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上田市
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2013/06/15

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  • 霊山寺三重塔

    奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。霊山寺の三重塔は檜皮葺きの三間三重塔婆で高さは17mです。室町時代前期の文和5年(1356)に建てられています。ゆるやかに反った深い屋根と、長い相輪が特徴です。鎌倉期の純和様式で、初層内部の来迎壁には、極彩色の壁画が、色鮮やかに残されています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/霊山寺三重塔

  • 霊山寺開山大師堂

    奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。霊山寺の開山大師堂は昭和28年(1953)に改新築された建物です。古くは開山した行基菩薩を祀っていました。高野山真言宗に属した江戸時代より弘法大師空海を本尊とし、歴代徳川将軍の位牌を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/霊山寺開山大師堂

  • 霊山寺八体仏霊場

    奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。霊山寺には八体仏霊場が平成3年(1991)に造られています。生まれ年干支、生まれ日星座のお守り本尊です。右側より、阿弥陀如来(戌・亥年)、不動明王(酉年)、大日如来(未・申年)、普賢菩薩、勢至菩薩(午年)、文殊菩薩(卯年)、虚空蔵菩薩(丑・寅年)、千手観音菩薩(子年)です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/霊山寺八体仏霊場

  • 霊山寺薬師湯殿

    奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。霊山寺の薬師湯殿は小野富人によって開かれました。薬草を栽培し、薬師如来を祀って薬草風呂を施湯し、聖武天皇も鳥狩りの折、また光明皇后も入湯されたと伝えられています。1300年の昔から延々と続いてきた薬師湯は霊山寺が経営する浴場になり、トウキ・センキョウなどの天然成分のみを使った薬湯になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/霊山寺薬師湯殿

  • 霊山寺

    奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。登美山(とみやま)鼻高(びこう)霊山寺は戦後、真言宗より分派独立した古義真言宗の一派、霊山寺真言宗の総本山です。古くは登美と呼ばれていたこの地は敏達天皇の頃より小野家の領有地でした。小野妹子の息子の右大臣・小野富人(とみひと)は、壬申の乱に関与した事で弘文元年(672)官を辞して、登美山檜森に閑居しました。天武12年(684)、富人は熊野本宮に参籠し、薬師如来を感得し、登美山に薬草湯屋を建て薬師如来像を安置し、鼻高仙人と称され尊崇されたそうです。天平6年(734)、大地震があり、驚いた孝謙皇女が病にかかった時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来に祈念すれば病は治ると告げられました。行基が代参祈願したところ、皇女の病が快癒したため、天平6年(7...霊山寺

  • 西川家高蔵

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。西川家は天理市二階堂北菅田町、奈良と橿原を結ぶ旧街道にあった蔵です。米蔵、高蔵、北蔵がありましたが、食器や衣類を収納していた高蔵を移築しています。土蔵造りで、間口2間(3.94m)、奥行1間半(2.98m)、2階建て、切妻造り、本瓦葺きの建物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/西川家高蔵

  • 旧前坊家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧前坊家住宅は吉野町吉野山門前町の参道沿いにありました。前坊家は代々吉野水分神社の神官を勤めた家柄でした。屋敷構えは、主屋を道路に面して建て、後方に離れ座敷を配し、この間を渡廊下で接続した逆コの字型です。主屋は間口13.9m、奥行9.3m、切妻造り、一部2階建て、杉皮葺きの建物です。参道が尾根筋に当たるため、敷地後方に行くにつれて建物の床高が高くなる「吉野建」(懸造り)の形態をとっていました。主屋の居室、表側四室の柱は18世紀中頃の材であることから、その頃に建てられ、19世紀中頃の弘化年間(1844-1847)頃に大修理・改造され、順次、渡廊下、離座敷を建てたものと思われます。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立...旧前坊家住宅

  • 旧木村家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧木村家住宅は吉野郡十津川村大字旭字迫にあった山間の家で、木村家は農林業を営み、幕末頃には村役を務めたそうです。主屋をはじめ表門、納屋、物置の付属屋から構成されています。主屋は棟札から文政4年(1821)に建てられています。納屋と表門は19世紀中頃の建築です。山深い峡谷の最多降雨の一地帯のため、県北部の民家とは姿や間取りが大きく異なっています。主屋は間口12.5m、奥行7.3m、切妻造り平入、杉皮葺きで、石を乗せています。間取りは3室の横1列型で、土間と土壁がなく、すべて板張りとなっています。納屋は屋内を牛小屋と便所に2分して、天井は背面部分上部を突き出してツシ2階を広くした造りです。昭和50年(1975)に奈良県の有形文化財に指定されています。下記のサイト...旧木村家住宅

  • 旧松井家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧松井家住宅は宇陀郡室生村上笠間にあった農家で、昭和62年(1987)に大和民俗公園内に移築されています。解体中に文政13年(1830)の祈祷札が発見され、その頃に建てられたと考えられています。間口11.2m、奥行8.6m、単層、入母屋造り、茅葺きの建物です。間取りは右半が土間、左半が居室4室になっています。土間の正面に「まや」、その背後に釜屋を設け、「まや」の右手に風呂場があります。居室は「くちのま」、「おくのま」、「なかのま」、「なんど」です。間口に喰い違い4間取りで、前座敷型3間取りの発展形式と考えられます。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~o...旧松井家住宅

  • 旧岩本家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧岩本家住宅は旧宇陀郡室生村大字黒岩にあった農家です。黒岩は室生寺から東南方へ約5kmへだたり、胎ノ川の支流、黒岩川の中程で、谷間の南斜面を利用した村落です。岩本家は庄屋年寄を務めたそうです。間口7間(13.9m)、奥行5間半(11.7m)、単層、入母屋造り、茅葺きの大型の農家で、素朴な外観を呈しています。旧岩本家住宅は江戸時代末期の嘉永年間(1848-1854)頃に建てられたと考えられています。間取りは向かって左半分を土間とし、正面側に馬屋、背面側にかまやを配しています。右半分には6室の居室があります。3間取りに座敷3室を加えた配置で、食い違い型の発展形式です。構造では表側をせがい造り、土間上を太い梁を半間ごとに架けるなど、この地方の特色をよく示しています...旧岩本家住宅

  • 旧八重川家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧八重川家住宅は山辺郡都祁村大字針(現在の奈良市針)にあって、代々農業を営んでいました。間口11m、奥行8m、単層、寄棟造り、茅葺きの建物です。建築年代は明確ではありませんが、形式手法から19世紀初期の建築と考えられています。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。間取りは右半が土間、左半が床上部で、土間の割合が大きくなっています。土間の前には「まや」を配し、背面側を釜屋としています。床上部は二間取りで、「ざしき」、「なかのま」と続き、両間の境には置仏壇を設置しています。この建物は二間取りの明快な間取りをもち、江戸時代末期のこの地域の一般的な住宅として貴重な建物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.n...旧八重川家住宅

  • 旧八重川家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧八重川家住宅は山辺郡都祁村大字針(現在の奈良市針)にあって、代々農業を営んでいました。間口11m、奥行8m、単層、寄棟造り、茅葺きの建物です。建築年代は明確ではありませんが、形式手法から19世紀初期の建築と考えられています。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。間取りは右半が土間、左半が床上部で、土間の割合が大きくなっています。土間の前には「まや」を配し、背面側を釜屋としています。床上部は二間取りで、「ざしき」、「なかのま」と続き、両間の境には置仏壇を設置しています。この建物は二間取りの明快な間取りをもち、江戸時代末期のこの地域の一般的な住宅として貴重な建物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.n...旧八重川家住宅

  • 旧赤土家離座敷

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧赤土家離座敷は香芝市狐井にあった農家の離れ座敷でした。赤土家は楠木氏一族の和田蔵人の子孫で、庄屋を務めたそうです。単層、入母屋造り、茅葺きで、本瓦葺きの庇を付けています。8畳1間に「とこ」「違い棚」「出書院」があり、三方を縁で囲んでいます。18世紀初期の建物と推察されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧赤土家離座敷

  • 旧萩原家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧萩原家住宅は桜井市下(旧下村)に所在していた農家です。下村は昔、宿場で栄えた桜井から、南方へ約2km離れ、多武峰に向う街道に沿った村落です。萩原家はこの村の北部にあって組頭を務めたといわれています。元禄16年(1703)から宝永5年(1708)頃に建てられたと考えられています。平面は下手3間を土間とし、正面側に「うまや」、背面側に「かまや」を設け、居室部は正面側に「みせのま」「ざしき」があり、背面側に「だいどころ」「なんど」の4間取りで、「ざしき」には仏壇、とこ、脇床を設けています。屋根は茅葺きで葺降ろしになっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほん...旧萩原家住宅

  • 旧萩原家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧萩原家住宅は桜井市下(旧下村)に所在していた農家です。下村は昔、宿場で栄えた桜井から、南方へ約2km離れ、多武峰に向う街道に沿った村落です。萩原家はこの村の北部にあって組頭を務めたといわれています。元禄16年(1703)から宝永5年(1708)頃に建てられたと考えられています。平面は下手3間を土間とし、正面側に「うまや」、背面側に「かまや」を設け、居室部は正面側に「みせのま」「ざしき」があり、背面側に「だいどころ」「なんど」の4間取りで、「ざしき」には仏壇、とこ、脇床を設けています。屋根は茅葺きで葺降ろしになっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほん...旧萩原家住宅

  • 旧吉川家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧吉川家住宅は橿原市中町に所在した自作農の典型的な農家です。元禄16年(1703)に山ノ坊村の吉川家より分家したとの記録があり、その頃に建てられたようです。入母屋造りで、屋根は上屋は茅葺き、下屋は四面ともに瓦葺きです。平面の間取りは梁行方向に喰違う4間取りで、正面側下手より「みせのま」「ざしき」を、その後方に「だいどころ」「なんど」を設けています。土間部、正面側には「しもみせ」があり、その背面に「かまや」を配しています。国中の囲造りで、昭和52年(1977)に奈良県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...旧吉川家住宅

  • 旧鹿沼家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧鹿沼家住宅は大和高田市永和町にあった町屋です。鹿沼家は横大路の北側に屋敷を構え、代々米屋治兵衛を名乗り、米屋を営んでいたそうです。文化9年(1812)の「請取普請状」が残されていて、その直後に建てられたと思われます。切妻造りの2階建てで、正背面に庇を付け、屋根は桟瓦葺きです。2階に出格子を有するこの主屋は、県内では最も古い例です。表の角太格子、二階の出格子、両端の袖壁などに町屋建築の特徴がよくあらわれています。内部は左半分を居室とし、右半分は通り土間で、しもみせを設け、奥にかまどがあります。昭和55年(1980)に奈良県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/...旧鹿沼家住宅

  • 旧臼井家住宅内蔵

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧臼井家住宅の内蔵は土壁で塗り固めた土蔵造りで、間口4.8m、奥行3.8m、2階建て、屋根は切妻造り、本瓦葺きの建物です。江戸時代中期の寛文ー元禄ー寛延年間頃(1661-1750)の建築と考えられています。内蔵は主屋とともに昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧臼井家住宅内蔵

  • 旧臼井家住宅主屋

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。旧臼井家住宅主屋は正面左2間を格子構えとしながら農家風の正面・外観を持っています。これは当時の城下町の特徴です。建築年代は明らかではありませんが、江戸時代中期の元禄年間頃(1688-1703)の建築と考えられています。間口17.6m、奥行7.0m、切妻造り、茅葺きで、南面と北面に本瓦葺きの庇が付いています。内部は「しもみせ」、「なかのま」、「おくざしき」などに間取りされている農家風の町屋建築です。昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧臼井家住宅主屋

  • 旧臼井家住宅

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。旧臼井家(きゅううすいけ)住宅は高市郡高取町上土佐に所在していた町屋です。植村藩の城下町であった高取町は古くから奈良盆地と吉野を結ぶ旧街道でした。臼井家は伊勢から上土佐に移り、高取城下で大手へ通じる道の北側に屋敷を構え、屋号を「伊勢屋」と称しました。臼井家は藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒、醤油の販売を営むほか、大年寄をも務めたと伝えられています。解体前には主屋、離れ座敷、内蔵、高蔵、米蔵、道具蔵などで構成されていましたが、そのうち主屋と内蔵が昭和51年(1976)に移築復元されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...旧臼井家住宅

  • 奈良県立民俗博物館

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があり、園内に奈良県立民俗博物館があります。奈良県立民俗博物館は、奈良(大和)に暮らす人々が、その風土の中で育み、改良工夫を重ね維持してきた生活用具など4万2千点を収穫し、保存・展示公開している全国的にもめずらしい民族専門の博物館です。「奈良盆地の稲作」、「大和高原の茶業」、「吉野山の林業」に分け、昔使われた用具の展示や、衣食住について紹介しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/奈良県立民俗博物館

  • 大和民俗公園

    奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園(大和民俗公園)があります。大和民俗公園は矢田丘陵の東部に26.6ヘクタールという広い敷地に、野外博物館的要素を持った特色ある都市公園です。園内には有形・無形の民俗文化財を収集する奈良県立民俗博物館や県内各地の典型的な民家を移築展示しています。「町屋」エリア、奈良盆地に位置する「国中(くんなか)」エリア、奈良県東部にある「宇陀・東山」エリア、山深い「吉野」エリアの4つに分けて18世紀から19世紀に建てられた民家15棟を移築復元しています。旧臼井家住宅の主屋と内蔵、旧岩本家住宅は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://b...大和民俗公園

  • 矢田坐久志玉比古神社八幡神社

    奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。矢田坐久志玉比古神社の末社である八幡神社の社殿も本殿同様に明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。本殿より少し小さめで、檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。室町時代中期の明徳から文正年間(1393-1466)に建てられたものと考えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田坐久志玉比古神社八幡神社

  • 矢田坐久志玉比古神社本殿

    奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。矢田坐久志玉比古神社の本殿は室町時代前期の建武から明徳年間(1333-1392)に建てられたものと考えられています。檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田坐久志玉比古神社本殿

  • 矢田坐久志玉比古神社神門

    奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。櫛玉饒速日命が天磐船に乗って大空を駆けたという故事により、神門には、プロペラが奉納されています。このプロペラは中島飛行機製の陸軍九一式戦闘機のものです。昭和18年(1943)に大日本飛行協会大阪支部が奉納したものだそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田坐久志玉比古神社神門

  • 矢田坐久志玉比古神社

    奈良県大和郡山市矢田町東良に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)があります。矢田寺(金剛山寺)の東1kmの山裾に矢田坐久志玉比古神社が建てられています。櫛玉饒速日命(にぎはやひのみこと)と、妻の御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)を祀っています。物部氏の祖先神であり、矢田部氏の部族神ともいわれています。当社は貞観元年(869)に従五位上を授けられ、延喜式大社で、月次・新嘗の幣帛を預る矢田地方隋一の名社です。古くは矢落大明神又は矢田の大宮と呼ばれました。天孫降臨に先立って櫛玉饒速日命が天磐船に乗って降臨した際、上空から3本の矢を射て、その2本目が落ちた場所とされ、「矢田」という地名の元になっています。矢田坐久志玉比古神社の本殿と、末社の八幡神社の社殿は国の重要文化財に指定されています。天...矢田坐久志玉比古神社

  • みそなめ地蔵

    奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。本堂手前の参道にみそなめ地蔵と呼ばれるお地蔵様が置かれています。昔ある農婦がみその味が悪くなり困っていました。ある夜、夢の中に石のお地蔵様が現われ「その味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」と告げました。翌朝、矢田寺に夢に現れたお地蔵様を見つけ、味噌をその口許にぬったところ、家の味噌がよくなったそうです。以来、皆がお地蔵様の口許へ味噌をぬるようになり「みそなめ地蔵」と呼ばれるようになりました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/みそなめ地蔵

  • 矢田寺八十八ケ所霊場

    奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。矢田寺の本堂裏山には大正時代に開かれた矢田寺八十八ケ所霊場があります。1周約3kmで、1時間半もあれば廻ってこれるそうです。矢田丘陵の自然の中の山道に、四国霊場の各お寺の本尊と弘法大師の石仏が置かれています。四国霊場を巡礼したのと同じ功徳が授かるとのことです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺八十八ケ所霊場

  • 矢田寺鐘楼

    奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。鐘楼は本堂の正面にあり、梵鐘は寛元4年(1246)に鋳造された奈良県指定文化財です。京都に平安時代初期、この矢田寺の別院として創建された矢田寺(金剛山寺)があります。小野篁と関係が深い閻魔・篁堂がある京都の六堂珍皇寺では、お盆に先祖の霊を迎えるため鐘をつく「お迎え鐘」が行われます。京都の矢田寺では冥途に送るため「送り鐘」が撞かれるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺鐘楼

  • 矢田寺閻魔堂

    奈良県大和郡山市矢田町に矢田寺(やたでら)があります。閻魔王は、死者の過去の罪を裁く十人の裁判官のひとりです。閻魔堂には、閻魔王とその眷属(けんぞく)が祀られています。矢田寺の満米上人は、小野篁(昼は嵯峨天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えたといわれます)とともに地獄で閻魔大王と会ったそうです。地獄の罪人を救う地蔵菩薩に出会い、地上に戻ってから4人の翁(春日4神)の協力でその姿を写して像を彫ったそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/矢田寺閻魔堂

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