言いっぱなし。そんな風に気楽に放言させてもらいます。
いつまで生きていられることやら。今のうちに普段思っておることを書き散らかせてもらいます。
2015年8月
〈1〉旧約(ユダヤ教)を廃止するのではなく完成するキリスト「私は廃止するためではなく完成するために来た」(マタイ5章)とキリストはおっしゃった。しかし当時の宗教指導者たちは、キリストがモーセの律法を変えようとしている、と非難した。しかし変更や廃止のように見えて、キリストはさまざまなものを完成なさった。マタイの5章―7章の山上の垂訓の中では、キリストによって「廃止ではなく完成した」倫理的教えの数々がまとめられている。「敵を愛しなさい」というのもその中にある。ヘブライ人への手紙の中では、いけにえの動物や祭司制度など、キリストが完成したがために廃止されることになったいくつかのものが取り上げられている。ヘブライ書の著者は、「力あるものが到来したために、今までの力のないものは廃止される」(cf.7:18)といって、モーセ...まことのユダヤ教徒
キリストを迫害し、死に追い詰めた人々は、皮肉なことに「自分は最も信心深い者だ」と思っていた人々だった。そんなことがありえる。ファリサイ派と律法学者たち、彼らは当時のユダヤ教社会の宗教的指導者、権威者だった。聖書を最もよく知っていた人々だった。しかし知識で知ることと、心で知ることは違うのだろう。後にキリスト教に改心してもっとも大きな功績を挙げたパウロは、以前は熱烈なファリサイ派だった。そのときの反省があってか、手紙の中でこのようなことを言っている。「知識は高ぶらせるが、愛は作り上げる」。(Ⅰコリント8章)「文字は殺し、霊は生かす」。(Ⅱコリント3章)律法を知っているだけでは、「文字は殺し」「知識は高ぶらせる」ことになる。律法を行い、愛に生き、聖なる神の霊によって生かされなければ、律法を知ってかえって悪しき人間にな...キリストを迫害した人々
2015年8月
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