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:〔続〕ウサギの日記 https://blog.goo.ne.jp/john-1939

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開

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2014/10/09

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  • ★ 泰阜村「カルメル会修道院」縁起(そのー2)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~泰阜村「カルメル会修道院」縁起(そのー2)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~公道から修道院へ入る道私が今この修道院の客室に泊まっているわけは以下のとおりだ。客室の窓からの信州の山並み私が司祭としてなおローマで神学の教授資格を取得するために大学院に残り、やっと日本に帰ってきたとき、当時の深堀司教様は私のために高松市内で司教館のある桜町教会に次いで大きな番町教会の主任司祭のポストを用意して待っておられた。これは、叙階されたばかりの新任司祭にとっては異例の待遇だったが、その背景にはこの教区特有の事情があった。それは司教区の誕生物語にさかのぼる。四国4県が大阪教区から分離独立して新しい高松教区が誕生したときの初代司教は田中英吉司教でその下に4人の日本人教区司祭がい...★泰阜村「カルメル会修道院」縁起(そのー2)

  • ★ 長野県泰阜村「カルメル会修道院」縁起

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~長野県泰阜村「カルメル会修道院」縁起~~~~~~~~~~~~~~~~~~在りし日の馬場神父納骨堂の写真馬場清神学生は、後に東京教区の補佐司教になった森一弘神学生とは別な意味で忘れられない親友だった。大阪府の地方公務員で労働組合の闘士だった彼は、九州の三井三池争議の応援ではストライキの座り込みの先頭にたって警官と渡り合った猛者だった。それが回心して上智大哲学科の教室では大阪教区の神学生として私と机を並べることになった。60年代にパリ大学に始まった学生運動の嵐は、昨今のコロナ旋風のように地球を駆け巡って日本にも及び、上智大学の神学部も無関係では済まなかった。司祭の卵の養成を巡って神学生たちは立ち上がった。するとこんな暴力神学生の世話はまっぴらゴメンととばかりに、イエズス会は...★長野県泰阜村「カルメル会修道院」縁起

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