富雄川流域探索「大和には出雲系が先に存在したっ」
饒速日墳墓は矢田丘陵の北端にある。生駒市体育協会総合SC(生駒市白庭台)の広いグランドを南から北へ横切り、山道に入り道なりに進むと約15分ほどでたどり着く。石柱には「傳稱饒速日墳墓」と、左下に「浪華藤澤章」と個人名が彫られている。石柱の後ろ側には小さな石が約1㍍位の高さで三角山に積まれており、墳墓らしさが「演出」されている。饒速日(ニギハヤヒ)は物部(もののべ)氏の祖先神といわれ、天磐船(あめのいわふね)にのって天くだり、その後大和国の「鳥見の白庭山」に移り、長髄彦(ながすねひこ)の妹・三炊屋媛(みかしきやひめ)を妻とした。一度は勝った神武天皇と再び戦が始まったが、金鵄が飛んできて神武天皇の弓先にとまり、長髄彦は目がくらみ戦うことが出来なくなった。しかし、長髄彦は神武天皇より先に降臨した饒速日に忠誠を誓っていた...富雄川流域探索「大和には出雲系が先に存在したっ」
2020/07/29 11:29