【前田利家入城とオモシロ建築「五十軒長屋」 金沢城-3】
1580年に柴田勝家・その配下の佐久間盛政はこの金沢城の前身であった本願寺支配の金沢御堂を攻撃し占領した。一向宗側の拠点としてはその南方55kmほどの「吉崎御坊」に撤退したのか、御堂とか、御坊とか、戦国期の宗教勢力の軍事的・宗教的拠点は、あんまり教科書的歴史では表側に出てこないけれど、その時代にとっては相対的には「民衆側」とも言える動きは興味深い。わたしの家系伝承の兵庫県姫路市の英賀でも「英賀御堂」という宗教拠点が巨大な権力を行使していた様子がわかるのだけれど、たぶん現代でも一定の社会的影響力を持っている宗教勢力のことなので、客観的な分析把握が十分になされてこなかったように思える。しかし人類史のなかで宗教がひとびとの営為に深く関わり決定的な要素でもあったことを考えると、かならずしも科学的な歴史把握とは言え...【前田利家入城とオモシロ建築「五十軒長屋」金沢城-3】
2024/11/30 06:23