御茶ノ水エリア。曇り。 駅前の順天堂大学や神田明神、湯島聖堂などがあり、文教都市の雰囲気がある。ただ、お隣が秋葉原なので、電機的な会社もある。 同じく秋葉原の影響か、インバウンドが多い。 町工場的な小さな企業と住宅街がミックスしたエリア。 ボックスカーとか移動に使うような車が多い気がする。ああいう車でインバウンドや観光客を乗せて回っているのだろうか。 ちなみに湯島聖堂はあまり人がいない。神田明神に流れているようだ。
ディズニーのピノキオを観たことがないので比較ができないのだが、こちらはかなり良い児童文学だった。 木の枝から作られたピノキオがありとあらゆる失敗を重ねながらも、彼を作ったジェッペットじいさんや、仙女たちに支えられて成長していく、という物語。 物語のトーンとしてはダークファンタジー的な雰囲気。 基本的にピノッキオを騙しにくるのは、子どもたちや動物たちで、結果的におとなのもとに売り払われたりする。おとなたちはピノッキオを酷使するが、彼らは自分の仕事の一環としてやっている。子どもを死ぬほど働かせるというのは今の世の中ではもちろん違法だが、当時はどうだったのだろうか。あたりまえだったのか、あ
非常に面白い。 冒頭で2つの大国の戦争が原因で世界が荒廃したというナレーションがある。 これは、1970年代末から80年代初頭の第二次オイルショックと、1980年9月22日からはじまったイラン・イラク戦争を意味しているのだろう。 そこから、石油が貴重になり、暴走族が暴れるという、多くの人が「マッドマックス」と聞いてイメージする世界はここからはじまった。 製作費は当時の相場で6億4千万円。興行収入は56億円。 ちなみに前作は制作費は約3千万円。興行収入は210億円 前作がヒットして予算がアップしたものの、それほどヒットしなかった模様。 ストーリーとしては、 荒野にある石油精製所がヒュ
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で見事に復活したシリーズ。 あらためて第一作を観返すと、思っていた以上に面白い。 家族を奪われた警察官の復讐劇。 主人公のマックスはおもに暴走族の取り締まりをしている。 ある日、職務の途中で追跡していた暴走族が事故死する。 ナイトライダーという男だったが、彼はトッカータという男が率いるグループの一味だった。 トッカータはこの事故が原因で警察に恨みを抱く。 ある日、彼の手下がマックスと、同僚のグースに逮捕される。結局無罪で釈放されることになるのだが、不満を抱いたグースと小競り合いを起こす。 そして、グースは殺される。 ショックを受けたマックスは隊長
1991年のアメリカ映画のトップ3は、 1.ターミネーター2 2.ロビン・フッド 3.美女と野獣 といった、ヒーローとロマンス。映画に夢や希望が詰まっていた時代と言ってもいい。「羊たちの沈黙 」は、ベスト3には入らなかったが、上位につけていた。ただし、ターミネーターやロビン・フッドのような「強いアメリカ」のイメージではないし、ジョディ・フォスターは美女だから、ロマンスの要素はあるにしても、レクター博士は、本物の野獣といってもいいほどに凶暴だ。 レビューで「傑作」と称されることの多い本作。 初見は高校時代、大好きなジョディ・フォスターが出ていたので観た。 当時も面白いとは思ったが、ここ
ブックディレクターの幅允孝氏が主催する私設図書室。 予約制で、定員6名の90分。 最寄り駅は京都の叡山鉄道の無人駅だと聞いていたので、どんな田舎なのかと思っていた。 叡山鉄道は1両編成の鈍行ではあるが、車窓から見える風景は郊外の住宅街だった。江ノ電に近いイメージなのかもしれない。 駅からは徒歩10分ほど。山が近いし田畑もあるのだが、高級住宅地(高級別荘地?)のようで、豪邸が立ち並んでいた。 鉄道が江ノ電に似ていることも踏まえると、葉山みたいなエリアなのか。 なぜ道行のことをくどくど書くかというと、「鈍考」という図書室のコンセプトが「脱デジタル」「自分の時間を取り戻す」といったところにあ
「村上隆の五百羅漢図展」(2015年)よりはこぢんまりとした印象。 よく知られている日本画のテーマやモチーフをスーパーフラットに解釈した作品群と、村上隆によく登場するキャラクターの現在形が展示されていた。そういう意味では、新作ではあるものの、どこかで観たことのある作品、ということになる。 これが現在の村上隆なのかもしれない。 つまり、ウォーホルは大衆文化のアイコンを大量に複製することでアートにしたが、村上隆は自身の作品やキャラクターを大量生産することで大衆文化に浸透させているのではないか。 ルイ・ヴィトンのお花の親子であるとか、最近ではNewJeansとのコラボレーションがあり、
2巻では源氏の君の18歳から25歳までを扱う。 この巻では、有名な車争いや、その後葵上が六条御息所に呪い殺されるエピソードなどがある。また、幼女だった紫上が成長し、源氏の妻となる。 また、桐壺院が亡くなり、朝廷の勢力図が変わる。右大臣家が権力を持つようになり、左大臣家側である源氏も抑圧される日々を送る。 源氏の女遊びばかりだった印象の1巻に比べて、きちんと物語が展開しはじめている。 まだまだ先は長いのでこれから変わるかもしれないが、ここまで読み進めてきたところでは、「源氏物語」とは広い意味でのコミュニケーションについての物語なのだという理解に至った。 特徴的なのは、作中人物が互いに
ウェス・アンダーソンのストップモーションアニメ。 映像としてはよくできているが、なにを伝えたくて作ったのか、明確に読み取れない。 おおまかなストーリーは下記となる。 日本のウニ県メガ崎市で犬の伝染病「ドッグ病」と「スナウト病」が蔓延しはじめて、メガ崎市の小林市長はすべての犬を「犬ヶ島」に隔離する法案を通す。かくして、すべての犬が送られたのだった。 6か月後、犬ヶ島にひとりの少年が訪れた。彼は小林アタリ。小林市長の遠縁の親戚で、スポットという自分のボディガード役だった犬を探しに来たのだ。 メガ崎という地名は長崎のことだろう。 飛行機が墜落するシーンで、キノコ雲があがるのは、原爆を意識
テクノロジー
ネットで「ブレヒト」を検索すると「ブレヒト 異化効果」という検索候補が出てくる。「異化効果」は知っているが、「ブレヒトと言えば異化効果」というほどのものだとは知らなかった。 そして、「三文オペラ」にも異化効果が仕込まれているという。 自分は全然わからなかった。このあたりは、知性と教養を身に着けることと、思考力を深めていく過程で、世界に対する解像度をあげていく必要がある。そういうことをやっていると、いろいろと見えてくるものもあるのだろう。 ここでは、自分がわかったことだけを書く。 本作は、ブレヒトのオリジナルではなく、ジョン・ゲイ「乞食オペラ」を元ネタにしているとのこと。1928年
洋介は断るつもりだった。 マリアの時と同じ結果になるという予感があった。でも、武はそうは考えていなくて、今回はうまくいくと断言した。 というわけで、洋介は武の家にいた。ダイニングルームでテーブルについていた。向かい側に果穂がいる。武はお誕生日席に座っていた。降霊術でもはじめるのかっていう配置だ。自分の家なのに、武は白いスーツを着ていた。 果穂は地味な女だった。それだけじゃなくて、会話をしていても、ずっとテーブルの上を見つめていて、武が話しかけた時だけそちらを見た。 「そんなに堅苦しく考えなくていいんだ」 自分がリラックスしているのを示したいのか、武は口元に笑みを浮かべ
これはとてもよかった。 山崎貴監督作品はわかりやすさが最優先されており、誰がどこでなにをしているのか、というのが非常に明確だし、ストーリーがどのように進んでいくのかも明確だ。そして、観客が観たいものをそのまま出してくる。 このセンスはどこから来るのだろうか。 本作は、1945年から物語がはじまる。 特攻兵の敷島が零戦が故障したといつわって、小笠原諸島にある大戸島という守備隊基地に不時着する。 そして、その島にゴジラが現れる。敷島は零戦の機銃でゴジラを撃つように頼まれるが、怯えて撃てない。彼の目の前で整備兵たちが次々と殺されていく。 生き残った敷島は本土に戻る。彼は特攻から逃げ、ゴジラ
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御茶ノ水エリア。曇り。 駅前の順天堂大学や神田明神、湯島聖堂などがあり、文教都市の雰囲気がある。ただ、お隣が秋葉原なので、電機的な会社もある。 同じく秋葉原の影響か、インバウンドが多い。 町工場的な小さな企業と住宅街がミックスしたエリア。 ボックスカーとか移動に使うような車が多い気がする。ああいう車でインバウンドや観光客を乗せて回っているのだろうか。 ちなみに湯島聖堂はあまり人がいない。神田明神に流れているようだ。
銀座を通り越して東京の東側へ。 人が少ないかと思いきや、駅の構内には結構人がいた。ビジネス中心の印象で、インバウンドはあまり見かけない。 地上に出ると天気は薄曇り。青空だけど雲が多い。 大通りには車が多い。 街は下町っぽい雰囲気もありつつ、マンションとオフィスビルが混在している。銀座のビジネス街と江東区あたりの下町の境界線なのか。 基本的には静かなエリア。 本の森ちゅうおうという6階建ての図書館があった。太陽光をたくさん取り入れた明るい施設で、利用者が多い。市民の憩いの場らしい。
場所:渋谷 /宮下公園界隈 天気:曇り 定点観測: 人通りは結構あるんだけれど、忠犬ハチ公がいるエリアの比ではない。 どちらかというと住宅街や専門学校、オフィス街も混ざっている。落ち着いた雰囲気。 再開発をしていた。商業施設になるのかマンションになるのか500メートル四方くらいの空間が工事中だった。 明治通り沿いは人が多い。ショップがたくさんある。ただ、買い物してるのは主にインバウンドのようだ。 渋谷というと若者が遊ぶイメージだが、そこまで若くない。むしろオフィスが多いのかもしれない。 車は結構走っていて、いわゆる業務用の乗用車や軽自動車とかも多いんだけど、ステイタス
監督 リドリー・スコット 脚本 ダン・オバノン 公開 1979年 製作費 17億円 興行収入 160億円 物語について 映画ファンで「エイリアン」を知らない人はいないだろう。 念のため、ざっくりおさらいしておくと、 物語は貨物船ノストロモ号の乗組員が冷凍睡眠から目覚めるところからはじまる。地球に向かっていたはずが、大幅に航路を外れている。 とある惑星から、発信者不明の信号を傍受したという。 乗組員は渋るが、知的生命体からの信号を傍受した際には調査するという契約がある。 未知の惑星に降り立ち、謎の宇宙船と化石化した宇宙人を発見する。 さらに調査を進めると、一等航海士のケインは生物の卵を
日常:朝のルーティン あいかわらずご飯を食べるための仕事がメイン。それでもクリエイティブな仕事はやっていく。 そこで必要になってくるのが現実に対する解像度の高さと自分の頭で考えること。 世の中で起きていることを見聞きして自分なりに空気感を感じたり、考察したりする。あくまでも自分なりなのでクオリティは高くない。それでも繰り返しているうちに解像度が高まり、新たな視点に気づいたりする。 使っているサービスなど、少しずつシェアしてみる。 ・spotify アプリ中心のサービスなので中心となるユーザーは若者だと思う。 だから、若者の好む音楽の傾向を知るためには良い。 クリエイティブ:漫画制作
2023年9月24日に開設された、坂本龍一の私設図書室にいった。 ことわっておくと、ファンというほどではない。YMOもちゃんと聴いたことがない。ただ、現代美術館の展覧会にはいった。以前、都内で行われたエキシビションもいった。 自分にとって坂本龍一は、YMOという人気グループのメンバーだった人物で、映画音楽を多く手掛けている音楽家。曲はよく知らないけれど「ループの天才」。そんな人物がアート界隈で親和性が高いようだから、アート好きとしてはおさえておきたい。そんな存在。 上記のようなスタンスの人間が、入場料+ドリンク代という、さほど安くない費用をかけて図書室にいった。おそらく、多くの人は
監督 デイヴィッド・リンチ 出演 ナオミ・ワッツ、ローラ・ハリング、ジャスティン・セロー 受賞歴 カンヌ国際映画祭 監督賞(デイヴィッド・リンチ) セザール賞 最優秀外国映画賞 全米映画批評家協会賞 作品賞 ニューヨーク映画批評家協会賞 作品賞 ロサンゼルス映画批評家協会賞 監督賞(デイヴィッド・リンチ) オリジナリティ 死者の見る夢を監督独自の世界で表現した https://www.youtube.com/watch?v=yFjlIGy_Y-Y マルホランドドライブは映画についての映画であり、死者の見る夢でもある。 女優になることを夢見てハリウッ
日常:交友関係が戻ってくる いろいろなコミュニティで知り合った友だちとの連絡が活発化している。同時期にこういう状態になるのはなぜだろう。 クリエイティブ:漫画制作、小説制作 漫画はflat landを描いている。画力はまだ伸びない。せめて映画的に構図をこだわろう。 フラットランド - ジャンプルーキー! 心優しいカピバラ、ファントムくんの夢は人間になること。 そのためのミッションは宇宙開拓。 様々なチームが先を争って、宇宙の rookie.shonenjump.com 小説は構成はいったんきりあげて本文の執筆にはいる。どこでも書けるようにgoogleドキュ
監督:ミロスラヴ・スラボシュピツキー 出演:グレゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコァヴァetc 製作国:ウクライナ 受賞歴:。第67回カンヌ国際映画祭にて国際批評家週間セクショングランプリ オリジナリティ:セリフなし。全編手話 ストーリー: ろうあ者の寄宿学校にセルゲイが転校してくる。 学校内には不良グループがあり、セルゲイはその洗礼を受ける。 腕っぷしの強さを道められ、仲間に引き込まれる。 不良グループは売春や列車内強盗などで金を稼いでいた。 映像: キューブリック風の画面構成。 カメラは1台で、キャラクターごとに切り替えたりはしない。 全身が映るショットが多く、キャラクター
今週のまとめ 日常:仕事始めであいさつ回り。 連休中はぐっすり眠っていたが仕事がはじまったとたんに眠りが浅くなる。 クリエイティブ:漫画制作、小説制作 漫画はプロットを組んであるのでどんどん描く。とはいえ時間がかかる。ipadでmedibang paintを使用。正直、絵はうまくないので、プロットメイカーに徹する。 小説は構成を考えている。 日々の気づき:マインドフルネス2.0。 たとえば電車の中で乗客を観察すると、年始の挨拶周りのサラリーマンって意外と多くないとか、路線によって車内広告の種類が違っていることに気づく。車内広告はかなり減った。みんなスマホ観てるからなのか、広告費を
スリラーはデヴィット・フィンチャーお得意のジャンルだし、ジョディ・フォスターも出演しているし、ということで満足度の高い作品だった。 しかし、観ていてずっと「ホーム・アローン」(1990年)が頭から離れなかったのは致し方ないか。 夫と離婚したメグが娘と一緒に豪邸に住むことになる。 法律上あと数日は入居してはならないことになっていたが、不動産屋の手違いで住み始めてしまう。 もともとその家には富豪が住んでおり、遺族が侵入してくる。パニックルームに財宝が隠されているのを知っていたのだ。無人だと思って侵入したが、危険を察知したメグたちはパニックルームに逃げ込んでしまう。 侵入者たちとの攻防がは
前作では、突然母親が富裕層の男と結婚することになった娘のノアが、その家の息子ニックの言動に振り回されていくうちに互いに惹かれていく姿を描いた。 今回もさまざまなトラブルが舞い込むのだが、前作のようなスリルはない。 思うに、前作はノアとニックが庶民と富裕層というギャップや性格的な違いもあって、互いに理解しがたい存在であったところから恋仲になっていく過程で、エンターテイメント映画にありがちなベタな要素を次々と盛り込んでいったところに面白さがあったのだろう。 今回は、ノアとニックの関係性がぎくしゃくする要素は多々あるのだが、そうはいっても最後はうまくいくだろうという安心感がある。 また、
現在坂本龍一はちょっとしたトレンドになっているらしく、イベントやら雑誌などあちこちで見かける。 この展覧会はインスタレーションが7種類。 コラボレーションした作家の作品があり、そこに坂本龍一が作った音楽が流れる。または坂本龍一のアルバムを意識した作品など。 音が空間にどのような影響を与えるのかという問いなのかもしれない。 李禹煥の展示は岩などを置くことで空間を形成しているのだと思うが、坂本龍一は音楽でそれをやろうとしているのかもしれない。 音の可能性、ということで考えるとサウンドスケープという概念も意識したい。これはランドスケープが街の風景であることに対して音の風景という概念だ。
犬とロボットの交流と、そこからうまれる生活の変化。 セリフなし(うなったりはする)で物語を成立させているのはすごい。 1980年代のニューヨークが舞台のアニメ。 主人公は犬。ひとりの暮らしに寂しさを覚えて通販でロボットフレンドを購入する。自ら組み立てたロボットと外出するようになり、生き生きとしてくる。 夏になり、海に遊びにいく。ひと泳ぎしてから砂浜で昼寝。犬が目覚めるとすっかり日が暮れていた。ロボットを起こし、ふたりで帰ろうとするが、ロボットは体がさびてしまい動けなくなっていた。 犬はその日は帰って、再びロボットを助けに戻るが海水浴シーズンが終わって砂浜は閉鎖されていた。 LGBT
果物に電極を刺し、内部の微細な水分の変化を音に変換するという展示があった。 アートは自然を模倣するところからはじまったとされる。 そうだとすると、果物をエネルギー源として音を発する装置は、自然が人工物に近づくという解釈ができる。 自然の模倣からはじまったアート(人工物)が、自然が人工物を模倣する作品になる。 このシリーズは、石橋財団のコレクションとアーティストの作品をミックスして展示するコンセプトになっている。 そのチョイスはわかりやすく紐づけられていた。 毛利悠子の作品は日常的に目にする機会の多い人工物を使用している。 音が出るものもあるし、出ないものもあった。 共通するのは、な
タイトルに「ギレルモ・デル・トロの」とあるように、オリジナルとは違う物語になっている。 とはいえ、デル・トロ監督の作品は好きだし、製作会社の中に「ジム・ヘンソンカンパニー」が入っているからか、「ダーククリスタル」の空気感を思い出させてくれたこともあって、かなり満足度が高かった。。 ゼペットじいさんにはカルロという子どもがいた設定になっている。 カルロは賢くて素直だったが、死んでしまう。 カルロの墓の近くに松の木が生える。じいさんはその木を切り倒して人形をつくった。森から精霊がやってきて人形に命を吹き込み、ピノキオと名づける。このころは1930年代で、舞台となっているイタリアはムッソリ
クリストファー・ノーランのデビュー作。 製作費90万円で興行収入760万円。 2000年に公開された2作目「メメント」の製作費は10億円で興行収入は63億円。 これは「フォロウィング」の評判がよくて、「メメント」にはかなりスポンサーがついたということだろうか。事情はわからないが、1年でずいぶんと急成長したものだ。 物語は、ある男の語りからはじまる。街で見かけた人を尾行するのが楽しくなった、という。尾行するだけで、なにもしない。しかし、ある日いつものように尾行をしていたところ、気づかれてしまう。相手はコブという男で他人の家に侵入するのが趣味だった。男はコブと一緒に行動するようになるが…
冒頭、幼い頃に太陽を見るなと母親から言われたが見てしまったと、主人公が語る。これは、カミュの「異邦人」を意識しているのだろう。「異邦人」同様、不条理な出来事が展開していく。カフカ的と言ってもいいかもしれない。 主人公は数学の天才。社会不適合者で他人を避けて生きている。 彼の思想は、「数学は万物の言語であり、すべての実証は数字に置き換えて理解できる。数式化すれば一定の法則が顧みれる。ゆえにすべての事象は法則を持つ」といったもの。 やがて、216桁の数字に隠された法則を見つけ出せば世界のすべてを証明できる、という妄想に憑りつかれていく。 登場人物がありえないアイデアに取り憑かれて破滅し
「藪の中」のような作りになっているが、それぞれの主張が食い違うのではなく、それぞれの出来事が組み合わさると事実が見えてくるという作りがうまい。 作中でテレビのドッキリを見ながら「どうしてわからないんだろうね」と母親が言って、息子が「(自分たちは)テレビで見ているからわかるんだよ」と返すやりとりがある。それがこの作品の構成をうまく言い表している。 麦野早織はシングルマザーで息子の湊を育てている。元気な良い子なのだが徐々に様子がおかしくなってくる。早織が問い詰めると、学校で担任の保利にいじめられていると打ち明ける。 早織は事実を知りたくて、学校に行って校長に訴える。しかし、学校側は棒読み
美術館のあちこちに木彫りの植物が潜んでいる。 ほとんどが雑草というところがポイントだ。 日々の生活において雑草を意識することはない。 それが、美術館で作品として展示されているとなると、みんな注意深く探すようになる。 異化ということなんだろうな。 木材を削って植物を作る。 そういうことができる職人は他にもいるだろう。 須田氏が木彫り細工の職人ではなくアーティストとして扱われるのは、ありえない場所に雑草を生やすというコンセプトを提案しているからだ。 現代アートとはコンセプトなんだな、とあらためて気づいた展覧会。
高橋洋介はガラステーブルの上にお土産を並べた。 お菓子やらアクセサリーやら、さほど悪いものでもないはずだった。でも、義父母は触れもしなかった。義妹や義弟はいちおう手にしたものの、表情が硬かった。こいつは気まずい。しばらく五人で黙りこくっていたんだけど、やがて義妹の奈美恵が口を開いた。 「あのさ、宝石とか貴金属とかなかったの?」 「ネックレスを買ってきたじゃないか」 奈美恵はケルト十字架をモチーフにしたネックレスをつまみ上げた。それはシルバーではなく、麻の紐に木彫りのケルト十字架をぶら下げたものだった。 「こういうのじゃなくて! 本物のケルトジュエリーとか探さなかったの?」
いよいよ時間についての考察がはじまるようだ。 その一端として、人間にとっての「死」についての考察がある。 人間の一生を時間としてとらえると、「死」は時間の終わりということなのだろう。 なお、ハイデガーは人間の死と他の生物の死を区別しており、生物の死を「落命」としている。人間の死については解説において、ハンナ・アレントの言葉が引用されている。つまり、人が完全に死ぬということは、故人のことを誰ひとりとして記憶しなくなったときだ、というのだ。 そのような解釈をするのであれば、愛していたペットの死を「落命」として扱ってよいのだろうかという疑問はある。 死の話のほかに、6巻で印象に残ったのは、
町の地平線は、地平線だろうか。 がたがたの地平線。 それは都会の人間の地平線だ。
大自然ではなくてもみどりはすこしでも多い方がいい。 そういう場所で呼吸する。
ホグワーツの6年生になったハリーの物語。 ヴォルデモート卿の配下であるデスイーターたちとの戦いもありつつ、ヴォルデモート卿の魂を隠してあるとされる分霊箱の捜索をする。 本作の時期になると、第一作とは違い、一生懸命魔法を覚える、ということはなくなる。もちろん魔法の勉強はするのだが、知識として蓄えていく感じだ。 魔法は主に言葉によって唱えられる。これは言霊思想のある日本人にとっては受け入れやすい。 今回はなぜかロンがモテる。 恋愛の要素は今までもあったのだが、そういう意味でもハリーたちは成長している。 本作は製作費が370億円。興行収入は1,384億円。 文字通り魔法にかかったような
5作目、つまりハリーがホグワーツで5年生になったということだ。 本作は物語の展開もかなりダークになっている。 物語としては下記のようなもの。 人間の世界にディメンターが現れ、それを撃退しようとして魔法を使った。 それが原因でハリーはホグワーツを退学を通達される。 しかし、「不死鳥の騎士団」が迎えにきて、隠れ家に移動する。 どうやら、ハリーの退学には、魔法省がからんでいるようだ。 そして、ホグワーツに新しい教師がやってくる。魔法省から派遣されてきたドローレス・アンブリッジだ。 彼女は学校を改革しはじめるが、その背後にはヴォルデモート卿の復活があるようだ。 今まではヴォルデモート卿とい
上巻は夢判断に関する話題だった。 下巻は神経症に関する話題がメインとなる。 読んでいて思った。 夢判断も神経症の発作も、人間の内面にあるドロドロしたものが形を変えて表に出てきたものだ。 フロイトの講義は基本的に、他者とのかかわりあいにおいて出てきた症状について話している。 そう、他者の存在が前提になっている。 そのポイントをさらに踏み込むと、フロイトがこの本を書いたのも、誰かが読むから書いたのであって、そういう意味では他者の存在が前提になっている。 人間は自分の奥底になにがあるか知らない。しかし、それはなんらかの形で表に出てくる。フロイトはそれを精神分析という学問として伝えたのだろう
それから数年後。 八月中旬の土曜日の昼下がりのこと。小出健太郎は中央線に乗っていた。ドアのそばに立って外の風景を眺めていたんだ。なんの変哲もない、見ていても面白くも何ともない左から右へと流れていくだけなんだけどね。 新大久保駅を通過したあたりで誰かに見られている気がしたらしくて、健太郎はそっと振り向いた。そうすると、確かに健太郎を見ている人物はそこにいたんだ。女装した男だった。そう、片山雅弘だった。 数年前に健太郎の前から姿を消した頃よりもやせていて、化粧が上手くなっていた。それだけじゃなくて、長く伸ばした髪を栗色に染めて、さらにはストレートパーマをかけていた。トリートメン
土の感触
雑木林が光をまとう。 なぜだかはわからない。 自然はそういうことがある。
ダルマのシルエットはわかりやすいものではないのだけど、愛嬌がある。 見ているとなんらかの可能性を感じる。
月曜日の朝、雅弘がオーティービーのオフィスに入っていくと、空気が凍りついた。小田部と佐川は唖然としていた。唯一、野口だけがさっと立ち上がると、雅弘の腕を掴んで、そのまま応接室に引っ張っていった。扉を閉めて、言った。 「片山さん、違うよ。それは違う!」 そう、雅弘は化粧をしていたんだ。しかも、それだけじゃなくて、花柄のワンピースを着ていた。半袖の袖口にレースの飾りがついているやつで、スカートは膝が隠れるくらいの丈がある。日曜日に尚美と一緒に買いにいったんだ。 雅弘は穏やかな表情で言った。 「野口さん、さすがにこれは想像できなかったでしょう」 野口は何度も首を横に振った。
ハリーはホグワーツ魔法魔術学校の四年生になった。 三大魔法学校対抗試合をメインに、宿敵のヴォルデモート卿との戦いも描く。 今回、他の魔法学校も登場し、魔法の世界に奥行きが出てきた。 また、ヴォルデモート卿が実体化したこともあり、物語が展開しはじめた感がある。 本作でもハリーに対して「お前は孤独ではない」というメッセージが伝えられる。本作が出版された2000年には、作者のJ・K・ローリングは成功した児童文学者になっていた。状況の変化を考えると、人生がうまくいっていなかったころとは心境も違うだろう。ハリーと自分を重ね合わせていた時代は過ぎて、このころには読者に向けて、もしくは彼女とって
ハリーのホグワーツ魔法魔術学校の三年目を描く。 ダニエル・ラドクリフをはじめとする生徒役の俳優たちが急におとなになっている。 監督がアルフォンソ・キュアロンになったためか、映像がシャープになり、前2作よりも洗練された印象を受けた。 冒頭ダーズリー家での様子が描かれる。 あいかわらず虐待されているハリーだが、今回は親戚のマージがひどいいじわるをする。これに対して、ハリーが逆襲するのだが、ロアルド・ダールを髣髴とさせる展開となっていた。こういうひねくれたユーモアというのはイギリスの御国柄なのだろうか。 なお、叔父のバーノンはいつもよりも優しくなっている印象だ。 このあたりの変化は今後どう
ハリーがホグワーツ魔法魔術学校に入学してから二年目の様子が描かれる。 まずは現実の世界からストーリーがはじまる。 現実世界でのトラブルがありつつも、ホグワーツ魔法魔術学校にいく。 今回は生徒が石にされるという事件が発生する。 事件はやはりヴォルデモート卿につながる。 現実の世界と魔法の世界。魔法の世界は、基本的に学校の中で物語が展開する。今のところ、魔法の世界はホグワーツ魔法魔術学校とその周囲のエリアに限定されており、村の住民だとか、他の魔法学校などといった要素は出てこない。 校内での年中行事もありつつ、事件も進展していく。このバランスが観客にとってはリアリティを感じさせるのかもし
空高く伸びていく雲は、飛行機がいなくなってもしばらく続く。 それはまるで自然発生した線のようで、思わずみとれてしまう。
「指輪物語」や「ナルニア国物語」といった魔法の物語を蘇らせたのが、「ハリー・ポッター」シリーズの最大の功績だろう。 本作はその第一弾。 ハリー・ポッターは、両親と死別していた。闇の魔法使いであるヴォルデモートと戦って死んだのだ。ハリーは生き延び、ヴォルデモートは体を失った。 ハリーはダーズリー家に引き取られていた。叔父夫婦はハリーを育ててはいたが、虐待していた。 叔父のバーノンと叔母のペチュニアはハリーの両親の死について知っており、彼らが魔法使いだったことも知っている。 だからだろうか、バーノンはハリーが魔法の世界(ホグワーツ魔法学校)にいくことを執拗に阻止しようとする。 それでもハ
これはなかなか良かった。 現代人は生産性を求められ、常に時間に追われている。 そして、生産性を上げてタスクを達成しても、タスクはなくならないし、思ったほどの効果はあげられない。 そんな現実を踏まえながらも、著者はいくつかの時間の使い方を紹介する。人によって適した時間の管理の仕方がある。 著者は、時間の有効活用を肯定しているわけではない。むしろ、人間が人間らしく生きるということがすばらしいのだという立場だ。個人的にもこれはよい。 ブログ「パレオな男」を愛読している。 著者の性質的なところが、自分と被るところがあって、非常に参考になる。 おそらく、日本人の中でこの著者のような悩みや不
スピルバーグの傑作、というリストなどではよく名前が挙がる作品。 ちなみに「ローリングストーン誌が選ぶ最高のSF映画150選」でも3位だった(1位は「2001年宇宙の旅」)。 アメリカで大規模な停電が起こったり、未確認飛行物体が飛来するなどといった現象が起こる。そんな中で、主人公のロイ・ニアリーはなにかに憑りつかれたようになり、導かれていく。 といったストーリー。 2時間ほどの作品で、1時間40分ほどを「なにか大変なことが起こっている」という予感だけで引っ張るのは見事だ。 スピルバーグの自伝的映画「フェイブルマンズ」で、子どもの頃に観た「地上最大のショウ」で、機関車が車を吹っ飛ばすシ
土曜日の朝、片山家は静かだった。尚美はいつものように三面鏡の前に座っていた。背後に雅弘が立っていて、鏡に映る妻の姿をじいっと見つめていた。時々目が合うと、尚美は視線を逸らした。雅弘が「塗りすぎじゃないのか?」などとからかうと、尚美は弱々しく微笑んだ。確かに塗りすぎではあるんだけど、ファンデーションを厚塗りしても頬が腫れているのを隠しきれていなかったんだ。 「職場で、厚化粧してきたって言われるんじゃないか?」 「もともと厚化粧だと思われてるから……」 尚美の声はか細かった。雅弘はパフを使ってファンデーションを手の甲に塗ってみた。 「化粧をした顔が本当の顔だと思われてるんじゃない