太宰治 情死行 ② 最期の太宰治・玉川上水
太宰治情死行②最期の太宰治・玉川上水玉川上水前回にも触れたが私が東京近郊を走る玉川上水を歩いたのは、およそ2年前のことだった。玉川上水路散策が目的ではなく、三鷹の禅林寺にある太宰の墓を訪ねるためだった。禅林寺と玉川上水は近く墓参の帰りに、玉川上水に行った経緯があった。閑静な三鷹の住宅地を縫うようにして流れる上水路は、川沿いに木々が生え緑地の散歩道として近隣の住民の散策路でもあった。木陰の道を歩きながら、水かさの少ない浅い流れの水路を眺め、どうしてこんな浅い水路を太宰は死出の旅路の情死行に選んだのか、私は理解できなかった。疑問の解消は、事件当時の新聞記事を読ん時だった。13日の深夜、もしくは未明に太宰と愛人富栄が行方をくらまし、騒ぎが大きくなったのは14日の午後だった(①を参照)。新聞各社が報道したのは、16日だ...太宰治情死行②最期の太宰治・玉川上水
2021/07/26 06:30