思想家や哲学者、宗教家は、<機能>の観点が足りない。今死んでもいいと思える、最高の状態を生きてほしい。
迷ってもいい、公開しなければ。 迷惑をかけてもいい、あなたの人生なのだから。 誘惑に負けてもいい、倫理や正義なんて無意味だから。 生きるために生きないでほしい。 今を最高の瞬間にするために、今死んでもいい事柄に、どっぷりつかってくれたらいい。
神を信じると救われるとか、自分や世界を愛すると魂が成長するとか、それっていうのは神様をプログラマー的な立ち位置に仕立て上げている。自分が作った世界や作者である自分を神とあがめろ!ということに似ている。そこまで傲慢ではないにしても、【この世界をほめられて
【好きなことをして生きるのはむずかしい】無理して生きる必要あるのか?という問題提起。好きなことをして生きていくことを考えるときに、多くの人は、目的に手段を添えるから難しくなる。①絵をかいて稼ぐために、絵を描く②絵を描くために、絵を描く何が違うか
流派で解釈が分かれるようだが、一般論。悟りとは執着を捨てるということ。ものごとの価値がすべて一緒になるということ。石ころとダイヤモンドが同じ価値に思えるとか、自分も他人もなくなるとか、そういう感じ。捨てなきゃいけない執着は、たぶん訓練しても捨てられない。
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