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アントンKのお気に入りノート
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https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi
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趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。
更新頻度(1年)

278回 / 365日(平均5.3回/週)

ブログ村参加:2014/09/26

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アントンKのお気に入りノートさん
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アントンKのお気に入りノートさんの新着記事

1件〜30件

  • Red Bearの活躍~DF200

    DD51に代わる新しいディーゼル機関車DF200も、量産からすでに26年もの歳月が経っていることに驚かされている。今年春の改正で、DD51の定期列車が消滅し、いよいよDF200が本格的に活躍の場を広げてくると思っていた矢先、そのDF200でさえ四半世紀もの時を経ていることに、少々感傷的になってしまったのだ。「いつの間に・・」というのが正直な感想だが、今後は、こんな感覚が増えていくのかもしれない。こんな時世、1日1日を大切に過ごしたいものである。初めてこの機関車を見た時、とても重厚でデカイ機関車というイメージを持ったが、今でもそれは変わらない。こんな機関車が長いコンテナを楽々と牽く姿は、当時から北の大地にはピッタリだと感じていた。中京地区にも進出し、新たなバージョンも増えて益々の活躍を願いたい。掲載写真は、現在休...RedBearの活躍~DF200

  • ある夏の思い出から~EF81「北斗星」

    ブルトレ「北斗星」が消滅してもうすぐ丸6年になる。孫にブルトレが見たいとせがまれても、どうにもならない切ない気持ちは、これからも続いてしまうのだろうか。アントンKにとっても、ブルトレを意識し撮影をしていた時間は、1975年から2015年までの40年間でしかないが、出来ることなら本物を一緒に見て、共感したかったと無いものねだりをしてしまうのである。東北へ遠征する時の行きがけに、必ず線路端へ立ち寄り撮影したブルトレ「北斗星」。どうしても時間的制約を受け、かつメインターゲットではないから、妥協の産物が多くなることは致し方が無いところ。しかし意識の上で、定期列車で存在しているかいないかは、大きなことで、アントンKの行程に少なからず影響を与えていた。掲載写真の日も、遠征途中に立ち寄った物。夏の湿気の多い曇天の朝だったと思...ある夏の思い出から~EF81「北斗星」

  • 長野にいた我が青春の電車たち~長電3500形

    今回遠征した長野で、途中見かけた電車がとても懐かしくなり、須坂に立ち寄ってみた。営団地下鉄3000形、そして東急8500形のステンレス電車たちである。アントンKは、学生時代東急沿線に長年通学していた関係で、いまだに私鉄では東急電車に興味が沸くが、その当時毎日乗車していた電車たちが、やはり今ではとても懐かしく思う。東急線では、5000系・6000系・7000系・7200系・8000系等に毎日お世話になった。そして同時に日比谷線直通で東横線に乗り入れていた営団3000形も、当時からお気に入りの電車だったのだ。下校時には、わざわざ営団3000形の時刻に合わせて学校を出たこともしばしば。とにかく静かで乗り心地が大変良かった印象がある。ただ夏場は、非冷房なので暑かったことが、おぼろげに思い出される。中目黒から日比谷線直通...長野にいた我が青春の電車たち~長電3500形

  • 配給列車はお好き?~EF80

    現代では、「機関車がけん引する列車」、というだけでかなり貴重に思える時代になった。もっともこれは、旅客列車に限った話で、貨物列車の分野では、種類こそ簡素化されつつあるが、まだまだ機関車けん引の輸送形態は維持されているのだが・・先日走った秩父鉄道の電機による客車列車も、まじまじと列車を目撃してみて、こんな地方私鉄の列車でさえ、どこか懐かしさを感じてしまうようになってしまったのだ。今では、機関車けん引列車というと、貨物列車に混じって、新車の輸送や、検査転属などの車両の輸送を行う配給列車の人気が高いようで、ますますエスカレートしているように感じている。これには、近い将来、これらの列車たちも、機関車けん引ではなくなり、全く新しい電車に交代すると噂されているからだろうか。毎月のように走っている、これらの配給列車も、いよい...配給列車はお好き?~EF80

  • 初めての南九州「真夏の思い出」~ED76

    正に梅雨明け10日、酷暑が東京も続いている。頭ではわかってはいるが、やはり暑いとどうしても動きが鈍くなるアントンK。日が長く眩しい太陽は好きだが、昨今の暑さは尋常ではない。外出が億劫に感じるのは、年齢のせいだけではないだろう。夏休みに鹿児島電化直前の南九州を廻った思い出がある。この時の行程は中々凄かった。山口線の蒸機復活に合わせて東京を経ち、広島区のEF58を狙いながら、C57と掛け持ち、そしてその後、南九州青井岳を目指したのだ。帰京するのに、帰りがけの駄賃とばかり紀勢周りでゴハチを撮影しまくり、へとへとで帰宅した思い出深い旅行だった。今はこんな行程体力的にとても不可能だろう。血気盛んな年頃のなせる業かも・・・掲載写真は、その時日豊本線で撮影した寝台特急「富士」西鹿児島行き。この日から、本務機DF50の前に訓練...初めての南九州「真夏の思い出」~ED76

  • ホームいっぱいに連なる赤い台車~EF57

    雨の日の上野地上ホーム。いつものように大宮へ行く前に、少々上野で時間を潰していたようだ。まだこの時代は、アントンKにとって全てが新鮮で珍しく、止まっている列車たちにカメラを向けている。鉄チャンなら誰でも一度は経験のある行動ではなかったか・・そんな古い画像の中から、ホーム一杯に敷き詰められた台車の写真が目に留まった。当時は長旅の乗客を降ろし、推回を待つゴーナナばかり目がいっていたと思うが、こうして見返すと、ここ上野駅地上ホームのこうした光景が懐かしく蘇る気がしている。駅の音、匂い、発車や到着を告げる構内放送・・・そしてこのホームから列車に乗る時の高揚感。これからも決して忘れはしないだろう。1973-4EF575&165系上野駅地上ホームにてホームいっぱいに連なる赤い台車~EF57

  • 変わり果てた吾妻線の現実・・~EF15

    もう自動車を購入するのは最後にしようと思って契約した、ラストワンの自動車がようやく納車された。今までにも何度か自動車を乗り換えてきたが、ここまで納期がかかった自動車は、アントンKには初体験で、契約後は待ち遠しい日々が続いたものの、そのうちに頭から薄れかけてしまい、意識も遠のいていった。今年になっても音沙汰は無く、こりゃ正に長期戦だと思いかけていた春先、やっとディーラーから連絡を頂き、およその納期を伺うことが出来たという流れ。ここで車種を明かすことは辞めておくが、最後だけは家族にわがままを聞いてもらい、今のアントンKに合った手の届く一番の好みの車種を選択した。テーマは原点回帰!アントンKが自動車免許を取得し、友人たちから多々教授、影響を受けまくった、あの時代の想いを掘り起こし、もう一度ドライブする楽しさを味わいた...変わり果てた吾妻線の現実・・~EF15

  • ”客車列車”黄金時代~EF80

    普段は、貨物列車中心に撮影することが増え、毎年のダイヤ改正のたび、お仲間と一喜一憂しながら撮影を楽しんでいるが、年々思うことは、やはり撮影の色合いが単調になりつつあるということ。変化が乏しく発想が益々貧困になってしまっているということを痛感しているのだ。確かに被写体が昔に比較すれば、バラエティに欠け、ゆえに発想もおろそかになることは事実だが、撮影を楽しむということは、大昔から変わらないはずなのだ。現在のアントンKは、記録写真から比較的離れようといつも意識しながら、カメラを構えている。昔は記録一辺倒だったことから、これを反省し、発想の転換をここ数年図っている訳なのだ。しかし大前提は変わらず、何をどう撮るか?という基本姿勢は保っていきたいところ。写真でも独自性が主張できれば最高なのだが・・・まだ鉄道写真の若葉マーク...”客車列車”黄金時代~EF80

  • またもや国鉄カラー復活!~455系急行色

    国鉄時代が遠くはるか彼方に遠のき、当時の記憶が薄れつつある昨今だが、ここにきてまた当時を思い起こさせられる電車が復活したようだ。新幹線開通に伴い誕生した「えちごトキめき鉄道」にて、交直流急行型電車が復活。観光急行として走り始めたらしい。今となっては懐かしいクリーム色とあづき色のツートーンカラーが再び拝めるのである。現代では、この手の電車でさえ、国鉄型だということだけで、客寄せパンダとして有効なのだろう。全国的な流行のような気がしている。ただし、今回復活した3両編成は、うち2両が413系という急行型の分類ではなく、しかもこのツートーンは、現役時代ではあり得なかった外観となる。が、アントンKにはそこまで細かい事に興味が無く、日本の原風景の中の急行型電車をもう一度見てみたいという単純な想いが募ってきている。落ち着いた...またもや国鉄カラー復活!~455系急行色

  • 惚れてまうやろっ❤ゴッパーサン~583系

    この時以来だったと思う。初めて山崎の大カーブを訪れ、大きく弧を描く583系を見てカッコいい電車だなぁと心底思ったのは・・それまでにも、上野や大宮では間近で車両を眺めては憧れの眼差しを送っていたが、いわゆる走りを意識した583系はこのシーンがファーストだったはずだ。ネガカラーももう限界、褪色が始まっていた。脳裏に浮かぶシーンだけはまだ色褪せてはいない。46年前の鮮明な記憶。そしてこれからも・・・1975-07-28回36M明星7号Tnc583-27東海道本線:高槻-山崎惚れてまうやろっ❤ゴッパーサン~583系

  • 的を得た井上道義氏の演奏~ショスタコーヴィチ

    井上道義氏のショスタコーヴィチを聴きに行ってきた。マエストロ井上氏のショスタコーヴィチと言えば、もうずいぶん前から定評があり、アントンKも過去に何度か鑑賞する機会を持つことが出来、どれも素晴らしい内容だったと振り返ることができる。ちょうど昔で言うところの朝比奈のベートーヴェンやブルックナー演奏とでも言い換えられるか。常に自信に満ち、独自性があり、何を言いたいのか聴衆にはっきりと投げ掛けてくる演奏なのである。今回のプログラムは、前半にジャズ組曲という楽しい楽曲を演奏し、そして後半は第8交響曲という重厚な楽曲が演奏された。どちらも中々実演奏では出会えない楽曲だが、今回の鑑賞を機会に、このショスタコーヴィチという作曲家を手元にいつも置いておきたくなるくらい、この作曲家についてもっと知りたくなってしまったのだ。メインで...的を得た井上道義氏の演奏~ショスタコーヴィチ

  • 福知山旧線を往くクイーン「まつかぜ」~キハ181系

    支離滅裂な会見をテレビで観て、ますます不安になった今日この頃。いったい今まで何をやってきたのか、いつまでこのモヤモヤが続いてしまうのか、ちょっとやそっとではやり切れない。心の無い言葉を聞いて、今の長引く悪天候のような暗い気持ちにアントンKは沈んでしまった。それでもいつかは晴れる!と信じてはいるのだが・・・思えばこの時代は良かった。目指した路線に飛び乗り、撮影地で名の通った駅で途中下車。気の済むまで線路端を歩き、そしてまた次の行程へ好機を夢見て進んだ。あれから30年以上時間が経ってしまい、それなりに経験は積んできたが、決して思うようにいくことが全てでは無かった。むしろ行かないことの方が多いか。小さな野望を一つずつ、この謙虚な積み重ねをこれからも継続していきたいものだ。交換するため気動車急行が退避、そこへクイーンで...福知山旧線を往くクイーン「まつかぜ」~キハ181系

  • The 国鉄~栄光の"JNR"マーク

    物心ついた時代から慣れ親しんだ国鉄型車両が、ますます引退していく。特に今年185系電車の実質的引退(実際にはまだ波動用として存在)には、やはり少なからず衝撃を受けた。デビューしてから引退するまでの間、自分と時間を共にしてきた思うと、自分自身も時間経過という目に見えない大きなものにぶつかり考えさせられているのだ。東北遠征時に撮影していた、485系特急「はつかり」。奥羽本線にて捕らえているのは、多客時における延長運転で、青森から弘前まで入線しているからなのだ。思えば、485系の中でも、ボンネット型とともに好きだった北海道用に開発された1500番台のクハ481形。その歴史は複雑になってしまったが、これも個性の一端となり、今でも心に焼き付いている。誇らしげな「JNR」マークが懐かしさを誘う。1986-05-03特急「は...The国鉄~栄光の"JNR"マーク

  • ロマンスカーミュージアム~小田急3000形

    孫を連れて念願だったロマンスカーミュージアムに行ってきた。宣言こそ明けたものの、やはり人ゴミには自然と身体が気を遣うようになってしまっている。もちろん博物館側の体制も万全で、時間を区切られて入場し過密になることを避けていた。入口に併設したカフェで、「日東紅茶」の文字を発見、つい懐かしくなり見学前に一服することに・・・アントンKの幼少時代、夏休みと言えば、箱根か日光と決まっていたようで、自家用車のなかった我が家では、日光はへは東武1720系「けごん」に乗り、そして箱根へは小田急SE車で湯本を目指していたのであった。ほとんど記憶がなくおぼろげにはなっているが、ロマンスカーに乗ると車販に憧れ、カチカチになったアイスをねだった物で、確かそこに「日東紅茶」の文字があったはず。パッドで注文、キャッシュレス決済のお洒落なカフ...ロマンスカーミュージアム~小田急3000形

  • 今なお現役!EF65PF栄光の歴史

    いまだ最後の活躍とばかり、日夜黙々と運用を熟しているEF65PF型電機。現在では、国鉄時代とは異なり会社によって状況も様々違ってしまった。アントンKには、現存するEF65PFの中でも、元東京機関区だった機番たちには、他機とは少し違う栄光の歴史を感じてしまう。特に綺麗に整備され大切にされているだろう、現田端区の65PFの姿を久しぶりに見た時には、かつてブルトレの先頭に立ち、連続運用を熟していた時代が彷彿と蘇ってしまうのだ。この春の改正で、その田端区のEF65PFたちにも余剰という波が押し寄せていると聞く。末永い活躍を期待したいところだ。昔山陽本線山口県下で撮影した、東海道ブルトレを掲載しておく。朝霧が時間とともに晴れてきて、視界が開けてきたところに突き進んできた特急「みずほ」。この1105号機も現在でも元気で活躍...今なお現役!EF65PF栄光の歴史

  • 583系で走った特急「ひばり」

    ブルートレインに混じって大活躍した581・583系特急寝台電車。この電車の特徴の一つは、昼夜問わず運用に就き、車輛効率化を図った形式ではなかったか。アントンKは、夜行では「ゆうづる」「はくつる」に何度か乗車しその寝心地を味わった。仲間内からは当時、モハネのパンタ下の寝台が2段式で、普通のB寝台車より広くて使い心地が良いとアドバイスを受け、そこを狙って指定券を取った記憶がある。客車寝台とは違い、線路に対して平行に横になるが、とても快適でぐっすり寝られたことを思い出す。反面、日中の特急に使用する場合は、天井が高く開放的ではあったものの、座席が動かないためか、長時間の移動では身体が痛くなったことを思い出す。いずれにせよ、この583系電車は、最後までファンには人気があり、かくゆうアントンKも大好きな電車だった。大きな車...583系で走った特急「ひばり」

  • 東海道を往くデッキ付き電機~EF15

    1970年代まで遡ると、東海道線にだってデッキ付きの電気機関車が元気に活躍している時代だった。もっとも当時を思い返すと、東海道線には、EF65P型の牽くブルトレが健在で、おおよそスター街道の趣が漂っていた。当時は、東海道ブルトレのみにしか、ヘッドマーク装着はされず、東北上信越線にあった優等列車たちは、数はあれど今一つ華が無かったことも事実だったように思う。掲載写真は、夕方の荷物列車からブルトレまでを狙いに保土ヶ谷沿線に出向いた時のもの。貨物列車の設定も、現状以上に多かったように思える。EF60・65・66はもちろん、新鶴見区のEF13・15等も撮影出来て、時間によりEH10まで捕らえることができた。現在の横須賀線を走り、保土ヶ谷の大カーブを唸りながら通過していくEF15の解結貨物列車。もっとも大人しい後期のEF...東海道を往くデッキ付き電機~EF15

  • 青梅沿線の散歩道~ED16

    かれこれ20年近く踏み入れていないのではないだろうか・・・東京奥多摩地区にある青梅線だ。現在では、E233系電車が奥多摩まで走り、列車本数も増えて近代化の一途だろう。アントンKが最初に青梅線を訪ねたのは、1975年春のこと。鉄道写真駆け出しのアントンKを引き連れ同行してくれたのは、SL時代から撮影経験のある同級生だった。丸一日撮影を楽しんだ中でも、印象的な出来事はまだ多く脳裏に刻まれている。独自性などカケラもない当時のアントンKだから、当然同行者には影響を受けやすくもあり、多くの刺激をもらったのだ。今でも一番印象に残っているのは、カラーネガより白黒で撮影すべきという考え方だった。カラーポジはまだ使ったことのないアントンKだったから、ネガカラーフィルムを主体に撮影していたが、彼曰く、将来的には白黒で残しておいた方...青梅沿線の散歩道~ED16

  • 国境を越えたデッキ付き電機の印象~EF16

    アントンKが初めて上越国境を越えたのは、1975年と自分の鉄道写真史の中ではかなり早い方だった。それは、当時まだ活躍していた181系「とき」の雄姿に憧れ、そして峠の主たるEF16の存在、ゴハチとの重連走行など、走っている列車たち全てが魅力的に見えていたからだが、よく思い返してみると、上越線という谷川を越える線形の素晴らしさ、雄大さにまずは衝撃を受けたからに他ならないのだ。本格的に車輛にカメラを向ける前に、当時はよく列車に乗って新潟まで行っていたことを思い出している。ご存知のように、単線ループとなり、上下線が大きく離れ、長いトンネルの中で、さらにモーター音が高鳴ってくると、興奮を覚えたものだった。特に釣り掛け式の70系は、夢に出てきそうな快音で、文字通り病みつきになったもの。中央線の71系とともに、よく時間を作っ...国境を越えたデッキ付き電機の印象~EF16

  • 土曜午後のお楽しみ!~ED16重連運転

    定期列車に限らず、昔から機関車の重連運転は、機関車ファンにとっては外せない被写体だったはず。アントンKも、御多分に漏れず大好きな被写体であり、可能な限り今まで追い求めてきた。ここでも何度か話題にした荷35列車を皮切りに、西の荷37ㇾ、八王子の5472ㇾ、高崎線の5780ㇾ、そしていまだに現役の重連貨物である8094ㇾ(現8097ㇾ)などなど、思い出に残る列車番号が脳裏をよぎる。これらは全て、普段は、重連運転のない機関車による回送を兼ねた重連運転だったことが共通項だった。ロクヨン(EF64)などは、2組で運転されるのが日常の光景だから、当時はあまり刺激を受けなかったことも事実だった。今思えば贅沢な話だが、同じ重連運転でも希少性を求めて行動していたということになるか。まあこれも、若き感覚で今さら微笑ましくも感じてし...土曜午後のお楽しみ!~ED16重連運転

  • 懐かしき自分だけの撮影ポイント~EF15

    鉄道写真の分野でも、先人たちが昔から築き上げた有名撮影地というポイントが全国各地に存在している。その画像を一目見れば、言わずとも場所が特定できる名撮影地だ。しかしそんな撮影地でも、経年変化で撮影など困難になったポイントも多いと聞こえてくる。幼少の頃から、雑誌で見てずっと憧れてきた撮影地に後年行くことが出来た時の嬉しさは、未だに忘れられないものがある。この歳になっても、まだ行くことの叶わないポイントが全国に多数あるから、今後の自分への課題として温めているところだ。ここでは、また過去を振り返って、鉄道撮影駆け出しの時代、自分だけの撮影ポイントとしてよく通っていたポイントを載せておきたい。このブログでも何度か掲載済だが、おそらく現在は、全く面影すら無くなっているのではないか。自動車も通れないような小さな踏切からカメラ...懐かしき自分だけの撮影ポイント~EF15

  • ローカル貨物は魅力満載Ⅱ~身延線EF10

    地方支線のローカル貨物の流れで、今回は身延線の貨物列車。もともと首都圏に走っていたデッキ付きの茶色の電機の撮影に飽き足らず、前出の北関東両毛・我妻線、そして飯田線、身延線と足を延ばし始めた頃の画像になる。どれも残された画像は誉められたものではなく、ただ写っているだけというものだが、懐かしさの残っているうちに掲載してしまう。まだ甲府機関区に初期のEF10型が活躍していた時代。個性豊かなEF10は、年代とともに形態が変化し、ED16に近い初期の形状が好みで狙いに行ったはず。この時は運よく、その一次型のお出ましとなったが、何と貨車はワフ1両というローカル振り。とっさに構図をアレンジする余裕も無く、そのままシャッターを押したようだ。盆地特有のとにかく暑い一日だったことが思い出される。そして身延線というと、やはりこちらの...ローカル貨物は魅力満載Ⅱ~身延線EF10

  • ローカル貨物は魅力満載~EF12

    前述しているように、比較的昔から出かけていた吾妻線という盲腸線。沿線に温泉地等が存在するから、特急、急行は定期列車で走っていたし、臨時列車も多かったと記憶している。貨物列車だって、日中2往復あったと思うが、当時はEF12というこの地ならではの古豪が元気に活躍していた。デッキ付きにも関わらず、当時のファンの間では、この手の茶色の電機はあまり人気がなかったようで、同業のファンの姿は稀だったように思う。晩年の時代、それも団臨等が入線すれば、そこそこファンが集まったようだが、それでも現代の比ではないだろう。のんびりとした良き時代だった。掲載は、そんな中から、EF12のローカル貨物列車。一瞬今で言うホキ工臨?と思ってしまうが、これも定期の列車だった。昔から小野上には砕石場が存在し、時たまホキを連ねることがあったようだ。ま...ローカル貨物は魅力満載~EF12

  • 重連亡き後もひっそりと・・・EF58短絡荷物列車

    東海道線を走る荷物列車で有名だった荷35列車。1975年春のダイヤ改正から約3年の間、EF58の重連運転で東海道を下る、今思い出しても豪華な荷物列車だった。そしてこれに付随する形で、やはりファンの間では有名だったEF15による荷物列車、荷2935。隅田川から上野、東京経由で品川まで走っていた定期の荷物列車。この列車を品川から荷35ㇾとして増結の上、西へと下っていた訳だ。重連で荷物列車をひくゴハチもさることながら、普段貨物に従事しているEF15が、荷物列車を定期で引く列車も、当時は貴重に思えて、アントンKも何度か撮影に出向いた記憶がある。ただ、走行区間が都心部となって、駅ホームからの撮影が主体となり、変化に乏しく苦慮した思い出が残っているのだ。そんなEF15の牽く荷物列車も、そしてEF58重連の35列車も、197...重連亡き後もひっそりと・・・EF58短絡荷物列車

  • 貨物街道「武蔵野線」~EF15

    前出の物からまた、お粗末な画像を続けてしまう。武蔵野線が開業してしまうと、都心を行き交っていた貨物列車の多くは、ダイヤ改正ごとに武蔵野線経由へと移行していく。首都圏を大きく外周する武蔵野線だが、当時はまだ全線開業にはなっておらず、その進捗とともに貨物列車も増えていったのだろう。画像は、圧倒的な本数に呆れながら撮影した、EF15の重量貨物列車。武蔵野線101系電車より貨物列車の本数の方が多かったと思えるくらい、次々とやってくる貨物列車に絶句した記憶が残っている。前出の電機と同じEF15だが、こちらは高崎第二区所属の耐寒装備のEF15。福米型のお顔からすれば、大人しく感じるが、足回りのスノープロウが凛々しくとても締って見えたもの。長大な貨物を牽いて全開で上ってくるジューゴは地味だったが、今にして思えば、一番懐かしい...貨物街道「武蔵野線」~EF15

  • 都心での衝撃的な出会い~EF15一次型

    デッキ付きの電機に気軽に会えるのが、当時は山手貨物線だった。今でも鮮明なのは、始発で自宅を出発し、山手線に乗り継ぐ渋谷駅での待ち時間の間、何本の貨物が行き来していただろう。ホンの10分足らずの時間だろうと思うが、デッキ付きの電機の轟音を何度も聞いて、それだけでどこかソワソワした想いが蘇るのである。武蔵野線開業後とはいえ、まだまだ山貨を通る貨物列車は多かったのだろう。現状からは全く想像も出来ない光景だったのだ。アントンKは、当時から貨車にまで興味が及ばず、今でも似たようなものだが、首都圏内でも、貨物取扱駅が多数残っていたため、黒い二軸貨車などはよく目にしたものだったが、その貨車すら無くなった現代を思うと、膨大な時間が通り過ぎたのだと思わざるを得ず、空虚感が心を襲ってくるのだ。ここでは、山手貨物線の電機の撮影に出向...都心での衝撃的な出会い~EF15一次型

  • デッキ付きの横顔~EF12

    相変わらず国鉄型の人気が高い昨今の撮り鉄事情。いつまで続くのか想像もつかないが、アントンKには、現存の国鉄電機たちより、デッキの付いた茶色い電機が懐かしさをそそる。ED16に始まり、EF10→12→13→15→16→18→59、もちろんEF56、EF57と同世代ならごく普通に撮影を楽しんでいた時代だった。当時は贅沢にも好みをあれこれ言って、仲間内で語り合ったのも良い思い出。ちょうど今のEF65PFやEF210のようで、確実に歴史は繰り返している。嬉しくなる瞬間なのだ。今日は、当時のEF12型旧型電機を掲載。アントンKが撮影出来たのは、新鶴見区の一部と、高崎第二区のEF12たち。157系電車が好きだったこともあり、吾妻線には意外に早く撮影に出向き、合わせてEF12の貨物列車も撮影している。吾妻線沿線には、有名な温...デッキ付きの横顔~EF12

  • 今にして思えば・・の多いこと!~EF58 61

    知らず知らずのうちに消えていった列車の中には、客車列車の疎開回送や試運転列車のたぐいが存在する。確かに現代では、客車列車が電車に置き換わり、日夜走行シーンは見られるはずだが、あまりに日常過ぎて、趣味的対象からは外れているようだ。今回は、そんな撮影したことも記憶にないくらい、埋もれてしまっていた画像から1枚掲載しておく。仕事の合間を縫って通過時刻にそそくさとカメラを構え、シャッターを切ったら、何事も無かったごとく通常シフトへと帰っていく。そんな日常で撮影した列車だったはずだ。3両編成と当時では極端に短いことから、敬遠するのがアントンKの得意技だったのだが、どういう訳かやる気のない画像が残されていたのだ。列車番号からして、来宮までの疎開回送だったか、全く記憶が無くなっている。今にして思えば、編成の長短に感化されず、...今にして思えば・・の多いこと!~EF5861

  • 「北斗星」より格上?!トワイライトEXP.~EF81

    愛孫が583系とトワイライト色のパーイチを絵で描いたというので、嬉しくなってアントンKも対抗する!!今回はEF81けん引のトワイライトエクスプレス。いつから運転されていたかは、正直調べないと判らないところまで昔のことになってしまった。おそらく民営化され、東日本の「北斗星」に対抗する形で、西日本がより高級な列車を狙って走らせた特急ではなかったか。「北斗星」が当初1日3往復していたことに対し、この「トワイライトEXP」は、車輛の関係から運転日が限られていたような記憶が残っている。しかしそれも徐々に解消し、末期に至るまで人気列車として運転され、西日本の名列車の一つにまで成長したと言って良いだろう。アントンKは、撮影ばかりで一度たりとも乗車は叶わなかったが、無くなると乗車したくなることは常で、よく考えればそんな列車は山...「北斗星」より格上?!トワイライトEXP.~EF81

  • 1号編成最後の御召の記憶~DD51 842

    御召列車に使用する第1号編成は、あれからベールに包まれたまま、我々ファンの前には姿を現わしてはくれない。かれこれ20年近くの歳月が過ぎてしまい、このまま伝説として語り継がれてしまうのだろうか。アントンKが長年鉄道撮影をやってきて、今までで最も心ときめいた被写体は御召列車だった。幼少の頃、運動会や林間学校の前日に興奮して眠れず、朝を迎えてしまった時のように、あるいは朝比奈隆のブルックナー演奏会の前の日、色々想いが張り巡らされ一睡もできず、そのまま上野へと向かった日のように、御召列車撮影の前は、同じような興奮を覚え緊張し気合いが入ったものだった。御召列車そのものが特別感満載だから、たとえ157系でも183系でも御召列車とならば、普段の撮影とは異なった想いでカメラを向けたものだが、数少ないアントンKの経験でも第1号編...1号編成最後の御召の記憶~DD51842

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