今日の福音は生まれつき目の見えない人をイエス様が直される箇所です。典礼の表紙はその場面ではないそうです。朗読箇所のヨハネ9章1からでは、1人が池の縁に居るのですが、入ることができません。「だれも私を運んでくれない」と言います。イエス様は泥を捏ねて目に塗り、「シロアムの池で洗ってきなさい」と言われます。そして「床を担いでいきなさい」とも言われます。「イエス様が助けてくださるのですから、信じて自ら行動することです」ずっと前、神父様が言われたことを思い出しました。四旬節第4主日
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」今の世コロナに振り回されている。日本語で情報と訳されている言葉は英語のインフォメイション本来の意味は知らせるための目に見える形の資料情報の本来の意味はインテリジェイションで敵の唱法を探るの意味明治時代の作語で情は心の動き、報は報いるという意味がある刑罰を受ける心の生き方を受けるという雰囲気のようです。情報に降りまわされているわたしたち。いろいろ読んでも良く分からない。情報収集するのではなく、冷静になって心を静めましょう。私たちの心の向け処イエス様に合わせるそこに泉がある。情報の源を、イエス様に置くサマリアの女性のように、イエス様からいのちの泉をいただきましょう。四旬節第3主日
フラ・アンジェリコの作品だそうです。イエス様が光り輝いています。前に、ペトロ・ヤコブ・ヨハネ。上のほうに顔が見えるのは、モーゼとエリヤ。モーゼは40日40夜荒れ野を歩きました。エリヤもパンを食べた後、40日40夜歩いきました。イエス様も40日40夜サタンの誘惑を受けました。それが四旬節の期間にちなんでいます。左側はマリア様が描かれ、右側はドミニコだそうです。フラ・アンジェリコの所属する会だったそうです。コロナウイルスのため、教会に行くことができず。インターネットで、司教様のミサに与り、霊的聖体拝領をしています。所属の主任司祭から、説教と聖体拝領、告解のための祈りを送っていただきました。神父様が苦しんでおられると思いました。四旬節第二主日
第一朗読で創世記が読まれるのですが、典礼の表紙は、アダムとエバが楽園から追放されるところです。解説によると、中央の大きな翅は神からの使いの天使です。左が食べてはいけない木。アダムとエバは逃げ腰です・・・とりあえず、新型コロナウイルスのため、ミサの集いは行われません。ユーチューブで、大司教様のミサにあずかりました。教会の聖堂と同じように、集中して祈りました。「霊的聖体拝領」という言葉を深く受け止めました。司教様のお説教にあったように、この困難を一致して乗り越えられますように。日本人の良さである冷静さを取り戻さなければと思いました。四旬節第一主日
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