初代教会がたずさえ、宗教改革者達が命がけで守ってきた純粋な聖書の福音をお伝えします。
SOSTVは、世界中の人々が神様のみ言葉である聖書を土台として生きる事ができるようにお助けしています。聖書の教えによって幸せな家庭を築き、健康的な習慣を身につけ、平安と感謝に満ちた人生をおくり、さらに永遠の命に至る真理の光を知らせる働きをしています。
Chapter6私は道であり、真理であり、命であるみ子の命によってイエス様は十字架で死なれ、私たちを神様と和解させて下さった。その方の死によって、私たちの古い罪の身体は滅び、罪の赦しを受けるようになるのである。そして、イエス様の復活によって私たちは救いを得る。すなわち、イエス様の復活の命によって、私たちは神様の命を頂くようになるのである。「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」(ローマ人への手紙5章10節)私たちは、「イエス様の命によって救われる」のである。その方の命によって、神様の命が私たちの中に臨む。私たちはその神様の命をいつも受けて、罪の世にあって、罪に染まることなく生きることができるのである。...Chapter6私は道であり、真理であり、命である。
Chapter5クリスチャン生涯の中心はキリストの十字架だ。そこからすべての事が出発する。私たちは、十字架上で亡くなられた主の愛を正しく理解すべきである。Chapter5カルバリーが語る三つの事実(1)十字架は十戒の不変性を語る多くの人が、イエス様が十字架で神様の律法を廃したという。しかしそれは、正反対のことである。十字架は、神様の律法を廃しないで、むしろ完成させるのだ。「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」。(マタイによる福音書5章17節)義人の道は真理の道で、主の命令と戒めを守りながら生きる道だ。神様は私たちを赦してくださり、主の血潮で私たちの良心を清めて下さったが、私たちに求められる原則と戒めは変わりがないことを、まず理解しなければな...Chapter5カルバリーが語る3つの事実
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