後漢 鄧禹の関中派遣 即位した劉秀は直ちにもっとも信頼する鄧禹を関中送る 鄧禹は軍紀を守らせたため、多くの者が鄧禹に降る
関中は魅力的な土地ではなくなっていたのですね。赤眉は漢を復興させようとは思っていたかも知れませんが、結局、国を立て直すだけの能力や気概は持ち合わせていなかったのです。 赤眉は関中を捨て、山東へ移動を開始します。このとき、20万の規模だったということですので、まだ大きな勢力を保っていました。 主の不在となった長安に入ったのは、劉秀の遣わした�ケ禹です。 �ケ禹は25年1月に箕関を落として関…
2020/02/29 12:00