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愛西市下古川の聖観世音菩薩
昨年11月に、愛西市の教育委員会生涯学習スポーツ課に仲介していただき常瑞寺の円空作の観音菩薩立像を拝観させていただいた。愛西市にはもう一体森川区有の観音菩薩立像があるとうかがっていたので、改めてお願いしたところ2月17日、拝観させていただく
2025/02/17 19:53
扶桑町正覚寺十二神将像拝観記
正覚寺は、愛知県尾張地方北部、丹羽郡扶桑町斎藤にある臨済宗妙心寺派の寺院で、地元では「斎藤の薬師堂」と呼ばれてきた。ここに、寛文9年頃、おそらく様式から鉈薬師の諸像のすぐ後に制作されたと考えられる円空作の十二神将像が伝わる。やや時代は下るが
2025/02/15 12:01
津保川沿い踏査(4)−旧上之保村
津保川を遡行し、旧武儀町エリアから、最上流の旧上之保村エリアに入る。このエリアも旧武儀町の主要部分と同様、江戸時代初頭は金森氏領、その後幕府領を経て元和元(1615)年から尾張藩領となっている。正徳から嘉永年代(1711〜1853年)の古文
2025/02/07 14:04
津保川沿い踏査(3)ー旧武儀町満願寺
旧武儀町の円空の足取り追跡、残るは津保川沿いの大洞集落(現関市富之保)にある曹洞宗の寶鏡山満願寺。寺の由緒は津保川沿いの寺院の中でも古く、➀景雲元(704)年行基自らが弥陀三尊を刻み建立したと伝えられる。➁文明年
2025/02/06 10:11
津保川沿い踏査(2)ー旧武儀町周辺
旧関市街から津保川沿いを遡行すると、いったん丘陵地に差しかかる。現在の道路は、丘陵地を越え直行していくが、江戸時代の街道は川沿いの狭い場所をたどっていた。そして、1954年に関市に合併された高沢山南の旧富野村エリアに出る。この一帯は、藤谷な
2025/02/05 21:21
津保川沿い踏査(1)ー関市街地周辺
2025年 飛騨の円空追跡計画、第一弾として、2月3日、➀津保川沿いから金山へ(飛騨に至るルート)の踏査 を行ったので、レポートします。<調査の概要>江戸時代と今とでは、交通事情が全く違う。列車や自動車はなく、トンネルや橋で最
2025/02/04 20:49
関市弥勒寺訪問記
関市池尻の弥勒寺は、美濃地方の豪族・身毛津(むげつ:牟義都)氏の氏寺と推定される古代寺院の弥勒寺跡に、円空が自らの寺として再興したもの。当時幕府は、新寺建立禁止令(元和8(1622)年、寛永8(1631)年)を出し、新たな寺を創建することは
2025/02/02 20:37
2025年2月 (1件〜100件)
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