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大阪東教会礼拝説教ブログ
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2015/03/17

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  • コリントの信徒への手紙Ⅰ 第10章1~27節

    2024年1月21日大阪東教会主日礼拝説教「越えられない試練はない」吉浦玲子<金の子牛はどこにある>信仰をもって、すぐの時も、また、何年、何十年とたったとしても、神様は現実のことのようには目に見えるわけではなく、その声を聞けるわけでもありません。それでも、神様が守ってくださる、イエス様が導いてくださる、そう感じることが折々にあり、それゆえに、神を信じ続けることができると感じる方が多いのではないでしょうか。単なる偶然とか、運が良かったでは済まないようなことがたまに起こる。そういったことが少し奇妙な、不思議なありかたで起こったりする。そのなかで少しずつ神への確信が増し加えられていきます。そもそも人生において、奇跡的な体験や、神の臨在を強く感じる体験を繰り返ししているから信仰が保ち続けられるのか、必ずしもそうと...コリントの信徒への手紙Ⅰ第10章1~27節

  • コリントの信徒への手紙Ⅰ 第9章19~27節

    2024年1月14日大阪東教会主日礼拝説教「朽ちない冠を得るために」吉浦玲子<多くの人の救いのために>主イエスは、マタイによる福音書の28章において、大宣教命令と言われるお言葉を語っておられます。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」主イエスはご自分の弟子たちにすべての民をわたしの弟子にしなさいと命じておられます。この言葉はこの時の弟子たちに対してだけ語られているのではありません。洗礼を受けたすべての者はキリストの弟子です。ですからすべてのクリスチャンは「行って、すべての民をわたしの弟...コリントの信徒への手紙Ⅰ第9章19~27節

  • コリントの信徒への手紙Ⅰ 第9章1~18節

    2024年1月7日大阪東教会主日礼拝説教「ゆだねられている務め」吉浦玲子<主イエスを見たではないか>パウロという人は一般的には「使徒」と呼ばれます。「使徒」という言葉にはさまざまな定義が考えられますが、おおまかには、初代教会において中心的な働きをした伝道者を指します。一つの定義としては主イエスが十字架におかかりになる前に、直接お選びになったペトロやヤコブやヨハネといった12弟子を指していました。パウロは主イエスが十字架におかかりなる前に主イエスの弟子になったわけではありませんでした。それどころか、主イエスの復活ののち、教会が立ち上がり、教会が伝道をしていく時、むしろパウロはファリサイ派として教会やクリスチャンを迫害しました。そのパウロが劇的な回心をして福音の伝道者となり、また自分自身のことを「使徒」と呼ぶ...コリントの信徒への手紙Ⅰ第9章1~18節

  • ヨハネによる福音書 3章1~21節

    2023年12月24日大阪東教会主日礼拝説教「神は愛」吉浦玲子<世を愛された>「神は、その独り子をおあたえになったほどに、世を愛された」このヨハネによる福音書の3章16節は福音書中の福音書と言われる箇所です。イエス・キリストがどなたによってこの世に遣わされ、イエス・キリストがなぜこの世にこられたのか、そのことがこの1節に凝縮されているので、福音書中の福音書と呼ばれるのです。神は世を愛された、とこの言葉は語ります。ここで語られています「世」とはギリシャ語のコスモスのことです。宇宙を現わす英語のコスモスの語源となった言葉です。福音書で語られています「世」とは宇宙も含みますが、もっと直接的には神がお造りになった世界全体と言えます。神は聖書の中の最初の書物である創世記に記されていますように、この世界を良いものとし...ヨハネによる福音書3章1~21節

  • ヨハネによる福音書第5章31~40節

    2023年12月10日大阪東教会主日礼拝説教「ここに命がある」吉浦玲子<イエスについての証し>「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。」こうイエス様は語られます。イエス様はカナにおける婚礼の場で水をぶどう酒に変えられ、直接会うことなく役人の息子を癒され、ベトザダの池で38年間病であった人を癒されました。38年間病であった人を癒されたのが律法で働くことを禁じられている安息日であったこと、そして主イエスが神のことを「わたしの父」と呼ばれたことから、ユダヤの権力者たちは主イエスを殺そうと考えました。安息日の問題は簡単には言えませんが、安息日に病を癒すことを批判することは権力者たちの内に愛がないことを示します。しかしまた一方、神を「わたしの父」などと呼ぶことは神への冒涜と考えて主イ...ヨハネによる福音書第5章31~40節

  • ヨハネによる福音書第7章25~31節

    2023年12月3日大阪東教会主日礼拝説教「救い主は誰」吉浦玲子<メシアを待つ>待降節、アドベントが始まりました。このアドベントに私たちは待ち望みます。キリストの到来を待ち望みます。キリストは2000年前に一度、この世界に来られました。それがクリスマスの出来事でした。そのときから世界が変わりました。罪の闇に覆われていた世界が変わったのです。光が地上にやってきたのです。その光は私たち一人一人の心にも注がれました。心だけではありません。現実の日々の生活にも光は射し込んできたのです。しかしまだ完全な光ではありません。この世界には戦争があり、罪の闇が満ちています。私たちの日々にも暗澹とした苦難があります。しかしそのまだ残っている闇を打ち払うためにキリストはふたたび来られます。そのキリストの到来を私たちは今、待って...ヨハネによる福音書第7章25~31節

  • マルコによる福音書第8章34~38節

    2022年7月31日大阪東教会主日礼拝説教「自分の十字架を背負え」吉浦玲子「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と主イエスはおっしゃいました。自分の十字架を背負って、というところは、一般的にも使われることがあります。本来の聖書の意味から離れて、運命や宿命、あるいはつぐないというようなものを背負っていくという意味で「自分の十字架として背負っていく」と語られることがよくあります。なにかたいへんな重荷を覚悟を決めて背負っていくというイメージがあります。たしかに十字架は重荷です。しかし、それは、本来の聖書においては、ままならぬ運命とか、責任を取るというような意味で背負うものではありません。カトリックの教会や修道院に行くと、「十字架の道行き」という札が立っているところが...マルコによる福音書第8章34~38節

  • マルコによる福音書第8章22~33節

    2022年7月24日大阪東教会主日礼拝説教「あなたは、メシアです」吉浦玲子主イエスは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。それに対して弟子たちを代表してペトロは「あなたは、メシアです」とお答えしました。メシアとはもともとが「油注がれた者」という意味のヘブライ語で、王や預言者といった特別な役割に神から選ばれた人々を指しました。やがてその言葉は、イスラエルを救ってくださる救い主を指すようになりました。メシアをギリシャ語で言うとクリーストス、キリストです。口語訳聖書ではこの箇所は「あなたこそキリストです」と訳されていました。その主イエスとペトロの会話に先立ち、今日の聖書箇所には目の見えない人が癒される話があります。この話は少し前に読みました7章31節からの耳が聞こえず舌の回らない人が癒される話...マルコによる福音書第8章22~33節

  • マルコによる福音書第8章1~21節

    2022年7月17日大阪東教会主日礼拝説教「内なる悪が膨れる時」吉浦玲子今日の聖書箇所は、まず主イエスが4000人の人々に食事をお与えになる場面から始まります。これは少し前にお読みした5000人の人々に食事をお与えになった話の繰り返しのように感じます。人の人数やパンや魚の数が異なりますが、話の流れとしてはほぼ同じです。一方で、さて、この一般に「四千人への給食」と呼ばれる出来事があったところは、はっきりと場所を特定はできませんが、前後に出てくる地名、デカポリスやこののち向かったダルマヌクなどから類推すると、おそらく異邦人の地であったと考えられます。以前の「五千人への給食」がイスラエルの地での出来事でしたから、こちらは異邦人へもまた神の恵みが表された出来事であったと言えます。この箇所で驚くのは、弟子たちの態度...マルコによる福音書第8章1~21節

  • マルコによる福音書第7章31~37節

    2022年7月10日大阪東教会主日礼拝説教「開け」吉浦玲子主イエスはさまざまな場所に行かれました。今日の聖書個所の前のところでは、イスラエルの外のティルスに行かれました。そもそも7章の最初で、主イエスはファリサイ派や律法学者を批判する発言をされたこともあり、彼らの憎しみを買ったので、イスラエル外にいったん退かれたのかもしれません。しかしまた同時に7章24節には「だれにも知られたくないと思って」とあります。群衆が押しかけて来るような状況から逃れられたともいえます。そのティルスでシリア・フェニキアの女性の娘を癒し、そののちシドンを経て、デカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖にやって来られた、とあります。しかし、この経路は、不自然な経路であるようです。といいますのはティルスはイスラエルから見て西北の地にある異邦の...マルコによる福音書第7章31~37節

  • マルコによる福音書第7章24~30節

    2022年7月3日大阪東教会主日礼拝説教「神にしぶとく物申す」吉浦玲子繰り返し祈って、祈って祈って、でも祈っている事柄が実現しない、そういうことは信仰生活が長くなればなるほど、よくあることです。一か月二か月ではない、何年も祈って、祈っている事柄が実現しないことがあります。私たちは粘り強く祈るように言われています。ですから粘り強く辛抱強く祈ります。しかし祈りながら、疑念もわいてきます。私はまだ辛抱が足りないのであろうか、あるいはそもそも私の祈りの内容が御心でないのではないのか、そんな疑念がどんどんとわいてくるのです。その祈りの内容が御心に叶わないものだとか、まだまだ祈り足りないとか、そういったことは、他の人からどうこう言えることではありません。個人の祈りというのはあくまでも神と人間との間の個別のことだからで...マルコによる福音書第7章24~30節

  • マルコによる福音書第7章1~23節

    2022年6月26日大阪東教会主日礼拝説教「言葉は心を映す」吉浦玲子渡辺善太という聖書学者であり、かつ牧師である方がおられました。ゼンダ節と言われる独特の語り口で魅力的な説教をされた先生です。この方の説教に「偽善者を出す処」という題の説教があります。偽善者を出す処、それはどこかというと教会だと渡辺先生はおっしゃるのです。先生はその説教の中でなぜ教会で偽善が起こってくるのかということを分析し明快に語っておられます。いまここでその内容すべてを紹介することはできませんが、かなりおおざっぱに説明すると、偽善というものは、人間の心が神ではなく人間に向いていることから起こることなのだと渡辺先生はおっしゃいます。同じことをしてもそれがまっすぐに神の方をみて為したことであれば偽善ではなく、まさに善であり、人間を見て為すな...マルコによる福音書第7章1~23節

  • マルコによる福音書第6章45~56節

    2022年6月19日大阪東教会主日礼拝説教「恐れることはない」吉浦玲子今日の聖書箇所は新共同訳聖書の表題で「湖の上を歩く」となっています。実際、主イエスが湖の上を歩いてやってこられたことが記されています。その前のところには男性だけで五千人もの人々に五個のパンと二匹の魚だけしかないのに皆が満腹するように食事を与えられたこと、しかも余ったものを集めると十二の籠にいっぱいになったことが記されていました。普通に考えてあり得ない奇跡の話が続くと、特に信仰をお持ちでない方は作り話とか、話を盛っていると考えられるかもしれません。少し前、教会を訪ねてこられたキリスト者ではない知り合いと話をしていた時、「聖書の中の、こういう奇跡の場面がどうにも納得がいかない」とおっしゃっていました。しかし逆に、私は思うのです。この世界を創...マルコによる福音書第6章45~56節

  • マルコによる福音書第6章30~44節

    2022年6月12日大阪東教会主日礼拝説教「五つのパンと二匹の魚」吉浦玲子今日の聖書箇所は、直前にあります洗礼者ヨハネの殺害の場面の前から続いています。6章7節からの、使徒と呼ばれる12人の弟子たちがそれぞれに宣教の旅に出かけた箇所から続いているのです。今日の場面では、使徒たちが宣教から帰ってきた場面となります。6章7節に、彼らは主イエスから「汚れた霊に対する権能を授け」られたとあります。彼らは主イエスから特別な力をいただいて出かけたのでした。その結果、多くのすばらしいことが起こったのでした。帰ってきた使徒たちはそのことを報告しました。「自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」とあります。弟子たちは喜びにあふれて、自分たちが行い、語ったことを主イエスに報告したのです。主イエスもまた使徒たちの報告...マルコによる福音書第6章30~44節

  • 使徒言行録第2章29~42節/ヨエル書第3章1節

    2022年6月5日大阪東教会主日礼拝説教「神が見せてくださる幻」吉浦玲子<ヨエルが預言したことの成就>最初にお読みしましたヨエル書第3章に「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。/あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。」という言葉がありました。聖霊降臨のときに読まれる聖書箇所です。旧約聖書の時代、神の言葉は特定の預言者、先見者にのみ与えられました。しかしやがて「すべての人に」神の霊が注がれる日が来る、とヨエルは預言しているのです。あなたたちの息子や娘、すなわちあなたたちの子孫は、皆が預言するようになるというのです。神の言葉を直接聞くことができるようになる、というのです。そしてヨエル書全体から読み解くとき、これは「主の怒りの日」、つまり終わりの日の前兆、さきぶれとして起こるのだとヨ...使徒言行録第2章29~42節/ヨエル書第3章1節

  • マルコによる福音書第6章14~29節

    2022年5月29日日大阪東教会主日礼拝説教「罪は暴走する」吉浦玲子洗礼者ヨハネは、主イエスに先立ち道を整える者としてあらわれました。長い長い旧約の時代からの神の約束が成就する、まさにそのとき、先立つ者として登場しました。言ってみれば旧約と新約をつなぐ人物と言えます。最後の預言者とも言われます。一方、主イエスの宣教の開始のとき、洗礼者ヨハネは捕らえられました。主イエスの登場とともに、洗礼者ヨハネは表舞台から去りました。洗礼者ヨハネの退場がまさに「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という神の国の到来を告げる合図となったともいえます。そしてまた、時は満ち、というとき、満を持しとか、必要な舞台設定が整ったというイメージがありますが、「人間の罪が満ちた」ということも言えます。神から特別な使命...マルコによる福音書第6章14~29節

  • マルコによる福音書第6章14~29節

    2022年5月29日日大阪東教会主日礼拝説教「罪は暴走する」吉浦玲子洗礼者ヨハネは、主イエスに先立ち道を整える者としてあらわれました。長い長い旧約の時代からの神の約束が成就する、まさにそのとき、先立つ者として登場しました。言ってみれば旧約と新約をつなぐ人物と言えます。最後の預言者とも言われます。一方、主イエスの宣教の開始のとき、洗礼者ヨハネは捕らえられました。主イエスの登場とともに、洗礼者ヨハネは表舞台から去りました。洗礼者ヨハネの退場がまさに「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という神の国の到来を告げる合図となったともいえます。そしてまた、時は満ち、というとき、満を持しとか、必要な舞台設定が整ったというイメージがありますが、「人間の罪が満ちた」ということも言えます。神から特別な使命...マルコによる福音書第6章14~29節

  • マルコによる福音書第6章1~13節

    2022年5月22日日大阪東教会主日礼拝説教「神を妨害していませんか」吉浦玲子主イエスは会堂長ヤイロの娘を癒された後、故郷に帰られました。その故郷の会堂で御言葉を語られました。それを聞いて人々は驚きました。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われる奇跡はいったい何か。」彼らは確かに主イエスの言葉を聞き、その業を見たのです。それはとても通常の人間の考えのようにも行いのようにも見えませんでした。それは神の業だったからです。当時、律法は先生について習うものでした。その先生の権威によって語られる言葉に権威が与えられました。しかし、当然ながら、主イエスはだれか先生から教わったことをお話になったわけではありません。神の言葉を、神であるご自身の権威に基づき、語られました。...マルコによる福音書第6章1~13節

  • マルコによる福音書第5章35~43節

    2022年5月15日日大阪東教会主日礼拝説教「タリタ、クム―起きなさい」吉浦玲子会堂長のヤイロは娘の病気のことが、気が気ではありませんでした。彼は主イエスの前にひれ伏し、娘を救ってほしいと願いました。彼は会堂を司り、礼拝を指導する立場の人でした。さらにはその地域の訴訟の裁定にもかかわる有力な人物でした。しかし、多くの有力な人々は、3章の会堂での出来事にもあるように主イエスを憎み殺そうとすら考えていました。その状況の中、ヤイロが主イエスに関わるということは、自分の立場を危うくすることでもありました。しかしなおヤイロはひれ伏して願ったのです。愛する娘の命がかかっていたからです。それに応じて、すぐに主イエスは一緒に来られたのですが、群衆が押し合い圧し合いして進みづらいのみならず、途中、十二年間出血の止まらなかった女性...マルコによる福音書第5章35~43節

  • マルコによる福音書第5章21~34節

    2022年5月8日日大阪東教会主日礼拝説教「あなたはほんとうに生きていますか」吉浦玲子【説教】イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの...マルコによる福音書第5章21~34節

  • マルコによる福音書第5章1~20節

    2022年5月1日大阪東教会主日礼拝説教「正気に戻った男」吉浦玲子【聖書】一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか...マルコによる福音書第5章1~20節

  • マルコによる福音書第4章35~41節

    2022年4月24日日大阪東教会主日礼拝説教「なぜ怖がるのか」吉浦玲子主イエスの弟子には、ペトロをはじめとして漁師たちがいました。もともと彼らはガリラヤ湖で漁をしていました。現代のガリラヤ湖周辺ではペトロにちなんだピーターズフィッシュというものが食事として提供されるようです。これは大型の淡水魚を料理したもので淡水魚の割にはそれほど臭みもなく食べられるもののようです。そのような魚が捕れるガリラヤ湖を中心にした地域は自然が豊かで美しいところであったようです。しかし一方、ガリラヤ湖は、海抜がたいへん低く、谷底にあるような地形で、周囲から吹き降ろす風によって荒れることもよくあり、急に天候が変わることもあったようです。今日の聖書個所では、ガリラヤ湖を船で渡っていた時、嵐に見舞われたことが描かれています。プロの漁師であった...マルコによる福音書第4章35~41節

  • ルカによる福音書第24章13~35節

    2022年4月17日日大阪東教会復活祭礼拝説教「心は燃えていたではないか」吉浦玲子肉体をもって復活をされたイエス・キリストはさまざまな形で弟子たちと出会ってくださいました。復活のキリストとの出会い方はマグダラのマリア、トマス、ペトロ、それぞれに違いました。今日、出てくる二人の弟子たちともまた特別な出会い方をされました。復活のキリストは、一人一人と特別に出会ってくださるのです。逆に言いますと、一人一人と特別に出会ってくださるからこそ、私たちは復活のキリストを信じる者とされるのです。さて、弟子たちはエマオという村に向かっていました。エマオはエルサレムから10キロほどのところにありました。彼らはエルサレムから離れようとしていました。先生として仰いでいた主イエスが捕らえられ十字架におかかりになり死んでしまわれた。その衝...ルカによる福音書第24章13~35節

  • マルコによる福音書第4章26~41章

    2022年4月10日大阪東教会主日礼拝説教「さあ、収穫の時」吉浦玲子【聖書】また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」【説教】本日は棕櫚の主日です。主イエスがエルサレムに入られたとき、群衆が熱...マルコによる福音書第4章26~41章

  • マルコによる福音書第4章21~25節

    2022年4月3日日大阪東教会主日礼拝説教「隠し事はあらわになる」吉浦玲子教会の近くを多くの人が毎日通って行かれます。礼拝に来られている方のほとんどは、日曜日の昼の時間帯の教会の周りの雰囲気だけをご存知かと思います。しかし、平日は、思いのほか、多くの人々が教会の前を通り過ぎて行かれます。特に昼どきは、昼食に行く人々が行き交われますし、また夕方は、帰宅される人々でけっこうにぎやかです。まん延防止等重点措置が解除されてからは、夜遅くも人通りがあります。当然ながら、それらの教会の前を通り過ぎて行く人々には一人一人の生活、さまざまn事情というものがあります。会社に向かっている、あるいは家路を急いでいる一人一人に遠めに見るだけではわからない、いや仮に職場で一緒に仕事をしたとしてもわからない、さまざまな思いがあるでしょう。...マルコによる福音書第4章21~25節

  • マルコによる福音書第4章1~20節

    2022年3月27日大阪東教会主日礼拝説教「わが心は石にあらず」吉浦玲子<神は大雑把?>今日の聖書箇所は有名な「種を蒔く人」のたとえ話です。種は4種類の場所に蒔かれます。「道端」と「石ころだらけの場所」と「茨の生えたところ」と「良い土地」です。このたとえ話は当時のイスラエルの農業のあり方を良く知っている人々には非常にリアリティのあるものであったと思われます。当時の種まきは、かなり大雑把になされていたのです。適当に種をばらまくので道端に落ちる種もあったり、石や茨のなかに落ちる種も実際にあったのです。もっと効率的に土地を耕して畝を作ったりして種を蒔けばいいではないかと几帳面な日本人なら考えるところです。しかし当時、このたとえ話を聞いた人々は生き生きとそのイメージを思い描くことができたのです。13節からの主イエスご自...マルコによる福音書第4章1~20節

  • マルコによる福音書第3章31~35節

    2022年3月20日大阪東教会主日礼拝説教「ほんとうの家族」吉浦玲子教会に、かつてその教会にいた牧師の息子や娘、あるいは古くからいる信徒の子弟が牧師として赴任してくることは、なかなか難しいことです。牧師や信徒の子弟でなくても、自分の出身教会に牧師として献身してすぐに赴任するというのは難しい面があるようです。私自身はそのような教会を直接は体験していませんが、信徒時代、一時期在籍した教会の前任牧師が、その教会の昔の牧師の息子さんだったということはありました。私はその前任牧師を直接は知らないのですが、聞くところによると、昔の牧師の息子である前任牧師は、信徒さんから親しまれていたのですが、それは、小さいころから知っている親しさであって、牧師に対しての信頼とか尊敬というものとは違ったようです。信徒さんたちに悪気はなかった...マルコによる福音書第3章31~35節

  • マルコによる福音書第3章20~30

    2022年3月13日大阪東教会主日礼拝説教「赦されない罪」吉浦玲子主イエスが家に戻られると、また群衆が集まって来たとあります。この家とはカファルナウムにある家で、おそらく1章29節に出て来たペトロのしゅうとめがいる家ではないかと考えられます。主イエスは、このカファルナウムから伝道を開始されました。そして主イエスはガリラヤ中を回り伝道をなさいました。宣教の合間にこのカファルナウムの家に戻ってこられ休養を取ろうとされたのでしょう。主イエスの宣教において、家に集まって来た群衆のような人々もいれば、けっして主イエスを受け入れない人々もいました。主イエスを受け入れない人々は、主イエスに対して、憎しみを持ち、殺意すら持つようになってきたことが、ここまでの福音書の流れの中に記されていました。人々の主イエスに対する思いはさまざ...マルコによる福音書第3章20~30

  • マルコによる福音書第3章7~19節

    2022年3月6日大阪東教会主日礼拝説教「なぜ裏切者をそばに置くのか」吉浦玲子「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた」とあります。この前の聖書箇所では安息日の会堂で主イエスは手の萎えた人を癒され、そのことで、ファリサイ派を始め権力者たちから憎しみを買い、危険な状況になられました。「立ち去られた」という言葉は「退く」、「リタイアする」という意味があります。会堂で教えることができなくなって、退かれたのです。権力者からは憎まれましたが、一方で、主イエスのまわりにおびただしい数の人々が集まってきました。主イエスの出身地であり宣教を開始された場所であるイスラエル北部のガリラヤの人々のみならず、南部のエルサレムや、さらにはイスラエル外のフェニキアと言われているティルスやシドン、またヨルダン川の東側からも人々がやってき...マルコによる福音書第3章7~19節

  • マルコによる福音書 第3章1~6節

    2022年2月27日大阪東教会主日礼拝説教「愛ゆえの殺意」吉浦玲子ふたたび安息日のことです。主イエスと弟子たちは会堂に入りました。主イエスは、その宣教の初めの時から、安息日に礼拝をしている会堂に入り、巡回伝道者のような形で、御言葉を語り、神の国の宣教をなさっていました。この時も、同じように、御言葉を語るために会堂に入られました。そこには、主イエスが何をおっしゃるか、注目していた人々がいました。純粋に主イエスのこれまでの素晴らしい業や言葉のことを聞き知っていて、期待をもって主イエスの言葉を待っている人々もいたかもしれません。しかしそうでない人々もいました。彼らは別の意味で期待をしていたのです。徴税人や娼婦たちと一緒に食事をし、断食もしない、そして安息日も守らない、律法に対して冒涜的だと彼らにとって思える人物に対し...マルコによる福音書第3章1~6節

  • マルコによる福音書第2章23~28節

    2022年2月20日大阪東教会主日礼拝説教「人の心を縛るもの」吉浦玲子ある安息日のことでした。主イエスと弟子たちは麦畑を通って行かれていました。麦がたわわに実っていたのでしょう。弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めたとあります。弟子たちは食べるために麦の穂を摘んでいたのです。彼らは空腹だったのです。通りすがりの畑の麦を食べないといけないほどお腹が空いていたのです。麦を見てお腹を空かせていた弟子たちはほっとしたことでしょう。主イエスと弟子たちは町から町へと宣教の旅をしながら、招かれた家で食事をすることもありました。前にお読みした聖書箇所では、徴税人の家に招かれて食事をしている場面もありました。しかし、旅から旅の宣教の歩みにおいて、いつも豊かな食事に恵まれていたわけではありませんでした。むしろ、食べる物にも事欠くよ...マルコによる福音書第2章23~28節

  • マルコによる福音書第2章18~22節

    2022年2月6日大阪東教会主日礼拝説教「発泡する福音」吉浦玲子ここにいる多くの人にとって、断食というのはなじみの薄いものではないでしょうか。ですから、断食について書かれた聖書箇所を読むと自分とは関係ないと思ってしまわれる方もあるかもしれません。信仰によって救われたんだから、断食という苦行めいた行為などは必要ではないと考える方もおられるかもしれません。一方、断食は聖書の世界のみならず、多くの宗教で、宗教的行為として行われます。旧約聖書の時代からイスラエルにおいては悔い改めの時や神への特別な嘆願の時などに行われてきました。時代によって変遷がありますが、バビロン捕囚ののちは年に四回断食の期間が設けられていたようです。その後、新約聖書の時代には週に二回、月曜日と金曜日に断食が行われていました。イエス様ご自身、荒れ野で...マルコによる福音書第2章18~22節

  • マルコによる福音書第2章13~17節

    2022年2月6日大阪東教会主日礼拝説教「罪人を招いたら祝福が広がった」吉浦玲子レビという男は徴税人でした。徴税人はその名の通り、税金を取るのが仕事でした。その税金というのは、イスラエルを支配していたローマに支払う税金でした。ローマに支配されていた植民地に生きる民として、ことに神から選ばれた民だという自負のあったイスラエルの人々にとって、ローマ帝国への納税は屈辱的なことでした。徴税人たちは、言ってみれば、ローマに媚びをうって自分の懐を温めている存在でした。そしてまた、この徴税人たちは、規定以上のお金を取り、自分の懐に入れていました。税の取り立ての仕方もかなりえげつなかったようです。ですから人々からかなり嫌われていたのです。徴税人は罪人と扱われていました。そのような徴税人としてレビは生きていました。生活は裕福であ...マルコによる福音書第2章13~17節

  • マルコによる福音書第2章1~12節

    2022年1月30日大阪東教会主日礼拝説教「屋根を壊す」吉浦玲子<屋根をはがすのは信仰か>ガリラヤ中に福音の宣教をされ、病を癒され、悪霊を追い出し、重い皮膚病を癒し、神の御業をなされた主イエスが、ふたたび、その宣教の始まりの場所、カファルナウムに戻って来られました。おそらく以前と同様、主イエスはシモンとアンデレの家、つまりペトロの家におられるのではないかと考えられます。主イエスがカファルナウムに戻られたことが知れ渡り、また、たくさんの人々がペトロに家に押しかけてきました。今日の場面もこれまでと同様、病の人が癒されましたという話になるのですが、この2章は単なる奇跡の治癒物語ではなく、さらに主イエスの秘密といいますか、主イエスがどういうお方なのかということが少し人々の前であかされている場面となります。つまり、主イエ...マルコによる福音書第2章1~12節

  • マルコによる福音書第1章39~45節

    2022年1月23日大阪東教会主日礼拝説教「御心って何」吉浦玲子主イエスはガリラヤ中の会堂に行き、宣教をされました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」そう宣べ伝えられました。そしてまたその神の国の現実を人々に知らしめるため、病を癒し、悪霊を追い出されました。神の国は精神論や絵空事ではなく、私たち一人一人に関わって来るリアルな力であることを示されました。そして今日の聖書箇所では、「重い皮膚病」の人を癒された、とあります。「重い皮膚病」というのは、今日の医学からみて、どういう病であるのかははっきりと分かりません。旧約聖書においてツァラトと言われていたものです。皮膚に発生する病とされていますが、布や革といった生物ではないものにも起こるともレビ記には書かれています。そのツァラトがギリシャ語ではレ...マルコによる福音書第1章39~45節

  • マルコによる福音書第1章29~39節

    2022年1月16日大阪東教会主日礼拝説教「悪霊を追い出す」吉浦玲子<主イエスが家に来られた!>言葉なる神、キリストの言葉、神の言葉は安息日の会堂において、礼拝において語られました。それは今日の礼拝でも同様です。神の言葉は日曜日の礼拝において語られます。そしてその言葉は単なる知識、お勉強のための言葉ではなく、現実に働く神の力そのものです。力の言葉です。伝道とは、神の言葉のもとへ人々を招くことです。神の言葉は礼拝の中で語られます。ですから伝道とは礼拝へと人々を招くことだといえます。今日の聖書箇所では、会堂でお教えになった主イエスがシモンとアンデレの家に家に行ったと書かれています。もともとカファルナウムはシモン、つまりペトロたちの家があるところでした。マルコによる福音書の著者は、おそらくシモン・ペトロから聞いたこと...マルコによる福音書第1章29~39節

  • マルコによる福音書第1章21~28節

    2022年1月9日大阪東教会主日礼拝説教「イエスの正体」吉浦玲子<権威ある者>主イエスが宣教を開始されました。安息日の会堂に入り教え始めたとあります。「権威ある者としてお教えになった」とあります。私たちは今それを聞いて、主イエスは神さまなんだから権威ある者であることは当たり前だと思ってしまいますが、当時の人々からしたら大変な驚きでした。そもそも当時の人々にとって律法学者たちこそが権威ある者だったのです。律法学者たちは聖書、特に律法の専門家でした。律法を解釈して、実際の生活の中で適用したのです。現代でいうところの法律の解釈と適用を行う人たちでした。これは律法違反になるのか否か、そういう判断を下すのです。しかし、主イエスが教えられることは「律法学者のようではなかった」と書かれています。当時、律法学者に権威がなかった...マルコによる福音書第1章21~28節

  • マルコによる福音書第1章16~20節

    2022年1月2日大阪東教会主日礼拝説教「キリストについて行く」吉浦玲子新しい年が始まりました。新しい年に新しく連続講解説教を始めたいと思います。昨年のクリスマス礼拝に続きまして、マルコによる福音書を共に読んでいきたいと考えています。マルコによる福音書は福音書の中でもっとも成立が古いと考えられています。そして著者は12弟子の一人であるペトロの通訳をしていたマルコと考えられていましたが、当時、マルコという名前自体ありふれた名前であり、実際にペトロの通訳であったマルコが著者であるのかどうかは確定はできないようです。また、以前、使徒言行録を読みました時、その中に書かれていた話にマルコという青年が出てきました。彼は、パウロたちと一緒に宣教旅行に行ったのですが、どういう理由か分かりませんが、旅行の途中でマルコは離脱して帰...マルコによる福音書第1章16~20節

  • ペトロの手紙Ⅱ第3章1~18節

    2021年12月26日日大阪東教会主日礼拝説教「キリストはふたたび来られる」吉浦玲子先週、私たちはクリスマスの祝いをいたしました。クリスマスの祝いは、この世界に救い主であるキリストを遣わしてくださったことを感謝すると同時に、ふたたびお越しになるキリストを待ち望む希望を確認することです。本日の聖書箇所は、再臨について語られており、降誕節に読むにふさわしい箇所であると言えます。そしてまた、今日は2021年最後の礼拝ですが、新年を迎えるにあたって、私たちの希望の源を確認するためにも味わうべき聖書箇所であると言えます。ところで、今に始まったことではないのですが、とはいえ最近とみに増えていることが、異端からの電話や郵送での勧誘です。場合によっては訪問してきて、牧師である私に対して、勧誘しようとすらします。彼らは一見正統的...ペトロの手紙Ⅱ第3章1~18節

  • マルコによる福音書第1章1~15節

    2021年12月12日大阪東教会クリスマス礼拝説教「神の国は近づいた」吉浦玲子今年のクリスマス礼拝は、マルコによる福音書からクリスマスの恵みを共に味わってきたいと思います。しかしながら、マルコによる福音書には、天使も出てこなければ、羊飼いも、東方の博士たちも出てきません。洗礼者ヨハネの話から、いきなりイエス様の宣教の始まりになっています。降誕に関わる記述がありません。マルコによる福音書の第1章1節は「神の子イエス・キリストの福音の初め」と記されています。マルコは「福音の初め」を語ります。福音が始まった、それがキリストの到来なのです。福音はギリシャ語でエバンゲリオン、これは「エウ」が良いという意味で、「アンゲリオン」が知らせという意味です。エウアンゲリオン、エバンゲリオンで「良い知らせ」ということです。グッドニュ...マルコによる福音書第1章1~15節

  • ペトロの手紙Ⅱ第2章11~22節

    2021年12月12日大阪東教会主日礼拝説教「誘惑は滅びの門」吉浦玲子今日の聖書箇所も少し怖いような過激な言葉が多く書かれています。教会に入り込んで来た悪しき者たちへの激しい非難が並んでいます。主を待ち望むアドベントの時期にそぐわないように思われるかもしれませんが、私たちを惑わし、神の恵みから引き離す存在に対して声の限りに忠告されています。前の週にも申し上げましたように、この手紙が成立した2世紀の深刻な状況が背景にあったのでしょう。当時、グノーシスなどの異端がはびこっていました。「彼らは、昼間から享楽にふけるのを楽しみにしています。彼らは汚れやきずのようなもので」と激しい言葉があります。キリスト教はパレスチナの狭い地域から飛び出し、各地に広がっていました。それは同時に多くの異教に囲まれた環境の中にキリスト教があ...ペトロの手紙Ⅱ第2章11~22節

  • ペトロの手紙Ⅱ第2章1~10節

    2021年12月5日大阪東教会主日礼拝説教「真理を歪める者」吉浦玲子季節外れの話題ですが、今年は庭の奉仕をしてくださる方がまいてくださったひまわりがたいへん大きく育って、2メートルを越えるような高さになって、そしてまたとても長い期間、11月までも花を咲かせてくれました。福音書の中に、「からし種」のたとえ話が出てきます。からし種はとても小さな種だけれども、成長すると大木になる、小さな信仰もそのように成長することができるというたとえです。からし種の種を実際に見たことがありますが、ほんとうに小さくて、ゴマ粒よりも小さな種でした。ひまわりの種はからし種よりはずっと大きな種です。教会学校の生徒さんが、花のあとから種をとってくれましたが、薄い楕円形の1センチから2センチほどの大きさの種です。からし種より大きいと言っても、種...ペトロの手紙Ⅱ第2章1~10節

  • ルカによる福音書第3章7~20節

    2021年11月28日日大阪東教会主日礼拝説教「あなたを切り倒す斧」吉浦玲子<クリスマスの驚き>アドベントが始まりました。アドベントではなく、一足早くクリスマスの思い出ですが、まだ小学校に上がる前のことです。ある朝、目が覚めると枕元に、折り紙が置いてありました。普通に文房具屋で売ってある何の変哲もない折り紙です。なぜ折り紙が置いてあるのか分かりませんでした。折り紙を手に取って怪訝そうにしている私に母が言いました。「今日はクリスマスだから」と。ひょっとしたら、それ以前にも、クリスマスプレゼントというものは貰っていたのかもしれませんが、記憶にあるクリスマスプレゼントはそれが初めてでした。私にとって初めてのクリスマスの体験でした。へえ、クリスマスというのは、折り紙がもらえるのだ、子供心にそう感じました。我が家はクリス...ルカによる福音書第3章7~20節

  • ペトロの手紙Ⅱ第1章16~21節「そこに明りはある」

    2021年11月21日大阪東教会主日礼拝説教「明りはそこにある」吉浦玲子次週からアドベントが始まります。クリスマス前の4週がアドベントです。待降節、クリスマスを待ち望む季節です。教会の暦はこのアドベントから始まります。長老教会ではあまり教会暦ということを言いませんが、教会の一年はアドベントから始まるのです。ですから、今週はまさに教会が新しい年に向かっていく時であり、心を新たにして信仰生活を整えるべき時です。私自身は、アドベントから聖書通読を新たに始めたいと思って、この時期、遅れていた予定を取り戻すべく焦って大量に聖書を読んだりすることもあります。しかし、そういう形だけのことではなく、私たちがほんとうに今このときに覚えなければいけないことは、キリストを中心にしっかりと立つということです。そのキリストはどなたなのか...ペトロの手紙Ⅱ第1章16~21節「そこに明りはある」

  • ペトロの手紙Ⅱ第1章12~15節

    2021年11月14日大阪東教会主日礼拝説教「あなたが世を去ったあとも」吉浦玲子昨日、まだ十代の少年ーその実績からして少年などと軽々しく呼んではいけない感じですが―が将棋の世界で4つ目のタイトルを取ったというニュースが流れました。将棋のことはまったく分からないながら、とんでもないことなのだろうなと感じました。世の中には将棋の世界のみならず、とびぬけた才能で、記録に残る人々、歴史に残る人々がいます。翻って聖書の世界を見ますと、たしかに優れた人物は出てきます。ダビデやソロモンはイスラエルに帝国を打ち立てました。ダビデは戦争の天才であったと言えますし、ソロモンは行政においての天才であったといえます。しかし、ダビデもソロモンも聖書ではその天才性を称賛されているわけではありません。彼らの上に働かれた神の働きが記され、神の...ペトロの手紙Ⅱ第1章12~15節

  • ペトロの手紙Ⅱ第1章5~11節

    2021年11月7日大阪東教会主日礼拝説教「たしかな天国」吉浦玲子私自身はまだお授けした経験がありませんが、世の中には、地上の命があとわずかとなった時に病床で洗礼をお受けになる人がいます。かなり切迫した状況での緊急洗礼になることもあります。ある先生は、教会員から自分の高齢となった叔父のところへ訪問してほしいと頼まれ訪問されました。その叔父さんはクリスチャンではなく教会にも来たことのない方です。ご高齢で外出がままならず、クリスチャンの姪が、病で余命いくばくもない叔父さんにせめて一度でも牧師から聖書の話を聞いて欲しいと願って牧師に頼んだのです。牧師は、その会ったことのない叔父さん方に行くとき、ふと感じるところがあって、洗礼式の準備をしていったそうです。はたして、訪問をすると、叔父さんはすでにキリスト教のことはご自身...ペトロの手紙Ⅱ第1章5~11節

  • ヨハネの黙示録第21章1~5節

    2021年10月31日須磨月見山主日礼拝説教(逝去者記念礼拝)「涙はぬぐわれる」吉浦玲子<耳で聞かれた手紙>「わたしはまた、新しい天と地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」迫害されてパトモス島に流されていたヨハネは新しい天、新しい地を、幻に見ました。「ヨハネの黙示録」という書名にある黙示とは、隠されていたものが示されるということで、啓示と同じような言葉です。黙示で示されることは、これから起こることでありますが、はっきりとした筋書きや期日や内容が示されるわけではなく、幻のようなイメージで示されます。「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。(マタイ24:36)」そのように福音書に記されているように、やがてくる決定的な<その日その時>のことは、...ヨハネの黙示録第21章1~5節

  • ペトロの手紙Ⅱ第一章1~11節

    2021年10月24日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子<招かれた私たち>主イエスは罪人のただなかに来てくださいました。主イエスは徴税人や娼婦といった社会的に見たら軽蔑されていた人々,神からもっとも遠いと思われていた人々と食事を共にされ、救いの言葉を語られました。そして、そのもっとも神から遠いと思われていた人々が救われました。言(ことば)なる神と出会い、その言葉を聞いて信じ、多くの人が救われました。その救いは私たちにも与えられました。私たちは2000年前、ローマの手先として同胞から金を搾り取っていた徴税人や、あるいは罪深い娼婦とは異なった存在だったでしょうか?神の前に罪人であることにおいて、まったく違いはなかったと言えます。私は確かに罪人だったかもしれないけれど、徴税人よりはマシだとか、娼婦ほどではない、そうい...ペトロの手紙Ⅱ第一章1~11節

  • ペトロの手紙Ⅰ第5章6~14節

    2021年10月10日大阪東教会主日礼拝説教「悪魔への抵抗」吉浦玲子<思い煩いをゆだねられるか>「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」とペトロは語ります。この言葉は、福音書の中にある主イエスご自身の「思い悩むな」という言葉と響き合います。「明日のことを思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:34)」私たちの日々には思い煩い、思い悩みが多くあります。小さな子供であっても、さまざまに胸を痛めて思い悩みます。そんな私たちをこれらの言葉は慰めてくれます。実際、大きなトラブルがあって夜も眠れない状態で思い悩んでいたノンクリスチャンの友達に、このマタイの言葉をメールしたことがあります。普段は宗教的なことを嫌う友人が「ほっとする言葉ですね」とその夜はゆっくり眠ること...ペトロの手紙Ⅰ第5章6~14節

  • ペトロの手紙Ⅰ第5章1~5節

    2021年10月10日大阪東教会主日礼拝説教「高慢こそ罪の根源」吉浦玲子<弱さと痛みにゆえに>昔、お世話になった隠退牧師があります。女性の牧師でした。いまよりも、女性の牧師の数が少なく、さまざまに制約のあった時代に、女性の牧師として道を切り拓い方でもあります。その先生は、現役時代、4つの教会でそれぞれに会堂建築をされた方でもあります。その4つとも、小さな教会で、経済的には常識的に考えて会堂建築なんて無理と思われていたところでした。にもかかわらず、建築を実現された。話をしていても大変迫力がある方でした。ずばずばと厳しくはっきりものは言われる方で、男性の牧師がたじたじとなるような方でした。しかしまた言葉の奥に愛を感じる方で、皆が頼りにしていました。その牧師と共通の知人がいて、その知人から聞いたことです。その牧師先生...ペトロの手紙Ⅰ第5章1~5節

  • ペトロの手紙Ⅰ4章1~12節

    2021年10月3日日大阪東教会主日礼拝説教「恥多き人生でよし」吉浦玲子<キリストさん>キリスト者、英語でいうところのクリスチャンという言葉が使われ出したのは、もともとユダヤ教の一派と思われていた初期のキリスト教徒たちが、ユダヤ人以外の、聖書でいうところの異邦人への伝道を開始したころです。使徒言行録で少し前に皆さんとお読みしたところでもありますが、初代教会最初の殉教者ステファノの死を契機にエルサレムでキリスト教徒への迫害が始まり、多くの人々がエルサレムから各地に散らされました。その散らされた先の一つであるアンティオキアという町で熱心に伝道がなされました。バルナバの働きがあり、またバルナバに見いだされたパウロも本格的に活動を開始したころです。キリスト者、クリスチャンという言葉には、当時、善いニュアンスがあったのか...ペトロの手紙Ⅰ4章1~12節

  • ペトロの手紙Ⅰ第4章5~11節

    2021年9月月26日日大阪東教会主日礼拝説教「万物の終わり」吉浦玲子<ゴールとは>昔、ソフト開発の仕事をしていたとき、開発が当初の予定より遅れ遅れになって、たいへんだったことがあります。「だったことがあります」と言いましたが、実際は、ほとんど毎回そうだったのです。だいたい新規の技術をいますから、そもそも開発に必要な時間が正確には見通せないなかで、営業的な必要から終わりの日程だけが決まっているような場合が多かったのです。そうこうしているうちに、開発が遅れ、結局、製品自体の発売が遅れることになって、ソフト開発のスケジュールも再度調整されるということがありました。スケジュールが伸びて、開発が楽になったともいえるのですが、むしろ、精神的にはしんどい面がありました。ゴールに向かって走っていたのに、ゴールがうしろに下げら...ペトロの手紙Ⅰ第4章5~11節

  • ペトロの手紙Ⅰ第4章1~4節

    2021年9月月19日日大阪東教会主日礼拝説教「あなたの残りの生涯」吉浦玲子<罪の世ゆえの苦しみ>苦しみということをペトロは手紙の中で、繰り返し語っています。クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、生きている限り苦しみにあいます。二年前、高齢者が運転する車が暴走して多くの死傷者が出た事件がありました。運転をしていた、つまり加害者の老人は、かたくなに車の欠陥のためであると主張し、自らの過失を認めませんでした。しかし、最近のニュースによれば、ようやく裁判が終わり、判決が出て、原因は加害者の過失であるとされ、加害者の男性に実刑が言い渡されました。それに対して、加害者は控訴せず、刑を受けることが確定しました。事件で、愛する家族を失った被害者の男性がその結果をうけて、コメントを発表されていました。この交通社会の中で、...ペトロの手紙Ⅰ第4章1~4節

  • ペトロの手紙Ⅰ第3章10~22節

    2021年9月月12日日大阪東教会主日礼拝説教「正しいことのために苦しむとは」吉浦玲子<義のために苦しむ>ずいぶん前ですが、広島のイエスズ会聖ヨハネ修道院というところにいったことがあります。新幹線の広島駅から乗り換えて、それほど遠くはなかったと思いますが、初めて行ったので、行くのは少々ややこしかった記憶があります。広島市内ですが、郊外の、自然が豊かにある地域に修道院は建っていました。まだ牧師への献身を志すずっと前で、いろいろ思うところがあって、一人でいって、一泊して黙想をしました。その修道院は純和風の建物で、ミサを行う聖堂は畳敷きでした。一見、修道院と教会とはいうようには見えません。むしろお寺のようでした。その修道院は、広島に原爆が投下された時、被害を受けましたが、倒壊は免れ、幸い、当時いた修道院のメンバーにも...ペトロの手紙Ⅰ第3章10~22節

  • ペトロの手紙Ⅰ第3章1~10節

    2021年9月月5日日大阪東教会主日礼拝説教「命の恵みを受け継ぐ」吉浦玲子「妻たちよ、自分の夫に従いなさい」とペトロは語っています。ペトロは、前の章で、この世の権威、権力者に従うこと、召使、つまり奴隷に対して主人に従うことを促しています。この世の力ある者に従いなさいと言っているのです。その流れの中で、今日の箇所では、妻にとって、当時は絶対的な権力者であった夫に従うようにと勧めています。ペトロの時代、女性の地位は今と比べものにならないほど低かった、低いというより、人間としてカウントされていなかったと言えます。今日の聖書箇所を読んで、雇用均等世代である私は、正直、すっきりとは受け取れないところがあります。男女平等が一応は叫ばれていて、家族制度も旧憲法下の家長をいただくあり方とは異なっています。一方的に妻に夫に従えと...ペトロの手紙Ⅰ第3章1~10節

  • ペトロの手紙Ⅰ第2章18~25節

    2021年8月月29日日大阪東教会主日礼拝説教「帰ってきたあなたへ」吉浦玲子<不当な苦しみを望まれる神?>今日の聖書箇所で語られています召し使いとは、奴隷のことです。ここでいう奴隷とは、戦争で捕らえられた捕虜が、家に連れて来られてその家の奴隷として仕えることになった人々を指すようです。当時、ローマ帝国には6000万人くらい奴隷がいたようです。キリスト者の中にも奴隷が多かったと考えられます。ある神学者はペトロの手紙の中でこの部分が一番熱心に読まれたのではないかと語っています。今日の私たちからすると召し使いとか奴隷と言われるとピンとこないのですが、この手紙が書かれたころはむしろ切実に読むキリスト者が多かった部分のようです。ペトロは、その奴隷たちに主人に仕えなさいと説きます。それも上っ面ではなく心からおそれ敬って主人...ペトロの手紙Ⅰ第2章18~25節

  • ペトロの手紙Ⅰ第2章11~17節

    2021年8月月22日日大阪東教会主日礼拝説教「神を畏れ人を敬う」吉浦玲子<漂流しているのか>ちょうど一年前になるのですが、天満橋の大川に浮かんでいるラバーダックというものを見に行きました。ラバーダックというのは、巨大なアヒルの模型です。高さ9.5m、幅9.5mで、ちょっとした船よりも大きく、大きさ的にはかなり威圧感があるのですが、見た目は、子供がお風呂に浮かべるようなかわいい黄色のアヒルのおもちゃなのです。そのかわいい黄色のアヒルのおもちゃが巨大化して川にぷかぷか浮かんでいて、ある種、シュールな感じもあります。オランダのアーティストが作成して、ヨーロッパ、アジア、アメリカなど各国の川に浮かべて展示されてきたものです。それが、一年前、大阪の天満橋付近の川にも一カ月ほど浮かんでいたのです。その表題が「漂えど沈まず...ペトロの手紙Ⅰ第2章11~17節

  • ペトロの手紙Ⅰ第2章6~10節

    2021年8月月15日日大阪東教会主日礼拝説教「かけがえのないもの」吉浦玲子<石>西日本を中心に全国的に大変な量の雨が降り続いています。とんでもない積算降水量で、関西を含め、今後も、災害の危険性が高く、予断を許しません。私の出身地は昨日、特別警報の対象地域になっていました。実際、子供のころ、水害にあった記憶があります。もともと雨は多かった地域ですが、ここ数年の豪雨は子供のころの水害とはまた全然スケールが違うと感じます。地球全体の環境の変化のせいなのか、雨が降り続くと、昔には感じなかったような不安を感じます。それに加えて、終息の気配が見えない新型コロナ感染症もガンマ株が猛威を振るっているというニュースもあれば、ラムダ株が国内で発見されたというニュースもあり、不安が募ります。不安が募りますが、しかしなお、私たちは神...ペトロの手紙Ⅰ第2章6~10節

  • ペトロの手紙Ⅰ第2章1~6節

    2021年8月月1日日大阪東教会主日礼拝説教「わたしのもとに来なさい」吉浦玲子<神との関係>ペトロは語ります。「だから」、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の父を慕い求めなさい」。「だから」と冒頭にあります。もともと、聖書の原典には章や節という区切りは存在しません。ヘブライ語で書かれた旧約聖書も、ギリシャ語で書かれた新約聖書も、もともと章や節はありませんでした。章ができたのは13世紀くらいで、節ができて普及したのは、15世紀から16世紀にかけてで、かなり遅いのです。今日、私たちは章や節で区切られた聖書を普通に読んでいますが、ペトロの手紙も、もともとは基本的には最初から最後まで区分けはされずに読まれていたものです。今日の聖書箇所、2章の冒頭が「だか...ペトロの手紙Ⅰ第2章1~6節

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章13~25節「ほんとうの平和」

    2021年8月月1日日大阪東教会主日礼拝説教「ほんとうの平和」吉浦玲子<私たちの平和>私たちが過去にどのような者であったとしても、今現在どのような者であっても、私たちはキリストによってすでに贖われた、つまり罪赦され、罪から自由とされ、救われています。「あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」とペトロが語っている通りです。しかし、私たちは今現在においては、完全な者ではありません。依然として罪を犯しますし、弱さを持っている存在です。が、それでもキリストの血によってすでに清められた者です。そのことは小さなことではありません。私たちは今も罪を犯しますが、だからといって、キリストの尊い血によって清められ、救いを...ペトロの手紙Ⅰ第1章13~25節「ほんとうの平和」

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章13~20節

    2021年7月25日日大阪東教会主日礼拝説教「聖なる生活」吉浦玲子<再臨>ペトロは「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」と語ります。聖書箇所のこの前の箇所では、キリストの十字架による救いの成就は旧約聖書の時代の預言者も、天使すらも見て確かめたいと願っていたことなのだとペトロは語っていました。その預言者たちや天使すらも待望していた救いが成就された世界に、今私たちは生きています。「だから」さらに未来に向かって待ち望みましょう、とペトロは語ります。ここで「キリストが現れるとき」というのは、キリストがこの世界にふたたび来られる再臨の時のことです。これはいつのことか分かりません。明日かもしれませんし、千年後かもしれません。竹森満佐一牧師は東京...ペトロの手紙Ⅰ第1章13~20節

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章10~12節

    2021年7月18日日大阪東教会主日礼拝説教「この時代に生きることの恵み」吉浦玲子<昔からの願い>私たちは、かつて誰かが思い描いた時代を生きている、ということを時々言われます。レオナル・ド・ダヴィンチは1490年に羽ばたく形式の飛行機のデザインを描いています。人間が空を飛ぶ、そのことは長い間、人々が思い描いて、技術が人間のそんな思いに追いついて来て、1903年ライト兄弟によって初の有人飛行が実現しました。うちの子供は平成元年に生まれましたが、その子供が小学生の頃、母である私の子供のころに、パソコンもゲーム機も携帯電話もなかったと聞いてたいへん驚いて、「お母さんの子供のころは戦争だったのか」と言われたことがありました。子供にしてみれば、自分にとって当たり前にあるものがない世界というのは、とてつもなく遠い時代のよう...ペトロの手紙Ⅰ第1章10~12節

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章8-9節

    2021年7月11日日大阪東教会主日礼拝説教「見えないものを愛する」吉浦玲子<なんたる恵み>ペトロは語ります。万感の思いをもって語ります。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉で言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」キリストが地上におられた時、十字架の前も、復活ののちも、一番近くにいたペトロです。キリストとただ二人だけで語りあったこともある、多くの弟子たちの中で、キリストのもっとも近くにいたペトロでした。そのお姿も、声も、ちょっとしたしぐさや癖も知っていたでしょう。キリストの奇跡も目の前で見たのです。なんといっても復活のキリストと出会ったのです。そんなペトロが肉体においてキリストを実際に見たことのない人々の姿に驚いているのです。彼らはキリストを愛している、信じ...ペトロの手紙Ⅰ第1章8-9節

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章5~7節

    2021年7月4日日大阪東教会主日礼拝説教「終わりの時」吉浦玲子<終わりの時>「あなたがたは終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」こうペテロは語ります。ここで、「終わりの時」とあります。終わりというと、「ジエンド」であり、一般的には、あまり良いものとは考えられません。「ああ、わたしはもうおしまいだ、おわりだ」という言葉は絶望の言葉です。しかし、聖書が語る「終わりの時」は、神の救いが完成する時です。聖書の神を信じる私たちは終わりの時の希望に生きています。そう聞いても、特に若い方は、何か遠い先のことのように、自分とは関係のないことのように思われるかもしれません。終わりの時は、ゴールと考えていいかもしれません。いま、ペトロの手紙を読んでいますが、しばら...ペトロの手紙Ⅰ第1章5~7節

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章1~5節

    2021年6月27日日大阪東教会主日礼拝説教「神の相続人」吉浦玲子<聖なる者とされ>先週から「ペトロの手紙Ⅰ」を共にお読みしています。この手紙は少しずつ読んでいこうと思っております。場合によっては、前の週に予告した聖書箇所と重なる部分を読むこともあるかと思いますし、予告と少しずれたりするかもしれません。いずれにしても、少しずつ、じっくりと味わって読んでいきたいと願っています。さて、2節に「あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、」という言葉があります。ペトロは手紙を読むキリスト者に対して<あなたたちは聖なる者とされた>と語っているのです。「聖」という言葉はヘブライ語では、もともと「分離」「区別」という意味を表すと言われます。特に神と人間の関係において、当然、...ペトロの手紙Ⅰ第1章1~5節

  • ペトロの手紙Ⅰ第1章1~2節

    2021年6月20日日大阪東教会主日礼拝説教「選ばれし者へ」吉浦玲子<使徒ペトロ>今日から「ペトロの手紙Ⅰ」を共に読んでいきます。その冒頭に、「イエス・キリストの使徒ペトロから」と挨拶の言葉が書かれています。「ペトロの手紙」は、主イエスの12人の最初の弟子たちの内の一人であるペトロが書いたものであると長く考えられてきました。これから「ペトロの手紙」を読もうという時にいきなり少しがっかりさせてしまうかもしれませんが、近年の研究では、この手紙は、ペトロ自身が著者でない可能性を指摘されています。しかし、私たちはこの手紙の内に、かつてガリラヤの漁師であったペトロ、主イエスに「あなたの岩の上に教会を立てる」と言われたペトロ、逆に主イエスから「サタン、退け」と手厳しくお叱りを受けたペトロ、さらには「イエスなんて知らない」と...ペトロの手紙Ⅰ第1章1~2節

  • マルコによる福音書第14章66~72節

    2021年6月13日大阪東教会主日礼拝説教「神を裏切った男」吉浦玲子<神を知らないと言った男>今日の聖書箇所は、受難節にお読みすることの多い有名な場面です。主イエスが逮捕された時、弟子たちは、皆、イエスを置いて逃げました。しかし、ペトロはやはり主イエスのことが気になったのでしょう。主イエスが連行された大祭司の家の庭に入り込んでいました。他の福音書には弟子の中に大祭司の知り合いがいて、この庭に入ることができたと記されています。大祭司の家では、主イエスに対する裁判が行われていました。その裁判は当時の法と照らし合わせても不法なあり方で行われていました。大祭司の家では、まさに夜の闇に乗じるように、ある意味、国家レベルの犯罪が行われているのです。そしてそのまさに不正な裁判が進んで行く横で、ペトロという一人の人間の罪もまた...マルコによる福音書第14章66~72節

  • マルコによる福音書第8章31~38節

    2021年6月6日大阪東教会主日礼拝説教「命を失うものが命を得る」吉浦玲子<サタン、引き下がれ>今日、お読みした聖書箇所では、ペトロが、弟子たちを代表して主イエスに叱られています。しかも、「サタン、引き下がれ」とサタン呼ばわりまでされています。「サタン」とは敵対する者、妨害する者という意味です。主イエスはかなり手厳しくお叱りになったのです。なぜこのようなことになったのでしょうか。そもそも今日の聖書箇所の前の部分には、主イエスがご自身のことを何者だと思うのかと弟子たちに問われる場面がありました。それに対し、ペトロはここでも弟子たちを代表して「あなたは、メシアです」と答えています。メシアという言葉は、もともと<油注がれた者>という意味で、旧約聖書においては王とか特別に神に選ばれた者を指していました。王は実際に油を注...マルコによる福音書第8章31~38節

  • 使徒言行録第28章

    2021年5月30日大阪東教会主日礼拝説教「ゴールを目指して」吉浦玲子【説教】<やはり理解しない人々>ローマを目指していたパウロ一行は、難破して散々な目にあいましたが、結果的には一人たりとも命は失われずマルタ島へ上陸しました。マルタ島には三ヶ月滞在しましたが、その間、パウロは蝮に絡みつかれても無事だったり、また、島の長官の父親を癒したり、さらには多くの島の病人も癒しました。これらは聖書によくある奇跡物語のように読めますが、これらの逸話から、なにより神がパウロを守っておられ、ローマに向かうにあたり必要な物が備えておられることが読み取れます。船が難破して、荷物を失い、身一つでマルタ島に上陸したパウロたちでしたが「彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」とあるように...使徒言行録第28章

  • 使徒言行録第27章

    2021年5月23日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子【説教】<不安な船出>パウロはいよいよローマへ向けて船出しました。しかし、その旅は、これまで同様、順風満帆とは程遠い過酷なものでした。しかし、ひとつ幸いないことに、この旅にはこの使徒言行録の著者であるルカを始め、マケドニア人アリスタルコも同行しました。アリスタルコは19章でエフェソで騒動が起こったとき共にいた弟子として名前が出ていた人です。この27章から、使徒言行録の記述は、ふたたび「わたしたち」という表現になっています。著者であるルカが共にいたからです。パウロは囚人でありながら、皇帝直属部隊の百人隊長の好意によって、仲間との同行がゆるされ、シドンに入港したときは、その町で友人たちと会うこともできたのです。この船にはパウロ以外にもローマに護送される囚人が乗っ...使徒言行録第27章

  • 使徒言行録第26章19~32節

    2021年5月16日大阪東教会主日礼拝説教「人間には愚かで神には貴いこと」吉浦玲子【説教】<光を語り告げる人>さて、先週、共にお読みした箇所の最後にところ26章18節にキリストがパウロに語った言葉がありました。「こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである」。彼らとはユダヤ人と異邦人、つまりすべての人です。そのすべての人が罪赦され、恵みの分け前にあずかるようになるためにキリストはパウロに語られました。神を知らず、神に背いていた人間が、その罪を赦され、そして赦されるのみならず、恵みの分け前までも与えられる、そのことのためにパウロはキリストによって伝道者とされました。恵みとは、神と共に生きることです。良き時も悪しき時も、神が共にいてくださり...使徒言行録第26章19~32節

  • 使徒言行録第25章13~26章18節「復活は捏造か」

    2021年5月9日大阪東教会主日礼拝説教「復活は捏造か」吉浦玲子【説教】<闇の中にある人々>ローマの総督フェストゥスのもとにアグリッパ王が表敬訪問に来ました。このアグリッパ王はヘロデ大王のひ孫にあたります。ヘロデ大王はマタイによる福音書にでてきますように、主イエスがお生まれになったころ、幼子の主イエスを殺そうとしてベツレヘムの二歳以下の子供たちを虐殺した悪名高い王でした。アグリッパ王はその血を引います。この一族のもともとの出自についてはいろいろな説がありますが、純粋なユダヤ人の血筋ではないといわれます。そして代々、ローマの傀儡として、王であったり領主としてイスラエルを統治していました。そのヘロデ大王のひ孫のアグリッパ王が新しく赴任してきたローマ総督のもとにあいさつに来ました。王といっても実際はローマの支配下にあ...使徒言行録第25章13~26章18節「復活は捏造か」

  • 使徒言行録第25章1~12節

    2021年5月2日大阪東教会主日礼拝説教「裁くのは誰か」吉浦玲子【説教】<八方はふさがっていても>パウロはローマ皇帝に上訴しました。もともと、どうにかしてパウロを裁きたいユダヤ人たちと、ユダヤ人の機嫌を取りつつうやむやにしたいローマ総督の間で、事態は膠着状態でした。そもそもパウロには訴えられるべき罪はありませんでした。それはローマ総督にも分かっていたのです。しかし、膠着状態は二年続きました。その二年はパウロにとって苦しいものであったと思います。ローマへ行くという願いは叶わぬまま、監禁状態が続きました。確かに神に示されたローマへの道がいったいどうなるのか、神へ信頼しつつもパウロは悩み苦しんだでしょう。ローマ総督がフェリクスからフェストゥスに代わって、少し事態が動きました。フェストゥスは前任者よりもスピーディーに物...使徒言行録第25章1~12節

  • 使徒言行録第24章1~27節

    2021年4月25日大阪東教会主日礼拝説教「長い闘い」吉浦玲子【説教】<聖霊が語らせてくださる>パウロがエルサレムの教会のための献金をもって、エルサレムへと上ってきてから目まぐるしいことが起こりました。逮捕、最高法院での裁き、カイサリアへの移送などがありました。今日の聖書箇所では、エルサレムのユダヤの権力者たちがパウロをローマ総督フェリクスに訴えるためにやって来た場面です。まず、ユダヤの権力者側の弁護士テルティロがローマ総督フェリクスにパウロを訴えます。弁護士は前半は、慇懃にローマに対して賞賛と感謝を述べ、自分たちがローマに対して従順であることを示します。そしてパウロに関しては、パウロはユダヤの律法を犯し、ユダヤ人の間で騒動を起こしている、さらには神殿までも汚した者なのだと告発します。新共同訳聖書の本文にはあり...使徒言行録第24章1~27節

  • 使徒言行録第23章12~35節

    2021年4月18日大阪東教会主日礼拝説教「試練を突き抜ける」吉浦玲子【説教】<宗教的熱狂ではない>パウロは逮捕され自由を奪われていました。そもそもパウロはエルサレムが自分にとって危険な町であることを覚悟の上でエルサレムにやってきました。エルサレムの教会に各地の教会から集めた献金を捧げるためでした。そのエルサレムでパウロは、やはり、捕らわれの身となってしまいました。エルサレムの神殿で騒動が起き、ユダヤ人たちから半殺しの目に遭いましたが、ローマの兵によって助け出されました。パウロはエルサレムのユダヤ人たちに弁明をしましたが、むしろさらに騒ぎが大きくなりました。そこでふたたびローマ兵によってパウロは人々から引き離されました。ローマ兵はパウロを拷問にかけて自白させようとしましたが、パウロはローマの市民権を持っていたの...使徒言行録第23章12~35節

  • ヨハネによる福音書第20章24~29節

    2021年4月11日大阪東教会主日礼拝説教「見よ、主が目の前に」吉浦玲子【説教】<疑ってはいけないのか>昨日、教会学校教師会を兼ねた青年会をネット会議システムで行いました。ほぼ毎月、ネットで開催をしているのですが、昨日はマルコによる福音書から、マグダラのマリアに復活のイエス様が現れる場面を黙想しました。未信徒の方も含めて青年たちの疑問は「なぜマグダラのマリアに最初に主イエスが現れられたのか?」ということでした。弟子の格付けからしたら一番弟子ともいえるペトロに最初に主イエスが現れられて良いはずです。しかし、なぜマグダラのマリアなのか?その説明はさまざまにされていますが、一つ言えますことは、神のなさることの順序は人間には理解できないということです。人間の側の順番や格付けや忖度と神のなさることの順序は全く関係しないと...ヨハネによる福音書第20章24~29節

  • ルカによる福音書第24章36~49節

    2021年月日大阪東教会主日礼拝説教「約束を守られる神」吉浦玲子【説教】<復活の生々しさ>キリストは復活されました。肉体をもって復活されました。それは生々しい出来事でした。復活は、キリストは亡くなれたけれど、心の中にいつまでも生きておられる、というようなことではありません。あるいは霊的な存在として主イエスは生きておられる、そういうことではありません。十字架におかかりになるまえと同様に、肉体をもって、復活をされました。そしてそのお姿は光り輝くものではなく、そのお体にはたしかに、十字架におかかりになったときの釘の跡、槍て突かれた傷の跡が、生々しく残っていました。それは、主イエスが十字架の上で息を引き取られて三日目のことでした。それは、弟子たちの中に混乱を生じさせました。まず女性たちが主イエスの墓に行ったら墓が空にな...ルカによる福音書第24章36~49節

  • 使徒言行録第22章22~第23章11節

    2021年3月28日大阪東教会主日礼拝説教「勇気こそ地の砂」吉浦玲子【説教】<この人を見よ>今日は棕櫚の主日です。棕櫚とは、イエス様がエルサレムに入っていかれた時、熱狂した民衆がなつめやし―口語訳聖書や文語訳聖書では棕櫚と訳されていた―の葉を振って歓迎したことから言われます。この棕櫚の日、日曜日から、主イエスのご受難の一週間が始まりました。主イエスは木曜日の夜に逮捕され、金曜日に死刑の判決を受け、十字架にかかられます。当時、ローマ帝国に支配されていたユダヤ人には正式に人を死刑にする権利はなかったので、権力者たちはローマの力を利用して主イエスを死刑にしました。実際のところ、当時のローマの総督のポンテオ・ピラトは、主イエスが死刑になるような罪を犯してはいないことが分かっていました。ヨハネによる福音書19章では、茨の...使徒言行録第22章22~第23章11節

  • 使徒言行録第21章37節~22章21節

    2021年3月21日大阪東教会主日礼拝説教「大胆に語れ」吉浦玲子【説教】<語らずにはいられない>いま、受難節を私たちは過ごしています。受難節は、主イエスの十字架のお苦しみを覚える時です。そして、その苦しみが何のためであったか、そのことをよくよく覚える時です。私たちは繰り返し繰り返し、聞いてきました。キリストの十字架が私たちの罪のためであったことを。キリストを十字架につけたのは他ならぬ私たち自身であったということを。2000年前の遠い国の出来事、歴史家のヨセフスの歴史書に小さく記述されているエルサレムでのイエスという男の処刑の記事、それが2021年を生きている私たちの存在の根幹にあること、その驚くべきことを私たちはこれまでも聞かされてきています。聖書から聞かされ、そして聖霊によって知らされています。しかしまた、一...使徒言行録第21章37節~22章21節

  • 使徒言行録第21章17~36節「聖なる場所とはどこか」

    2021年3月14日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子【聖書】わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。だから、わ...使徒言行録第21章17~36節「聖なる場所とはどこか」

  • 使徒言行録第21章1~16節「別れの先にあるもの」

    2021年3月7日大阪東教会主日礼拝説教「別れの先にあるもの」吉浦玲子【聖書】わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交...使徒言行録第21章1~16節「別れの先にあるもの」

  • 使徒言行録第20章13~38節

    2021年2月28日大阪東教会主日礼拝説教「受けるより与えよう」吉浦玲子【聖書】さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである。アソスでパウロと落ち合ったので、わたしたちは彼を船に乗せてミティレネに着いた。翌日、そこを船出し、キオス島の沖を過ぎ、その次の日サモス島に寄港し、更にその翌日にはミレトスに到着した。パウロは、アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである。パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話...使徒言行録第20章13~38節

  • 使徒言行録第20章1~12節

    2021年2月21日大阪東教会主日礼拝説教「礼拝中に居眠りをした青年の末路」吉浦玲子【聖書】この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、...使徒言行録第20章1~12節

  • 使徒言行録第19章21~40節

    2021年2月7¥14日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子【聖書】このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったもの...使徒言行録第19章21~40節

  • 使徒言行録第19章11~20節「罪の告白」

    2021年2月7日大阪東教会主日礼拝説教「罪の告白」吉浦玲子【聖書】神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼ら...使徒言行録第19章11~20節「罪の告白」

  • 使徒言行録第18章24節~第19章10節

    2021年1月31日大阪東教会主日礼拝説教「翼を広げて上る」吉浦玲子【聖書】さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。アポロがコリントに...使徒言行録第18章24節~第19章10節

  • 使徒言行録第18章1~23節

    2021年1月24日大阪東教会主日礼拝説教「語り続けよ」吉浦玲子【聖書】その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あ...使徒言行録第18章1~23節

  • 使徒言行録第17章1~28節

    2021年1月17日大阪東教会主日礼拝説教「知られざる神」吉浦玲子【聖書】パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前...使徒言行録第17章1~28節

  • 使徒言行録第16章16~40節「真夜中の賛美」

    2021年1月10日大阪東教会主日礼拝説教「真夜中の賛美」吉浦玲子【聖書】わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った...使徒言行録第16章16~40節「真夜中の賛美」

  • 使徒言行録16章11~15節

    2021年1月3日大阪東教会主日礼拝説教「主が心を開かれる」吉浦玲子【聖書】わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。【説教...使徒言行録16章11~15節

  • 使徒言行録第16章6から10節

    2020年12月27日大阪東教会主日礼拝説教「出発」吉浦玲子【聖書】さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。【説教】<神のご計画が優先される>パウロたちは宣教の旅を続けていました。熱心にキリストを証...使徒言行録第16章6から10節

  • イザヤ書第40章1~2節

    2020年12月20日大阪東教会主日礼拝説教「涙がぬぐわれる時」吉浦玲子【聖書】イザヤ書40章1~2節慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。ヨハネの黙示録21章1~4節わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙...イザヤ書第40章1~2節

  • サムエル記下第7章1~17節

    2020年12月13日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子【聖書】王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの...サムエル記下第7章1~17節

  • 詩編第2編1~12節

    2020年11月29日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子【聖書】なにゆえ、国々は騒ぎ立ち/人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して/主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか「我らは、枷をはずし/縄を切って投げ捨てよう」と。天を王座とする方は笑い/主は彼らを嘲り憤って、恐怖に落とし/怒って、彼らに宣言される。「聖なる山シオンで/わたしは自ら、王を即位させた。」主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子/今日、わたしはお前を生んだ。求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし/地の果てまで、お前の領土とする。お前は鉄の杖で彼らを打ち/陶工が器を砕くように砕く。」すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。畏れ敬って、主に仕え/おのの...詩編第2編1~12節

  • エレミヤ書23章1~8節「主は我らの救い」

    2020年11月29日大阪東教会主日礼拝説教「主は我らの救い」吉浦玲子【聖書】「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と...エレミヤ書23章1~8節「主は我らの救い」

  • 使徒言行録第15章36節~第16章5節

    2020年11月22日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子【聖書】数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で...使徒言行録第15章36節~第16章5節

  • 使徒言行録15章22~35節

    2020年11月15日大阪東教会主日礼拝説教「重荷を降ろす」吉浦玲子【聖書】使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以...使徒言行録15章22~35節

  • 使徒言行録15章1~21節

    す。それはユダヤから下ってきた人々でした。その人々は生まれた時からユダヤ人であって、当然のように生後八日目に割礼を施されていた人々でした。その人々がアンティオキアにやってきて、多くの異邦人の信徒を見て、割礼を受けていない彼らは神の民ではないと批判したのです。現在の私たちから見たら、割礼の有無などということはナンセンスな問題のように感じます。しかしこれはある意味、根の深い問題なのです。私たちは洗礼によって神の民とされています。しかし、洗礼を受けて、体のどこかに受洗者であるというようなしるしが現れるわけではありません。肉体的にはなんら洗礼を受けても変わらないのです。教派によっては洗礼証明書を発行する教会があります。その洗礼証明書を持っていたら、神の民と言えるでしょうか。しかしそのような紙切れ一枚で神の民という証明は...使徒言行録15章1~21節

  • 使徒言行録14章21~28節

    2020年11月1日大阪東教会主日礼拝説教「信仰の門を開く」吉浦玲子【聖書】二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に...使徒言行録14章21~28節

  • 使徒言行録14章1~20節

    2020年10月25日大阪東教会主日礼拝説教「神を知る」吉浦玲子【聖書】イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。ところが、信じようとしないユダヤ人は、異邦人を唆して、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主に信頼して堂々と語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側に付いた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人を辱め、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気付いて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこで福音を告げ知らせた。リストラに、...使徒言行録14章1~20節

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