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  • 城塞広場

    ライン河畔にあるこの広場はデュッセルドルフの旧市街にあります。〈城塞広場〉という名前は昔ここに城塞があったからなのです。13世紀の後半、漁村であったデュッセルドルフが市に昇格した時にライン河を航行する船から税金を徴収するために城塞が築かれました。16世紀後半に城塞は領主の居城としての城館に改装されたのですが、その後領主が引っ越したあと、絵画のギャラリーなどが入居していました。ところが18世紀から19世紀にかけて数多くの火災が度重なって損傷がひどくなったため、19世紀の末頃に城塔だけを残してすべての建物は撤去されたのです。その城塔には現在船舶航行博物館とカフェが入っています。第二次大戦後、破壊された広場の再建とその後の複数回の再開発を経て、こんにちに至っています。城塞広場と城塔・広場にあるモニュメントライン...城塞広場

  • イェーゲルホフ城館

    過去のブログに書きましたが、デュッセルドルフは私にとって特別な都市です。ここで学業を終えて医師免許の取得、病理専門医の資格取得、そして博士号を取得して結婚をしました。私の人生を決めた場所なのです。今回講演の依頼があってこの懐かしい市を訪れました。デュッセルドルフ市役所市街地の中心部から公園を横切って、18世紀の中頃建造されたイェーゲルホフ城館に行きました。城館への道 ・ そこにあるベンチは蛍光灯建造されて約10年後、あのゲーテがデュッセルドルフに来たときに訪れたと思われるそうです。しかしその4年後には革命軍による略奪があり、結局のところまったく住めない状態になりました。そして19世紀の初め頃ナポレオンがこの町を訪れるのを機に修理されたのです。その後貴族が住んでいたり、空き家になったり、その他いろいろなこと...イェーゲルホフ城館

  • ハノーファー市庁舎

    私の住むハノーファーの13世紀前半に建てられた最初の市庁舎が、まだ旧市街の中に旧市庁舎として残っています。現在は建物に飲食店と商店が入っているようです。旧市庁舎(Wikipediaより) 19世紀の末になってハノーファー市が工業化によって次第に広がって来た為大きな市庁舎が必要になり、現在の豪華な城館に似た新市庁舎が、ウィルヘルムII世治下の1901年から12年の歳月をかけて市の中心部の南端に建てられました。高さ97,73メートル、長さ約129メートル、そして幅がおよそ67メートルあるそうです。新市庁舎の航空写真(Wikipediaより) ・ その南側(Wikipediaより) 新市庁舎の北側 ・ 入り口を入って正面階段の上から入り口を見る1階のホールには旧市街がどのように変遷してきたかを示す模型が展示され...ハノーファー市庁舎

  • グルーネヴァルトの城館ホテル

    この城館ホテルは、ドイツの首都ベルリンのグルーネヴァルトと呼ばれる市域にある5つ星のデラックスホテルです。私がこのホテルの存在を知ったのは、2006年にサッカーの世界選手権がドイツで開催され、ドイツチームの宿舎になったときです。「へー、こんなホテルがあるのか。」と思ったのですが、格調が高そうで何となく気がひけて、泊まるのは見合わせていました。そして10年以上経った2018年、私も年をとって厚顔になったのか、その高い敷居をこえてみよう、という気になったのです。ちょうど日独センターで講演をすることになったので、この機会を利用することにしました。さて、グルーネヴァルトの城館ホテルとはどんなホテルなのでしょう。2年間の建築期間を経て1914年に完成したイタリア・ルネサンス風の建築物です。本来の意味での城館ではなく...グルーネヴァルトの城館ホテル

  • ソフィテル ・ アテネエアポート (復)

    11日間のペロポネソス半島旅行を終えて、最後の夜は再びアテネの空港ホテルです。その日のフロント係によるのでしょうか、チェックインのときの勝手が11日前とは少し違います。先回はごく普通だったのですが、今回は宿泊費を全額前払いで帳場を閉めてしまったため、部屋の冷蔵庫のキーをくれないし、(後で知ることになるのですが)レストランでの飲食費の部屋付けも出来ませんでした。客の自由を制限する、まったくもって良くないシステムですね。セットされた晩餐のテーブル・ギリシャらしい船舶の装飾パンとオリーブ油とバターレストランでも今回はシェフの挨拶の突き出しが出てきません。白黒パンとバターとオリーブ油だけです。先回はオリーブ油がなかったような、、、?飲み物はあいも変わらず妻はシャンペンと地元の赤ワインで、私はノンアルコールビール。...ソフィテル・アテネエアポート(復)

  • ミストラ遺跡

    ミストラ遺跡は、ギリシャのペロポネソス半島南東部にあるビザンツ時代の中世城塞都市の遺跡です。ユネスコ世界遺産に登録されています。13世紀の中頃山頂に城塞が築かれ、その後山の中腹に新たに滞在用の居館(のちの宮殿の一部)が建設されました。その結果、ギリシャ人民が安全を求めて城下に集まってくるようになったのです。こうしてこの地が都市として発展する土壌が作られました。発展期を迎えたのは14世紀も半ばのことで、増加しつつあった人口に対応し得る都市作りが開始されました。その発展にはめざましいものがあり、自由な気風に満ち溢れたこの地に於いて、文芸では人文主義、教会美術においては写実的な作風が特徴的である、いわゆる〈パレオロゴス朝ルネサンス〉と呼ばれる文化興隆の一典型が形成されたのです。ミストラ遺跡に車で近づいて行くと山...ミストラ遺跡

  • アンシエント メッシーニ

    アンシエント(古代の)メッシーニとは、ペロポネソス半島南西部のメッシーニ地方にある、紀元前4から3世紀に起源をもつ古代都市の遺跡です。遺跡1&2遺跡3&4遺跡5&6遺跡7&8小高い丘の上に広がっていますが、すぐ近くに大きな泉があり、そこの水がこの古代都市の成立と存続を可能にしたことがよく分かります。泉・古代遺跡に流れ込む水アンシエントメッシーニは広大で、車で数分走ってやっと、当時の都市をとり囲んでいた外壁にたどり着きます。都市をとり囲んでいた石壁1&2私たちはよく休暇用アパートメントを利用しますが、そこでの食事は材料入手の困難と調理用具の不備にもかかわらず、出来るだけ自宅での食事の延長にしたいと思っています。それで妻はちょこちょこといろいろ作ります。たとえば今晩の夕食は7種類の料理です。日常の食事で必ず食...アンシエントメッシーニ

  • ミケーネ古代遺跡

    古代都市「ミケーネ」が栄えたのは、紀元前16世紀から紀元前12世紀にかけてのことだそうです。高度な青銅器文明を持っていたそうで、いくつかの巨大な石造建築物が見られます。たとえば、「アトレウスの宝庫」と呼ばれる建造物は石室式集合墳墓で、中は円錐型に石が積み上げられています。アトレウスの宝庫の入り口と内部獅子門遺跡1&2遺跡3&4この遺跡を訪れる観光客をあてにして、道路の両側におみやげ屋とレストランが数軒ずつ並んでいますが、シーズンオフなのでほとんど営業していません。一軒だけ開いているというレストランを教えてもらいました。いち応メニューはありますが、出来るのはオムレツとサラダだけのようです。メニューにはなくて、「美味しいよ、美味しいよ。」とオーナーが一生懸命勧める料理を注文しました。豆スープ豆スープは熱々でな...ミケーネ古代遺跡

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