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元36万双の日記 http://ex36man.blog.fc2.com/

元統一教会信者(36万双)の回想録です。離教後の新しい生き方についても書いていきます。

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2016/01/22

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  • 魔法はいらない

    魔法はいらない一人ぼっちがこわいから ハンパに成長してきた ──チェインギャング / ザ・ブルーハーツ志乃ちゃん(映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の主人公、高校生の大島志乃。以降ネタバレを含みます)は、緊張すると話し言葉が滑らかに出ない、吃音(どもり)の問題に悩まされているのだが、奇跡が起きるわけでもなく、最後まで治らない。だが、志乃ちゃんはラストシーンで自ら望んだわけでもない...

  • 今年もよろしくお願いします。

    今年もよろしくお願いします。ご存じの方も多い?と思うが占い系のユーチューバーによれば、今年の一月一日は吉日が3つ重なる稀なラッキーデイだったということ。それが、正月、元旦のいきなりの大地震に続き翌日、日航機の事故に驚く。見たところこの厄災について何の釈明もないようなのだが、その無責任な姿勢は、文鮮明の「金日成がいま死んだよ」という、メシヤの単独の予言(信者の責任分担を絡めないで、つまり外れた時の言...

  • 「韓国製日本国憲法」

    「韓国製日本国憲法」「戦後の憲法は、アメリカ占領軍によって強制されたもので自主的なものではない、したがって自主的に作り変えねばならない、という主張がこれまで幾度も繰り返されています。別の言葉でいえば、戦後の憲法は外発的であり、それを内発的なものにしなければならないということです。しかし内発性と外発性をそう簡単に区別できるでしょうか。たとえば、明治憲法は、明治政府が西洋列強の支配下のなかで形式的に近...

  • 「天宙主管の前に自己主管」VS「手をあげる」

    「天宙主管の前に自己主管」VS「手をあげる」私が手をあげるという事実から、私の手があがるという事実を差し引いたとき、後に残るのは何か?──ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』「天宙主管の前に自己主管せよ」──これは、創造原理の四位基台、とくに個性完成(第一祝福)を成した人間である文鮮明のモットーとして、統一教会内ではよく知られた言葉である。ほとんど「修身斉家治国平天下」(自分の身を修めること...

  • たまに、統一教会(家庭連合他分派)関係者のブログを覗くと……

    たまに、統一教会(家庭連合他分派)関係者のブログを覗くと……今年も暑い夏だったが、統一教会の解散についてはそのあいだお寒い状況がずっと続いていた。すこしまえに文化庁は過料を科すよう東京地裁に通知したとのことで、秋の訪れと共に前進の気配もするところなのだが、さて、どうなることやら……。ところで、やっと仕事がひと段落して、久しぶりに統一教会(家庭連合他分派)関係者のブログなぞを覗いていると、元信者の文鮮明...

  • 「ヤロブアムの道」と金の子牛像

    「ヤロブアムの道」と金の子牛像彼は主の目の前に悪を行い、その父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた罪をおこなった。彼は主の目の前に悪を行い、ヤラベアムの道に歩み、ヤラベアムがイスラエルに犯させた罪をおこなった。──列王記上 26,34七男(亨進)にはその昔、世界会長時代に金の父母像を作って販売しようと計画したが、偶像崇拝として批判されたからだろうか、結局理由がうやむやなまま中止になったという苦い過去があ...

  • 「イジメ蛙」のダークパターン

    「イジメ蛙」のダークパターンメディアは赤枠内しか見えていないと主張する田中富広会長が描いた「イジメ蛙」(「やや日刊カルト新聞」(教団配信映像より)から孫引き)(今更な感じがしないでもないけれども、少し前に似たような事件があったので…)元首相暗殺事件の後で、本部教会から全国の信者へ向けて送ったメッセージの中に「イジメ蛙」の絵があった。この絵の全体の構図をそのまま見れば「イジメ蛙」の「突き落とし」の行...

  • モーセはヘブライ人なのか?

    モーセはヘブライ人なのか?さて、フロイトがモーセがエジプト人であるとする根拠がどこあるのだろうか。いや、これがたしかに、原理や聖書が言うように、モーセがユダヤ人であったとしたらおかしな点がいくつかあるのである。フロイトはまず、「モーセ(Moses)」という名、それが典型的なエジプト式の名であることに注目するが、……この箇所は割愛してもいいだろう、モーセの血統を判断するのに決定的な事実ではない、と自ら否定...

  • モーセという男

    モーセという男モーセは、生まれたときは、パロ王の手によって殺されるよりほかはない立場にあったのであるが、その母親が彼を隠して育てあげたのち、パロの宮中に入り、敵の懐の中で、怨讐を越えて安全に成長したのであった。(『原理講論』後編2.2.1-1)映画『十戒』で幼子モーセが籠の乗って流れてくるシーンがあるが、覚えている方も多いのではないか。救世主の誕生を恐れたファラオはヘブライ人の男の幼児をすべて殺そうとする...

  • 自己責任論の主体について

    自己責任論の主体について自己責任論は統一原理の責任分担理論が由来ではないか……。いま、日本では自己責任が何かあれば叫ばれるのだが、それは統一教会が政治的な影響力を持ったこととまるで無関係ではあるまい。自己責任論を推し進めると同時に、自己責任との連関でマインドコントロールも否定する、すると統一教会の霊感商法などの責任も信者個人の自己責任の問題として回避できる、そういう上にとって都合のいい責任回避の策略...

  • 文鮮明のラスベガススタイル

    文鮮明のラスベガススタイルサタンが王になっていた旧約時代は、メシヤが現れるまで悪魔が権勢を握る時代なのです。モーセにとって主なる神は恐ろしい恐怖の神、復讐の神、嫉妬の神として現れ、僕の僕となった人間を律法でむち打ち、法度に反すれば容赦なく刑罰を加えた時代が旧約時代です。旧約の主なる神の属性を見ると、嫉妬心の強い神として「私」以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される神様であり、イスラエル民族にカ...

  • ヤコブをイスラエルと呼ばない理由

    ヤコブをイスラエルと呼ばない理由 ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。 主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり兄が弟に仕えるようになる。」(創世記25章22節・23節)リベカは「腹の中でぶつかり合うようになった」双...

  • 「3月9日」と一週間断食

    「3月9日」と一週間断食一週間断食が祝福の条件でなくなって久しい。わたしは40時間、三日、一週間断食と計画してやったのだが、その後も何らかの条件として何度か断食をした記憶がある。ところで、毎年3月9日近くになるとレミオロメンの「3月9日」を聴く機会が増える。人により様々な思い出がその日にはあるのだろうが、わたしにはその曲が流れるたびに断食のことが思い出されてくるのである。それはわたしの断食とその日付が関係...

  • 『尼僧物語』を観て

    『尼僧物語』を観てオードリー・ヘップバーンの『尼僧物語』を録画しておいたのをやっとこないだ見終えた。申し訳ないが、わたしには非常に退屈で、……カトリック礼賛のプロパガンダ映画に思え途中で何度もやめようと思ったのだが、でも結局最後まで観てしまった。で、【ネタバレになります】じつはラストに思いがけない展開が待ち構えていて、主人公のガブリエル(ヘップバーン)は志の違いから献身を誓った修道会をやめるのだ。さ...

  • 「真の自分を探しましょう」の嘘、と解散請求

    「真の自分を探しましょう」の嘘、と解散請求そうすることによって、真の自分を探すことになるのです。男は男なり、女は女なり、神様と人間が一つになることによって、はっきりした自分の一体圏を生みだすことによって、この世の中の女や男のために乱されるようなことがなくなるので、世界の大問題も八〇パーセント以上が治ってしまうのです。分かりましたか?だから結論として、良心を強くしなければなりません。そうするには堕落...

  • 自己牧会批判

    自己牧会批判自分が何かゆうてみい、人間が、一人称が、何で出来てるかゆうてみい、一人称なあ、あんたらなにげに使うてるけどなこれはどえらいもんなんや、おっとろしいほど終わりがのうて孤独すぎるもんなんや、これが私、と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私と思ってる私!!これ死ぬまでいいつづけても終りがないんや、私の終りには着かんのや、ぜんぶが入ってぜんぶが裏返...

  • アブラハムの倫理観

    アブラハムの倫理観 杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、緊かたく眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、殆ほとんど声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰おつしやつても、言ひたくないことは黙つて御出おいで。」 それは確に懐しい、母親の声に違ひありませ...

  • 二重の真理

    二重の真理大変だ!真実がイカサマと手を組んだ誰か僕に約束の守りかた教えてよ(シャララ/ザ・ブルーハーツ)昔の『祝福家庭』なんかみると後に分派の領袖となる人物に並々ならぬ忠誠を誓う祝福二世の言葉(アラスカの二世修練会)が並んでいるのだが、例えばテレビに出ているある幹部は彼を見事に裏切って家庭連合に留まっているようである。表面はまるで強い信念の持ち主のようにみえるが内実はそんなもんである。直系の子女が...

  • 棄教者、変節者

    棄教者、変節者通常、転向者は変節者と言われるが、本人がそれまで信じていた主義が本当に信じられなくなってこれを捨てたなら、厳密にいえばそれは変節ではない。一方、一つの主義を生涯保持していた者は変節者とはいわれないが、しかし、もしその本人が内心ではすでにその主義を信じていないのに、対外的配慮や自己の社会的位置への考慮から信じている振りをつづけているのなら、その人間こそ真の変節者である。(『「常識」の研...

  • 養子縁組の問題について

    養子縁組の問題について統一教会(家庭連合)は養子縁組について教会は関与しておらず、また信者(家庭)の責任として問題を押し付けようとしているがそれはないだろう。表紙も破って捨てようとしていた『祝福家庭』にこんな記事が載っていた。〈祝福家庭の皆さんへ(4)〉 養子縁組について 家庭局長 高橋久夫(1800双)祝福を受けた家庭には、その血統を保持し...

  • ノアの摂理と数秘術

    ノアの摂理と数秘術私は鳩を外へ放した。鳩は飛び去ったが、しばらくして戻ってきた。どこにも止まるところが見当たらなかったので戻ってきた。私は燕を外へ放した。燕は飛び去ったが、しばらくして戻ってきた。どこにも止まるところが見当たらなかったので戻ってきた。私は烏を外へ放した。烏は飛んでいき、水が引き始めているのを見た。烏は餌をとり、舞い上がり舞い降りた。そして私のもとへ戻ってこなかった。〈ギルガメッシュ...

  • 統一教会の刑務所経済

    統一教会の刑務所経済統一教会の解散命令の請求にまで至るのか、あるいは被害者救済法案が成立するのか、成立したとして被害者家族や第三者が悪質な献金を一部取り消すことができるのかそれとも骨抜きにされた形になるのか、騒いだわりには大山鳴動して鼠一匹となる可能性も無きにしも非ずだ。現在の政治状況ではまだまだ予断を許さないように思う(日本はアメリカの属国だから今回の中間選挙の結果が非常に重要になってくる)。問...

  • カインのパラドックス

    カインのパラドックス「選ばれていないときが選ばれているとき」(ドリアン助川『新宿の猫』)カインが嫉妬心を克服した場合どうなったのだろうか?カインには実体基台がどうのこうの言う前に、まず己の中にある弟アベルを殺したいと思うほどの嫉妬心を克服する必要があったはずである。原理のアダム家庭の摂理にはその可能性が示唆すらされていないのだが、……確かにカインの置かれた立場は難しい。これは聖書の中の、はるか昔、遠...

  • 蕩減復帰のパラドックス

    蕩減復帰のパラドックス己れが己れ自身に課した障害を克服することは、けっして障害を克服することではない。──出くわした障害以外に障害はない。純粋なゲームにおいては真の障害は存在しない。『カイエⅠ』シモーヌ・ヴェイユ 原理用語として使用されている韓国語の「蕩減」(탕감)とは、債権者である神に対して「償う」という意味なのか、それともその神に債務を「帳消し、ゆるし(こちらが「蕩減」(탕감)の本来の意味)」て...

  • Tの悲劇

    Tの悲劇したがって堕落直後、まだ原罪だけがあり、他の善行も悪行も行わなかったアダムとエバは、神とも、またサタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。それゆえ、アダムとエバの子孫たちもまた、そのような中間位置におかれるようになったのである。(『原理講論』 緒論1-1)「総序」で提起された、人間の生の矛盾の問題がここ「緒論」では神とサタンとの中間位置に置かれるようになったとより詳しく説明...

  • 興南にいた日本人

    興南にいた日本人興南収容所での強制労働の話は、主の路程のメインイベントで、選民である韓民族の頂点、再臨のイエス、メシヤである文鮮明の人格、愛を現すものとして大変感動的に語られる。想像を絶する苦難の中、神を慰めた文氏こそメシヤではないだろうかとそこにいた誰もが考えるようになる。ある部署に所属していた時、当時その興南収容所に収監されていた日本人を探し出し取材した人の話を聞いたことがある。一体どれ程困難...

  • 堕落論のケツモチ

    堕落論のケツモチ『モモ』(エンデ)ではないが、時間を管理しようとすればするほど時間がなくなり、逆に時間に管理されるようになるものである。性の問題を扱う場合にも似たような傾向が存在しないだろうか。おだやかな形にしておけばいいものを宗教者がわざわざ性と罪を連関させ言い出す、パウロがほのめかしそしてアウグスティヌスが「原罪」として一歩踏み込むのである。なぜそうするのか、人間のこの強力な本能を利用すれば信...

  • 巡回師制度廃止の理由を考察する

    巡回師制度廃止の理由を考察する「統一教会員は入教当時の精神レベルが重要である」と、ある時、役立たずの巡回師が言っていたが、これは意外にほんとうのことだろう。「信仰」が「条件(モノ的)」と連関する事態であるとすると、その世界では当然損得勘定(感情)が働き、それが強力に支配すれば資本主義的世界と同じということになる。それは信仰者が消費者に位置づけられることを意味する。見栄を張ってカッコつけて「為に生き...

  • 人間の歴史的行動と、宗教について(聖句は傍証なので除く)

    人間の歴史的行動と、宗教について(聖句は傍証なので除く)罪を取り除こうとする宗教は、みな姦淫を最大の罪として定め、これを防ぐために、禁欲生活を強調してきたのであるが、これも罪の根が淫乱にあるということを意味するものである。(堕落論1-5)宗教には性行為を秘儀として肯定しているものもある(タントラとか)、なのでここでいう宗教とはおそらくキリスト教系を想定しているのであろうが、例えば「贖罪規定書」という...

  • 善悪の知識の「樹木」

    善悪の知識の「樹木」聖書に載ってる、アダムがエデンの園で食べたリンゴは知ってます?」と彼は言った。「あのリンゴに何が入っていたかわかります? 論理です。論理とか、知性とか。入っていたのはそれだけです。だから──ここが肝腎なんです──ものをありのままに見ようと思うならそれを吐き出さないといけないんです。…… 」(『ナインストーリーズ』サリンジャー)「植物のこと 植物と人間の不思議体験」というサイトに、IB...

  • 摂理の条件法構文

    摂理の条件法構文内田樹氏の『内田樹の大市民講座』に「「リアリスト」の現実逃避」というエッセイが載っている。これ、そのまま統一教会員の摂理に対する態度ついての話のように思われてならない。どんな問題についても「万事は金の問題なんだ」と言う人たちがいる。本人は自分のことを「リアリスト」だと言うが、私はそうは思わない。「ものごとがうまくゆかないのは金がないせいだ」と主張する人は、そう言うことによって、実は...

  • 人間の本性は隠さない

    人間の本性は隠さない「あとから考えだした理屈が、逆にその行為の理由になる」ことがよくあると評論家(三浦雅士)は言う。たとえば神社仏閣に手水所があるように、人は昔も手を洗っていた。が、「清潔」という観念の出現とともにそれは衛生上の理由からということになり、その社会的、象徴的な意味が陰に退けられてしまう。(折々のことば鷲田清一674)堕落論は自信満々にこんなふうに言っている。もし、善悪の果というある果実...

  • カントの木の実とハンマー

    カントの木の実とハンマーイマヌエル・カントによる堕落の描写である。 自然的衝動に背くきっかけは、ほんのちょっとしたことでよかった。それにしても人間が最初の試みから得たところの成果―すなわち自分の理性は、およそ動物に加えられているところの制限を超えることのできるものである、という自覚をもつに到ったことは極めて重要であり、また彼の生活様式にとって決定的であった。ここに何か一つの果実あるとする、人間は...

  • 毎日がコンフェッション

    毎日がコンフェッションバートランド・ラッセルのエッセイ集の中に好きなのがある。「情緒の予知」というタイトルである。われわれが、ある日ある時刻の列車に乗ろうと決心する場合には、特別の事故が発生しないかぎり、それはもちろん可能である。しかし、もしもわれわれがある予定の時刻に、ある特定の情緒を味わおうと心に決める場合、十中八九その計画は失敗するだろう。たとえば、諸君は心中で「来週の土曜日の午后六時二十三...

  • 宗教統一のうさんくささ

    宗教統一のうさんくささ宗派が一つだけなら恐ろしい専制が生じ、二つあれば 互いに喉を切り合う。だがイギリスには宗派が三十もあるのでみんな仲よく暮らしている――ヴォルテール統一教会の主導する「宗教の統一」運動はなんだかうさんくさい。M&A(企業の合併買収)と同じ臭いがするのはわたしだけであろうか。ある時から、「統一」という言葉が支配や画一的という悪い印象を与えると気付いたのか、キャッチコピーを「統一とは...

  • 善の競争(『The Sting』)

    善の競争(『The Sting』) 「善と悪とは、同一の意味をもつものが、相反した目的を指向して現れたその結果を指していう言葉なのである。したがって、我々が、しばしば悪であると考えてきた人間の性稟も、それが神のみ意を目的として現れるときには善になる」(第二章 堕落論第四節 人間堕落の結果(三) 目的性から見た善と悪)統一教会に「善の競争」という言葉がある。特徴的なのは「善の競争」なのに悪OKということ。具体...

  • 創造原理的創造の不都合な点について

    創造原理的創造の不都合な点についてベネトレ:まだ人間のいない世界を考えてみよう。そこで神さまが五人の人間を作るとする。もちろん、それぞれ顔かたちも性格もすべてちがう五人だよ。さて、そのとき、ただたんに五人のちがう人間が作られるだけじゃなくて、その五人のうちに自分というものがふくまれているためには、神さまは、それぞれ個性を持った五個の肉体と精神を作る以外に、なにをしてくれればいいのだろう?ぼく:自分...

  • アダムの気質

    アダムの気質マーク・トウェインに、『アダムとイヴの日記』という、一風変わった作品がある。アダムとイヴ、交互の日記の体裁なのだが、二人の関係は自由で、西洋的な雰囲気を感じさせるものだ。エデンの園でのイヴはまるで植物学者のように描かれていて、「彼女を納得させるものがあるとすれば、それは実物教育だけだ。実証されていないような理論は、彼女の性(しょう)にはあわないのだ。」と、じつに活発に行動している。アダ...

  • アダムの見た世界(「二元論の原罪」)

    アダムの見た世界(「二元論の原罪」)エデンの園には木が生えていたのだから、時々雨も降ったのだろう。その時、偶然雨粒がアダムの眼に入ったなら、眼球が水滴で滲み、今まで見ていた景色が少し歪んで見えたはずである。アダムはその瞬間どう思ったのだろう、景色そのものが歪んでしまった、と驚いただろうか?それともこれは見間違い、あるいは錯覚であると冷静に考えたのだろうか……。この問いを創造原理的に考えてみたいと思う...

  • 期間限定の摂理(名称変更の本当の理由)

    期間限定の摂理(名称変更の本当の理由)狂言に「附子(ぶす)」という演目がある。 用事で外出する主人が、太郎冠者と次郎冠者に留守番を言いつける。主人は二人に、桶にはたいへんな猛毒である「附子(ぶす)」が入っているから決して近づいてはならない、と釘を刺して出かけていく。なにしろ附子のほうから吹く風にあたっても死んでしまうくらいの猛毒だというのである。最初おびえていた二人だが、好奇心に負けてふたを開け、...

  • 二性性相と甘エビと、LGBT

    二性性相と甘エビと、LGBT甘エビの寿命は約10年であるが、生まれてから3年ほどは性別が存在せず、4年目に「オス」になり、そして、メスと交尾した「オス」は5年目~6年目から今度は「メス」として生きる。性転換するのである。これは自然現象であり、当たり前だが、べつに甘エビが堕落しているわけでもない。 スピノザの『エチカ』の定理すべて在るものは神の内にある、そして神なしには何ものも在りえずまた考えられえない(...

  • 「原理」の確実性の問題

    「原理」の確実性の問題「今、自分が「現実」と思っているものは、じつは「夢」なのではないか」── 近代哲学の父といわれるルネ・デカルト(1596-1650)は、この世界の「最初の土台」となる絶対確実な真理を求め、ありとあらゆるものを方法的懐疑の櫛にかけてゆく、最初に自分の感覚を疑い、そして次に見ている「現実」もそのように疑っていったのである。そして、これはよく知られていることだが、デカルトの懐疑は佳境に入ると...

  • 原理の神はいらない

    原理の神はいらない神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(『原理講論』第一章創造原理1‐1)(原理本体論では神は男性格主体凸?)「人間は、あくまでも論理的であると同時に、実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、真に認識するという...

  • 呪いの説教

    呪いの説教自分について多くを語ることは、自分を隠す一つの手段となり得る。(ニーチェ『善悪の彼岸』)内田樹氏(現代思想)の著書『子どもは判ってくれない』に、ハラスメントの問題を扱う章(第三章大人の作法)があるのだが、最初ハラスメントについて考察していたものが次第に「呪い」についての考察へとつながっていくという、意外な展開になっていて、おもしろい。わたしなどは最初これを読んで、すぐに文鮮明のあの長たら...

  • 太極旗柄の眼鏡

    哲人の中のだれが我々の苦悶を最終的に解決してくれたであろうか。聖賢の中のだれが人生と宇宙の根本問題を解決し、我々の歩むべき道を明確に示してくれたであろうか。彼らが提示した主義や思想は、むしろ我々が解決して歩まなければならない種々様々の懐疑と、数多くの課題とを提起したにすぎなかったのである。(『原理講論』総序)読む度思っていたが、この「我々」とは一体誰を指すのだろう。抽象的な人生の真実を求める人、苦...

  • 世界は矛盾があって、生成される。

    たとえば光。よく知られているように、光そのものは光らない。光ってみえるのは、光を反射するモノあってのことだ。光ることは、光をとりまく環境の二次的帰結ではあっても、光そのものの特性でも本質でもない。だから、さえぎるものひとつない空間に光を投射してみても、黒い線分が虚空を駆けるだけである。たとえば真空の宇宙空間。太陽級の星がゴロゴロしているのに、宇宙は漆黒の闇夜である。つまり、光は見えない。光そのもの...

  • 統一原理は功利主義である

    統一原理には、(倫理面では)功利主義の傾向がはっきりとある。功利とは快を求め、苦を避ける人間の性向のことで、それは総序冒頭で、「人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている」と、言ってる通りである。功利主義とはこれを価値の原理とする思想のことである。功利主義の究極目標は幸福であり、その功利主義を代表するベンサム(法学者、倫理学者1748-1832)の思想では、幸福は欲望(...

  • 再開します。

    六・五二一 生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。(疑いぬき、そしてようやく生の意味が明らかになったひとが、それでもなお生の意味を 語ることができない。その理由はまさにここにあるのではないか。)(『論理哲学論考』L・ウィトゲンシュタイン 野矢茂樹 訳)以前のブログ記事(「この世の献身者」)で、離教はしたものの統一教会(家庭連合)の動向によって精神状態が不安定になる...

  • お知らせ

    久しぶりに投稿します。今まで書いてきた記事を読みかえすと、特に推敲もなしに書いてきたので、めちゃめちゃな感じがして手を入れ直してみたくなりました。で、いっぺんに直そうとすると、もう面倒くさくなったりして・・・。現在では、今までのはもういいから、新たな原理批判を、私の視点からの原理批判を書いてみたい気持ちのほうが強くあるので、いつか近いうち?に時間が許せば投稿してみたいと思っています。「なんだ、推敲...

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