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台湾では寺院がやけにきらびやかで、日本人からすると毎日がパーティナイトのようだ
台湾では寺院がやけにきらびやかで、日本人からすると毎日がパーティナイトのようだった。高雄で訪れた文武聖殿という寺院もやはり煌々と明るく、街に夜の帳が下りた後も関羽を主祭神とする道教寺院は不夜城のように輝いていた。
2024/08/31 20:00
高雄の将来性を見込んだ浄土真宗本願寺派の法主大谷光瑞がこの地に農園を造り、その傍らに建てたのが逍遙園だ
高雄にある逍遙園は数少ない日本統治時代に建てられた「⽇式建築」と呼ばれる和⾵建築の建築物だ。浄土真宗本願寺派の法主・大谷光瑞が1940年に別邸として建てたもので、高雄の将来性を見込んだ大谷光瑞が自らの農園の傍らに建てた邸宅を復元したものだ。
2024/08/30 20:00
台湾の漢字は中国大陸と違って繁体字で書かれているので日本人にはわかりやすいけれど、それが落とし穴だったりする
台湾の漢字は中国大陸と違って繁体字で書かれているので、日本人にはわかりやすい。日本ではあまり見かけない漢字もあったりするけれど、ほとんどは日本でも使われている漢字で、読めなくとも意味を想像できる。でもここに落とし穴がある。日本と台湾で同じ漢字を使っているからと言って、意味も同じとは限らないのだ。
2024/08/28 20:00
爆竹の煙が充満する中で旗の付いた棒を手にした女性たちが踊っていた
大量の爆竹がなり、立ち込めた煙の中に現れたのは今まで踊っていた女性たちとは違って、黄色い衣装に身を包んだ男だった。たぶん神様なのだろう。爆音とともに現れた神様は、爆音とともに三鳳宮の中に消えていった。台湾の神様は随分と騒々のがお好きなようだ。
2024/08/25 20:00
三鳳宮の提灯を眺めていると隙間なく並んでいる提灯が整列している人間に見えて、マスゲームしているように見えるのだった
三鳳宮はびっしり並んだ提灯で有名な寺院だ。等間隔に吊られた提灯を眺めていると、ふとマスゲームを連想してしまう。隙間なく並んでいる提灯が、寸分の違いもなく統制が取れた北朝鮮のマスゲームをしているように見えるのだ。
2024/08/24 20:00
三鳳宮には道教の神様だけでなく、釈迦牟尼仏や観世音菩薩などの仏教の神様もいて、まるで神様のデパートのようだった
高雄で有名な三鳳宮には山門のようなものはなく、駐車場になっている広場を越えて階段を登ればもうそこは前殿だ。中庭を挟んで建っている正殿には主祭神である中壇元帥が祀られているだけではなく、上層階には他の道教の神様もいれば釈迦牟尼仏や観世音菩薩などの仏教の神様もいる。狭い境内の中に大勢の神様がいて、まるで神様のデパートのような様相を呈している。
2024/08/23 20:00
住居に挟まれて、数階建てのビルのような寺院の中に中国道教における最高神である玉皇上帝が鎮座していた
歩いていて中国寺院を見つけると入ってしまうのは、住居に挟まれて、数階建てのビルのような寺院に鎮座している神様を拝んでみたくなるからだ。台湾の寺院は派手に装飾されているだけでなく、ひとつの建物の中にいくつもの祭壇が設けられていて、それぞれに神様が祀られている。日本の神社仏閣とは種類の違う神域なのだ。
2024/08/21 20:00
安くて美味しい朝食を提供してくれるお店が街のあちこちで旅行者を待ち構えているから、台湾に行ったらホテルで朝食を摂るのはもったいない
台湾に行ったら、ホテルで朝食を摂るのはもったいない。日本と違って朝食も外食文化が盛んな台湾では安くて美味しい朝食を提供してくれるお店が街のあちこちで旅行者を待ち構えていて、バリエーションも豊富だ。そのようなお店で食べた方がいいと思うのだ。
2024/08/18 20:00
基本的には道教の寺院のようだけれど、中にある祭壇には仏教の準提観音も祀られていた
台湾では道教寺院なのか仏教寺院なのか、よくわからないことが多い。このとき訪れた前金万興宮という寺院はどちらなのだろうと思って調べてみると、主祭神は清水祖師とのこと。日本では馴染のない神様で北宋時代に実在した禅僧なのだという。道教の寺院だ。でも別の祭壇には仏教の準提観音が祀られていたりして、台湾の寺院は奥が深い。
2024/08/17 20:00
新しく完成した渋谷サクラステージは、その複雑さを反映したのかエスカレータのところも込み入った構造になっていた
町のあちこちで建設工事が行われていると、街が新しい時代に突入する息吹と同時に景気の好調さを感じる。しかしながら面白いことに渋谷駅付近の再開発を眺めてもあまりそう思えない。インドや中国を訪れたときに街中が工事中でこれから中国とインドの時代が来ると感じたのとは対照的に、渋谷の建設現場を眺めても、胸が踊らないのだ。
2024/08/16 20:00
上野戦争や関東大震災、第二次世界大戦などの厄災を乗り越えて、1651年に改築した社殿が今でもどしんと待ち構えている上野東照宮は強運の神様としても信仰されている
上野戦争や関東大震災、第二次世界大戦などの厄災を乗り越えて、三代将軍である徳川家光が1651年に改築した社殿が今でもどしんと待ち構えている上野東照宮は、その来歴から強運の神様として、また祭神が徳川家康であることから出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されている。さらに金ピカの社殿を眺めると金運もアップするような気もしてくる。
2024/08/15 20:00
同じ格であるはずの大宮氷川神社と氷川女体神社にある格差のありようは大きさの異なる夫婦茶碗のようだ
大宮氷川神社と氷川女体神社および中山神社の三社を一体のものとして、武蔵国一宮としているようだけれど、その扱いは神社によって違っていて、大宮氷川神社が夫を祀る「男体社」で、氷川女体神社は「女体社」にあたるというものの、その格差のありようは大きさの異なる夫婦茶碗のようだ。
2024/08/14 20:00
岩壁を掘って煉瓦で覆われた東京湾要塞の跡は現在もしっかり残っており、釣りやバーベキューというアクティビティよりもその要塞跡を散策する方が猿島の魅力を堪能できる気がする
岩壁を掘って煉瓦で覆われた東京湾要塞の跡は現在もしっかり残っており、釣りやバーベキューというアクティビティよりもその要塞跡を散策する方が猿島の魅力を堪能できると僕は思っている。
2024/08/12 20:00
御手洗池の幻想的なイメージは現世利益を求める声にあっけなくかき消されてしまっていた
鹿島神宮の奥にある御手洗池は中央に鳥居もあって幻想的な趣がある池だ。昔は参拝の前にここで禊をしたのだという。今でも年始には200人もの人びとが大寒禊を行うという池の御神水は持ち帰ることも可能で、この日は池を眺める人だけでなく、この御神水を持ち帰ろうとする人で行列ができていた。
2024/08/11 20:00
鹿島神宮の仮殿は徳川2代将軍秀忠が奉納したもので、建てられてから400年以上も経過しているのだから「仮」の字を外してもいいのではないか
鹿島神宮の仮殿は1618年に徳川2代将軍秀忠が奉納したもので、建てられてからすでに400年以上も経過しているのだから、いい加減「仮」の字を外してもいいのではないかと思う。
2024/08/10 20:00
かつて江戸で唯一金貨を鋳造していた金座のあった本石町には今でも日本銀行の本店があって金融の大役を担い続けている
地名にその歴史を刻めなかった銀座と銭座と違って、かつて江戸で唯一金貨を鋳造していた金座のあった本石町には今でも日本銀行の本店があって、地名にその歴史を刻めなかったものの「物価の安定」と「金融システムの安定」という金融の大役を担い続けている。
2024/08/09 20:00
目玉のような丸窓が見下してくる建物は一等馬見所と呼ばれるもので旧横浜競馬場の観客スタンドの残滓だ
高台に立地していた横浜競馬場は1942年に第二次世界大戦が始まると、横須賀の軍港が一望できるという理由から海軍省に接収されてしまう。そのまま終戦後は米軍に接収され、接収が解除された部分は根岸森林公園になっているものの、写真の旧一等馬見所の反対側は今でも在日米海軍横須賀基地司令部が管理しているエリアで一般人は入れないままだ。
2024/08/07 20:00
段葛が石積みになったのは1961年から1962年にかけてのことで、桜が植えられたのは1917年のことだというから、昔からある段葛も実は地味にバージョンアップをし続けているのだ
古都にあるものだから中世の昔から今と同じものがあったように思ってしまうけれど、段葛が現在の形になったのは2014年に改修工事が行われた結果だ。左右が土手だった段葛が石積みになったのは1961年から1962年にかけてのことで、桜が植えられたのは1917年のこと。昔から同じ形で存在し続けたわけではなく、実は地味にバージョンアップをし続けているのだった。
2024/08/04 20:00
鶴岡八幡宮では厄除けの大祈祷という春の節分を迎えるにあたって新しい一年が福運に恵まれるように厄を落とす祈願が行われていた
僕の生活の中ではすっかり正月気分はなくなっていたけれど、鶴岡八幡宮にはまだ迎春の雰囲気が漂っていて、立春(=新年)を迎える厄除けの大祈祷という儀式が行われていた。この儀式は春の節分を迎えるにあたって新しい一年が福運に恵まれるように厄を落とす祈願のことだ。
2024/08/03 20:00
トーハクに収蔵されている法隆寺献納宝物は、寺宝が散逸しないように皇室に一括献納した宝物と考えられている
奈良にある法隆寺の宝物が東京国立博物館にあるのはなぜだろうと不思議に思う人も多い。その原因となったのは明治時代になって吹き荒れた神仏分離・廃仏毀釈の嵐で、このままでは寺宝が散逸してしまう、という危機感を持った法隆寺が日本でもっとも安全確実な保管先である皇室に寺宝を一括献納して永久に伝えることにしたためと考えられている。
2024/08/02 20:00
2024年8月 (1件〜100件)
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