訪問日:2023年10月中野城は山形県山形市にあった城です。築城年代は定かではありませんが,15世紀初めに最上義直の次男である中野満基により築かれたと案内板にあります。以後,中野氏を名乗り最上一族の主要な分家として宗家の当主を幾人も輩出しています。戦国時代にも最上義守が中野家より最上宗家に入り第十代目の当主となっています。この義守の長男が有名な最上義光であり,次男が中野家を継いだ中野義時です。1574年に最上...
訪問日:2021年11月長篠城は愛知県新城市にあったお城です。国史跡に指定され日本100名城に選定されています。豊川と宇連川(うれがわ)が合流する地点の断崖にあるこの城は1508年に山家三方衆として知られる奥三河の主要国人であった菅沼氏の菅沼元成により築城されました。 織田信長と武田信玄の争いが表面化すると菅沼氏は武田方に属することになりましたが,1573年に織田方の徳川家康に追われ,その代わりに1575年 奥平信昌が...
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訪問日:2023年10月中野城は山形県山形市にあった城です。築城年代は定かではありませんが,15世紀初めに最上義直の次男である中野満基により築かれたと案内板にあります。以後,中野氏を名乗り最上一族の主要な分家として宗家の当主を幾人も輩出しています。戦国時代にも最上義守が中野家より最上宗家に入り第十代目の当主となっています。この義守の長男が有名な最上義光であり,次男が中野家を継いだ中野義時です。1574年に最上...
訪問日:2023年10月天童陣屋は山形県天童市にあった陣屋です。1830年に高畠藩主であった織田信美(おだのぶかず)は天童陣屋に移り天童藩の初代藩主となりました。この家系は織田信長の次男で織田信雄(おだのぶかつ)の子孫にあたる家系です。江戸時代を通じて明治時代まで存続しましたが,1868年 戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いの後は新政府方として奥羽鎮撫使先導役に任じられました。この時,藩主 織田信学(おだのぶみち)は病...
訪問日:2023年10月天童城は山形県天童市にあったお城です。舞鶴山の全域にわたって築かれたこの城は天童古城とも呼ばれ天童市舞鶴山公園として整備されています。築城時期は南北朝時代の北畠天童丸によるとの伝承がありますが,14世紀の後半に最上直家の子である里見頼直がこの城に入り天童氏を称しました。戦国時代に入ると出羽国村山地方で勢力を拡大し最上氏に並ぶ勢力となり,共闘と対立を繰り返します。当主が天童頼貞の時 1...
訪問日:2023年10月寒河江城(さがえじょう)は山形県寒河江市にあったお城です。鎌倉幕府政所別当として有名な大江広元の子である大江親広が最初に寒河江に入ったことに始まり,室町時代の時氏の頃に寒河江氏を名乗り,それまでの館であったものが城として整備されていったと考えられています。戦国時代になると最上義守・義光 親子の争いである天正最上の乱で義守についたため,義光が当主となると粛清の対象となり1584年 寒河江...
訪問日:2023年10月谷地城(やちじょう)は山形県西村山郡河北町にあったお城です。町史跡に指定されています。15世紀半ばの弘治年間(1555年~1558年)に中条長昌(ちゅうじょうながまさ)により築城されたとされます。その後,中条氏は断絶し谷地北方に勢力をもっていた白鳥十郎長久がこの城の城主となり城の整備が進みました。この白鳥長久ですが最上義守・義光 親子の争いでは義守に味方し,旗色が悪くなると仲介役を買って出...
訪問日:2023年10月東根城(ひがしねじょう)は山形県東根市にあったお城です。築城時期は南北朝時代の1347年に小田島長義が鎌倉から所領に戻り築城したとされることから小田島城とも呼ばれます。その後は天童氏の一族が東根氏を名乗り有力国人として勢力を持ちました。天童頼澄と最上義光が対立すると天童八楯の一翼として最上氏に対抗しますが1584年 家老の里見景佐(さとみかげより)が最上氏に寝返ったことにより落城し城主の...
訪問日:2023年10月延沢城は山形県尾花沢市にあったお城で,国史跡に指定されています。野辺沢城と表記することもあり霧山城の別名も持ちます。延沢氏は南出羽で力を持った国人ですが,築城年には諸説ありますが1547~1552年の間に 延沢満重が築城したとされます。戦国時代には天童氏を盟主とした同盟体である最上八楯に属し,最上義光に抵抗しました。時の当主である延沢満延は剛力をもって知られ最上軍を散々悩ましました。最終...
訪問日:2023年10月清水城は山形県最上郡大蔵村にあったお城で,県史跡に指定されています。1476年 最上氏の一族にあたる成沢満久がこの地に入り1478年に築城したとされます。これ以降,清水氏と名乗り代々の居城となりますが最上川の重要な河港を押さえるこの地は武藤氏や小野寺氏との争いの最前線となりました。五代目の清水義高は武藤氏との戦いで戦死しています。子の無かった六代目の清水義氏は最上義光の三男であった義親を...
訪問日:2023年10月新庄城は山形県新庄市にあったお城で,市史跡に指定されています。戦国時代から出羽を支配した山形藩の最上氏が1622年に改易となると,譜代の鳥居忠政が入りましたが,鳥居氏と縁戚関係にあった戸沢政盛が6万石でこの地を治めることになりました。当初は鮭延城に入りましたが山城で手狭であったため1624年から平城である新庄城の築城にとりかかったり翌年完成しました。戸沢氏による新庄藩は明治維新まで続いた...
訪問日:2023年10月鮭延城(さけのべじょう)は山形県最上郡真室川町にあったお城で,真室城や真鶴城とも呼ばれます。町史跡に指定されています。築城時期は1534-35年頃 小野寺氏に仕えていた佐々木綱村によって築かれたとされます。この佐々木氏は鮭延氏と称しこの城は小野寺氏勢力範囲の南を守る重要拠点となりました、綱村の子である鮭延秀綱の時代に最上義光に攻められ降伏した後は一貫として最上氏の重臣として活躍していく...
訪問日:2023年10月亀ヶ崎城は山形県酒田市にあったお城です。築城域については不明な点が多いのですが15世紀の後半に武藤氏(大宝寺氏)がこの地に城を築き当初は東禅寺城と呼ばれていました。戦国時代には武藤氏の一族がこの城に入り東禅寺氏を名乗り,砂越氏との抗争の舞台にもなりました。1583年 武藤氏の最盛期を築いた武藤義氏の家臣である前森蔵人は最上義光と通じ主君を弑逆し東禅寺義長を称したとされます。その後,義長の...
皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。この新年の挨拶も10回を数えています。タイはバンコク暮らしも6年半ですので,既に日本でブログを書いていた期間よりタイで日本のお城のブログを書いている期間の方が長くなってしまいました。新型コロナウィルスの終息とともに,日本へ帰国する機会も少し増えて出張で帰国した時に少し,慰労帰国ではまとめて沢山のお城に行くことが出来ました。2023年に行っ...
訪問日:2023年10月砂越城は山形県酒田市にあったお城です。築城時期は定かにではありませんが,平安時代末期の1154年 播磨国の赤松氏の分家が石黒氏を名乗り土着し築いたと伝わります。鎌倉時代に入り源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼすと砂越氏が郡司としてこの地に入り,この城を本拠地にするようになりました。戦国時代になると庄内地方は最上川北域の砂越氏と最上川南域の武藤氏(大宝寺氏)が二大勢力として激しく争うことになりま...
訪問日:2023年10月出羽松山城は山形県酒田市にあったお城です。明治維新後は松嶺城とも呼びました。鶴ヶ岡城を本拠地とする庄内藩 酒井家 初代藩主の酒井忠勝の遺言により1647年 二代藩主の酒井忠当(さかいただまさ)が弟の酒井忠恒に庄内中山2万石を分与したことにより始まります。当初,中山陣屋が拠点となっていましたが後に中山は松山と名称を変え出羽松山藩となりました。 1779年 三代目の酒井忠休(さかいただよし)が500...
訪問日:2023年10月尾浦城は山形県鶴岡市にあったお城です。大浦城や大山城とも呼ばれます。築城時期は定かではありませんが,この地域を治めた武藤氏(大宝寺氏)によるもとされます。武藤氏は宗教権威である羽黒山の別当職を兼ねる戦国大名として成長しますが,1532年 武藤晴時が当主の時に本拠地の大宝寺城が砂越氏により攻撃され焼失されると本拠地をこの城に移しました。武藤義増は本庄繁長の乱に加担し上杉謙信に反旗を翻し...
訪問日:2023年11月鶴ヶ岡城は山形県鶴岡市あったお城です。続日本100名城に選定されています。 元々は室町時代にこの地を支配した大宝寺氏(武藤氏)の本拠地として築城され大宝寺城と呼ばれていました。1532年 武藤晴時が当主の時に砂越氏維に攻められ焼失しました。この後,武藤氏は尾浦城に本拠地を移し大宝寺城は支城となりました。その後,上杉氏の史城として機能していたようですが,関ケ原の戦い後にこの地に入った最上義光...
訪問日:2023年村上城は新潟県村上市にあったお城です。中世城郭,近世城郭 双方の特徴を残し国史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。 別名舞鶴城とも呼ばれ,本庄氏が治めた時代は本庄城と呼ばれていました。臥牛山に築かれた平山城で築城時期は不明ですが16世紀前半頃に築かれ,戦国期には現在の新潟市より北方に勢力を持った国人衆である揚北衆の代表格である本庄氏の本拠地として機能していたようです。本庄時長...
訪問日:2023年10月江上館(えがみやかた)は新潟県胎内市にあった城館です。 奥山荘城館遺跡(おくやまのしょうじょうかんいせき)として国史跡に指定されています。鎌倉時代の初期に三浦和田一族である和田義茂が地頭としてこの地に入りました。1277年に分割統治され中条地域を支配した一族が中条氏(なかじょうし)を名乗り15世紀 室町時代に江上館を本拠地としたとされます。同時に北条地域を引き継いだ同族の黒川氏とは争いが...
訪問日:2023年10月五十公野城(いじみのじょう)は新潟県新発田市にあったお城です。築城時期は不明も新発田氏の一族である五十公野氏によって築かれたとされます。戦国時代に新発田重家が五十公野治長という名でこの城を継いでいましたが兄である長敦の死により本家の新発田氏を継ぐことになりました。これによりこの城は義弟の五十公野信宗が後を継ぎました。1581年より勃発した新発田重家が上杉景勝に反旗を翻した新発田重家の...
訪問日:2023年10月新発田城は新潟県新発田市にあったお城です。菖蒲城(あやめじょう)とも呼ばれ日本100名城に選ばれ,国の重要文化財となる建築物を2基持つ名城です。また本丸の一部は市史跡に指定されています。近世以前の城の正確な築城時期は不明ですが,前身となる城は中世にこの地を支配した新発田氏によるものと考えられます。揚北衆の新発田氏と言えば御館の乱で上杉景勝を助けた新発田長敦や重家が有名ですが,御館の...
訪問日:2022年10月西方院山城(さいほういんざんじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。興福寺の軍事勢力であった古市氏は対抗勢力である筒井氏に備えるために,現在は奈良ホテルとなっている大乗院の境内に鬼薗山城(きおんざんじょう)の築城を開始しました。途中で境内であることが問題視されたため,国道169号線を隔てた東隣の西方院山にこの城を築城しましたが,再度計画は変更され鬼薗山城を完成させました。1445年に筒...
訪問日:2022年10月多聞山城(たもんやまじょう)は奈良県奈良市にあったお城で多聞城の名前でも知られます。戦国時代の大和の支配者として力を持った松永久秀が1559年 支配拠点として眉間寺山に築城を開始し1561年に入城したとされます。現在建物は残っていませんが,各史料・文献より後の天守の元となる四層の櫓や名前の由来にもなっている多聞櫓を備えた非常に先進的な城であったことで知られ,軍事・政治の両面で優れた拠点で...
訪問日:2022年10月椿尾下城(つばおしもじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。築城時期は定かではありませんが興福寺の門跡である大乗院方の衆徒であった椿尾氏が築いたものと考えられており,筒井順慶と松永久秀の争いの中では筒井方として筒井氏の拠点となった...
訪問日:2022年10月椿尾上城(つばおかみじょう)は奈良県奈良市にあったお城です。築城の時期は明らかになっていませんが,1531年には筒井氏の持ち城であったことから筒井順昭による築城の可能性が高いと考えられています。筒井氏は平城である筒井城を本拠地としていたことからこの城は詰城としての役割を担っていたようですが,1559年に筒井順慶が松永久秀により筒井城を奪われると順慶はこの城を本拠地として交戦しました。 157...
訪問日:2021年11月郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は岐阜県郡上市にあったお城です。県史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。戦国時代の郡上を支配した東氏(とうし)の拠点であった赤谷山城をめぐり東常慶(とうつねよし)・常堯(つねたか)に対抗した遠藤盛数(えんどうもりかず)が現在の八幡山に築いた砦がこの城の最初となります。これに勝利した盛数のこの遠藤慶隆(えんどうよしたか)により城と城下町...
皆様 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2014年の3月から始めたこのブログも次の3月から10年目に突入です。タイはバンコク暮らしも2年の任期延長にともない6年目となっています。世界中の新型コロナウィルスの影響は緩和されているものの,日本へ帰国する機会はめっきり減ってしまいました。2022年は2度帰国したのですが,1回目は出張による非常に短いものでしたので,10月末から11月頭にかけて帰国...
訪問日:2021年11月乗政城(のりまさじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。詳細は不明ですが11世紀末頃 平安時代の永長年間に吉川遠江守則政がこの地に居城したと郷土史に記載が残る。乗政川流域に勢力をもったであろうこの人物の名前である則政(のりまさ)がこの地の由来になったとも考えられます。城跡は現在は水田になっていますが元々は城平(しろだいら)と呼ばれています。 ◆県道440号線より見る城跡。現在は水田...
訪問日:2021年11月萩原諏訪城(はぎわらすわじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。県史跡に指定されています。戦国時代の飛騨で勢力を持った三木氏(みつきし)を没落させた金森長近は1584年 三木氏の重要拠点であった桜洞城にほど近い萩原郷に娘婿の佐藤秀方に命じて築城させたとされます。1619年 現名の一国一城令の後も参勤交代や領内管理の宿泊所である旅館として機能したようですが,1692年の出羽国転封により廃されまし...
訪問日:2021年11月桜洞城(さくらぼらじょう)は岐阜県下呂市にあったお城です。市史跡に指定されています。正確な築城時期は分かっていませんが,16世紀の初頭に三木直頼(みつきなおより)が築城したとされます。それ以降,三木氏代々の本拠地として機能しました。戦国時代の当主である三木自綱(みつきよりつな)が1579年に松倉城を築いて居城を移したことから息子の三木信綱が入り支城として機能しましたが,自綱は冬場は高所...