道は知にも属せず不知にも属せず1
私たちには「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)という六つの働きが有(在)ります。 しかし、六根はそういう働きだけのものです。 私たち衆生には「私」という中心になるものは無いのです。 只、「耳」に音が音として入って来るだけなのです。 同じように様々な音が一度に入って来ても、間違えることはありません。 「人(ひと)」が中心になってそういうものを、聞いたり、見たり、考えたりすると間違えの元となるのです。 何故、そのものがそのものとして、そのまま入って来るのでしょうか。 それは其処には「人の働き」がないし、「人の考え」が入らないからです。 ですから、「そのまま入る」のです。
2025/07/10 07:00