こちら に訳してくださった方がいます。
相対性の法則に当てはめるなら生↔死とすると個↔全になるんじゃなかろうか? つまり死んだら個人という意識じゃなくなって無限に拡大するんじゃないか? さらに逆の性質も内包するってのも考えると個の中に全と死があってやっぱそれを知ろうとしないと自分自身の半分しか知らないことになる...
山のように思考しないと山のような強度をもった定義はできあがらない。 人間が生まれると同時に無限に宇宙が生まれてその人間が死ぬ瞬間に無限の宇宙も死ぬ。 ってぼんやり思いついた。
いいなーこれ。
ミロのヴィーナスやラフが美しく感じるみたいに一つの作品の中に完成された部分と未完成の部分がある絵っていいですよね。 相対性、想像が一つに在るからなのかな。 って この絵 を見てびびっときました。
焦点をあてているものの意識のレベルが大きければ大きいほど美しいと感じるものが増えてくる気がする。 一本の線に無限の美しさを感じる人もいるみたいに。 スクラップに美を見出す人がいるみたいに。 ってびびっときました。
永遠の生のなかで瞬間の光に魅せられるように瞬間の光の中に永遠の輝きを見つけると永遠も一瞬も同時に在るのかも。 ってびびっときました。
子供のころは怖がりで少しこわいドラマですら見られないような人間だったんですが大人になってからはその手の画像や映像もほとんど平気になりました。 なにが変わったのかなーって考えたときに「知る」ことが大きいんじゃないかなーって思いついたんですよね。 映画やドラマが作り物でさらに...
愛の定義。 生の定義。 死の定義。 とか辞書に書いてあるようなことじゃなくて一回最初から自分自身が再定義しなおしてみればいーのになーってぼんやり思いました。
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