三輪田米山の師匠 日下伯巌が書いた社名額
倉庫に眠っていた昔の社名額を久しぶりに出しました。裏には表書日下先生天保12辛丑年3月吉日城下松屋町願主茶屋喜一兵衛とあり、当時明教館の教授をしていた日下伯巌のことを先生と書いたのでしょう。実は玉垣の一部も日下伯巖の書いたものと聞いており、当時ご縁があったことが分かります。あらためて長い歴史の上に生かされていることを感じました。三輪田米山の師匠日下伯巌が書いた社名額
2024/06/17 22:42
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