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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 曖昧のスタンス❔

    「曖昧戦略」なるもの、国際問題ならば少なくあるまい。端的な例ではアメリカの「臺灣」に対する姿勢に変化が将来あるのか・否か。日本相撲協会の11勝V大関に対する「綱獲り」なんか曖昧で、現時点でははっきり断言してない。〔横審の姿勢は論外。〕今日づけS紙の相撲記事━「成績と内容次第で横綱昇進の話題が浮上する可能性…」━はっきり「綱獲りだ」と記述していない。昔の“好例”を採りあげて諸賢の参考にして戴きたい。昭和二四年秋場所、新大関千代ノ山は13勝2敗で初優勝、翌春〔一月〕場所も12勝3敗で「連続優勝」を成し遂げたが、その直後の番附編成会議で、師匠出羽海理事長(元横綱常ノ花)が、率先して「時機尚早」と発言し、横綱「見送り」となった━当時審議委員会発足直後だったが、協会からの「諮問」はなかったみたい。しかしながら、仮に...曖昧のスタンス❔

  • 『相撲史発掘』No.104 頒布中

    ※昨日までのトータル訪問者数1,063,206拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎玉椿・浪ノ音・伊勢濱・西ノ海・朝潮・碇泻〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表つき〇大正期の新聞記事から(16)●『國民新聞』の相撲記事〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで〇還暦に達した元横綱力士●阿武松緑之助から北勝海信芳まで〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●神風正一から力道山光浩まで頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円切手を…、折らずに定形外郵便ならば120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中...『相撲史発掘』No.104頒布中

  • 小結 清水川5━0八方山

    昭和戦後のパーフェクト記録をひとつ拾ってみた。最高位は小結━前頭筆頭である。①昭和二二年秋場所楽日(十一日目)西前頭八●八方山(寄切り)清水川〇東前十九②同二五年夏場所三日目東前頭七〇清水川(押倒し)八方山●西前頭九③同二五年秋場所十三日目西前頭三〇清水川(上手投)八方山●西前頭八④同二六年春場所四日目東小結〇清水川(上手投)八方山●西前頭四⑤同二六年夏場所十四日目西前頭筆頭●八方山(寄切り)清水川〇東前頭三隣県熊本出身の八方山は、戦前は双葉山、戦後は若ノ花とも対戦している。年寄不知火としては協会「監事」に就いたが、のち九重(元横綱千代の山)と“交替”させられている。小結清水川5━0八方山

  • 三日目で幕内全勝いなくなった !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,063,013146年前の明治十年、異例の東京本場所大相撲は春・夏・冬の3場所開催されており、翌十一年は夏場所だけ━これは、江戸時代の春・冬の両季制から春・夏の両季興行へ変革の過渡期で“調整”のための処置だった。その明治十一年夏場所は“怪記録”が発生している。幕内力士は別番附に附出された1を加えて22名だが、初日から「3連勝」した者が皆無━ほんとに信じられないような現象だ。扨て、拙稿「天保十五年春場所」を現在鋭意執筆中だが、幕内力士が30年ぶり増員されて24名になったので、さぞかし充実した相撲が展開…なんて思いきや、まったく逆で、上記同様、初日~三日目で「3戦全勝」力士はひとりもいない━吃驚した次第。三日目で幕内全勝いなくなった!

  • 叛骨精神なんか微塵もないのか

    明朝は九州場所大相撲の新「番附」発表━また例によって「叛骨精神」皆無の相撲記者諸氏は「綱獲り」と書きたてるのだろうか……。黄泉の彦山光三・天竜三郎・玉ノ海梅吉・小坂秀二ら諸氏の苦虫を噛み潰したような表情が瞼に浮んで仕方がない。むかしから角界の格言に「押さば押せ・引かれても押せ、押して勝つのが相撲の極意」なんてフレーズだったと思うが…。尚、「押す」は「忍す」=「我慢する」と置き換えられることを忘れまい。ところが底の浅い平成・令和の「現代相撲」では甚だ遺憾ながら「引かば引け」みたいな取口がすくなくない。昭和三四年九州場所、13勝2敗で初Vの新大関若羽黒のときも・同三八年名古屋場所で13勝2敗で初Vの大関北葉山のときも「横綱」云々は大きく採りあげられていない━前者の師匠は当時の立浪取締(元横綱羽黒山政司←政五郎...叛骨精神なんか微塵もないのか

  • 初日~幕内を3連破の快記録

    ※昨日までのトータル訪問者数1,062,831天保十五(1844)年冬場所入幕の桂野勇吉について『…人物大事典』は、15年正月場所初日に関脇・岩見潟(のち秀の山)を倒し…とあるが、記述が中途半端な感じを否めないのである。初日中入り前結び桂野━岩見泻●関脇二日目中入り後結び2番前桂野━御用木●前頭筆頭三日目中入り後幕内2番手桂野━柏戸●前頭三枚目以上の如く、幕内力士を「3連破」したのである。同様の事例が想いうかばない珍しい快記録ではないか。初日~幕内を3連破の快記録

  • 60年前、大関Vでも横綱問題なし

    昭和三八年名古屋場所、東張出②大関、北葉山の星取表。〇金乃花(前四)吊出し〇常錦(同七)突落し〇小城ノ花(同一)寄切り〇前田川(同五)上手投〇玉嵐(同四)突出し〇開隆山(同二)上手投〇富士錦(同三)押出し〇海乃山(同二)寄切り〇若秩父(関脇)上手投〇大豪(〃)吊出し〇大鵬(横綱)下手投〇栃ノ海(大関)上手投〇岩風(小結)押出し●栃光(大関)上手投●佐田乃山(〃)外掛け優勝決定戦〇佐田乃山(寄切り)前場所は負越しじゃぁなかったけれど各マスコミが秋場所「綱とり」だ!━と騒いではいなかったと記憶している。60年前、大関Vでも横綱問題なし

  • プロレスから転身、序二段V

    ※昨日までのトータル訪問者数1,062,611異色力士の昭和三二年春場所東序二段三十枚目甲泻〔後十両天山〕の星取表である。〇立ノ花(序二段30)=後幕内北ノ國〇益田川(〃29)やや〇吹雪嶋(序二段28)や〇十勝嶺(序二段31)〇飛鶴山(〃59)やや〇大蛇浪(序二段15)=〔前日迄2敗〕〇清勇(〃9)=〔仝1敗〕や〇光角(序二段5)=〔前日迄1敗〕や前身はプロレスラーだった。最高位は十両五枚目で昭和六年生れ、島根県出身。現在の消息は…?プロレスから転身、序二段V

  • 大関白川→破傷風菌→北里博士

    北里柴三郎博士は好角家でもあり、明治二二年に「破傷風」菌を発見する功績も忘れてはなるまい。その120年前の明和六年…、元大関白川が稽古場で足の親指を負傷して、多分、土俵上の“砂”に破傷風菌が潜んでいたのであろう━破傷風のために現役急逝となっている。尚、某書に拠れば、「勝率6割」なのに「三役の器」ではない云々━鳥渡ばかり可笑しい記述だと思うのである。大関白川→破傷風菌→北里博士

  • 相撲史に北里柴三郎・山本周五郎が…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,062,414今日のS紙〔九州・…版〕10面は3箇所の記事とも読み応えがあった。先ず「中国の一帯一路は失敗」は、そのとおりであり、日本企業“全面撤退”が想定外にできないかも…?!次に、「自民大敗」これだけの予兆」━保守層から段々支持がはなれていそう。でも“野党一本化”は不可能みたいで結局「漁夫之利」で与党の現状維持じゃぁないの…?3番め、湯浅特派員の玉稿は、相撲史を織り交ぜながら記述してみたい。抜萃する。〔前略〕牧野〔富太郎〕博士の名前は子供のころから親しみのある響きだった。両親が買い与えてくれた北里柴三郎、野口英世ら偉人たちと並んで、彼の伝記を好んで読んだ。〔中略〕若き作家の山本周五郎が牧野に取材した際、「雑草という名の草はない」とたしなめられた〔後略〕ノーベル賞候補にな...相撲史に北里柴三郎・山本周五郎が…

  • 23場所ぶりの「番狂わせ」

    横綱秀の山雷五郎。彼の個人別星取表を御覧になれば一目瞭然。〔嘉永二年春の番附表記のみ「秀ノ山」〕天保十五年春場所初日中入り前の取組で当時関脇岩見泻〔元大関〕だが、幕下三枚目の桂野〔翌場所入幕〕に不覚の黒星を喫している。江戸本場所の初日に三役力士が幕下戦に敗れるのは非常に珍しい出来事なのである。天保三(1832)年冬場所の「関脇●花頂山━“貧乏神”小松山」以来、実に23場所ぶりの“番狂わせ”であった。尚、小松山も後に入幕している。23場所ぶりの「番狂わせ」

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,062,227百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 「天保十五年春場所」序章

    江戸大相撲熱戦譜第85回☆天保十五年春場所★天保十五(1844)年春場所は旧正月二十八日(陽暦三月十六日)より本所回向院境内にて晴天10日間興行。30年ぶりの幕内増員昨十四年冬は19場所ぶり東西平幕が各々8枚に増加したが、更に「前頭九枚目」を幕尻━文化十一(…14)年冬以来、大関以下総勢24名の幕内力士となった。〔三楯山は昨冬同様、通常の幕内格とは認められない。〕負越して昇進はないが、大関劔山と引分けて5勝2敗…の小結御用木が平幕へ、元関脇稲川の猪名川が再小結となり、前場所7勝土つかずで優勝相当の後大関小柳は三役入りを見送られてしまった。大関手柄山の頃から3年続く最年長が武隈、最年少は小柳と入幕3場所めの黒雲で、両者は昨冬四日目に対戦。入幕2場所めの三ッ鱗と、三國山以来3年ぶりの“看板”力士大灘が生・歿年...「天保十五年春場所」序章

  • 『相撲史発掘』No.104 頒布中 !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,062,030拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所〇大正期の新聞記事から(16)●『國民新聞』の相撲記事〇鳥取県出身入幕力士一覧〇還暦に達した元横綱力士〇古今平幕最優秀力士星取表(34)頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円切手を…、折らずに定形外郵便ならば120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲史発掘』No.104頒布中!

  • 力道山の対戦成績

    出生地は現北朝鮮咸鏡南道…だが、出身地は長崎県大村市…とされているので郷土力士の元関脇力道山なのである。〔少年時代、TV(白黒)で彼のプロレスを視聴━毎週木か金曜の夜八時からM電機の提供だったと記憶している〕佐竹義惇氏の労作『戦後新入幕力士物語』①から力道山の「対戦成績」━同じ相手に6敗以上は皆無で、5敗は次のとおり。対東冨士2勝5敗対千代ノ山3勝5敗対増位山2勝5敗以上、最高位が横綱・大関の3力士だけ。師匠二所ノ関(元関脇玉ノ海)と“衝突”しなければ、大関昇進は確実であったと思われる。力道山の対戦成績

  • 小柳「1日出場」の怪…?!

    ※昨日までのトータル訪問者数1,061,856『日本相撲史』の著者・編纂者は、不審とも・何とも思わなかったみたいだが、天保十五年春における東前頭筆頭小柳〔後大関〕の「七日目だけ」の1日出場は、なんらかの“作為”如きものが…はたらいたような気がして仕方がない。私見では、初日に出場して翌二日目から休場━の場合ならば現代の本場所大相撲でちょい・ちょいみられる現象であるが、場所後半の七日目に出て、翌日から欠場とは素直に合点がいかない。畢竟、横綱不知火VS後大関小柳は、当時の「好取組」であり、体調不良気味で休場中の小柳に、無理な「出場要請」があったのじゃぁないか…?小柳「1日出場」の怪…?!

  • 新“造語”━「東老・西若」

    天保十五(1844)年春場所、総勢24名の幕内力士のうち、西前頭八枚目の三ッ鱗と、東幕尻へいきなり附出された大灘は生年不詳のため年齢〔数え〕が全然見当もつかない。この両者を除く22名の平均年齢を算出、36.8歳だ。これだけじゃぁ面白くないので、東・西別に“年代”別にまとめてみた。東方西方二十代1名2名三十代5名7名四十代5名2名これを独断・新しい造語で「東老・西若」と記載したいのである。殊に、四十代が西方は横綱〔番附は大関〕不知火、常盤山の2人に対して、東方のそれは大関劔山、関脇武隈、平幕の相生・関の戸・音羽山━の5力士だ。新“造語”━「東老・西若」

  • もと行司が襲名した年寄名跡

    ※昨日までのトータル訪問者数1,061,698“門外漢”と云っちゃぁ語弊があるかも知れないが、「木村瀬平」と「式守秀五郎」以外に昭和三三年以前、元行司が襲った〔所謂「二枚鑑札」を含む〕「年寄名跡」を鳥渡ばかり調べてみた。襲名年代順に非ず、五十音順に列記し、便宜上番号をつけてみた。〔昭和二年春から役員選出されるまで、番附面年寄欄は「イロハ順」に記載されていた。〕1荒磯(←荒礒)━木村喜代治2伊勢ヶ濵━━5代め式守伊之助3入間川━━木村宗四郎4岩友━━木村玉之助5阿武松━━式守鬼一郎(→24木村庄之助)6鏡山━━式守勘太夫(三役格)7春日野━━木村宗四郎〔入間川と同一人〕8千田川━━木村喜三郎9髙嶋(←髙砂五郎治)木村庄八郎10立田川(←龍田川)木村左門・21代め木村庄之助11常盤山━━木村庄三郎12中立━━...もと行司が襲名した年寄名跡

  • 179年前、幕内6名「勝越1点」

    拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年春場所━の執筆を開始した。“序章”に相当する約半ページが脱稿したら…御披露したい。当場所、注目すべき力士の成績を列記。東小結鏡岩(←和田ノ浦)3勝2敗・2分1預り・1休東前頭筆頭小柳〔後大関〕1勝・8休西前頭三枚目柏戸(←狭布里)4勝3敗・1分・1休東前頭四枚目関の戸(←御所ノ浦)3勝2敗・1分1預り・2休東前頭五枚目要石4勝3敗・1分・1休西前頭八枚目三ッ鱗3勝2敗・4休江戸大相撲として、幕内力士に「勝越し1点」が6人を数えるのは異例であろう。尚、「や」を「●」と同一視あつかいは絶対できない。小柳が七日目の1番だけ出場も後日検証し私見を詳述したい。戦後「総当り」や「15日制」が復活して、“勝越したら降下せず”と云う内規乃至不文律ができた━と愚考している。179年前、幕内6名「勝越1点」

  • 『相撲史発掘』第104号 頒布中 !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,061,494拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎玉椿・浪ノ音・伊勢ノ濵・西ノ海・朝潮・碇泻〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表つき〇大正期の新聞記事から(16)●『國民新聞』の相撲記事〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで〇還暦に達した元横綱力士●阿武松から北勝海まで〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●神風から力道山まで頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円切手を…、折らずに定形外郵便ならば120円切手を同封のうえ…下記宛てへ〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはj...『相撲史発掘』第104号頒布中!

  • 木村 宗四郎と今朝三

    現代、大相撲協会の何某親方と云えばすべて元力士に決っている━昭和三三年だったか、行司の「年寄」襲名権利が剥奪されてしまったから…。もっとも傑出したのが元木村宗四郎で、行司としては三役格までいかず、年寄名春日野(→入間川)を襲って、大横綱栃木山の義父━なにより協会の取締に就任し、“赤字”つづきの金策に奔走した。協力者が元小結両國の出羽海梶之助(←入間川)であったみたい。戦後は、「別格年寄」の肩書になっていた。扨て、最後に元行司の理事について。元三役格木村今朝三(袈裟三)の錦嶋三太夫が時津風系理事に就いていたが、取締制廃止・理事削減の煽りで、昭和四三年初場所限り。定数10の理事は〔外部理事を除き〕全員元力士となってしまった次第。木村宗四郎と今朝三

  • 粗さがしで失礼

    ※昨日の閲覧…510・訪問者…298トータル訪問者数1,061,318「番附の誤謬」で想い出したことがある。たしか、昭和三十九年十二月の雑誌『大相撲』でN銀行員〔当時〕M氏が、当年の番附欄外左下へ「昭和三十九〇月〇日発行」とあるのは、もうすこし念〔年〕を入れて…云々。昭和二十七年から、同四十一年までだったか、毎本場所の番附を書いていた式守→鏡山勘太夫氏のミスが目立った頃の話はまだある。日本相撲協会の旧所在地(住所)である、「東京都台東区蔵前二丁目一番九号」と記憶するが、これを正確に記載したのが6場所のうち1場所だけ。「台区」とか「蔵前町」とか「一番地」とか不正確であった。伊勢ヶ濵系から時津風系へ移った鏡山親方。NHK番組『それは私です』に出演し、自ら「鏡山勘太夫」と相撲字で書かれたのも想い出のひとつだ。粗さがしで失礼

  • 「大」の字の有・無…

    昨夜、「関西大角力協會」と記したのは正確じゃぁなかった。昭和三八年、和歌森太郎氏が上梓した『相撲今むかし』〔定価700円だが現代なら何千円の豪華版だ。〕に昭和十二年…の取締大の里萬助、大関天龍三郎…の番附が載っており、小文字で右から「本日大」、太字で「関西角力協會」とある。現日本相撲協会の、昭和劈頭番附において協会の正式名称をミスする失態━「大日本大角力協會」は、最初に“大”がない「日本大角力…」が正しい。昭和二年夏や同年京都番附も日本大角力協會とあり、翌三年春から「財團法人大日本相撲協會」となっている。同時に「興行」が「擧行」と変った。尚、協会の法人認可は大正十四年の“御用納”のときだったが、その公式発足まで約2年を要したわけ。「大」の字の有・無…

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日の閲覧…567・訪問者…336トータル訪問者数1,061,020百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 菊池寛が評価した脱退事件

    今夜、久しぶりに亡父の書斎から蔵書を引張り出してきた。昭和三十五年、文藝春秋新社刊『菊池寬文學全集第七卷』である。定価は「500圓」とあり、当時の“物価”が偲ばれる。その「昭和七年」の項より━。〇新興力士團は、實に立派に成功した。他の勞働爭議など云ふものも、あゝ云ふ風にやれたらどんなにいゝかと思ふ。賃銀に不平のある職工達が、脱退して直ぐ、自分達で、どんどん生産して行けるやうだつたら、いゝと思ふ。角力のやうに裸一貫で、行かないところに、資本主義の弊害があるのだと思ふ。それはともかく、比較的鈍感のやうに思はれた力士階級でさへ、團結の力で、あゝ云ふ風に成功したことは、いろいろな方面によき影響があると思ふ。〇この全集の本文は、新字体・現代仮名遣いで表記しているが、戦前の発表なので敢えて舊字體・歷史的假名遣ひに改め...菊池寛が評価した脱退事件

  • 『相撲史発掘』No.104 頒布中 !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,060,684拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎大関●西ノ海(下手投)玉椿〇小結の英朋画5~8頁上段〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内力士略歴表折込み両面●関係勝負&星取表8頁下段~10頁〇大正期の新聞記事から(16)●『國民新聞』の相撲記事折込み表面〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで折込み裏面〇還暦に達した元横綱力士●阿武松緑之助から北勝海信芳まで11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●神風正一から力道山光浩まで頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円切手を…、折らずに定形外郵便ならば...『相撲史発掘』No.104頒布中!

  • 拡大 土俵際で逆転された横綱…

    「土俵」場が直径“十六尺”に拡げられた昭和二十年秋〔十一月〕場所、東方横綱安藝ノ海の星取表である。〇髙津山(前五)寄倒し●柏戸(同一)切返し〇三根山(同六)上手投〇琴錦(同二)…出投〇輝曻(同三)突落し●不動岩(小結)上手投●海山(前四)仝●佐賀ノ花(大関)寄切り●名寄岩(関脇)打棄り●羽黒山(横綱)寄切り見事〔❔〕に負越してしまった。尚、九日目の「打棄り」は、通常の土俵の侭だったら「寄倒し」て白星を得た━と、想定されよう…。拡大土俵際で逆転された横綱…

  • 30年ぶりの「幕内増員」

    ※昨日までのトータル訪問者数1,060,443拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年春場所━は、これから幕内星取表を作成することにしている。でも、前場所までのスペースでは幕尻までおさまらない。その30年前の文化十一(1814)年冬場所以来、東・西前頭九枚目が所謂“幕尻”なので24名の幕内人員ということになる。昨冬など22名の幕内力士が番附最上段に列記されたことはあった。尚、番附欄外「張出前頭」の三楯山は、通常の幕内格とは認められないので、拙稿の番附・星取表には一切記載しない。因みに、幕内少数時代の「幕内」は番附上段に限らない━と云う説も有力だが、中入り前・後の各々1番=1日2番相撲を取った数例は、すべて幕下2段め以下であり、最上段力士が1日1番を超過した事例は皆無である━やはり、最上段の幕尻と、“貧乏神”と...30年ぶりの「幕内増員」

  • 後小結清水川、全敗を免れる

    昭和十六年春、番附外序ノ口三五枚目格附出し鉾浦〔後小結清水川〕の意外な星取表である。●昭錦(序ノ口34)●大成山(〃35)や●高勝山(序ノ口36)や●今井(序ノ口26)や●石川(新序3)や●浦上(新序2)●川田(序ノ口36)=後幕内出羽湊ややや〇中ノ山(新序1)引退後、年寄間垣を襲って部屋経営の傍ら民放で相撲解説者として好評を博した。当時、17歳で土俵の東・西もわからなかったかも知れません。後小結清水川、全敗を免れる

  • 寛政3強剛の全勝回数比較

    ※昨日までのトータル訪問者数1,060,265江戸のスター名力士、「全勝」の回数をあらためて調査してみた。◎谷風梶之助10戦全勝1回(天明六年春)9戦全勝4回(安永七~天明元年)◎小野川喜三郎10戦全勝1回(寛政元年春)9戦全勝なし◎雷電爲右エ門10戦全勝2回(寛政9冬・文化2春)9戦全勝4回(寛政八~享和三年)S氏の仰るとおり「連勝」記録では谷風の方が断然雷電を上回っているが、「全勝」回数では雷電が優っている。「古今十大力士」のひとり稲妻雷五郎は、10戦全勝は疎か9戦全勝さえ皆無なのである。寛政3強剛の全勝回数比較

  • 横綱栃錦「押し相撲」に変身

    名人横綱栃錦清隆が10回め〔最後〕の優勝を飾ったときの星取表。昭和三五年初場所、東正横綱。〇若ノ海(小結)押出し〇若前田(前四)仝〇岩風(〃)仝〇青ノ里(同三)仝〇北の洋(〃)寄倒し〇玉乃海(小結)引落し〇鶴ヶ嶺(前五)寄切り〇房錦(同二)上手出投〇冨士錦(〃)叩込み〇柏戸(小結)掬い投〇北葉山(関脇)上手出投〇安念山(〃)押出し●琴ヶ濵(大関)寄切り〇若羽黒(〃)突落し〇朝汐(張出横綱)寄切り軽量級だった若い頃は、所謂「四十八手」を縦横に駆使していたが、130kg程度に増量し「押し相撲」に“転向”した恰好だ。横綱栃錦「押し相撲」に変身

  • 『相撲史発掘』第104号 頒布中 !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,060,104拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎玉椿ら6力士が登場…〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表つき〇大正期の新聞記事から(16)●『國民新聞』の相撲記事〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電から伯桜鵬まで23名〇還暦に達した元横綱力士●阿武松から北勝海まで29名〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●神風から力道山まで…頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便ならば120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb....『相撲史発掘』第104号頒布中!

  • おべっか番附

    昭和三十七年春、兄弟弟子の星取表を列記してみたい。西前頭二枚目、豊國範〇小城ノ花(前二)●柏戸(横綱2)〇栃光(小結)●若三杉(〃)〇栃ノ海(関脇)〇開隆山(前五)●大鵬(横綱)〇琴ヶ濵(大関)〇冨士錦(前五)〇一乃矢(同四)●房錦(同十)●佐田の山(関脇)〇若ノ海(前十一)〇前田川(同十二)●出羽錦(同一)東前頭三枚目、豊山勝男〇宇多川(前六)●大鵬●若三杉●柏戸●佐田の山〇琴ヶ濵〇出羽錦●栃ノ海●開隆山〇小城ノ花〇大晃(前九)〇一乃矢〇海乃山(前八)〇金乃花(同六)〇若ノ海東前頭筆頭若秩父が11勝、西…筆頭出羽錦が9勝で両小結━定員一杯だ。豊國を東張出、豊山を西張出━小結へでっちあげ。彦山翁がたしか「おべっか番附」と批判していた。理事長の弟子優遇の実例。尚、理事定数10に削減後、理事長は…編成会議に直...おべっか番附

  • 「関の戸」と「越の海」

    ※昨日までのトータル訪問者数1,059,913拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年春場所━の執筆を開始した。と、云っても未だ本文は全然書いていない。「幕内略歴」表の作成が終って、「関係勝負」をまとめている最中だ。我国最高の相撲文献『日本相撲史』の当場所「番附」では、東前頭四枚目の関の戸億右エ門や西同六枚目越の海福枩が関ノ戸・越ノ海と記載しており、史実に忠実とは云い難い。その他、当方が過日T県K氏(故人)から複写して頂戴した番附で、幕下の滝ノ音や出羽ノ里らは「の」に非ず「ノ」だ。尚、当「…熱戦譜」第85回は、なんとしても3ページ丁度に“字数制限”せねば“余白”がございません。「関の戸」と「越の海」

  • 煮え切らない性格で…?

    「土俵の鬼」(映画化)・「異能力士」(彦山翁が古典から転用)の若乃花(初代)引退直後から『相撲』『大相撲』など購読し始めたが、増刊号などを最初に読んだのは、相撲別冊『なんでもわかる相撲百科』(昭和三七年十一月)であった。そのなかで武藏山武について「好事魔多し」という言葉は、この天才力士のために用意されたのかも…と、記述している。でも最近、彼の『文藝春秋』への寄稿を精読すると、彼の「煮え切らない」性格が災いして「竜頭蛇尾」の力士稼業に終った━みたいな気がして仕方がない。例えば、彼が小結から“2階級特進”で大関に推薦されたとき「引退」を仄めかした云々━その際、拳闘界転向を明言せず、さりとてはっきり否定しなかったようだ。私見では、昭和十年夏場所後の「横綱推薦」のとき、それを「辞退」すべきであった。彼の「煮え切ら...煮え切らない性格で…?

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,059,716百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 不運の“あんこ”型、鹿嶋洋

    昭和十四年春場所、東前頭三枚目鹿嶋洋の星取表を御覧ください。●鏡岩(大関)突落し〇玉ノ海(小結)寄倒し●前田山(大関)外掛け●男女ノ川(横綱)叩込み●名寄岩(関脇)打棄り〇双葉山(横綱)下手投〇大浪(前七)仝〇小嶋川(同五)仝〇旭川(同二)寄切り〇磐石(同一)仝〇大潮(同七)突放し●冨士ヶ嶽(同十四)下手投〇鶴ヶ嶺(同十三)寄切り勝越し3点の好成績ばかりじゃぁなく双葉山からの大「金星」が光っており、初の15日間興行の翌場所は三役入りが当然予想された。しかし、幕尻2枚めで両小結戦以外横綱・三役との対戦がなく平幕全勝の出羽湊が小結に抜擢され、鹿嶋洋は東前頭筆頭に止められてしまった。不運の“あんこ”型、鹿嶋洋

  • 『相撲史発掘』No.104を頒布中 !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,059,516拙作&私家版『相撲史発掘』第104号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈しております。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎玉椿━西ノ海の取組絵5~8頁上段〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内力士略歴折込み両面●関係勝負&星取表8頁下段~10頁〇大正期の新聞記事から●『國民新聞』の相撲記事折込み表面〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで折込み裏面〇還暦に達した元横綱力士●阿武松緑之助から北勝海信芳まで11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●神風正一から力道山光浩まで頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら94円の切手、折らずに定形外郵便の場合は120円切手を同封のうえ…下記...『相撲史発掘』No.104を頒布中!

  • 88年前の噂話…?

    昭和十年春、新小結双葉山定兵衛の星取表を掲げてみたい。〇新海(関脇)二枚蹴●松前山(前一)吊出し●錦華山(同四)突倒し✖武藏山(大関)●綾川(関脇)叩込み●玉錦(横綱)寄倒し〇番神山(前二)突倒し〇髙登(小結)下手投〇清水川(大関)上手投●能代泻(前一)外掛け●男女ノ川(大関)小手投あくまでも“噂話”だが、九日目まで4勝なので翌十日目白星ならば平幕への陥落を免れる━そこで、元大関に“今日は”相撲〔八百長のダブル隠語〕を申込んだけれども、能代泻に拒否されてしまった。余談だが、双葉山が「時津風一門」結成の過程で元能代泻の立田山親方も傘下に入り、たしか理事乃至監事になったのではなかったか…。88年前の噂話…?

  • 情けの八百長…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,059,276昭和十年春場所、西十両二枚目、常陽山〔後年寄稲川七兵衞〕の星。〇金湊(十両3)=前幕内〇越ノ海(〃2)=仝〇綾錦(〃4)=後幕内●射水川(〃5)=元幕内●國光(〃9)〇三熊山(〃11)=後幕内●大八洲(前十四)=後白玉多喜知理事〇陸奥錦(十両6)=後年寄玉ノ井〇照錦(〃10)=後…放駒●天城山(〃12)=後幕内、東関猪太夫理事〇玉ノ海(前十六)=〔前稿参照〕大相撲協会は、八百長は「ない建前」だが、「無気力」相撲ならある・あったと認めている。常陽山は当時33歳で入幕の最後の機会を逃すまい━と「八百長」を申込んだ。玉ノ海は「無気力」と判断され、結局白星あつかいの処遇。本来なら両者とも処分の対象になるはず。でも出羽海〔諫早出身〕は「八百長」のみ“厳罰”に処したことに...情けの八百長…

  • 217年前の幕内番附

    昨夜はなんとなく「中途半端」だったので、………。文化三年春場所の幕内番附を列記。東ノ方大関九刕大木戸森之助関脇江戸柏戸宗五郎小結久留米荒馬源彌前頭庄内春日山鹿右エ門前頭久留米揚羽空右エ門前頭秋田四ツ車大八前頭白川音羽山峰右エ門前頭九刕八光山權五郎前頭羽刕大童山文五郎西ノ方大関雲刕雷電爲右エ門関脇同玉垣額之助小結南部錦木塚右エ門前頭雲刕鳴瀧文太夫前頭同佐渡嶽澤右エ門前頭因刕千田川善太郎前頭同山颪源吾前頭同眞靏政吉前頭南部階玉右エ門埼玉県出身の柏戸は非“お抱え”なので「江戸力士」を意味する頭書になっている。雷電に1勝し、分・預・無勝負も記録した。217年前の幕内番附

  • 横綱玉の海忌に想う

    ※昨日までのトータル訪問者数1,059,119“悲劇の横綱”玉の海正洋忌に因んで。三宅充氏へ直接訊いた。「北の富士と玉の海は八百長が多かったのですか?」「玉の海はやっていない。」との応え。“八百長問答”を好まないので、当該質疑はここまで。でも、遺憾ながら玉乃島〔当時の前名〕は元大関Wと「星の貸し・借り」を体験。入幕2場所めの十三日目、相手は幕尻で7敗を喫して「十両陥落」必至の情況だが、十一日目から5連勝して勝越す。翌場所、名古屋での九日目に「貸し」た星をお「返し」してもらい6勝め。玉の海の師匠片男波〔後協会監事=元関脇玉乃海〕の疑惑相撲は全然知らないが、その師匠玉ノ海梅吉〔元関脇=元二所ノ関理事〕も若い頃の疑惑「●捲落し常陽山」があり、玉ノ海は6勝5敗を7勝4敗とみなされたのに、常陽山は入幕を見送られてし...横綱玉の海忌に想う

  • 217年前の江戸番附をみて…

    この度、文化三(1806)年春場所の本もの「番附」を複製・縮刷したやつを落手した。色々気づいた箇所を述べてみたい。当時最上段に「東の方」「西の方」が通常表記と思ったら、「東ノ方」「西ノ方」と書いてある。中央「蒙御免」の下は━當二月十二日ヨリ〔註「ゟ」ではない〕於山王御旅所茅場町〔現東京中央区日本橋…〕薬師〔現…茅場町一丁目〕境内晴天十日勧進大相撲興行仕候「行司」欄をみると…庄之助はいるが、式守伊之助は載っていない。『日本相撲史』は、東大関九州吹□改大木戸森之助とあるが、“改名表示”はなく、大関九刕大木戸…と記載されている。更に、西関脇の玉垣額之助〔島原半島出身〕に「千田川改」の附記はありません。昨冬の場所中の改名だから…。217年前の江戸番附をみて…

  • 『相撲史発掘』No.104 頒布中 !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,058,961拙作&私家版『相撲史発掘』第104号【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】を御希望の方に洩れなく進呈しております。〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎玉椿・浪ノ音・伊勢ノ濵・Ⅱ西ノ海ら登場〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表つき〇大正期の新聞記事から(16)●『國民新聞』の相撲記事〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで〇還暦に達した元横綱力士●阿武松から北勝海まで〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●神風から力道山まで頒布を御希望の方は、二折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便ならば120円切手を同封のうえ…下記宛て〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa...『相撲史発掘』No.104頒布中!

  • 64年前の古雑誌“囲み記事”

    古雑誌『文藝春秋』の昭和三四年十月号〔定価百円〕━353頁〔最終葉354頁〕に下記の如く所謂“囲み記事”が載っていた。本誌六月号所載小説「男女の川」の中、元横綱武蔵山さんに関する個所は調査不十分であり、同氏の人格を傷つけた事を深く御詫び致します。尚単行本にする場合は武蔵山関事横山武氏と協議の上訂正致します。今後作家・編集部とし、斯かる事なき様注意致します。江崎誠致・編集部当方、残念ながら同誌昭和三十四年六月号は所蔵しておらず、男女ノ川の小説は石井代蔵氏の『…畸人列伝』以外読んでない。更に、恐らく上記云々の単行本は発刊されなかったと思っている。【追記】石井氏の相撲畸人列伝は、一部箇所に非常な露骨的表現がみられるが、実名登場人物からの抗議等々、一切問題化していない━と、思われる。64年前の古雑誌“囲み記事”

  • 或る漢字熟語の誤用…?

    ※昨日の閲覧…671・訪問者…362トータル訪問者数1,058,718往時、新聞・雑誌・書籍等々出版物における誤字・脱字・誤用表記等々が少なくなかったようである。AI等の先端技術を使っての現代表記だって…それらが絶無とは云えないだろう。64年前に文藝春秋新社が発行した綜合月刊誌だって2~3箇所の脱字〔何れも平仮名〕や誤字と思えるものがみられる。ひとつだけ例を挙げてみたい。見出しに「八百長の実体」とあるけれど、これは「…の実態」が正確じゃぁないか。手許の電子辞書に拠れば、【実体】①ものごとの奥にひそむ真のすがた。〔後略〕②変化しやすい多様なものの根底にある持続的・自己同一的なもの。〔後略〕【実態】〔前略〕実際のありさま。ありのままの状態。〔同音語の「実体」は事物の本体・実質のことであるが、それに対して「実態...或る漢字熟語の誤用…?

  • 初土俵で負越した…

    後横綱武藏山の兄弟子〔の付人?〕だった長良川〔後十両〕は、初土俵で負越した…。大正七年夏場所、東序ノ口三三枚目の星や〇一ノ岩(序ノ口20)や〇男山(序ノ口5)〔元幕内…とは別人❔〕や●雄勝山(序ノ口11)や●千石山(序ノ口3)や●緑石(新序3)当場所、序ノ口のどん尻から5枚めなので、翌場所は番附外へ陥落してるかも知れない。初土俵で負越した…

  • 「源氏山」に1勝・1敗の玉椿

    ※昨日までのトータル訪問者数1,058,356①明治三七年春場所九日目東前頭九〇玉椿━源氏山●西前?枚格②大正五年春場所四日目西前十三●玉椿━源氏山〇東前十三上記の「源氏山」は、同名別人であり玉椿の星取表だけに記録される。明治…の源氏山は、前名が今泉又市で元関脇。呑む・打つ・買うにのめり込み大成できずに終った。大正の源氏山は、栃木山と引分け相撲を取ったので…横綱になったⅢ西ノ海の前身。「源氏山」に1勝・1敗の玉椿

  • 武藏山の兄弟子、長良川

    武藏山をスカウトしたのは、元関脇両國(勇治郎→梶之助)の武隈親方だったが、彼を連れて当時「分家・独立ゆるさず」の“掟”が存在する出羽海部屋から“袂”を分かつ行動を起したため、破門同然のあつかいの挙句、立浪一門へ…。武藏山の入門当初の兄弟子、長良川彦三郎を御紹介しよう。岐阜県…出身、本姓吉村。明治三十一年生れ、大正七年…初土俵。昭和三年限り角界と訣別し、その後の消息は不明である。最高位は十両十一枚目なので、多分…幕内力士との対戦は皆無と察している。武藏山の兄弟子、長良川

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日までのトータル訪問者数1,058,179百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した…明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

  • 郷土力士の活躍ぶり

    たまには郷土力士を採りあげても罰(ばち)は当るまい。昭和七年十月〔於京都〕場所、西前頭六枚目、瓊ノ浦(後関脇両國)の星。〇鷹城山(前五)上手投●土州山(十両3)吊出し〇旭川(前三)寄切り〇射水川(同四)打棄り●古賀ノ浦(同二)外掛け〇大ノ濵(同五)切返し〇大浪(十両1)外掛け〇吉野山(前三)切返し〇雷山(十両4)浴せ倒し〇松前山(〃1)割出し〇巴泻(前六)叩込み十両と4人も対戦━春秋園事件で幕内人員が20名あまりなので…。でも、優勝力士の大関清水川と同点━現代なら決定戦に出る権利がある。尚、当場所は双葉山が全休しているが、「蓄膿症」手術が要因…?郷土力士の活躍ぶり

  • 或る登場人物

    ※昨日の閲覧…698・訪問者…295トータル訪問者数1,057,941昭和三四年に元武藏山が『文藝春秋』へ寄稿した「八百長華やかなりし頃」の登場人物には、後援者「清水行之助」(小倉出身明治二八~昭和五六年)のほか、下記両名も。鶴見祐輔。明治十八年、群馬県生れ。現東大法学部卒、元厚生相。昭和四八年、88歳で逝去した。岩田富美夫。明治二四年、青森県生れ。日大中退、『やまと新聞』の社長。昭和十八年、51歳で急逝。尚、拙作「35周年記念、特別読切り」では1~4頁で前半、後半を8~11頁上段へ転載、━但し、数箇所を割愛━ほぼ確定した。また、大ノ里・天竜・武藏山の3者が一緒に写ったスナップを掲載しようと思っている。或る登場人物

  • 『相撲史発掘』第104号 頒布中 !

    拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。〔題簽は元大相撲立行司40代・式守伊之助氏〕1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②◎西ノ海─玉椿の取組絵5~8頁上段〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所◎幕内22名の略歴折込み両面●関係勝負&星取表8頁下段~10頁〇大正期の新聞記事から(16)折込み表面〇鳥取県出身入幕力士一覧折込み裏面〇還暦に達した元横綱力士11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(34)頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折らずに定形外郵便の場合120円切手同封のうえ…〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲史発掘』第104号頒布中!

  • 後大関 八幡山VS小結 嵐山

    ※昨日の閲覧…826・訪問者…282トータル訪問者数1,057,646明治の好取組とその結果を列記。①明治十九年夏場所九日目東前頭六△八幡山─嵐山△西前頭十②同二十年春場所五日目東前頭五△八幡山─嵐山△西前頭五③同二十年夏場所九日目東前頭三△八幡山─嵐山△西前頭三④同二一年春場所三日目西前頭筆頭✖嵐山━八幡山✖東前頭五⑤同二一年夏場所六日目西張小結✖嵐山━八幡山✖東前頭四⑥同二二年夏場所四日目東前頭三✖八幡山━嵐山✖西前頭四⑦同二三年春場所九日目東前頭筆頭✖嵐山━八幡山✖西前頭筆頭勝負「預り」は兎も角、引分け4番は、もう「妥協相撲」との疑惑を払拭できまい。後大関八幡山VS小結嵐山

  • 悪質な八百長は贈・収賄に等しい

    八百長相撲について採りあげるのは愉快じゃぁないけれども…。元武藏山武の『文藝春秋』への寄稿で、おしまいの方を抜萃してみたい。〔前略〕私は八百長控えといったものを見たことがある。誰と誰が八百長をやって星を借りているという覚え書である。その借りが金で解決出来なければ次の場所で星を返さなければならない。ところが、借りを自分で返さず、自分の弟子の中から或る程度星の残せそうな者に、おい俺の分を負けてやれ、と命じるひどい力士も居た。平成・令和の現代力士の実態はどうなのか…寡聞にして知らないが、従前、力士は自分・自身の星だけを気にしていれば充分なのに、対戦相手とか・他の系統の周囲の星を意識しないではいられず、星取表ばかり眺めていたやつだって少なくなかった━と、勝手に想像・推察している。一口に八百長相撲と称しても「千差万...悪質な八百長は贈・収賄に等しい

  • マンモス大 相撲部の…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,057,364またもやマンモス日本大学の「不祥事」が取り沙汰されている━今度は、相撲部学生の「成績改竄」云々だ。日大相撲部と云えば…現在はてんで知らないけれども、大相撲の「花籠部屋」〔師匠は元幕内大ノ海=協会理事〕と濃密な関係があって、プロ・アマ交流が不自由な球界関係者らに羨ましがられたほど…。それでねぇ、日大相撲部→幕下附出し→日下開山のコースを辿って、「還暦手数入」をやらず、「天国へ土俵入」のWを想い出す。一般の新弟子たちが、附出し制度を「裏口…」と蔭口をたたく実例は寡聞にして知らず…。でも、その制度に“不正”はない━と、信じたい。マンモス大相撲部の…

  • 双葉山69連勝は17手で…

    双葉山「69連勝」の極り技については、たしかY氏の「双葉よ、貴方は強かった」と云うタイトルだったか…一部を従前の記録を差替えて、いわば“新説”を唱えた恰好。でも、従来の一般的な記録・資料に準拠しておきたい。①上手投14番②寄切り12③寄倒し10④打棄り6④下手投6⑥掬い投3⑥押出し3⑥押切り3⑨突出し2⑨押倒し2⑨吊出し2⑫二枚蹴1〃浴せ倒し1〃腰砕け1〃搦み投1〃割出し1〃突放し1「打棄り」の割合減少は、土俵際まで攻めこまれる相撲が少なくなったことを意味するであろう…。双葉山69連勝は17手で…

  • 元栃木山64回忌

    ※昨日までのトータル訪問者数1,057,163いまから64年前の昭和三十四年十月三日、日本相撲協会の〔最古参〕取締春日野剛史(元横綱栃木山守也)が逝去。ときの政府〔岸信介内閣〕は「勲四等瑞宝章」を霊前に飾った━大正十一年歿の出羽海取締(元横綱常陸山)も・昭和三年歿の元雷(いかずち)取締(元横綱Ⅰ梅ヶ谷)も叙勲されていない。その表向き理由は、たしか「相撲教習所」の初代所長を務めていたことによるもの。協会が公益法人としての旧寄附行為第一条に「相撲専修学校の設立維持」とあったけど、いわば“ほったらかし”にしていたのを昭和三二年に国会で追及され、「…学校」が「…教習所」と変った。でも、例えば、関東方面の「自動車教習所」を当長崎地方など「…学校」と称している。英訳すれば、どっちもschoolとなります━現代では小学...元栃木山64回忌

  • 『相撲史発掘』第104号 頒布中

    拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を御希望の方に洩れなく進呈しております。〔題簽は元大相撲立行司40代・式守伊之助氏〕〇“時代”を超えた力士たち(第4回)●明治→大正篇②辻褄あわぬ玉椿の記事と星取り長寿の元関脇浪ノ音大関伊勢…連続4負越し?功労横綱Ⅱ西ノ海初代引退5場所後にⅡ朝汐新大関…の足を取った碇泻〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)●天保十四年冬場所異例の年功序列?不知火が連続“金星”好取組3番が消えた?〇大正期の新聞記事から(第16回)●大正7.5.18~23『國民新聞』〇鳥取県出身入幕力士一覧●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで23名〇還暦に達した元横綱力士●阿武松から北勝海まで29名〇古今平幕最優秀力士星取表(34)●昭和19春から同22夏までの7場所頒布を御希望の方、二つ折り定形郵便なら94円切手、折...『相撲史発掘』第104号頒布中

  • またもや「無投票」当選…❔

    ※昨日までのトータル訪問者数1,056,988昭和期は奇数年、平成以降は偶数年に行われる日本相撲協会の役員改選━来春の新「勢力図」を占ってみたい。〇出羽海一門◆境川部屋5票◆春日野部屋7◆出羽海部屋3◆藤島部屋5◆山響部屋2◆立浪部屋1◆玉ノ井部屋1◆木村瀬平4◆武蔵川1◆式守秀五郎1◆二子山1◆雷部屋2◆尾上部屋3◆武隈部屋1計14部屋・37票なので「理事3」は固く確定的。〇二所ノ関一門◆芝田山部屋2◆佐渡ヶ嶽6◆湊部屋1◆錣山部屋2◆髙田川部屋2◆大嶽部屋1◆片男波部屋2◆田子ノ浦1◆鳴戸部屋1◆放駒部屋3◆西岩部屋1◆阿武松部屋2◆押尾川部屋2◆二所ノ関2◆常盤山1計15部屋・29票だから“造反”があれば「理事2」。〇時津風一門◆陸奥部屋4◆伊勢ノ海7◆追手風部屋1◆時津風部屋3◆荒汐部屋1計5部屋...またもや「無投票」当選…❔

  • 「大連勝」前、打棄りで10勝

    “不滅の金字塔”と称賛すべき69連勝に燦然と輝く双葉山の入幕した昭和七年春〔二月〕場所から同十年夏までの10場所〔うち1場所全休〕における白星52戦の決り手を調査・統計的に列記してみる。①打棄り10番②寄倒し7番③上手投5番③首投げ5番⑤押切り3番⑤寄切り3番⑦浴せ倒し2番〃外掛け2〃掬い投2〃押出し2〃突倒し2〃下手投2以下、吊出し・叩込み・突放し・踏越し・二丁投・二枚蹴・上手捻の7技となっている。〔「踏越し」とは、足の爪先が土俵外へ出ること。〕若い頃の双葉山は、「打棄り双葉」の異名。それが実証されたわけ。尚、決り手は、観者の“主観”であり、例えば世紀の番狂わせ「●双葉山━安藝ノ海」のそれは「外掛け」が一般的だが、「浴せ倒し」説もある。本稿は、昭和55講談社刊『国技大相撲の100傑』収載星取表に準拠した...「大連勝」前、打棄りで10勝

  • 明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

    ※昨日の閲覧…719・訪問者…367トータル訪問者数1,056,746百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書【画像=9cm✕14cm】を御希望の方、先着1名様にお譲りします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので、必ず額面120円の切手にて…お願いいたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で

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