去年C誌に掲載された論文について、解説記事を日本生化学会の会報に書いてほしいと依頼があり、その原稿を先週に投稿した。春ごろには掲載されるだろう。日本語なので、自分一人で書いた。単著で何かを出版するのは初めてである。学生の時もこうした依頼はあったが、当然、指
米国イェール大学の生物学ポスドク。日本の博士課程を修了後、3年間の経営コンサルティング会社勤務を経て渡米。新卒内定者時代、コンサルタント時代、アカデミアへの回帰を模索する時代、そして今の海外ポスドク生活を綴るブログ。
細胞生物学、生化学分野の研究で博士号を取得後、「視野を広げたい」という理由だけで、外資系の経営コンサルティング会社に入社。紆余曲折ありつつも3年ほど勤めた後、アメリカに渡って、イェール大学のポスドクとして再びアカデミアの道へ。 このブログでは、学生時代の終盤に会社に内定した頃から始まり、コンサルタント時代、その後の紆余曲折時代、そして現在のポスドク生活を綴っています。
人生初の、「国際」学会に行ってきた。つまり、アメリカでの、オンラインではない学会に初めて参加してきた。3年半もアメリカにいて、今回が初めてというのは衝撃である。コロナで失ったものは大きい。よく学会について、特に欧米で開かれる国際学会については、ネットワーク
改訂版を投稿した12月から2ヶ月余り、ようやく雑誌編集部から返事があった。結論は、リジェクト(掲載却下)だった。驚いたことに、元々の4人の査読者に加えて、新たに5人目の査読者が入っていた。そして、その5人目が非常に否定的なコメントをしており、それを踏まえてリジ
自分が所属するデパートメント(日本で言うところの学科)で、ポスドク・アソシエーションを作ることとなり、自分はその主要実行委員を務めることになった。ポスドク・アソシエーションとは、所属するポスドクの有志が集まり、ポスドク向けの様々なイベントを企画、開催した
年末恒例の、この一年の振り返りである。大きなハイライト:・論文の投稿(6月)・論文の審査員のコメントに対応する格闘と、再投稿(8月〜12月)・妻の妊娠(2月)と息子の誕生(10月)・プログラミングの幅の広がりと、それを活用した研究が一部開花、一部は依然成長を続け
先月、息子が生まれた。産声を聞いた瞬間に、涙が止まらなくなった。あんなに美しい泣き声は聞いたことがない。漫画「ドラえもん」の中で、しずかちゃんのお父さんが、娘の産声を「天使のラッパのようだった」と表現していたが、それは本当だったのだと知った。よく、赤ん坊
最近、怒りぽくなったなと思う。自分も、世間も。特に、他人の「発言」に対する怒りの沸点低下が、顕著であるように思う。そうした、自分や他人の怒りが、どのように起きているのかを冷静になった後に振り返ると、自分の脳がまるでGoogleやYahooのような「検索エンジン」化し
前の会社でよく言われていた「合言葉」の中に、"Conquer complexity"という言葉があった。直訳すれば「複雑さを制せよ」ないしは「混沌を乗り越えろ」とでもなろうか。噛み砕いて言えば、「複雑な、混沌とした状況にうろたえてはいけない。理知と冷静さを以て、混沌の背後や
論文がなんとか通りそうだ(今の雑誌なのか、また別の雑誌かは不透明だが)ということで、今のポスドク後のことを考え始めた、すなわち就活を始めた。就活と言っても、ポスドクの就活は、日本の新卒のようにエントリー期間があって一斉採用される訳でもなく、企業から企業へ
投稿中の論文の、査読の結果が返ってきた。査読とは、科学雑誌(有名どこではNatureやScienceなど)に投稿された論文がその雑誌への掲載にふさわしいかどうかを、専門家が判断する審査のことである。少なくとも生命科学の分野では、投稿時の状態で「ふさわしい、ちょっと修正
アメリカの共和党支持州を旅行してきて、「トランプ支持層」に対する考えが少しだけ変わった。先週までの10日間、アメリカの北中部に位置する、ワイオミング、サウスダコタ、ノースダコタの3州を旅行してきた。そこで驚いたのは、目にする人たち、出会う人たちのほぼ全員が
今日、ポスドクとしては初めての論文を雑誌に投稿した。アメリカに来てほぼ3年。その3年の集大成、そう言って大袈裟であれば、一つの目の一里塚の記念である。感情的、あるいは感傷的なことは以前に点(ドット)はいつか繋がるに書いたので、もうそれほど残っていない。しか
先日、うちのボスが、とある「ビッグラボ」向けに研究発表を行った。そこで、彼らの「オープンさ」に感銘を受けた。そのビッグラボは、細胞生物学界にその名をとどろかせている超大御所のラボである。僕は、まだコンサルにいた頃に、ポスドクとして雇ってもらえないかと打診
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去年C誌に掲載された論文について、解説記事を日本生化学会の会報に書いてほしいと依頼があり、その原稿を先週に投稿した。春ごろには掲載されるだろう。日本語なので、自分一人で書いた。単著で何かを出版するのは初めてである。学生の時もこうした依頼はあったが、当然、指
グリーンカードの申請(正式にはI-140の申請)の準備が本格的にスタートした。図らずも、その書類の準備過程が、自分の研究の説明能力を問われ、磨く機会となっている。I-140で最も重要なステップは、推薦書の準備である。自分のボスやコラボレーターはもちろん、自分の研究
基本的に、いま自分の何かが上手くいっているとするならば、それは過去の自分の自己投資の結果であるという実感がある。いま書いている論文は、3年以上前に、自腹を切ってEdXのオンラインコースでPythonを学んだ結果である。当時は「将来何かに役に立つかも」という程度のモ
日本では考えられないことだが、今、アメリカでは、大学院生やポスドクが労働組合(Union)を作る動きが全国的に広がっている。その流れの理由の一つが、コロナ以降の、生活費と家賃の異常な高騰である。ニューヨークやロサンゼルスのような都市部だと、従来の学生やポスドク
前の記事の続き。7月論文が正式にPublishされ、知り合いの反応や、Twitter上での「いいね」の数に喜ぶ。しかしそのような外向きの喜びなどはすぐに消え去るもの。ある種の「燃え尽き症候群」に陥り、2020年頃のしんどかった時期に帰りたいと思うようにすらなる。別のプロジェ
恒例の1年の振り返りである。今年はいろいろなことがあり過ぎたので、2つの記事に分けることにする。1月前年末に提出した論文の改訂稿に対する、雑誌からの返事をひたすら待つ日々。1月前半には返事が来るかと期待していたが、時間が経ち、雑誌から何の情報更新もない日が続
今回の学会でのこと。ポスター発表の時間中、あるポスターが目に留まった。見ると、日本の大学から来た人たちだった。内容も、僕の研究内容にかなり近かったので、足を止めて見始めた。すると、ポスターの裏から、発表者らしき女性が顔を出し、"Do you want me to explain?"
子供が生まれてから、研究に充てられる時間は目に見えて減ってきている。彼が自由にハイハイできるようになってからは特に。朝昼晩の食事、オムツ替え、散歩、寝かしつけ、そして怪我や何かの誤飲を防ぐための見張り...こうしたことを、妻が一人でやるのは不可能である。
今回の学会の意外な収穫は、研究者のグリーンカード(アメリカ永住権)申請を専門とする弁護士と会って話せたことだった。学会が公式にその弁護士事務所を呼んで、時間を設けて講演をしてもらい、さらにその日の午後ずっと学会上でフリーの相談を受け付けるという充実したサ
ボストンで行われた、アメリカ細胞生物学会とヨーロッパ分子生物学連合の合同学会に参加し、口頭発表をしてきた。自分が発表したセッション(プログラム)は、その学会で唯一、「脂質」をテーマにしたセッションだった。そして時間は、5日間ある学会の3日目の午後。おそらく
いよいよ来週に迫った、アメリカ細胞生物学会での口頭発表の準備が、大詰めを迎えている。スライドはほぼ完成し、あとは原稿を練り上げていき、ひたすら練習をする段階まで来た。しかし、準備しながら思うのは、プレゼンや口頭発表というのは、どうしてこうも難しく、また、
ChatGPTが世に出てから久しい。世に出た当初、僕も少しだけ使ってみたのだが、当時はどう使ったら良いか分からず、自分の専門分野の文献検索に使ってみて全然ダメだと知り(※)、結局最近はpythonのプログラムの相談をする程度の使い方しかしてこなかった。無料版のGPT-3.5
先日、デパートメント(学部/研究科のようなもの)の泊まりの年次集会で、「ポスター賞」なるものをいただいた。泊まりの年次集会、こちらでは「リトリート」と呼ばれるが、プチ学会みたいなもので、各ラボの代表者(学生またはボス)たちが口頭発表をしたり、有志の人間た
3年ほど前の記事に書いた通り、「一日に一本の論文を読む」という日課を自分に課してから、間も無く3年が経とうとしている(2020年9月「一日に一本の論文を」)。この間、読んだ論文はのべ1,000本近くになり(※)、これはこれですごいことだと思うのだが、最近、少し弊害が
コロナ期間中に、シフト制で午前勤務になって以来、「午前中にラボで実験、午後に家でデータ解析や文献探索」というスタイルが、自分の中に定着している。シフト制はとっくの昔になくなり、午前も午後も自由に実験してできるようになったが、それでも自分の「実験は午前中」
先月末に論文が出版されてから、なんとなく「燃え尽き症候群」のような状態になっている。全体的に、集中力が低い。些細なミスが多くなっている。なんとなく、「気持ちが乗らない」。このようなことは、初めてではないし、特別自分が変だったり、弱いということはないという
ポスドクの契約は基本的に1年ごとの更新であり、その更新のたびに、過去1年間の成果/成長の振り返りおよび今後の計画を書いた報告書を大学に提出しなければならない。その報告書自体は、ボス曰く「誰も読まない」という形だけのもののようである。しかし、報告書を書く過程
土曜日の朝、雑誌からメールが来ており、論文は「正式に」アクセプトされた。前回の記事に書いたように、「アクセプトするつもりです」メールが5月の頭にあったが、そこからさらに1か月かかった。長かった。実は、5月の中旬ごろに、「原則アクセプト」という連絡が来ていた(
論文を投稿していた雑誌の編集部から、「論文をアクセプトするつもりです(we are planning on accepting the paper)」という連絡が来た。Planning...? どういうこと、何その中途半端な状態??という疑問は後に冷静になってから湧いてきたが、それよりも先にあふれて来たの
人生初の、「国際」学会に行ってきた。つまり、アメリカでの、オンラインではない学会に初めて参加してきた。3年半もアメリカにいて、今回が初めてというのは衝撃である。コロナで失ったものは大きい。よく学会について、特に欧米で開かれる国際学会については、ネットワーク
人生初の、「国際」学会に行ってきた。つまり、アメリカでの、オンラインではない学会に初めて参加してきた。3年半もアメリカにいて、今回が初めてというのは衝撃である。コロナで失ったものは大きい。よく学会について、特に欧米で開かれる国際学会については、ネットワーク
改訂版を投稿した12月から2ヶ月余り、ようやく雑誌編集部から返事があった。結論は、リジェクト(掲載却下)だった。驚いたことに、元々の4人の査読者に加えて、新たに5人目の査読者が入っていた。そして、その5人目が非常に否定的なコメントをしており、それを踏まえてリジ
自分が所属するデパートメント(日本で言うところの学科)で、ポスドク・アソシエーションを作ることとなり、自分はその主要実行委員を務めることになった。ポスドク・アソシエーションとは、所属するポスドクの有志が集まり、ポスドク向けの様々なイベントを企画、開催した
年末恒例の、この一年の振り返りである。大きなハイライト:・論文の投稿(6月)・論文の審査員のコメントに対応する格闘と、再投稿(8月〜12月)・妻の妊娠(2月)と息子の誕生(10月)・プログラミングの幅の広がりと、それを活用した研究が一部開花、一部は依然成長を続け
先月、息子が生まれた。産声を聞いた瞬間に、涙が止まらなくなった。あんなに美しい泣き声は聞いたことがない。漫画「ドラえもん」の中で、しずかちゃんのお父さんが、娘の産声を「天使のラッパのようだった」と表現していたが、それは本当だったのだと知った。よく、赤ん坊