『日蓮大聖人御書全集』新版が発刊されてから、約2年4ヶ月となりました。発刊されてすぐに「観心本尊抄」を読み、その後、1ページ目からの通し読みをして、読了しますと、ある意味、燃焼し尽くしたといいますか、御書を読もうと思わなくなるのですね。 時折、御書を読むのですが、継続的な読書とならないときがあるものです。時々読むという感じになるわけですね。 せっかく御書の新版が出ているのですから、毎日、御書…
厄の年、災難を払わん秘法には、法華経に過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1375頁(太田左衛門尉御返事) 大田乗明が、自らの大厄の年について嘆いていることに対しての日蓮の返事の一節ですね。 厄を払うにはどうすればよいのか。いろいろな秘法があるよ…
大衆も、日蓮を心えずにおもわれん人々は、天にすてられたてまつらざるべしや。こう申せば、愚癡の者は、「我をのろう」と申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1208頁(清澄寺大衆中) 清澄寺の大衆に対して与えられた書の一節です。清澄寺の大衆…
一、「等雨法雨(等しく法の雨を雨らす)(等しき法の雨雨る)」の事 仰せに云わく、「等」とは、平等のことなり。善人・悪人、二乗・闡提、正見・邪見等の者にも、妙法の雨を惜しまず平等にふらすということなり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1152頁(御講聞書) 日蓮仏法の功徳は、雨が等しく…
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、男女・貴賤共に「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は、求めざるに自ずから得たり)」の金言を持つ者なり。智者・愚者をきらわず、ともに即身成仏なり云々。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1140頁(御講聞書) 日蓮仏法を信仰する人は、男であろうと…
今、日蓮等の類いは、題目の法音を信受する故に、疑網さらに無し。「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」とて、釈尊と同等の仏にやすやすとならんこと疑いなきなり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1135頁(御講聞書) 日蓮仏法の信仰をすると釈尊と同等の仏にやすやすとなれるとい…
鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり云々。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1071頁(御義口伝) 人に頭を下げることを異常に嫌う人は、礼儀は人のためにするものだと思い、礼などするものかと思い上がっていますが、この考え方が誤りであることを示している御文です。 確か…
詮ずるところ、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「六根清浄」なり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1062頁(御義口伝) 六根とは、「眼根」、「耳根」、「鼻根」、「舌根」、「身根」、「意根」の6つのことですね。この六根が清浄になるとは、眼、耳、鼻、舌、身、意の煩悩のけが…
本尊とは、法華経の行者の一身の当体なり云々。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1059頁(御義口伝) 本尊とは何なのか。非常に大きいテーマです。日蓮仏法でいえば、大曼荼羅が本尊ですが、その本尊とは、法華経の行者の一身の当体であるという。信仰心が透徹している法華経の行者は、その身そのまま…
妙法の大良薬を服する者は、貪・瞋・癡の三毒の煩悩の病患を除くなり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1052頁〜1053頁(御義口伝) 煩悩の根本は、貪、瞋、癡です。合わせて三毒といわれていますね。貪は、むさぼることであり、瞋は、いかりの状態であり、癡は、愚か者の状態ですね。 十界論…
成仏するより外の「神通」と「秘密」とはこれ無きなり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1049頁(御義口伝) 仏法の根本義は、成仏することにあります。ここを外して仏法はないですね。 宗教の世界では、神通力、秘密ということを強調する人々がいます。超能力的なものを強調してみたり、秘された…
今、日蓮等の類いの意は、総じては「如来」とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1048頁(御義口伝) 「如来」は仏の十号のひとつです。よって、仏と考えてよいですね。この「如来」とは誰のことなのか。日蓮によると一切衆生なのですね。個別にいうと日蓮…
仏身を持つとは、我が身の外に仏無しと持つを云うなり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1035頁(御義口伝) 仏というと自分の外にあるものであり、縁遠いもの、雲の上のものと思いがちです。しかし、日蓮は、我が身が仏であるといいます。 仏法を信仰するわけですから、仏になることが最重要課題…
自身法性の大地を、生死生死と転り行くなり云々。 『日蓮大聖人御書全集 新版』1010頁(御義口伝) 「生死生死と転り行くなり」といっても、現在、生きている我々からすると死というのは、先々のことであり、生死がめぐるとは実感しづらいところがあります。 これを寝ている時と起きている時と…
今、日蓮等の類い、聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。 『日蓮大聖人御書全集 新版』991頁(御義口伝) 先祖をはじめ、身内で亡くなった人々、また、縁のあった人で亡くなった人々に対して、追善供養を行いますが、この御文は、まさに…
田舎において邪正を決せば、暗中に錦を服て遊行し、澗底の長松、匠を知らざるか。兼ねてまた定めて喧嘩出来の基なり。 『日蓮大聖人御書全集 新版』875頁(強仁状御返事) 強仁という真言僧から法論の申し出があり、それに対し、日蓮が返事を書いていますが、その一節ですね。 田舎において法論…
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『日蓮大聖人御書全集』新版が発刊されてから、約2年4ヶ月となりました。発刊されてすぐに「観心本尊抄」を読み、その後、1ページ目からの通し読みをして、読了しますと、ある意味、燃焼し尽くしたといいますか、御書を読もうと思わなくなるのですね。 時折、御書を読むのですが、継続的な読書とならないときがあるものです。時々読むという感じになるわけですね。 せっかく御書の新版が出ているのですから、毎日、御書…
外典・外道等は、仏前の外道は執見あさし。仏後の外道は、仏教をききみて自宗の非をしり、巧みの心出現して仏教を盗み取り自宗に入れて邪見もっともふかし。附仏教・学仏法成等これなり。 『日蓮大聖人御書全集』新版 54頁〜55頁 (開目抄) 「附仏教」とは、仏教を取り入れ、仏教に添って、仏教に基づ…
日蓮は広・略を捨てて肝要を好む。いわゆる、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。「九方堙が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る」等云々。 『日蓮大聖人御書全集』新版 156頁 (法華取要抄) ここで「支道林」という学僧が出てきますが、中国東晋…
本日は、元旦であり、初日の出の日です。今後は、旭日昇天の勢いでありたいですね。旭日を連想させる御文を拝しましょうか。 天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。 『日蓮大聖人御書全集』新版 146頁 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄)) 太陽が昇れば、大地は明るく…
夫れ、諸宗の人師等、あるいは旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗に執著し、曲げて己義に随い、愚見を注し止めて後代にこれを加添す。 『日蓮大聖人御書全集』新版 149頁 (法華取要抄) 法華経信仰、御書信仰、本尊信仰をする中で、重要なのは成…
英語をある程度の速度で読みたいと思いますが、なかなか速度が上がりません。途中で嫌になり、読まなくなるのですね。どうすればよいのかと思っていたところ、以下の文章に出会いました。 教科書をおそく読めば読むほど、そのほかの本をますます早く読むことができ、教科書を早く読めば読むほど、別の本の読み方がおそく…
小林秀雄さんが私たちの高等学校へ講演にきたことがあります。 (中略) 小林さんは、外国語の本を読むのにも、一日一冊を片づけられる程度のはやさがなければ、そもそも外国語の知識というものは使い道にならない、という演説をしました。 加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 97頁 加藤周一…
一流の作家なら誰でもいい、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手頃なのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。 小林秀雄『読書について』中央公論新社 12頁 小林秀雄は、読書について、一人の作家を隅から隅まで読むことを推奨して…
今の法華経の文字は皆、生身の仏なり。我らは肉眼なれば文字と見るなり。たとえば、餓鬼は恒河を火と見る。人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども、果報にしたがって見るところ各別なり。この法華経の文字は、盲目の者はこれを見ず。肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と…
日本のような高い文明国には、むかしもいまも、数かぎりないよい本が日本語であります。しかし、それでも外国語の本を必要とする人は、一番必要なものからはじめるのがよろしい。外国語を習うのに一番こうつごうな教科書は、私たちが一番必要としている本以外にないと思います。 加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光…
田村芳朗氏は、戦争中の思い出として、 新しい中隊長が赴任してまもなく、中隊は一〇人を残してフィリッピンに転出し、上陸寸前で全滅した。私は一〇人の残り組のほうであったが、中隊長は出発にさいし、戦死者をとむらうための適当な経文を教えてくれと私に頼み、そこで、私は、『法華経』如来寿量品第十六の有名な詩句…
キリスト教には、予定説というものがあると世界史で勉強しました。救われる人と救われない人とは、はじめから決まっているという説です。思い切った説であるなと感じていましたが、なんとなく、そうだろうなとも感じていました。 仏教徒としては、キリスト教のひとつの説という認識であり、気になる説ではありながら、深く考えることはありませんでした。 しかし、仏教信仰、法華経信仰、日蓮信仰をしていく中で、また、一…
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ 夏ノ暑サニモ マケヌ 丈夫ナカラダヲ モチ 欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニ ワラッテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト 少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲ カンジョウニ入レズニ ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ…
かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習いなり。されば、まず臨終のことを習って後に他事を習うべし 『日蓮大聖人御書全集』新版 2101頁(妙法尼御前御返事(臨終一大事の事)) 賢明な人間も、思慮分別がない人間も、老人も、若人も、どうなるか、いつ死ぬかは分かりません。それ故に…
『ジーニアス英和辞典』第6版で「only」を調べて、用例を見ていますと、大谷翔平選手の名前が出てきました。And now, the one and only Shohei Ohtani! さあみなさん, 正真正銘の大谷翔平さんです《◆登場の場面で用いる》. 『ジーニアス英和辞典』第6版 1451頁 『ジーニアス英和辞典』第6…
本書の読者、そして英語を生業としない日本人にお勧めしたいのは、もう一方の道である。すなわち、基礎的な英語だけは身につけておいて、あとは自分の得意分野に専心するという生き方である。 斎藤兆史『日本人に一番合った英語学習法』祥伝社 177頁 以前は、『総合英語One』の例文を「基礎的な英…
物盛んなればすなわち必ず衰え �驍�ればまた替あり 速成は堅牢ならず すみやかに走れば顚躓多し 灼灼たる園中の花 はやく発きてまたまず萎む 遅遅たる澗畔の松 鬱鬱として晩翠を含む 賦命は疾徐あり 青雲は力めて致し難し 語を寄せて諸郎に謝す 躍進は徒為のみと 『蒙求・小学 (中国の古典)』…
えまれぬことなりとも、えませ給え。 『日蓮大聖人御書全集』新版 1952頁 (河合殿御返事) 仕事をしている場合、通常は、笑顔でいられない状態であることが多いものです。嫌な人との関わりがあったりしますし、忙しすぎるという場合もあります。余裕がなくなり、顔が険しくなってくるのですね。当然、…
人間の幸せに必要な基礎的な事柄は、「睡眠」、「食事」、「運動」です。これらを外して幸せになることは不可能ですね。 この中で「食事」について、御書を拝してみましょう。 食には三つの徳あり。一には命をつぎ、二にはいろをまし、三には力をそう。人に物をほどこせば、我が身のたすけとなる。 譬えば、人の…
人は、インスタントにすぐに結果を求めがちですが、その結果が大したことがなく、すぐに陳腐になり、使い物にならない場合が多いのではないでしょうか。 やけに急ぎますが、そんなに急いで出来上がったものが長持ちすることはなく、いわば、安物買いの銭失いに似た状態になるだけでしょう。 中国の古典に学びながら、どのように行動すればよいのか、考えてみましょう。
日蓮の書を読むにあたり、骨格となる御書を確認しておくことは有益でしょう。 また、日蓮の生涯を「初期日蓮」「佐渡期日蓮」「身延期日蓮」と区切り、以下のとおり、それぞれの時期に2つの御書を選定するのがよいでしょう。 【初期日蓮】 「守護国家論」「立正安国論」 【佐渡期日蓮】 「開目抄」「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」 【身延期日蓮】 「撰時抄」「報恩抄」 結局、五大部に「守護国家論」を付け…
衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山 創価学会教学部編. 妙法蓮華経並開結 (Kindle の位置No.13007-13013). 創価学会. Kindle 版. 「不自惜身命」とありますので、そのまま読めば、自らの命を惜しまないでという意味にとれますが、本当に命を惜しまないでという意味なの…
今、本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化もって同体なり。これは即ち己心の三千具足、三種の世間なり。 『日蓮大聖人御書全集』新版 136頁 (観心本尊抄) この部分は、「四十五字法体段」といわれています。漢文で漢字四十五字か…
問うて云わく、如説修行の行者と申さんは、いかように信ずるを申し候べきや。 答えて云わく、当世日本国中の諸人一同に、「如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬればいずれの法も皆法華経にして勝劣・浅深あることなし。念仏を申すも、真言を持つも、禅を修行するも、総じて一切の諸経ならびに仏菩薩の御名…
御書新版分冊の第2巻の冒頭は、「如説修行抄」ですね。 日尊の古写本がありますので、日蓮の筆とみてよいでしょう。 「如説修行抄」は、勢いのある筆致であり、リズム感がある御書です。佐渡流罪中に書かれた情熱的な御書ですね。信仰をする上で重要な法門が散りばめられています。分量的にも、左程多くもなく、何度も読み返すことができる御書といえましょう。 最後には、
我が此の土は安穏にして 天人は常に充満せり 創価学会教学部編. 妙法蓮華経並開結 (Kindle の位置No.32314-32316). 創価学会. Kindle 版. 「我此土安穏 天人常充満」の書き下し文は、上記のとおりですが、通解や現代語訳では、どのようになっているのでしょうか。確認してみましょう。