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  • コリントの信徒への手紙Ⅰ 第10章1~27節

    コリントの信徒への手紙Ⅰ 第10章1~27節

    2024年1月21日大阪東教会主日礼拝説教「越えられない試練はない」吉浦玲子<金の子牛はどこにある>信仰をもって、すぐの時も、また、何年、何十年とたったとしても、神様は現実のことのようには目に見えるわけではなく、その声を聞けるわけでもありません。それでも、神様が守ってくださる、イエス様が導いてくださる、そう感じることが折々にあり、それゆえに、神を信じ続けることができると感じる方が多いのではないでしょうか。単なる偶然とか、運が良かったでは済まないようなことがたまに起こる。そういったことが少し奇妙な、不思議なありかたで起こったりする。そのなかで少しずつ神への確信が増し加えられていきます。そもそも人生において、奇跡的な体験や、神の臨在を強く感じる体験を繰り返ししているから信仰が保ち続けられるのか、必ずしもそうと...コリントの信徒への手紙Ⅰ第10章1~27節

  • コリントの信徒への手紙Ⅰ 第9章19~27節

    コリントの信徒への手紙Ⅰ 第9章19~27節

    2024年1月14日大阪東教会主日礼拝説教「朽ちない冠を得るために」吉浦玲子<多くの人の救いのために>主イエスは、マタイによる福音書の28章において、大宣教命令と言われるお言葉を語っておられます。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」主イエスはご自分の弟子たちにすべての民をわたしの弟子にしなさいと命じておられます。この言葉はこの時の弟子たちに対してだけ語られているのではありません。洗礼を受けたすべての者はキリストの弟子です。ですからすべてのクリスチャンは「行って、すべての民をわたしの弟...コリントの信徒への手紙Ⅰ第9章19~27節

  • コリントの信徒への手紙Ⅰ 第9章1~18節

    コリントの信徒への手紙Ⅰ 第9章1~18節

    2024年1月7日大阪東教会主日礼拝説教「ゆだねられている務め」吉浦玲子<主イエスを見たではないか>パウロという人は一般的には「使徒」と呼ばれます。「使徒」という言葉にはさまざまな定義が考えられますが、おおまかには、初代教会において中心的な働きをした伝道者を指します。一つの定義としては主イエスが十字架におかかりになる前に、直接お選びになったペトロやヤコブやヨハネといった12弟子を指していました。パウロは主イエスが十字架におかかりなる前に主イエスの弟子になったわけではありませんでした。それどころか、主イエスの復活ののち、教会が立ち上がり、教会が伝道をしていく時、むしろパウロはファリサイ派として教会やクリスチャンを迫害しました。そのパウロが劇的な回心をして福音の伝道者となり、また自分自身のことを「使徒」と呼ぶ...コリントの信徒への手紙Ⅰ第9章1~18節

  • ヨハネによる福音書 3章1~21節

    ヨハネによる福音書 3章1~21節

    2023年12月24日大阪東教会主日礼拝説教「神は愛」吉浦玲子<世を愛された>「神は、その独り子をおあたえになったほどに、世を愛された」このヨハネによる福音書の3章16節は福音書中の福音書と言われる箇所です。イエス・キリストがどなたによってこの世に遣わされ、イエス・キリストがなぜこの世にこられたのか、そのことがこの1節に凝縮されているので、福音書中の福音書と呼ばれるのです。神は世を愛された、とこの言葉は語ります。ここで語られています「世」とはギリシャ語のコスモスのことです。宇宙を現わす英語のコスモスの語源となった言葉です。福音書で語られています「世」とは宇宙も含みますが、もっと直接的には神がお造りになった世界全体と言えます。神は聖書の中の最初の書物である創世記に記されていますように、この世界を良いものとし...ヨハネによる福音書3章1~21節

  • ヨハネによる福音書第5章31~40節

    ヨハネによる福音書第5章31~40節

    2023年12月10日大阪東教会主日礼拝説教「ここに命がある」吉浦玲子<イエスについての証し>「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。」こうイエス様は語られます。イエス様はカナにおける婚礼の場で水をぶどう酒に変えられ、直接会うことなく役人の息子を癒され、ベトザダの池で38年間病であった人を癒されました。38年間病であった人を癒されたのが律法で働くことを禁じられている安息日であったこと、そして主イエスが神のことを「わたしの父」と呼ばれたことから、ユダヤの権力者たちは主イエスを殺そうと考えました。安息日の問題は簡単には言えませんが、安息日に病を癒すことを批判することは権力者たちの内に愛がないことを示します。しかしまた一方、神を「わたしの父」などと呼ぶことは神への冒涜と考えて主イ...ヨハネによる福音書第5章31~40節

  • ヨハネによる福音書第7章25~31節

    ヨハネによる福音書第7章25~31節

    2023年12月3日大阪東教会主日礼拝説教「救い主は誰」吉浦玲子<メシアを待つ>待降節、アドベントが始まりました。このアドベントに私たちは待ち望みます。キリストの到来を待ち望みます。キリストは2000年前に一度、この世界に来られました。それがクリスマスの出来事でした。そのときから世界が変わりました。罪の闇に覆われていた世界が変わったのです。光が地上にやってきたのです。その光は私たち一人一人の心にも注がれました。心だけではありません。現実の日々の生活にも光は射し込んできたのです。しかしまだ完全な光ではありません。この世界には戦争があり、罪の闇が満ちています。私たちの日々にも暗澹とした苦難があります。しかしそのまだ残っている闇を打ち払うためにキリストはふたたび来られます。そのキリストの到来を私たちは今、待って...ヨハネによる福音書第7章25~31節

  • マルコによる福音書第8章34~38節

    マルコによる福音書第8章34~38節

    2022年7月31日大阪東教会主日礼拝説教「自分の十字架を背負え」吉浦玲子「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と主イエスはおっしゃいました。自分の十字架を背負って、というところは、一般的にも使われることがあります。本来の聖書の意味から離れて、運命や宿命、あるいはつぐないというようなものを背負っていくという意味で「自分の十字架として背負っていく」と語られることがよくあります。なにかたいへんな重荷を覚悟を決めて背負っていくというイメージがあります。たしかに十字架は重荷です。しかし、それは、本来の聖書においては、ままならぬ運命とか、責任を取るというような意味で背負うものではありません。カトリックの教会や修道院に行くと、「十字架の道行き」という札が立っているところが...マルコによる福音書第8章34~38節

  • マルコによる福音書第8章22~33節

    マルコによる福音書第8章22~33節

    2022年7月24日大阪東教会主日礼拝説教「あなたは、メシアです」吉浦玲子主イエスは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。それに対して弟子たちを代表してペトロは「あなたは、メシアです」とお答えしました。メシアとはもともとが「油注がれた者」という意味のヘブライ語で、王や預言者といった特別な役割に神から選ばれた人々を指しました。やがてその言葉は、イスラエルを救ってくださる救い主を指すようになりました。メシアをギリシャ語で言うとクリーストス、キリストです。口語訳聖書ではこの箇所は「あなたこそキリストです」と訳されていました。その主イエスとペトロの会話に先立ち、今日の聖書箇所には目の見えない人が癒される話があります。この話は少し前に読みました7章31節からの耳が聞こえず舌の回らない人が癒される話...マルコによる福音書第8章22~33節

  • マルコによる福音書第8章1~21節

    マルコによる福音書第8章1~21節

    2022年7月17日大阪東教会主日礼拝説教「内なる悪が膨れる時」吉浦玲子今日の聖書箇所は、まず主イエスが4000人の人々に食事をお与えになる場面から始まります。これは少し前にお読みした5000人の人々に食事をお与えになった話の繰り返しのように感じます。人の人数やパンや魚の数が異なりますが、話の流れとしてはほぼ同じです。一方で、さて、この一般に「四千人への給食」と呼ばれる出来事があったところは、はっきりと場所を特定はできませんが、前後に出てくる地名、デカポリスやこののち向かったダルマヌクなどから類推すると、おそらく異邦人の地であったと考えられます。以前の「五千人への給食」がイスラエルの地での出来事でしたから、こちらは異邦人へもまた神の恵みが表された出来事であったと言えます。この箇所で驚くのは、弟子たちの態度...マルコによる福音書第8章1~21節

  • マルコによる福音書第7章31~37節

    マルコによる福音書第7章31~37節

    2022年7月10日大阪東教会主日礼拝説教「開け」吉浦玲子主イエスはさまざまな場所に行かれました。今日の聖書個所の前のところでは、イスラエルの外のティルスに行かれました。そもそも7章の最初で、主イエスはファリサイ派や律法学者を批判する発言をされたこともあり、彼らの憎しみを買ったので、イスラエル外にいったん退かれたのかもしれません。しかしまた同時に7章24節には「だれにも知られたくないと思って」とあります。群衆が押しかけて来るような状況から逃れられたともいえます。そのティルスでシリア・フェニキアの女性の娘を癒し、そののちシドンを経て、デカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖にやって来られた、とあります。しかし、この経路は、不自然な経路であるようです。といいますのはティルスはイスラエルから見て西北の地にある異邦の...マルコによる福音書第7章31~37節

  • マルコによる福音書第7章24~30節

    マルコによる福音書第7章24~30節

    2022年7月3日大阪東教会主日礼拝説教「神にしぶとく物申す」吉浦玲子繰り返し祈って、祈って祈って、でも祈っている事柄が実現しない、そういうことは信仰生活が長くなればなるほど、よくあることです。一か月二か月ではない、何年も祈って、祈っている事柄が実現しないことがあります。私たちは粘り強く祈るように言われています。ですから粘り強く辛抱強く祈ります。しかし祈りながら、疑念もわいてきます。私はまだ辛抱が足りないのであろうか、あるいはそもそも私の祈りの内容が御心でないのではないのか、そんな疑念がどんどんとわいてくるのです。その祈りの内容が御心に叶わないものだとか、まだまだ祈り足りないとか、そういったことは、他の人からどうこう言えることではありません。個人の祈りというのはあくまでも神と人間との間の個別のことだからで...マルコによる福音書第7章24~30節

  • マルコによる福音書第7章1~23節

    マルコによる福音書第7章1~23節

    2022年6月26日大阪東教会主日礼拝説教「言葉は心を映す」吉浦玲子渡辺善太という聖書学者であり、かつ牧師である方がおられました。ゼンダ節と言われる独特の語り口で魅力的な説教をされた先生です。この方の説教に「偽善者を出す処」という題の説教があります。偽善者を出す処、それはどこかというと教会だと渡辺先生はおっしゃるのです。先生はその説教の中でなぜ教会で偽善が起こってくるのかということを分析し明快に語っておられます。いまここでその内容すべてを紹介することはできませんが、かなりおおざっぱに説明すると、偽善というものは、人間の心が神ではなく人間に向いていることから起こることなのだと渡辺先生はおっしゃいます。同じことをしてもそれがまっすぐに神の方をみて為したことであれば偽善ではなく、まさに善であり、人間を見て為すな...マルコによる福音書第7章1~23節

  • マルコによる福音書第6章45~56節

    マルコによる福音書第6章45~56節

    2022年6月19日大阪東教会主日礼拝説教「恐れることはない」吉浦玲子今日の聖書箇所は新共同訳聖書の表題で「湖の上を歩く」となっています。実際、主イエスが湖の上を歩いてやってこられたことが記されています。その前のところには男性だけで五千人もの人々に五個のパンと二匹の魚だけしかないのに皆が満腹するように食事を与えられたこと、しかも余ったものを集めると十二の籠にいっぱいになったことが記されていました。普通に考えてあり得ない奇跡の話が続くと、特に信仰をお持ちでない方は作り話とか、話を盛っていると考えられるかもしれません。少し前、教会を訪ねてこられたキリスト者ではない知り合いと話をしていた時、「聖書の中の、こういう奇跡の場面がどうにも納得がいかない」とおっしゃっていました。しかし逆に、私は思うのです。この世界を創...マルコによる福音書第6章45~56節

  • マルコによる福音書第6章30~44節

    マルコによる福音書第6章30~44節

    2022年6月12日大阪東教会主日礼拝説教「五つのパンと二匹の魚」吉浦玲子今日の聖書箇所は、直前にあります洗礼者ヨハネの殺害の場面の前から続いています。6章7節からの、使徒と呼ばれる12人の弟子たちがそれぞれに宣教の旅に出かけた箇所から続いているのです。今日の場面では、使徒たちが宣教から帰ってきた場面となります。6章7節に、彼らは主イエスから「汚れた霊に対する権能を授け」られたとあります。彼らは主イエスから特別な力をいただいて出かけたのでした。その結果、多くのすばらしいことが起こったのでした。帰ってきた使徒たちはそのことを報告しました。「自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」とあります。弟子たちは喜びにあふれて、自分たちが行い、語ったことを主イエスに報告したのです。主イエスもまた使徒たちの報告...マルコによる福音書第6章30~44節

  • 使徒言行録第2章29~42節/ヨエル書第3章1節

    使徒言行録第2章29~42節/ヨエル書第3章1節

    2022年6月5日大阪東教会主日礼拝説教「神が見せてくださる幻」吉浦玲子<ヨエルが預言したことの成就>最初にお読みしましたヨエル書第3章に「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。/あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。」という言葉がありました。聖霊降臨のときに読まれる聖書箇所です。旧約聖書の時代、神の言葉は特定の預言者、先見者にのみ与えられました。しかしやがて「すべての人に」神の霊が注がれる日が来る、とヨエルは預言しているのです。あなたたちの息子や娘、すなわちあなたたちの子孫は、皆が預言するようになるというのです。神の言葉を直接聞くことができるようになる、というのです。そしてヨエル書全体から読み解くとき、これは「主の怒りの日」、つまり終わりの日の前兆、さきぶれとして起こるのだとヨ...使徒言行録第2章29~42節/ヨエル書第3章1節

  • マルコによる福音書第6章14~29節

    マルコによる福音書第6章14~29節

    2022年5月29日日大阪東教会主日礼拝説教「罪は暴走する」吉浦玲子洗礼者ヨハネは、主イエスに先立ち道を整える者としてあらわれました。長い長い旧約の時代からの神の約束が成就する、まさにそのとき、先立つ者として登場しました。言ってみれば旧約と新約をつなぐ人物と言えます。最後の預言者とも言われます。一方、主イエスの宣教の開始のとき、洗礼者ヨハネは捕らえられました。主イエスの登場とともに、洗礼者ヨハネは表舞台から去りました。洗礼者ヨハネの退場がまさに「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という神の国の到来を告げる合図となったともいえます。そしてまた、時は満ち、というとき、満を持しとか、必要な舞台設定が整ったというイメージがありますが、「人間の罪が満ちた」ということも言えます。神から特別な使命...マルコによる福音書第6章14~29節

  • マルコによる福音書第6章14~29節

    マルコによる福音書第6章14~29節

    2022年5月29日日大阪東教会主日礼拝説教「罪は暴走する」吉浦玲子洗礼者ヨハネは、主イエスに先立ち道を整える者としてあらわれました。長い長い旧約の時代からの神の約束が成就する、まさにそのとき、先立つ者として登場しました。言ってみれば旧約と新約をつなぐ人物と言えます。最後の預言者とも言われます。一方、主イエスの宣教の開始のとき、洗礼者ヨハネは捕らえられました。主イエスの登場とともに、洗礼者ヨハネは表舞台から去りました。洗礼者ヨハネの退場がまさに「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という神の国の到来を告げる合図となったともいえます。そしてまた、時は満ち、というとき、満を持しとか、必要な舞台設定が整ったというイメージがありますが、「人間の罪が満ちた」ということも言えます。神から特別な使命...マルコによる福音書第6章14~29節

  • マルコによる福音書第6章1~13節

    マルコによる福音書第6章1~13節

    2022年5月22日日大阪東教会主日礼拝説教「神を妨害していませんか」吉浦玲子主イエスは会堂長ヤイロの娘を癒された後、故郷に帰られました。その故郷の会堂で御言葉を語られました。それを聞いて人々は驚きました。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われる奇跡はいったい何か。」彼らは確かに主イエスの言葉を聞き、その業を見たのです。それはとても通常の人間の考えのようにも行いのようにも見えませんでした。それは神の業だったからです。当時、律法は先生について習うものでした。その先生の権威によって語られる言葉に権威が与えられました。しかし、当然ながら、主イエスはだれか先生から教わったことをお話になったわけではありません。神の言葉を、神であるご自身の権威に基づき、語られました。...マルコによる福音書第6章1~13節

  • マルコによる福音書第5章35~43節

    マルコによる福音書第5章35~43節

    2022年5月15日日大阪東教会主日礼拝説教「タリタ、クム―起きなさい」吉浦玲子会堂長のヤイロは娘の病気のことが、気が気ではありませんでした。彼は主イエスの前にひれ伏し、娘を救ってほしいと願いました。彼は会堂を司り、礼拝を指導する立場の人でした。さらにはその地域の訴訟の裁定にもかかわる有力な人物でした。しかし、多くの有力な人々は、3章の会堂での出来事にもあるように主イエスを憎み殺そうとすら考えていました。その状況の中、ヤイロが主イエスに関わるということは、自分の立場を危うくすることでもありました。しかしなおヤイロはひれ伏して願ったのです。愛する娘の命がかかっていたからです。それに応じて、すぐに主イエスは一緒に来られたのですが、群衆が押し合い圧し合いして進みづらいのみならず、途中、十二年間出血の止まらなかった女性...マルコによる福音書第5章35~43節

  • マルコによる福音書第5章21~34節

    マルコによる福音書第5章21~34節

    2022年5月8日日大阪東教会主日礼拝説教「あなたはほんとうに生きていますか」吉浦玲子【説教】イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの...マルコによる福音書第5章21~34節

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