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2015/01/18

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  • 真面目もほどほどに 3

    人は誰でも、無意識のうちに自分の身を守ろうとします。生きるための本能としてそれは当然のことです。それが根源から湧き上がる衝動によるものであれば何の問題もないのですが、損得勘定や価値観と結びついてしまうと、たちまち我執の暴走が始まってしまいます。タチが悪いのが、そうなったとしても私たちは生き残るための本能だと信じてしまい、歯止めが効かなくなるところです。理想や信念に真面目気質が注ぎ込まれると、もう誰も止められなくなります。善と悪。正しさと間違い。対極となる相手ができると、我執の垂れ流しが始まります。褒められたいがための真面目。安心したいがための真面目。否定されない・怪我しないための真面目。「魔が刺す」という言葉がありますが、「真面目」は「魔自滅」にもなります。そしてこの仕組みをうまく使い、正義の旗を振って大衆を導...真面目もほどほどに3

  • 真面目もほどほどに 2

    正しさを追いすぎると泥沼に落ち入る危険があります。そもそもこの世には間違いというものは無いと知れば、気に食わないからといって目くじらを立て過ぎることもないわけです。しかし実際そう考えようとすると、これまで私たちの背中を押し続けてきた信念はワーワー騒いでそれを許しません。そうした時には、信念そのものを疑いの目で見る必要があるのですが、信念というのはなかなかの手練れでして、もっともらしい理屈で自分の正当化を図りに来ます。思い切って手放そうとするとやはりそれを思いとどまらせるような上手い理屈を騒ぎ立て、様々に角度を変えて、あの手この手で私たちを思いとどまらせに来ます。冒頭のケースであれば、「この世がすべてを許容しているなら好き勝手やったもん勝ちではないか、そんなのは許されない、やはり正しさは必要なんだ」というようにで...真面目もほどほどに2

  • 真面目もほどほどに

    海外誌の「今年の顔」に10代の女性活動家が選ばれました。世の大人たちに対して激しい口調で地球温暖化を訴える姿が印象的でした。「正しさ」というのは、喩えるなら夜道を照らす懐中電灯のようなものと言えます。私たちは今この瞬間だけが見えていて、一歩先は何も見えません。一寸先は闇の中。実際どこへ向かっているのか皆目、見当もつかないわけです。歴史上どの部分を切り取ってもそれは同じで、目に見えるのは常に足元だけでした。しかし生きることは進むことです。流動の世界に生きるかぎり、立ち止まることはありません。そのためわずかでも照らせる明かりを私たちは求めてきました。人によっては、その一つが「正しさ」であるわけです。それは一歩先へと差し出す、杖のようなものに喩えることも出来ます。その杖を信じればこそ、決して奈落の底へ落ちることはない...真面目もほどほどに

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