ぶらり散歩(20) 水を求めて(10)、汗と涙が稲美の大地を作った
明治22年4月1日、蛸草新村・草谷村・下草谷村・野谷新村・印南新村・野寺村の6ヵ村が合併して母里村が誕生しました。初代母里村村長として蛸草の岩本須三郎が選ばれました。初代母里村村長・岩本須三郎蛸草新村の庄屋の家に生まれた須三郎は、父を早く亡くし12才で庄屋の家をついでいます。戸長になってからは、納税の問題・疎水事業にと、おいたてられ続けの毎日でした。あるとき、郡長が気の毒そうに、「岩本さんもえらいときに村長になってでしたな」となぐさめたほどです。しかし、「村長の言うことよう分かるが、借金だけがぎょうさんできた。なんでこんな時に疎水つくるんや、もうちょうっと時期待てへんのかいな・・・わしら、土地売るしかしょうない」と不満をもらすものも多くいました。(岩本)「土地売ったらあかん、もうじき水が来る。疎水の仕事や鉄道の...ぶらり散歩(20)水を求めて(10)、汗と涙が稲美の大地を作った
2019/02/28 08:13