大河・かこがわ(181) 播磨地方と赤松氏(2)・中道子山城の城主は誰?
中道子山城は立派な山城です。それでは、①誰がこの城を築いたのか、②その時期はいつか、③いつまで続いたのか、ということが知りたくなります。まず、①の城を築いた人物を調べてみます。城主は誰?赤松氏則(赤松円心の四男)か?橋新五郎か?城の築城者は、はっきりしているのが普通です。でも、志方の城山の場合は、はっきりしません。謎の城です。◇『中道山城跡発掘調査報告書』より「・・・中道子山城跡の城主は、二つの城主説が考えられてきている。その一つは赤松氏則築城説であり、もう一つは孝橋(新五郎)繁広(たかはししげひろ)説である・・・」◇『志方町誌』より「・・・中道子山は俗になまって「ちゅうどうさん」と呼び、城山と呼ばれる場合が多い。(中略)『志方荘古城図附註』のみは、「至徳中、赤松円心の四男氏則(うじのり)、始めて之を築く」とし...大河・かこがわ(181)播磨地方と赤松氏(2)・中道子山城の城主は誰?
2020/02/29 08:02