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私を知る https://blog.goo.ne.jp/suiku2013

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。

自覚とは「私」に意識を向け、一切のことは「私」の考えであることを自覚していくことです。

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2013/06/27

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  • ツイート記事(20240203~)

    ◇ツイート記事(20240203~)◇<2月3日>◇輪廻、運命最近、この周辺のことについて少し理解が進んでいます。積極的に追及している訳ではないのですが、なぜか理解が進んでいきます。例えば、この世、あの世、過去未来を含めた世界観には、階層がありそうであること。輪廻にも階層がありそうであること。運命と呼ばれるものもありそうであり、極一部の例外の除いて皆、大筋はその運命に沿って生き、死んでいっているようであること。表面的な生き方をしていては、流されるようにして運命通りの展開になってしまうのであろうこと。意識的に生きることで、ある程度運命を変えられるのであろうこと。例えば、やったやられた(加害者、被害者)の関係や、親子等の依存関係の連鎖から抜け出していくときなどは、運命を変えている可能性があること。また、悟りの...ツイート記事(20240203~)

  • なぜ悪行はいけないのか

    ◇なぜ悪行はいけないのか◇今回は、なぜ悪行はいけないのかについて、私の考えを書いてみます。善悪も囚われですから、本来、行いついても善い、悪いはありません。これは間違いありません。ではなぜ、悪行はいけないのか。私は、人として生まれてくる存在は、性分として善的志向を持っていると考えています。人々の行いを善悪の観点から観れば、実際に表出する行いは種々あります。しかし、実のところは、誰しも出来れば悪いことではなく、善いことをしたいという想いを持っています。これは、どんなに悪いことをしている人でも、本心はそうなのだと考えています。ところが、実際に生きていく中では、表面的な欲や価値観、そこから派生する損得勘定や感情等に流され、本心に反する行いをしてしまうことが多々あります。生きることは難しく、仕方のないことでもありま...なぜ悪行はいけないのか

  • 肯定と否定

    ◇肯定と否定◇今回は、肯定と否定について書いてみます。ものごとに対するアプローチとして、肯定的アプローチと否定的なアプローチがあります。両者を比べると、イメージ的にも肯定の方がいいですし、受け入れやすいです。否定はどうしても、辛く、受け入れ難い。そのため、否定はどうしても受けが悪いです。また、両者の特性として、肯定は女性的あるいは母性的であり、否定は男性的あるいは父性的であると言うこともできます。昨今は社会的にも男性性不在あるいは父性不在の時代となっていて、否定的アプローチに対する風当たりが強いです。悟りの世界でも、良い悪い等の二元の囚われた落ちる小悟の辺りまでは肯定的アプローチが有効であり、またその階層周辺に属する人々の数も多いことから、どうしても肯定派が優勢となりやすいです。しかしそもそものところ、悟...肯定と否定

  • 悟りと覚悟

    ◇悟りと覚悟◇悟りよりもまず先に、生きること、人生への取り組みがあります。悟りは、生きるという営みの中の一要素に過ぎません。ですから、悟り云々の前に、如何に生きるか、生きる姿勢が重要です。私はこの点について、自身の本心に向き合って生きることが大切だと繰り返し書いてきました。しかし、それは実際にはなかなか難しいようです。どうして難しいのか。何が難しくしているのか。もっと言えば、何が足りないのか。私は、次の二つに集約されるのではないかと考えています。一つは、後悔しないという決意(あるいは、後悔しないようにするという決意)。もう一つは、どんな人生になろうと受けて立つ覚悟(あるいは、どんな人生でも受けて立つ覚悟)。特に、上の二つ目の覚悟が要になっていると考えています。多くの方々は、その覚悟が足りないのです。覚悟が...悟りと覚悟

  • 滅尽定と入滅とその関連(2)

    ◇滅尽定と入滅とその関連(2)◇前回記事の続きです。私とは、パッ、パッ、パッと断続的かつ連鎖的に連なる識の連鎖として捉えることができます。この識の連鎖という観点から見たとき、それは否応なく自動的に展開していきますから、そこには自由意志を含めて自我の存在も無いかのように感じられます。しかし、だからと言って自我は無いと考えてしまうのは、私は間違いであり、大切な要素を見落としてしまうことになると考えています(かと言って、自我があると言うのもまた間違いなのですが)。識の展開、自我の活動、どちらも幻ですが、私は、自我の活動が識の展開に大きく影響を与えているのではないかと考えています。以前の記事で、各コマを構成するひとつひとつの識には、その識をそのものを認識する自己認識機能が含まれており、それが自我の主体感覚の源泉で...滅尽定と入滅とその関連(2)

  • 滅尽定と入滅とその関連

    ◇滅尽定と入滅とその関連◇首記のテーマについて、思い付くことを書いてみたいと思います。死んだとき、できればもう終わりにしたい、これ以上はやりたくないという想いがありまして、入滅という現象の有無や可否について興味があります。これ以上はもうどうすることもできないので、後はなるようになっていくだけなのはわかっているのですが、やっぱり興味があります。ちなみに、ここで問題としているのは、死んだときに、そこで存在が終わって一切が消えるのか、それとも存在の展開が続いていくのかということです。予め書いておきますと、結論は残念な程ハッキリしていて、いくら考えても死んだときにどうなるかは決してわからないのです。どんなに悟っていても、またどんな能力を持っていても、死んだときにどうなるかは決して誰にもわからない。知ったようにいろ...滅尽定と入滅とその関連

  • 生きることは悟ることより難しい

    ◇生きることは悟ることより難しい◇悟りというと、それがとても大きなものであり、人生の最終目標であるかのように考える方がおられますが、それは誤解です。悟ることが人生の目的となることはありません。あくまでも、生きることそのものが目的なのです。悟りを余り過大に評価しないでください。悟りは人生の営みに含まれる一要素に過ぎません。悟りに崇高さを感じるのは、悟りが崇高だからではありません。それは、生きることそのものの崇高さを感じているのです。悟りに難しさを感じるのは、悟りが難しいからではありません。それは、生きることそのものの難しさを感じているのです。生きることは、悟ることより難しいのです。◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。◇自覚の要領をひとつに...生きることは悟ることより難しい

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