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  • 8月30日 御言葉をあなたへ

    「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」。ローマ3:28b義とは何か、議論すれば難解極まりないものですが、ごく簡単に言えば、神様の前に罪とがのないことです。人は多かれ少なかれ義人でありたいと願います。道徳的、倫理的な行為を積み重ねる、いわゆる善行功徳を積めば、義人だと世間では見られます。しかし、神様の求める義は、万物の創造者、全知全能の神様がおられることを信じ、神様を畏れ敬い生きる人のことです。(KE)宇治田原郷之口8月30日御言葉をあなたへ

  • 8月29日 御言葉をあなたへ

    「そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりないさい」と言った。使徒12:7bペテロは捕らえられ、牢獄に入れられました。厳重な警戒のもとに置かれ、助かる望みがなかったとき、エルサレムの教会では祈りがささげられていた。その結果、主の使が遣わされ、ペテロを導いて獄の外へと導いたのです。御使いの仕業と言われていますが、具体的に手引きした人がいたのでしょう。しかし、それを「御使いのわざ」と言い切ってしまう。これが大切です。(KE)嵯峨野散歩道8月29日御言葉をあなたへ

  • 8月28日 御言葉をあなたへ

    「イエスは言われた、『石を取りのけなさい』」。ヨハネ11:39ラザロが死んで四日もたった時、イエス様が来られました。主は墓地に案内させます。そこで主は「石を取りのけなさい」と言われます。死者が生き返るとは信じがたい事です。状況は不可能であっても、主の言葉に従って不信仰の石を取りのける。そのとき、神様の力が発揮されます。人の心には出来ないというあきらめ、固定観念がたくさんあります。神様にも出来ないことがあるのでしょうか。(KE)宇治川8月28日御言葉をあなたへ

  • 8月27日 御言葉をあなたへ

    「あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ」。イザヤ51:1b「原点回帰」と言われます。迷ったとき、まず出発した初めのところに戻ってやり直すことです。パウロは今日あるのは神様の恵みによるのだと言いました。私たちも、今日まで生かされたのは神様の恵みと憐れみによるほかありません。神様にとって何ほどの価値もない罪と咎とに死んだものでした。自分がどんな者であったか忘れることなく、今を感謝して生きてください。(KE)城陽市寺田8月27日御言葉をあなたへ

  • 8月26日 御言葉をあなたへ

    「各自は惜しむ心からではなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである」。第二コリント9:7aよく言われることですが、日本人は和を重んじる傾向があります。自分だけ抜きん出ることを躊躇します。しかし、主のために生きるには、人と和することよりも、主の御心を求め、主の導かれることを確信するなら、他者がどうであろうと、そこに従う事が大切です。主の御前に悔いのない一日を送ってください。(KE)大津市8月26日御言葉をあなたへ

  • 8月25日 御言葉をあなたへ

    「そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである」。第二コリント5:15イエス様を信じて救われるとはまさにこのみ言葉に尽きます。生きる目的が変わるのです。自分のためにではなく、主のために生きる。今日もそれぞれ日々の務めに就きますが、していることが何であれ、企業や組織、家族のためではなく、すべては「主のために」であって、主によってその業に遣わされているのです。(KE)滋賀県北部8月25日御言葉をあなたへ

  • 8月24日 御言葉をあなたへ

    「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造のこのかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」。ローマ1:20a多くの人々は神様の存在を認めようとはしません。神様自身を理解できないからです。しかし、大自然や様々な生き物を観察するなら、まさに神様のわざであるというほかありません。身近な自分の体の仕組みですら、未知の世界です。どんなに科学や技術が進んでも、人そのものを造ることは決してできません。(KE)滋賀県北部メタセコイア8月24日御言葉をあなたへ

  • 8月23日 御言葉をあなたへ

    「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」。使徒27:11パウロはローマへと護送されていました。途中、航海が危険な時期になり、どうするか決めなければなりません。パウロは留まるようにと警告しましたが、百卒長は船長らの意見に従い出港します。その結果、大嵐に遭遇、難船の憂き目にあいます。事を決める時、あなたは誰に聞きますか。確かに、経験豊富な人の意見が信頼できそうですが、それ以上に神様の思いを知ることが最善にして最高の判断です。(KE)京都永観堂8月23日御言葉をあなたへ

  • 8月22日 御言葉をあなたへ

    「それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである」。ヨハネ5:30イエス様の生涯を貫いていることは、徹底して父なる神様のみ旨に従う事です。神の御子であるから、ご自分の思いのままにできるはずですが、使命を帯びて遣わされてこの世におられる故、ご自分の思いも、考えも、好き嫌いの感情も、いっさいを捨てて、従い抜かれたのです。私たちも御子の命を代価に買い取られ、主によって今日も遣わされているのです。(KE)宇治田原湯屋谷8月22日御言葉をあなたへ

  • 8月21日 御言葉をあなたへ

    「このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた」。創世記25:34弟ヤコブは何とかして長子の権を得たいと願いますが、次男であるゆえにその権利がなかったのです。ある日、ヤコブが調理する煮豆を空腹の兄エサウが求めてきたとき、すかさず長子の権を譲ることを求めました。私たちも神の子として御国を継ぐ権を頂いています。この身分をどれほど大切なものとしているでしょうか。エサウのように後悔することのないように。(KE)京都永観堂8月21日御言葉をあなたへ

  • 8月19日 御言葉をあなたへ

    「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである」。エペソ2:10天地の始まる時から、人は神様の作品として造られたものです。しかし、その作品が罪の力によって、破壊され、失われたものとなった。神様は人との交わりを絶ち、滅びに定められましたが、しかし、失われた作品を惜しんで、再創造しようと御子を世に遣わされたのです。まだ完成には至っていませんが、キリストの霊を与えて、再創造の真っ只中です。完成したモデルはイエス様です。(KE)宇治田原禅定寺8月19日御言葉をあなたへ

  • 8月18日 御言葉をあなたへ

    「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」。使徒16:25ピリピの町に来たパウロとシラスは町の人の反感を買い、訴えられて獄につながれました。どんなに不安だったかと思います。その時、彼らは祈ること、賛美することに努めました。それが彼らの不安や恐れを乗り越える力だったのです。他の囚人たちも、彼らの祈りとさんびに慰めと励ましを得ていたでしょう。今も変わらず、祈りとさんびはあなたの力です。(KE)宇治田原湯屋谷8月18日御言葉をあなたへ

  • 8月17日 御言葉をあなたへ

    「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。使徒3:6生まれながら足の萎えた人が、神殿に向かう参道に置かれていました。物乞いをするためです。ペテロとヨハネが通りかかり、声を掛けます。ペテロは彼の手を取って命じます、「立ちて歩め」と。すると、彼は忽然と立ち上がり、神様をほめたたえつつ神殿へ入って行きます。人生が変わったのです。人に向いていた人生から、神様に向かう人生へと。あなたはどちらに向いていますか。(KE)宇治植物公園8月17日御言葉をあなたへ

  • 8月16日 御言葉をあなたへ

    「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」。ヨハネ14:3a主はすべての救いの道を備えたのち、天に帰られました。人となられた主はもはやこの世にいませんが、やがて再びこの世に来てくださるとの約束です。しかも主はあなたのために場所を用意するために天に帰られたのです。今、どのような境遇にあろうとも、やがて来てくださる主を待ち望むとき、力と望みと平安を与えられます。(KE)宇治田原禅定寺8月16日御言葉をあなたへ

  • 8月15日 御言葉をあなたへ

    「語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」。ルカ24:15二人の弟子がエマオに向かって行く途中、蘇られた主が彼らと共に歩いて行かれます。しかし、彼らはそれが主であると気が付きません。私たちも同様に主が共におられることに気が付かないでいませんか。主はいつも共にいると約束しておられます。不安の中に、恐れの中に、悲しみの中に、また喜びの時も、主はあなたと共に「歩いて」行かれます。(KE)宇治田原立川猛暑が続き、一雨欲しいな、と思っていました。台風は大歓迎なんて、、、標高の低い地域や地盤の弱い地域は恐怖なのを忘れてしまってますね。過去に住んでいた場所は怖かったのを。夜る起きてみたら激しい風雨。台風の音だな、年1度はやって来るから大体の予測はつく。風速40m以上なら少しの被...8月15日御言葉をあなたへ

  • 8月14日 御言葉をあなたへ

    「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。ヨハネ12:24植物の種は地に落ちて土に埋もれ、分解して、新芽が育ち、やがて実を結ぶようになります。人もまた同様に自分と言う種が様々な境遇によって潰され、砕かれ、失われたものとなるとき、新しい命が芽生えます。今日も主があなたを遣わしてくださる所にあって、一粒の種のごとく、自分の考え、願いを捨て、自我を捨てる時、豊かに実を結ぶことが出来ます。(KE)宇治田原郷之口8月14日御言葉をあなたへ

  • 8月13日 御言葉をあなたへ

    「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』」。ヨハネ20:15主が甦られた朝、マリヤは埋葬された墓に主を求めてきたが、そこには遺体すらなくなっていました。甦りを信じることが出来なかったのです。喪失感から悲しみに泣いていたマリヤに主が声をかけてくださった。主は目の前におられるのです。それが見えない。あなたは何を恐れ、何を不安に思い、何に失望していますか。甦った主は、今日もあなたと共におられるのです。(KE)京都府宇治田原8月13日御言葉をあなたへ

  • 8月12日 御言葉をあなたへ

    「主を喜ぶことはあなたがたの力です」。ネヘミヤ8:10普段の生活にあっては、身体的な力が求められます。そのため、健康であることが大切なこととされます。それももっともなことだと思いますが、身体能力は歳と共に衰えていきます。それと同時に心も衰えてきます。しかし、私たちの力は神様から与えられるものです。その力を体験するには、主を喜び、賛美し、感謝することです。ぜひ、賛美してください。(KE)木曽8月12日御言葉をあなたへ

  • 8月11日 御言葉をあなたへ

    「ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている」。ヤコブ1:6万物の創造者、全能の神に祈り求めることが出来るとは、なんと幸いなことではないでしょうか。しかも出来ない事のない方です。問題は私たちにあります。私たちの祈りを聞いてくださらないのではないかと、神様を疑うのです。そうである限り、神様に触れることが出来ません。今、与えられている問題があるなら、疑わないで信じて祈りましょう。(KE)木曽8月11日御言葉をあなたへ

  • 8月10日 御言葉をあなたへ

    「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである」。第一ペテロ5:5d水は高いところから、低いところへと流れます。決して逆にはなりません。それと同じように、神様の恵みも低い方へと注がれるのです。これが恵みの法則です。試練に遭うとき、人は否応ナシに心が低くされます。それは大きな恵みですが、平穏無事な時、謙遜になることが出来れば、どんなに幸いなことでしょうか。今はあなたの恵みの時です。(KE)木曽8月10日御言葉をあなたへ

  • 8月9日 御言葉をあなたへ

    「さあ、わたしたちは主に帰ろう」。ホセア6:1a神様はそのひとり子を十字架に処罰するほどに限りない愛をもって私たちを愛しておられます。それゆえにたえず私たちを求めておられるのです。だから、様々な試練・患難を与えなさるのです。日常生活にあって、いろんな問題が与えられるのはまさにそのためです。目の前の事件や問題を解決することも必要ですが、何よりも私たちが神様に心を向け、信頼するものとなることです。(KE)木曽8月9日御言葉をあなたへ

  • 8月8日 御言葉をあなたへ

    「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」。ローマ11:33神様の考えられること、またその計画、何をとっても人が知りつくすことが出来ません。私たちは自分の人生を生きていると思っていますが、はどれほど自分の願い通り、思い通りにやってきたでしょうか。これまでの歩みを振り返ると、自分の知らない力に押されて来たように思われます。自らの無知、無能、無力であることを素直に認めようではありませんか(KE)志賀高原木戸池8月8日御言葉をあなたへ

  • 8月7日 御言葉をあなたへ

    「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」。使徒17:28a神様と私たちの関係は、「造り主」と「被造物」と言われることから、神様と相対に向き合ったものと考えやすいものです。そのため、「神様から離れる」などと言います。しかし、実は、神様のうちに存在するものです。逃げることはできません。ならば、神様におんぶにだっこ、とことん持ち運んでいただこうではありませんか。神様に握られているのですから。(KE)御嶽山自然湖8月7日御言葉をあなたへ

  • 8月4日 御言葉をあなたへ

    「恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい」。ルカ12:5ab人が弱くなるのは、何かを恐れているときです。しかも、人は常時何か漠然としたものを恐れて、戦々恐々としながら日々を送っているのではないでしょうか。今あなたは何を恐れていますか。イエス様は恐れるべきものは唯一つ、全能の神様であると言われます。それ以外のことは恐れるに足らないものです。今日もこの恐るべき方を尊び、敬って、主と共に生きてください。(KE)木曽8月4日御言葉をあなたへ

  • 7月3日 御言葉をあなたへ

    「平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」。マタイ10:34b日本人は和をもって貴しとする風潮があります。和気あいあいとした生ぬるい関係にあって、イエス様に従おうとするとき、必ず摩擦や軋轢が生じます。時には、家族が不仲になったり、長年の友情が冷めてしまうかもしれません。しかし、失うものが多くても、主はそれに倍して豊かな恵みを与えてくださいます。恐れず、大胆に主に従いましょう。(KE)志賀高原国道沿い7月3日御言葉をあなたへ

  • 8月2日 御言葉をあなたへ

    「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか』」。サムエル上15:22aサウル王はアマレクを滅ぼせとの神様の命に従い、戦いに出て勝利しますが、神様の言葉に全面的に従うことが出来なかったのです。アマレクの王アガグを生かし、肥えた家畜を多数分捕りました。神様に対する中途半端な姿勢に対して、祭司サムエルが指摘しました。犠牲捧げたり、献身的に尽くそうとも、主の言葉に忠実に従うことにまさるものはありません。何かできなくても、主の言葉をしっかり信じましょう。(KE)御嶽山自然湖8月2日御言葉をあなたへ

  • 8月1日 御言葉をあなたへ

    「そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった」。ヨシュア9:14ギベオンの住民は何とかイスラエルの攻略から逃れようと策を立て実行します。干からびたパン、擦り切れた靴や衣服などを見せ、自分たちがはるか遠くの民であるから、和平協定を結ぼうと求めました。事の判断をするとき、イスラエルは「主のさしず」を求めようとしなかったのです。神様の知恵を求めなければ、正しい判断はできません。自分の知識や世の習慣で進めるなら、必ず失敗します。今日も主の指図を求めましょう。(KE)御嶽山麓8月1日御言葉をあなたへ

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