松平忠輝長男・徳松の死の真相に迫る! ②
昨日に引きつづき徳松周辺の事情を、大胆かつ妄想的に考察していきたいと思います前回は、案内板に書いてあった徳松親子の死亡日はウソではないかと勝手に決めつけましたが、今日は忠輝改易後2人がどこに軟禁されていたかを、何の資料もなしに独断で推測します。それは、ズバリ「お竹・徳松は、忠輝の改易後、岩槻藩に預けられた!」です。「え~、それじゃあ案内板は正しかったんか~い」というブーイングが聞こえてきそうですが、それは早計。つまり、正確にいえば、「徳松たちは、当時岩槻藩主だった高力忠房に預けられたのではないか」ということです。元和2年に藩主だった高力忠房は、岩槻藩初代・高力清長の孫で、父が早世してしまったため、祖父・清長の薫陶を受けて育ちました。(祖父・高力清長の墓石。徳松の供養塔の横にありました。忠房のお墓は京都にあるそう...松平忠輝長男・徳松の死の真相に迫る!②
2020/10/30 11:40