蘇民将来と巨丹将来 歴史の中の経緯・74 (歴史の中の「経緯」終 → 続・歴史の中の「経緯」へ)
「素戔嗚尊(別名:武塔天神)が南海に結婚相手を探しに行った際に、日が暮れたので宿を借りようとしたが、裕福な巨丹将来(こたんしょうらい)はこれを断り、貧乏な蘇民将来(そみんしょうらい)は素戔嗚尊を喜んで泊めた。8年後、素戔嗚尊は蘇民将来の家に来て、彼に茅(かや)の輪を授けた。その夜から疫病が大流行して多くの人が死んだが、蘇民将来は無事だった。」というものです。(『東亜古俗考』(藤原相之助:著、春陽堂書店:1943年刊)より)福山にも、同じ伝承がある。ところが、蘇民将来の名前はきくが、巨丹将来の名前をきいたのは、東北に上がるときの武塔神(素戔嗚)のはなしの時だった。巨丹・・・聞きなれない名前だがコタンといえば、カムイコタンとか・・・さては、コタンはアイヌ人?もしくは縄文人、その縄文人を追撃する素戔嗚(弥生人)...蘇民将来と巨丹将来歴史の中の経緯・74(歴史の中の「経緯」終→続・歴史の中の「経緯」へ)
2023/10/30 19:52