豊沢団平さんのこと(7) 仁兵衛と改名
仁兵衛と改名団平は叔父安次郎方へ養子に入っていましたが、加古川の生家はいずれも他家へ養子に行ったものや、若くして亡くなる者が続出しました。母は、嘉永二年(1849)、姉は嘉永四年に亡くなり、父も作州(岡山県)に帰ってしまいました。加古家の血統も絶えてしまうようになりました。そのため、自らは大阪に住みながら、養家を辞して加古家を立てることとし、加古家の代々が仁右衛門を襲名したことから、その一字をとって仁兵衛と改名しました。もっとも、同音であるため仁平とも書かれたこともあったようです。芸界では、もっぱら仁兵衛でした。(no4624)*写真:自宅のタカサゴ・ユリ(1/31撮影)◇きのう(1/30)の散歩(12.848歩)豊沢団平さんのこと(7)仁兵衛と改名
2019/01/31 10:07