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アヴァンギャルド精神世界 https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本当のなつかしさ、本当のやさしさ、そういったしみじみとしたものだけが好みです。 気になるもの 錬金術、冥想、瞑想、オカルト、坐禅、気功、ヨーガ、オーパーツ、超能力、霊能力、前世記憶、PTSD、トラウマ、修験道、アトランティス、レムリア、ケルト、クンダリーニ,チャクラ、洗脳、情報操作、テレビっ子、個人主義、疎外、おひとり様、悟り世代、アセンション、無私、敬虔、清貧

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2013/11/11

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  • 神知らぬメタバースと仮神-2

    ◎最終の宗教戦争メタバースにより容易に願望・想念が半ば現実化することを体験していくと、その欺瞞性の反動から本当の深い所の真実の願望・想念を実現しようとする動きが出てくる。これは、聖性の希求、真の宗教の復興というようなもの。ところが、ユダヤ教、キリスト教ベースの世界観は、神と被造物の間には絶対的な区別があると考え、東洋的宗教のそれでは、被造物すべてが神の創造力の顕れであって、すべてをいとおしむというもので、双方進み方が異なる。(参照:仮想から現実へ―コンピュータ時代における良心の確立/本山博/宗教心理出版P104-105)これは、キリスト教では父なる神であって三位一体と称するが実質二位一体で、太母が殺されていることや、インド、昔の中国、日本では、無生物も生き物もすべて神である多神教的な見方が優勢であるところに顕れ...神知らぬメタバースと仮神-2

  • 神知らぬメタバースと仮神-1

    ◎仮神、メタ・ゴッドの出現と勢力拡大2020年、21年とコロナの逼塞した時期には、メタバース(ヴァーチャル・リアリティ)で暮らす時間が増えた。メタバースは、下層霊界であることは、既に述べた。ヴァーチャル・リアリティは下層霊界である-1ヴァーチャル・リアリティは下層霊界である-2想念の世界と現実の世界の区別がつかないのは、精神異常だが、メタバースにはそういう可能性をはらむ。かつては、「想念と感情と欲望で作り上げられた閉鎖的な洞窟のような空間に生きている」人物については、カルトに取り込まれやすいことを懸念していた。ところが、長いコロナ禍でそのような人物が増えて、世の中全体にそのような空間に生きる統合失調症のような人物、あるいはその点を媒介に下層霊界とコンタクトする人物が相当数増加しているのだろうと思う。それはまずS...神知らぬメタバースと仮神-1

  • トランスなし洗脳優勢の時代

    ◎うつになったり、身体運動に問題が出たり今日も、誰が権威ある人物、専門家、学識経験者なのかわかりにくい中で、テレビのモーニングショーなどで、大声で恫喝的な発言を繰り返す、カラ国の代理人としか思えないデマ・ゴーグが、世間を騒がす。洗脳には、トランス付き洗脳とトランスなし洗脳がある。トランスとは、意識の低下状態だが、一般には熱狂、陶酔、感動を伴う活動から「我を忘れて」個人的無意識以下の状態に入ること。トランス付き洗脳とは、踊り念仏から、真宗の坂東曲、讃美歌、宗教劇、教祖の講演で高尚な気分を盛り上げて、トランスに持ち込むなど宗教シーンでは一般的だった。それ以外に薬物の力や性的興奮の力を借りるものもある。トランスなし洗脳とは、情動の力を借りることなく、与える情報を曲げたり寡少に制限することによって、人間が「自発的論理的...トランスなし洗脳優勢の時代

  • 世界も日本も戦後最大の危機を迎える

    ◎神に祈れば生くる道あり2022年3月27日令和3年度防衛大学校卒業式内閣総理大臣訓示から。『今般のロシアのウクライナへの侵略により、国際社会が、長きにわたる懸命な努力と多くの犠牲の上に築き上げてきた国際秩序の根幹が、脅かされています。事態の展開次第では、世界も、そして我が国も、戦後最大の危機を迎えることになります。』コロナ蔓延盛んなりし時も、福島第一原発事故の時も、政府は一貫して国民の不安をあおり、パニックを誘うような発言はするものではなかった。ところが、この一節の異様さを取って見ても、いかに日本国政府の覚悟と緊張が非常なものであるかが見てとれる。米国の指導と意向も強烈なのだろうが、対ロシアでいきなり敵対政策を取り出したのは、この辺の最悪の展開に備える姿勢がなければこの発言はあり得ないと思う。ロシアはSNSを...世界も日本も戦後最大の危機を迎える

  • スマホを通さず見る、スマホを通さず聞く

    ◎その出会いに直面するようやく本格的に桜が咲き始めた。ネットでは絢爛豪華な桜の写真があふれている。信じられないかもしれないが、27年前のカシオの50k写真がせいぜいのカメラの画像であっても、当時は驚異と歓迎の目で、桜は愛でられたものだ。だが、それ以前であっても豪奢な満開の桜、惜しまれて散る吹雪の桜はあった。吉野山、桜好きだった西行の桜など。最近はスマホのカメラの目でシーンを見る人や、スマホの録音機能の耳で音声を聞く人が増えた。人と人との出会いは一回限り。その場面に居ることも一回限り。そこにスマホを持ちだせば、出会の感触は間接的なものとなり、その場面全体の印象もみずみずしさは薄らぐ。ダンテス・ダイジの講話の録音というものもあるが、「録音していないで、聞きなさい。」とたしなめたシーンもある。予言あるいは予兆を感じる...スマホを通さず見る、スマホを通さず聞く

  • 隠れた神、殺された神

    ◎大難を無難にアダムとイブと神の時代は、人間は神を意識していた。隠れた神とは、意識の片隅に真の神がまだいる時代。殺された神とは、意識の片隅にも真の神がもういない時代。ヘブライ人は、平和と繁栄の時期に邪神崇拝のバアル人とアシタロテ人に仕えたが、逆境の時代になると、真神崇拝に立ち戻っていった。ご都合主義だが、そんなものだ。旧約聖書のサムエル書上12-10『民は主に呼びかけて言った、『われわれは主を捨て、バアルとアシタロテに仕えて、罪を犯しました。今、われわれを敵の手から救い出してください。われわれはあなたに仕えましょう。』また神々の黄昏でも、天の岩戸隠れでも、艮(うしとら)の金神のご隠退でも、真神は忘れられてはいない。遠い天にましますが、忘れ去られたわけではない。これらは、隠れた神。別バージョンで殺された神というの...隠れた神、殺された神

  • グロと残虐

    ◎語らない方がよいことウクライナでの戦争での残虐が毎日報道される。だが、国を問わず、司法関係、医療関係では、日々残虐シーンに向き合っている。日本人が外国で集団惨殺された事件としては、戦前の中国通州事件が有名だが、日本人に対してカラ国は特に残虐なのかと思うと、「中国共産党暗黒の百年史/石平」を読むとカラ国は自国民に対しても残酷であることに躊躇がないことがわかる。天安門事件、黄河堤防を爆破して数百万人が溺死した事件など。釈迦前生譚ジャータカなどにも、我が肉体を自発的に喜捨する話が時々出てきて、それはグロではある。個なる自分を捨てなければ、全体と一致する道はないが、そこまで具体的に描写しないとわからない人もいるのだろうが、そこまで示せば、自己犠牲、すべての宇宙が死ぬという神秘に至る香気は薄らぐと思う。察すべき、感じる...グロと残虐

  • 極貧のクリーニング屋の女性が燈明の油を釈迦に献じる

    ◎善行のリターンを期待しないコーサラ国王プラセーナジットが、釈迦と付き従う弟子たち全員に対しグルメな食事を一週間にわたり提供した。ところが、釈迦はその莫大な食事提供の善行の見返り(果報)をコーサラ国王に与えるのではなく、さる乞食に与えた。当惑したコーサラ国王が悩んでいると、釈迦は、彼が何度も国王として転生し栄華を極めているのは、彼が前世で中流家庭のもらい子であった時に、母が自分のために作ってくれた塩気のない麦団子を孤独に修行する覚者(独覚)に布施したお蔭であると説明した。麦団子の話を聞いた、時々公的支援ももらい、善意のボランティアの支援も受けている極貧のクリーニング屋の女性が、一念発起して、燈明の油を買って釈迦に寄進しようと思い立った。やがて彼女は少量の油を買い求め、壊れた器に入れ、釈迦が散歩される道に献じ、自...極貧のクリーニング屋の女性が燈明の油を釈迦に献じる

  • 真善美について

    ◎神性自体に窓が三つということではない真善美をググると、言い出したのはカントだなどという説も出て面食らう。もともとは、洋の東西を問わない完全人の属性というべきものである。OSHOバグワンの説明では、1.真善美とは、人間による神の体験。2.知が優勢の人なら、神性は真理の形をとる。3.感性優先の人なら、神性は美の形をとる。4.行動優先の人なら、神性は善の形をとる。さらに5.大多数の人間は行動優先である。6.神性自体に枠はなく、神性の窓が真善美の3つに限られているわけではなく、他の相もある。だから真善美を通して神を見る人は、ある意味で神性に自分独自の定義を押し付けている。真善美+他の相は、神を指し示す指のようなものであって、神そのものではない。それは言葉では定義できない。(以上参照:秘教の心理学/和尚/学研P230-...真善美について

  • 催眠術ヒプノシス

    ◎ラスプーチン催眠術ヒプノシスには、ほとんど言及したことがないが、その効果については否定するものではない。キエフと言えば、1911年9月帝政ロシア時代、キエフの劇場において、首相ストルイピンが皇帝の面前でユダヤ人青年に暗殺された。怪僧ラスプーチンは、これを事前に予知していた話が、彼の個人秘書の回想録に出てくる。プーチン氏はストルイピンを高く評価していると公言しており、2012年ストルイピンの像が首都モスクワの連邦政府庁舎脇に建立された際には寄付までしている。ラスプーチンには、病気治癒の話があり、いずれも催眠術ヒプノシスによるもの。一つは個人秘書の息子が右手がしょっちゅう震え、右半身不随だったものを、ラスプーチンは個室で彼に正対し、彼の肩に両手を置き、彼の目をまっすぐ見つめ、強く身振るいをしたことで治した。もう一...催眠術ヒプノシス

  • ウクライナとハザール

    ◎招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないウクライナと言えば、ユダヤ人が多いこと。そして9世紀に国家まるっと集団でユダヤ教に改宗したハザールを思い起させる。ハザールの最大版図では、現ウクライナの7割くらいを含む印象。また今のイスラエルの人口の半分は、1492年までスペインにいたユダヤ人の末裔であり、残り半分はハザールの末裔である由。おまけに現イスラエルのヘゲモニーを握っているのは、どちらかというとスペインにいたユダヤ人の末裔であるという。1492年のユダヤ人追放令までスペインにユダヤ人が集中した理由は、スペインでは心にユダヤ教を信仰しながら表面的にキリスト教改宗した者(マラーノ)を認めていたせいだとされる。今般のロシアのウクライナ侵攻では、マスコミにはユダヤ人のユの字も出てこないが、イスラエルが仲介に乗り出したこ...ウクライナとハザール

  • 瞑想は、人間が神に成長する速度を速める。

    ◎ケン・ウィルバーの夜の瞑想、早朝の瞑想ケン・ウィルバーは、結跏趺坐での只管打坐メインで覚醒した人。2年くらい何もしないでいた時期があって、毎日泣いていたなどという件りを読んだ時は、さもありなむと思ったものだ。『グレース&グリット愛と魂の軌跡/ケン・ウィルバー/春秋社』は、彼が36歳で出会った魂の伴侶トレヤとの出会いとガンでの死別の話なのだが、トレヤも只管打坐での覚者であることがわかる。彼女と死別して以降は、毎日泣き暮らす2年があっても不思議ではあるまいと思う。。戦後の日本人は聖者、覚者と言えば、何を言っても怒らない人格者で、清濁併せ吞む太っ腹で、善にも悪にも強いという、まるで大物政治家みたいな人物を想像しがちだ。だが、聖者、覚者の実際は、ケン・ウィルバーのように泣き暮らしたり、道元のように嫌いな弟子のいた場所...瞑想は、人間が神に成長する速度を速める。

  • 自分だけのためのハタ・ヨーガやボディ・セラピー

    ◎流行の癒しの構造ケン・ウィルバーは、人間は、1身体⇒2心⇒3魂⇒4霊(スピリット)と進化する、とする。個は3魂まで、世界全体のアートマンは、4霊(スピリット)。勿論、出来上がりは、二重のリアリティたる4霊(スピリット)。SNSを見るとハタ・ヨーガやボディ・セラピー(武道、気功、ロルフィングなど)をやる人が非常に多い。人間は、幼児期には、1身体が意識そのものである時期にある。2心は2歳頃から出現しはじめどんどん発達していき、思春期になる頃には、自分の生き生きとした生命の躍動や感情の豊かさを失い、1身体と2心の分離に苦しむことになる。青年になってハタ・ヨーガやボディ・セラピーを行うことで、失われた1身体と再接触する。充分に1身体と再接触すれば、2心⇒3魂⇒4霊(スピリット)の順路で進み自分を超越することができる。...自分だけのためのハタ・ヨーガやボディ・セラピー

  • キエフ大公ウラディミル1世がギリシア正教を選ぶ

    ◎タボルの光-人が神に成る990年キエフ公国の大公ウラディミル1世は、国教をギリシア正教とした。ウラディミル1世は、5人の妻と800人もの妾を抱え、偶像崇拝も行っていたが、国教を定めるに当たり、カトリックのローマ、ギリシア正教のコンスタンティノポリス、イスラームのバグダッドなどに使者を派遣し、各宗派を研究した。バグダッドに行った者は、「イスラム教では、割礼をせよ、豚肉を食べるな、酒を飲むな、その代わりに死後には女たちと淫行をすることができる。」と報告。ウラディミル1世は、「ルーシ人の楽しみは酒を飲むことだから、酒なしでは生きていけない。」とし、イスラム教を退けた。ユダヤ教は、ユダヤ教徒自体が故郷を失っているので、ウラディミル1世は、それではどうやって自分の信仰を勧めることができるのかと、これも退けた。ギリシア正...キエフ大公ウラディミル1世がギリシア正教を選ぶ

  • 宮城と福島で震度6強の地震

    ◎善を行い悪をしない、大難を無難に昨夜の地震は、政府、マスコミがウクライナで一色のところ、首都圏では大規模停電が発生し、電車は止まり、帰宅難民、オートロック難民を多数発生させ、遠い記憶だったはずの東日本大震災当時を思い起させることになった。一方世情は、全人類を破滅させるに足る核兵器保有国を他の多数の国家群が強烈に圧迫しているところで、この反作用が苛酷な核攻撃を誘発せんとしているが如くに感じられる。一国を他の圧倒的多数国家が咎める図式は、ヒトラー登場時のドイツや国際連盟脱退時の日本に前例を見ることができる。これは戦争を催促しているわけであって、いきなり世界全面核戦争もあり得ると感じている人も実は少なくないのではないか。過去の大戦争では、戦場にならなかった国家は、戦後15年から20年は経済的繁栄を謳歌したものだ。と...宮城と福島で震度6強の地震

  • 日本の役目

    ◎ソ連とアメリカがやって、日本が仲直りをさせる日本の将来の展開については、主に大本神歌、いろは歌、新月の光を参考に考えている。現在は、ロシアのウクライナ侵攻がはじまったばかりで、これから大戦争になるかどうかもわからぬ時期である。今後は、大本神歌にあるようにロシアと連合国の戦争が進んでいくのかもしれない。1.カラ国の裏切りと白露の非義非道『聯合の国の味方と今迄は、成て竭せしカラ国の、悪魔邪神が九分九厘、モウ一厘の瀬戸際に、旗を反すと白露の、其振舞いの非義非道、凡ての計画を狂はせて、勝つ可き戦争の負け始め、永びき渡る西の空、黒雲晴るる暇も無く、独り気儘の仕放題』(大本神歌)※ベラルーシとロシアで白露ですかね。2.白露の欧州席捲?と支那への転進『フランス跡に地固めの、望みもつきてカイゼルの、甲斐なき終り世の終り、金も...日本の役目

  • 梅干しと土の穴

    ◎瑞霊に倣いて「瑞霊に倣いて」というブログは、前からあるのは、知っていたが、梅干しと土の穴について、感得するところがあった。※瑞霊とは、出口王仁三郎のこと。出口王仁三郎には、最後の時には、土に自分が入れる穴を掘ってそれに横になり、梅干しを口に入れてじっとしていよという言い伝えがあるが、これについてやっと得心がいった。梅干しについては、毒ガス対策として菜食の日本人には被害を最小限にする効果があると、随筆集などで述べている。納得できなかったのは、土の部分だが、広島の原爆投下直後に出口王仁三郎が大国美都雄氏を広島に派遣し、土の効用を確認させている。大国美都雄は、広島駅前の広場の土の上に寝たり、土を掘って下の方の植物の根が生きていることを確認し、出口王仁三郎に報告した。それを聞いた出口王仁三郎は次のようなもの。原爆投下...梅干しと土の穴

  • 行く春や鳥啼き魚の目は泪

    ◎松尾芭蕉松尾芭蕉の奥の細道の最初の句、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」魚は泣かないが、魚屋である松尾芭蕉の支援者である鯉専門の魚屋の杉山杉風が、長旅に出る芭蕉との別れを惜しんで泣いてくれた晩春であるという句。江戸で武家に出入りする魚屋は、勝手に裏木戸から入り、台所で勝手に調理して、勝手に値段を決めて帰って行くので、諸藩や旗本の内情に触れることが多かった。杉山杉風は、難聴だったから本来知り得た武家の内情を知ることはなかったとされる。ところが、杉風の句に時鳥(ほととぎす)一声まじる鶴の声鳴く千鳥富士を見返へれ塩見坂などがあり、耳はよく聞こえていた。おまけに世話になった杉山杉風は聾者だったから、松尾芭蕉は、生涯「聾」の句は詠まなかったなどという尾ひれまでついている。(参照:影の日本史に迫る/磯田道史/平凡社P150-1...行く春や鳥啼き魚の目は泪

  • ウクライナから松尾芭蕉

    ◎芭蕉のおかしみとさびウクライナの小学校の教科書で、外国文学として最初に登場するのは、ロシアでもなくドイツでもなく松尾芭蕉だそうで、これがウクライナに親日家が多いと言われる所以なのだろう。ウクライナの最近の現地映像ではまだ雪があり、吹雪いているシーンもある。松尾芭蕉には、おかしみの句、おかしみからさびに転ずる句、さびそのものの句と三種揃っている。おかしみの句:「いざさらば雪見にころぶ所まで」(大意:さようなら、私は雪見に行きます、雪でころぶ所まで。)おかしみからさびに転ずる句:「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(大意:音に聞く鵜飼いは面白いものだったが、帰途の舟では胸かきむしられる思いが徐々に深まる)さびそのものの句:「古池や蛙飛びこむ水の音」(大意:古池に蛙が飛びこむ水の音がする。)クンダリーニ・ヨーガでは...ウクライナから松尾芭蕉

  • 釈迦は何のために冥想するか

    ◎悪魔との対話釈迦は、成道前も成道後も様々な悪魔と問答している。それを見聞きした人物も相当なレベルの人に違いない。さて悪魔は釈迦七年の苦行につきまとっていた。『三そこで悪魔・悪しき者は、尊師に近づいた。近づいてから、尊師に向かって詩をもって語りかけた。「あなたは悲しみに沈んで、森のなかで瞑想しているのですか?それとも、なくした財を取り戻そうとしているのですか?あなたは村のなかで、なにか罪を犯したのですか?なにゆえに人々とつき合わないのですか?あなたは、だれとも友にならないのですか?」四〔尊師はいった、〕「悲しみの根をすっかり掘り除くために、罪を犯さず、悲しむことなく、わたくしは瞑想している。生存を貪る欲念をすっかり断って、汚れなく、わたくしは瞑想する。怠けものの仲間よ!」五〔悪魔はいった、〕「『これは、わたしの...釈迦は何のために冥想するか

  • 世の終りの3種

    ◎人間の側の都合世の終り説には、眉つばなものも含めていろいろなものがあるが、正統的なものは、この時代の終りに文明が崩壊し、神主主義文明、千年王国が起こるという、神話、古伝承なのだと思う。だが、いわゆる『世の終り』のビジョンには、大別して3種類があって、素人目にはいまだにどのルートかわからないが、核をちらつかせてのロシアのウクライナ侵攻が進行中である。その3種とは、1.人類がほとんど残る。2.人類がほとんど残らない。3.人類が一旦全滅して再興する。この基本線の外縁に様々な陰謀論が見え隠れしている。この3種に共通した原則は、いずれも人類すべてが神を知り、神を生きるということに他ならない。だが、2と3は人間の側の都合を無視しているところがある。だがそれも神意のうちで、石ころの心。2と3については、イザヤ書や古事記でそ...世の終りの3種

  • 毎日のハタ・ヨーガとその完成

    ◎科学的なハタ・ヨーガ周天で一生鍛錬し続けて、70歳になっても出神はちょこっとなどと聞けば、がっかりする。さてハタ・ヨーガは、クリヤ・ヨーガをやるための前段だが、ハタ・ヨーガの完成について、OSHOバグワンは、35年を要すると見ていた。(死ぬこと生きること/OSHO/市民出版社P294参照)15歳で始めれば50歳でハタ・ヨーガは完成。50歳からクリヤ・ヨーガができる。60歳から始めれば95歳でハタ・ヨーガは完成。だが95歳からクリヤ・ヨーガでは、いろいろな点で厳しいので、次の転生でクリヤ・ヨーガをやるのだろう。実はハタ・ヨーガは、健康に過ごしたり、寿命を延ばすためにやるものではない。むしろクリヤ・ヨーガを真剣にやりたい者や、この危急の時代に生きる者にとっては、35年費やすのが無駄に見える。そこでOSHOバグワン...毎日のハタ・ヨーガとその完成

  • 習近平、国際情勢緊迫で全軍が戦争準備を

    ◎影響されない自分を読売新聞オンラインで『習近平氏、国際情勢緊迫で「全軍が戦争準備を」…軍を海外派遣する根拠法を整備へ』(2022/03/0818:33)という見出しの記事が出た。内容は習近平国家主席が「中国軍を海外に派遣して活動させる根拠法の整備を進める意向」とみられるというもの。これは、もう2022年になってしまったが、「2020年中華人民共和国予定図」というのがあって、日本の愛知県から西半分が中国本土である東海省になって、東半分が「倭人日本自治区」になっている地図を思い起させる。なぜ愛知かと言えば、孝明天皇の尾張半田。西半分については、出口王仁三郎予言で言えば、なずな七草の毒ガス攻撃、西からの空襲があり、北方からの来襲について言えば、『瑞能神歌』(大本神歌)(三)に「いよいよ初段と相成れば、西伯利亜線を花...習近平、国際情勢緊迫で全軍が戦争準備を

  • ニルヴァーナと肉体死の違い-2

    ◎モクシャとは、ニルヴァーナのことさらにOSHOバグワンの所説。『魂は二つの身体―――微細身と粗大身の内側に存在する。死の時点で粗大身は死ぬ。土と水で作られた身体、肉、骨そして骨髄から成る身体は、脱落して死ぬ。その後、微細な思考、微細な感情、微細な波動、微細な繊維から成る身体が残る。この身体は、これらの微細な物すべてで形成され、魂と一緒にもう一度旅に赴き、そして再び新しい誕生のため、粗大身に入る。新しい魂が母親の子宮に入る時、それはこの微細身が入ることを意味する。死の出来事においては、粗大身だけが崩壊して、微細身は崩壊しない。しかし究極の死、私たちが解脱(モクシャ)と呼ぶものの発生とともに微細身も同様に粗大身と一緒に崩壊する。その時、魂にとってもはや誕生はない。その時魂は全体と一つになる。これはたった一度だけ起...ニルヴァーナと肉体死の違い-2

  • ニルヴァーナと肉体死の違い

    ◎人には死が全くない。生は生ではなく、死は死でない。仏になるというのは、ニルヴァーナという体験とは言えない体験をすること。それは、肉体の死ではない。OSHOバグワンの所説。『ニルヴァーナとは、まず、人は死が全くないことを完全に実感してきた、という意味だ。第二に、私たちが生と呼ぶものの中では、何も達成されないことを知るようになった、という意味だ。ニルヴァーナとは、私たちが死として理解するものは全く死ではなく、生によって意味するものは本当に生ではない、という現実に気づくことを意味する。私の話が理解できるだろうか?一つのこと———ニルヴァーナとは、ある人が死を知る時、そこに死がないのがわかるだろう、という意味だ。そこにはこれと結びついた別の現象がある。それは、充分な気づきをもって生を見る人は、あらゆる人が生と呼ぶもの...ニルヴァーナと肉体死の違い

  • 馬祖が瓦を磨いて仏になる

    ◎坐禅を学ぶ、坐仏を学ぶ禅の六祖慧能の法嗣の南嶽懐譲が衡嶽の般若寺の住職だった時、馬祖は近くの伝法院で毎日坐禅をしていた。南嶽禅師は彼が見どころがあることを知り、伝法院へ行き質問した。南嶽「坐禅をして何をしようというのか」馬祖「仏になろうと思います」すると南嶽は瓦のかけらを拾いあげ、庵の前の石の上で磨きはじめた。今度は馬祖が質問した。「老師、何をしようとしているのですか?」南嶽「瓦を磨いて鏡を作ろうとしている」馬祖「瓦を磨いても、どうがんばっても鏡などできないでしょう。」南嶽「それならば、坐禅してどうして仏になれようか?」馬祖「ならば、どうすればよいのでしょうか」南嶽「牛車に乗っていて動かない時に、車を打つのがよいか。それとも牛を打つのがよいか」馬祖は答えられなかった。南嶽はさらに言った。「あなたは坐禅を学んで...馬祖が瓦を磨いて仏になる

  • 世を持ち切りにはさせない

    ◎二重の世界観大本神諭の頻出キーワードの一つに『世を持ち切りにはさせん』というのがある。これは、いつまでも世界を人間の思うがままに切り回させはしないということで、神知る人間の時代に戻すということである。それは、どういうことかと言えば、本来の人間の姿である頭を下に足を上にした人間になるということ。すなわち逆立ちした人間になるということ。逆立ちとは、頭頂・泥丸・サハスラーラ・チャクラ側に世界が根として広がっている人間のこと。つまり世界樹を逆さまにした姿が本来の人間の立ち姿であるということ。これは、個と全体の逆転の姿が真人のモチーフであるということ。倒立した人間像を人間のあるべき姿としたものは、古くは、建木、イグドラシル、生命の木など世界樹のイメージとして世界中に分布していた。最近になって、人間が覚醒に耐えうる脳、肉...世を持ち切りにはさせない

  • 石鞏が牛の番をする

    ◎草から顔を離して酒徳利に向ける石鞏は、もともと猟師だったが、馬祖に出会ったことで、出家して冥想修行に入った。ある日石鞏が台所で働いていたところに馬祖がやってきて、何をやっているのかと問うた。石鞏「牛の番をしています。」馬祖「どうやって番をするのだ。」石鞏「牛が草に顔を戻そうとしたら、鼻づらをぐっと引いて引き戻すのです。」馬祖「なるほどお前は牛の本当の番の仕方を知っている。」牛の食べる草は、世俗。牛を内なる光輝にぐいっと向けさせるのだ。牛と言えば十牛図。タロットカードの大アルカナ22枚も西洋の十牛図だとOSHOバグワンは言う。十牛図第十図は、手に酒徳利を下げて街を歩くという図柄だが、人が仏性とともに生きる時、まさにその酩酊が起こる。『この酩酊・・・・・ところで、私はそれが人類が麻薬やアルコールから抜け出す唯一の...石鞏が牛の番をする

  • 雪峰の全大地(碧巌録第五則)

    ◎大雪の鰲山で大悟する雪峰は、どこの道場に行っても食事係をやっていた。『洞山禅師のところで食事係となっていた時、ある日洞山が雪峰に問うた、「何をしている」。雪峰「米をといでいます」。洞山「砂をといで米を取り去るのか、米をといで砂を取り去るのか」。雪峰「砂も米も皆取り去ります」。洞山「皆は何を食べるのか」。雪峰は器をひっくりかえした。洞山「お前には徳山が向いている」。(徳山)に会うように指図した。雪峰は(徳山に)着くや否や問うた、「釈迦以来の根本の教えに、私も少しは与ることができますか」。徳山は棒を食らわして言った、「何を言うか」。そこで、はっと気がついた。後に鰲山(ごうざん)で雪に降りこめられた。巌頭に言うに、「私はあの時徳山の棒を受けて、桶の底が抜けたようでした」。巌頭が、「自分の言っていることがわかっている...雪峰の全大地(碧巌録第五則)

  • ソドムとゴモラ

    神が許し給うのかどうかロシアは、ウクライナ侵攻によって軍事的には優勢なのだろうが、経済的、文化的には世界の孤児のような圧迫を受けている。窮鼠猫を噛む?またロシアは戦術核でなく、大規模な戦略核の準備ができていることを広言して世界を威嚇。旧約聖書のロトは、ソドムの町に10人の正しい者を見つけられずに、結局ソドムを出ることに追い込まれた。神様から低地は焼き払われるから山に逃げよと言われたのに、わがままを言って、山ではなく、近い小さな町ゾアルに逃げることにした。その日の夜明け、神は天から硫黄と火とをソドムとゴモラの上に降らせて、町と低地と住民と草木をことごとく滅ぼした。しかしロトの妻は、後ろを見たので塩の柱になった。一方アブラハムは朝早く起き、高台からソドムとゴモラの方と低地の全面を眺めると、その地には煙が立ちのぼって...ソドムとゴモラ

  • 釈迦、空中に昇り身体を砕く

    ◎天からの綱釈迦が、生まれ故郷の迦毘羅城に帰還し、住民に神通力を見せて、教えに帰依させようとした。釈迦は空中に昇り、身体をばらばらに砕き、地上に落下させ、それらを再び結合させるという奇跡を見せ、観衆を仰天させた。同じようなモチーフの奇跡は、インドでも中国でも見られる。綱や糸を空中に立て、それを人が登って、頂上に達したところで、その肉体がバラバラになって地上に落下。ところがその肉体のパーツをつなぎ合わせると、元の人になって何事もなかったかのように歩き出す。エリアーデは、アイルランドの民間伝承の中にもそれを発見している。それによると、手品師は、絹の綱をほうり投げ雲に引っ掛ける。そこで兎、犬、少年、少女をその綱に次々に昇らせるのだが、少年の不注意で犬が兎を食べてしまった。これを見た手品師が自ら綱を昇って少年の首をはね...釈迦、空中に昇り身体を砕く

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