+8,13+14)はこのように歌われます。もちろん、一人静かに祈り、黙想している時に、神との出会いが訪れることはある
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」 今日の福音(マタイ5.20-26)で、イエスは弟子たちにこのように言います。聖書では、律法学者やファリサ
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みを受けていない人は一人もいません。全ての人は神から愛され、その恵みを受けています。 神の恵みは、人間が考える「ご利益」とは違います。それは、こ
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 今日の第一
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」 今日の福音(マタイ5.1-12)で、イエスは弟子たちにこのように言いま
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」 今日の福音(マルコ3.20-35)に
イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 今日の福音(ル
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。 今日の詩編(イザヤ12.2,4,5)はこのように歌われます。信頼することと恐れないことは切り離せないのだと思います。あらゆる恐れは、信頼を欠くことから生
「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでく
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,16+17)はこのように歌われます。たとえ昨日がつらく、苦しい日だったとしても、今日はまた新しい日です。 昨日までにはなか
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,15+16b,17+18)はこのように歌われます。私たちは、神が与えてくださった恵みにふさわしい
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。水のない荒れ果てた土地のように、わたしの心はあなたを慕い、からだはあなたをかわき求める。 今日の詩編(詩編63.2,3+4)はこのように歌われます。「からだはあなたをかわき求める」とあるように、信仰
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「愛する皆さん、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進ん
神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌は、神はご自分を信じる人にだけ目を注いでいるかのようにも聞こえます。 もちろんそんなことはないでしょう。神は全ての人を等しく愛し
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのことばは霊であり、いのちです。あなたは永遠の命のことばをもっておられる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。私たちが神のことば、主のことばと聞いて、真っ先に思い浮かべるのは聖書の言
そのとき、イエスと弟子たちはベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。 今日の福音(マルコ8.22-26)にはこのように書かれています。聖書には、イエスが奇跡の力で病を癒す話がいくつも描か
そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。 今日の福音(マルコ8.14-21)にはこのように書かれています
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。 今日の第一朗読(創世記4.1-15,25)には、アダムの息子カインが、嫉妬から弟
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」 今日の第二朗読(�コリント15.12,16-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは復活したイエスに出会い、迫害者から
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 今日の第一朗読(創世記3.9-24)に
わたしは罪をあなたに表し、わたしのとがを隠さずに言う。あなたはわたしの罪をゆるし、わたしのとがを清めてくださる。 今日の詩編(詩編32.5abef,7)はこのように歌われます。ここでは、人間が神に罪を告白し、神がその罪を赦すことに焦点が当て
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 今日の第一朗読(創世記2.18-25)には、アダムが神がお造りになった動
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の息吹、すなわち神の愛は、今も隠されているわけではないのだと思います。神によって良いものとして造られたこの世界には神の愛が満ちあふれています。 私たちが生活の中で
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。もし、聖書に書かれている掟通りに生きることを信仰と呼ぶのなら、神の顔を仰ぎ見ることは絶対に必要ではないでし
神はこれを見て、良しとされた。 今日の第一朗読(創世記1.1-19)には、神が天地を創造する様子が描かれています。光をはじめ、神は次々と天地万物を創造していきます。神はご自分が造ったものを見て、全て「良しとされた」と言われます。「いまいちだ
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 今日の第一朗読(イザヤ6.1-2a,3-8)にはこのように書かれています。神か
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 今日の福音(マルコ6.30-34)には、派遣された場所から帰って来た使徒たちをイエスが労う様子
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」 今日の第一朗読(ヘブライ13.1-8)にはこのように書かれています。神は愛です。神の子であるイエスももちろん愛そのものです。 世界は、社会は常に変わり続けています。し
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。 今日の福音(マルコ6.7-13)にはこのように書かれています。イエスの公生活は旅の連続でした。誰かがご自分を訪れるのを待っ
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」 今日の第一朗読(ガラテヤ2.19-20)で、パウロはこのように書いています。パウロは生前のイエスとは面識がありません。十字
「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」 今日の第一朗読(ヘブライ12.1-4)にはこのように書かれています。現在、私たちが聖堂や祭壇で目にする十字架の多くは美
神を待ち望むすべての人よ、強くたくましく、生きよ。 今日の詩編(詩編31.20+22,24+25)はこのように歌われます。しかし、神を待ち望む人、神により頼む人は、自分一人では生きられない弱さに気づいたからこそ、神にすがっているのです。 教
主は言われる。「悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。わたしは悪人の死を
「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」 今日の福音(マタイ16.13-19)で、イエスはシモン・ペトロにこのように言います。ペトロは元々、田舎の漁師です。学があるわけで
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,18+19)はこのように歌われます。神は、私たち人間の心を清くし、強め、新たにすることができます。 その恵みは、選ばれた
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。 今日の第一朗読(イザヤ55.10−11)には、このような神の言葉が書かれています。神の言葉が
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」 今日の福音(マタイ25.31-46)で、イエスのたとえ話の中に登場する王はこのように言います。もちろん、この王とは父である神のこ
人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。 今日の栄唱はこのように歌われます。これは格言としても用いられる有名な言葉ですが、元は申命記8章に書かれているもので、マタイ福音書4章では、荒野で断食しているイエスがそれを引用して、悪
飢えている人に心を配り苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。 今日の第一朗読(イザヤ58.9b-14)にはこのように書かれています。人間は栄光を求めます。光り輝くような存在
「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与えさまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜し
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」 今日の福音(ルカ9.22-25)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「自分を捨てる」とは、自分を無にするとか、自分らしさを捨てるということで
「皆さん、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」 今日の第二朗読(�コリント5.20-6.2)で、パウロはこのように書いて
そのとき、弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていない
いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。 今日の第一朗読(ヤコブ1.1-11)にはこのよ
「皆さん、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 今日の第二朗読(�コリント10.31-11.1)で、パウロはこのように書いています。「何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさ
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ 今日の答唱詩編はこのように歌われます。「神のわざ」を聖書に書かれているような、人間の理解を超えた奇跡のことだと考えるなら、そのような体験をしたことがある人は、ほとんどいないでしょう。 しかし、私た
人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 今日の福音(マルコ7.31-37)には
そのとき、イエスはティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。 今日の福音(マルコ7.24-30)にはこのように書かれています。この時のイエスは、なぜご自分がそこにいることを誰
神に従う人は神に支えられる。 今日の詩編(詩編37.5a+6b,17b+18b)はこのように歌われます。これは、神に従えば、その褒美や報いとして神が支えてくださるということではないように思います。 むしろ、自分の弱さを認め、神の支えを受け入
すべてを治められる神よ、あなたの住まいはうるわしい。 今日の詩編(詩編84.2+3,4)はこのように歌われます。ここで歌われている「あなたの住まい」とは、もちろん天の国のことなのでしょう。 しかし、この地上の全てのものもまた、神によって「よ
アレルヤ、アレルヤ。全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。この歌詞は復活したイエスが天に帰る直前に弟子たちに残した
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する