若草山の山焼き。。。 赤橙の炎が漆黒の夜空を焦がすと 柔らかな稜線が浮かび上がる 子どもの頃 白い靴下を真っ黒にしながら登った若草山 色なき世界の向こうに ささやかな花を見る
近くの公園で、カワセミに出会った 2年ぶりの再会 初めて写真に収めることができた 遥か遠くにいたから、 ぼんやりとした画像になってしまうのが残念 ドジョウに似た長い魚を捕まえた 何度も叩きつけている。 安全に食べられるよう、骨を砕いているらしい メダカ飼いには心が痛む… 自分では食べずに、何処かへ運んでいった もしかしたら、ヒナがいるのかも 今日、..
半夏生の花が咲き、葉が白く染まる頃 長い夏の入口に立ったなと、しみじみ思う 今年はどんな夏になるのだろう 無事に夏を越せるだろうか 来年、この白い葉を見る時 もっと美しい色に見えますように…
何機もの航空自衛隊の戦闘機や練習機が 爆音を立ててやって来ては 北東の空へと飛び去っていく 毎年見る光景 ブルーインパルスを見たこともある 青空に映る機影は美しく、想像力を掻き立てる 体を重力から解放し、軽くしてくれるし 心を遥か遠くへと運んでもくれる この国の空は、いつまで青いのだろう 鳥たちの翼を武器が切り裂いても 平和を願いながら去っていった人々の骸を 鉄の弾が打ち砕いても 為政者たちが血を流すことはない すべての人の上にある空が 明日も明後日も いつまでも青くあること..
8ヶ月ぶりのツーリング 亡き祖父母の家があった場所へ この水田で、祖父はいつも働いていた 優しい笑顔と、その姿が見えるようだ 後ろに見える丘の裏側、 小高い山の上で祖父母は眠っている ここにいるよ なんとか生きてるよ、と話しかける 祖父母の家があった場所は、国道になっている 罪悪感を感じながら、その上を走り、 祖父母と最後に花見をした場所へと向かう 七百年前、後醍醐天皇はこの川面を、 どんな気持ちで眺めていたのだろう 焦燥、後悔、懺悔、静穏… 山の上には笠置寺があ..
今日は曇り空 午後からは雨 ホトトギスが 梅雨を呼んでいる 最近、昔のことを頻りに思い出す 雨音と湿った風が 遠い記憶を運んでくる 甘酸っぱいものではなく、 古きもの、新しきものと闘い続けた記憶 眼には見えない、小さな闘いが道を創って行く わたしが果実を得ることはない だから、遠い未来を想像してみる
晴れた日でも、 遠くから雨のにおいが漂ってくる。 梅雨時の造形は、 どれも清浄で瑞々しい 無垢な生命で形づくられる 無数の円環 疑うことなく、 自分が在ることを賛美する この美しい光景を あと何回、見ることができるのだろう
ちいさな枇杷を収穫 8年ほど前に蒔いた種。 ようやく実をつけた。 風に吹かれて、雨に打たれて、 簡単ではない道のり… ブルーベリーも青い実をつけている。 太陽の光や大気の震え、 磁場を読んで、 青空の底まで燕が舞い上がる季節、 必ず実をつける。 今日の小鳥… ホオジロ ホトトギスは、ホオジロやウグイスに托卵する。 今日も近くの森の奥から ホトトギスが梅雨を呼んでいる。 ホオジロたちは、繰り返される謎めいた旋律を、 どんな気持ち..
きなこが来て、1年が過ぎた。 暖かくなってきたからか、 最近、更に機嫌が良く、 尾びれを振りながら上へ行ったり、下へ行ったり。 踊るように泳いでいる。 表情は満面の笑みを浮かべているかのようで、おおらか。 自らの生命が在ることを、 体いっぱいで祝福しているかのよう。 魚は言葉を持たないが、 体中から染み出した感情で、 いろんなことを語りかけてくる。 生き物たちの多くは言葉を持たない。 言葉など無くても、 この世界を支え、美しく生き、 誰かの心をあたためることも、 労ることもできる。 人の言葉..
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若草山の山焼き。。。 赤橙の炎が漆黒の夜空を焦がすと 柔らかな稜線が浮かび上がる 子どもの頃 白い靴下を真っ黒にしながら登った若草山 色なき世界の向こうに ささやかな花を見る
秋の終わり 奈良 平城宮跡の風景 いつの間にか ススキの名所になっている 初めての遠足は平城宮跡 初めてできた友と遊んだのも平城宮跡 物心がつく前の ほんのりとした記憶の中の平城宮跡は 何もなくて ただただ、だだっ広い草っぱらで その中を、赤い近鉄電車だけが 草を揺らしながら、行き交っている 西には生駒山 東には若草山 幼い私にとって ここが世界の中心だった 息を吸って..
もうすぐクリスマス 今年もシュトレン…もどき?を作った 簡易なシュトレンなので 中身はドライフルーツだけ レーズンといちじく、プルーン 仕上げのバターと粉砂糖は控えめに… シュトレンはドイツのクリスマス菓子 700年の歴史があるという クリスマスという行事には 地域や民族、それぞれが持つ多彩な文化や歴史、 信仰心や精神性が表現され、とても興味深い 日本で一般にクリスマスが広まり始めたのは 1900年代初頭ということらしい わたしたちが100年以上にわたって紡いできた 街で見かけるクリスマスの..
久しぶりにバイクで出掛けた 初夏にも訪れた忍辱山圓成寺 紅葉の名所として名高いが 柳生の入口、山深い場所にあり JR奈良駅から1日に数本しかバスがなく 40分以上かかることから 人も多くない 以前は、紅葉狩りというと 毎年のように、春日大社や手向山八幡から二月堂 東大寺の裏、正倉院あたり 飛火野などを散策したものだが 今はインバウンドの人混みが辛くて 散歩にも行けなくなった 観光客が増えるにつれて 寺..
初めてヤマガラを撮影できた 人懐っこいはずのヤマガラなのだが カメラを向けると さっと何処かへ行ってしまう 80年代頃まで 神社の縁日で「おみくじ引きのヤマガラ」 として、人気があったらしいのだが わたしは見たことがない 野鳥の写真を撮っていると どんな華奢な鳥であっても 足がその体にそぐわないほど がっしりしていることに気づく 生き抜こうとする健気な覚悟が 枝を握りしめる足から感じられて わたしは、どんな鳥の足も大好きだ
今年も ジョウビタキがやってきた はじめて、オスのジョウビタキを見た 羽根の色が とても美しい ジョウビタキの中には バイカル湖からやってくるものもあるらしい あの小さな体のどこに そんな大きな力があるのだろう 野生の生き物は とてつもなく強い
人生で5度目のカワセミ この場所では、2年以上前に一度だけ 青い羽根を煌めかせて飛ぶ姿を見たことがあった。 幻覚だったのだろうかと思っていたが そうではなかったようだ わたしは、カワセミが幸せの鳥だと信じている 手触りのある幸運をもたらすのではなく 心の傷を癒やすような そういう力を持っていると… 希望なき世界の中で 信じられるのは 目に見えないものだけ
メジロは、づくし柿(完熟柿)が好物だ 夢中になって食べている間に 写真を撮らせてもらった 気になるらしく 時々、こちらを見ている 鳥の正面顔 愛らしい 目白押し… とは、人や物が一箇所に集まり 混み合っている様子 メジロには、シマエナガのように 枝上でぎゅうぎゅうと体を押し合って とまる習性があるらしく そこからきた言葉らしい わたしは田舎育ちだが メジロが並..
この世界は 来る所まで来てしまったのかもしれない 混乱が混乱を呼び 不安が不安を呼ぶ 外れきってしまった箍は もう、元には戻らないのだろうか
光を反射する ススキの穂がとてもきれい 秋が来ないまま 木枯らし一号が吹き 立冬が過ぎ 今日はとても寒い 風に揺れるススキにしがみついて 振り落とされないように、振り落とされないように… その目に、どんな夏の色を映してきたの?
近くにメタセコイヤの並木道がある 色づきはじめると 今年もようやく秋が来たのだと しみじみ思う 「生きている化石」と呼ばれるメタセコイヤ わたしが通っていた小学校の校庭にも 清々しいくらい真っ直ぐで、背の高いメタセコイヤがあった 幹に寄り添い、見上げると 羽根のような枝で優しく包まれているようで あたたかな父性を感じた 卒業から10年ほど経って訪れた時 クレオソートのにおいがする木造校舎はどこにもなく 鉄筋コンクリートの校舎が、寒々と建っていて メタセコイヤの木も、すでになかった 今も時々、記憶..
枇杷の木が 蕾をつけはじめた もうすぐ 白く愛らしい花を咲かせる 初夏のその日を夢見て 色づきはじめた山を見る 山の向こうは騒がしい 煌々と空を照らす光が、星を消す 雨上がりの空にも、星はない 生ぬるい風が、息苦しい
すこしずつ 木の葉が色づきはじめている ハロウィンが近いので 久しぶりに、かぼちゃのプリンを作ってみた かぼちゃをくりぬいて 中にはかぼちゃのプリン 近くの池には カイツブリとカワウ カモの姿はまだない 選挙への道すがら 花の写真を撮っていたら キャラメル色の蝶…ウラナミシジミ 冬前のおだやかな一時 鳥も魚も亀も蝶も植物たちも 今という時間を生きている 過去や未来を行ったり来たりせず..
夜空を見上げながら 愛国心について、考える 外に想定した敵で、危機感を煽り 美しき我が国を守れと、愛国心を醸成し 自らの暴政をそれらで覆い隠し 隷属を強いる 時間空間を超えて、あらゆる場所で繰り返し出現する 権力者が使う、支配の方策 本当の愛国心とは この国に暮らす すべての人の幸せを願うこと 幸せになれる国を つくろうとすること
稲刈りが終わりに近づき 黄金色の風を見ることができるのも、あと少し 遠くに生駒山が見える風景… わたしが育った家の近くからも 昔は生駒山がよく見えた 夜、光り輝く王冠を戴いた姿が美しく 憧憬心を持って眺めていた 彼岸花と一緒に 長すぎた夏も、終わりを告げそうだ
西村早生という柿を買った ゴマがふんだんに入っていて ほんのりとした甘さ、シャキシャキとした食感 美味い 祖父母の家の庭にあった、大きな柿の木を思い出す 戦時下の家族を見守り、支えてきた古木だった 十数年前、国道の拡張工事のため立ち退きになり 江戸の末期に建てられた家と共に この世界からなくなった 古いものは少しずつ目の前から消えて行く だからといって、無かったことにはならない 灯火に似た色の果実に 過去と未来を見る 貧困と不安、格差 その向こうにある 戦争のにおい 記憶の底に沈んでいた 柿の実を..
今日も、彗星に会えました 8万年に1度の出会い カメラのレンズを通さないと 見ることができないのが残念だけど… 彗星、見えましたか?
ようやく、紫金山・アトラス彗星に会うことができました 肉眼で見ることはできなかったのですが カメラのレンズを通して あしたも会えるかな…
日本被団協がノーベル平和賞を受賞した 被爆者の方々の長年にわたる地道な活動が認められて とてもうれしい 人類が紡ぎ続ける歴史の中で 大きな光となり 平和な未来を照らし続けてほしい 核兵器使用が、どれほど非人道的なものであるか、 世界中の人々に知ってほしい 日本はもちろん、世界が核廃絶への道を 迷うことなく歩んでいくことを 心から願う
多くの生き物には、地磁気を感じ取る力がある 地球の磁気を利用して、道筋を決めている サケやカメ、鳩やミツバチ…もちろん、メダカも 人間のような存在は、生物界ではめずらしい 地図やGPSなしで旅することができたなら 悩み事がひとつ減るのにな… きなこちゃんは(白メダカ・オス) 自分の生まれた場所や、わたしと出会った場所 今いる場所も、全部覚えているのだろうか もし、互いを見失ったとしても 探し出してくれるだろうか
時々、夏のにおいを感じる。。。 昨日の夜、ホトトギスの声を聴いた 湿った青い闇の深い場所 緑を含んだ空気を震わせて… ホトトギスの声を聴くと、 梅雨の気配を感じる。。。
初夏の花々と出会いながらの散歩。。。 カキツバタ… ガクアジサイも、咲きはじめているし… もみじのプロペラ種も ほんのり色づいている 白い陽射しの下で、 トンボもおひるね 今日の小鳥… 1ヶ月ほど前に出会ったアオジ もう、故郷に着いたかな。。。
後ろ姿も いいもんです。。。
今年もすずらんの花が咲いた。 母が若かりし頃、北海道に旅行したとき持ち帰ったものだ。 母の人生に、寄り添い続けてきた純白の花。 辛く苦しい道のりの、 涙や怒りを、 すべて呑み込んで、 今、ここで、静かに咲いている。
初夏になると緑の上を白い光がころころと転がり、目が眩む。 そんな光を見ていると、 もうすぐ祖母の命日だなぁと、少し憂鬱になる。 祖母は祖父が逝った後、間もなく、 あちらの世界とこちらの世界を、 行ったり来たりするようになった。 あちらの世界にいる時は、 赤とんぼの歌をうたったり、 人形を愛でたり、 かと思えば、突然怒り出したり… こちらの世界にいる時は、 なぜこんなに頭の調子が悪いのかと、 ひどく苦悩し、混乱した。 ..
目を覚ましたばかりのメダカたちが、 池の水面を忙しなく泳ぎまわっている。 明るい空の下には、 瑞々しい色彩が散りばめられていて… 時折それが… 色褪せて… モノクロームになる たとえ、あの日見た 花の色を、花の名前を、 忘れてしまったとしても この道を最期まで 歩き続けるしかない
今年も藤の花が咲いている クマバチたちは、 ふわふわとした美しい黄色のベストを着て、 生き生きと飛びまわっている。 藤の花には硬い蓋があり、 それを開けられるのはクマバチだけらしい。 彼らに蜜をわたす代わりに、 確実に花粉を運んでもらう。 自然が生み出した知恵。 アリとアブラムシ、サメとコバンザメ、豆とバクテリア。 自然界には、いろんな相利共生関係がある。 ヒト社会では、強者が弱者からあらゆるものを搾取する。 そして、見返りはない。 ヒトは地球上で最も賢い生..
12月の初めの頃のこと、 ビワの花が初めて咲いた。 8年ほど前に蒔いたビワの種。 ベダンダの隅で、 細々と育っていた… そして今、 ひっそりと小さな実をつけている。 京都では、今も様々な迷信や禁忌が生活の中に根ざしている。 鬼門、そして「縁起が悪い」と言われることがたくさんあり、 民俗学的には興味深いが、 うんざりするほど聞かされて育ったわたしには、 とても厄介で、面倒臭いものである。 特に鬼門に関しては、 鬼が内側にいる場合はどうなるのだろう、 という疑問を長年..
春になり、きなこちゃんは、 前にも増して、水温計のまわりを くるくる回るようになった。 「きなこちゃん、いいこだね」 と言うと、さらに嬉しそうにくるくる回る。 メダカは、メスのまわりを回って求愛するが、 きなこちゃんのヒレには、婚姻色が出ていない。 自分の存在する環境を見極めて、 意外と冷静に生きているのかもしれない。 水槽はひとつの宇宙だという。 魚はもちろん、 いろんなバクテリアや様々な無機化合物が互いに影響し合い、 支え合いながら命をつないでいる。 だが、そのサイクルがひとつでも破綻し、 ..
今年も、 苦手な桜の季節が 呆気なく去っていった。 人生も、同じように呆気ないものだなぁと思う。 そして、 人と人との繋がりも、呆気ない。 どんなに丁寧に紡いだとしても、 気づいたときには 二度と取り戻せない場所にある。 そんなことを繰り返しているうちに、 最近は、絶望や後悔よりも、 そんなものなのだと、思うようになった。
今年も、ブルーベリーの花が咲きはじめた あたりまえのような光景 穏やかな空の下 来年も、かすかな喜びを 凪いだ心に、届けてくれるだろうか 世界はいつから、こんなに息苦しくなったのだろう 自らの手で平和を破壊し続け、 気づいたときには、 焦土の中、立ちすくんでいる 戦争の作り方http://noddin.jp/war/
鶯の声が、 雲の底に響いている 鶯の姿を見るのは 初めてかもしれません 鶯の谷よりいづる声なくは 春来ることを誰か知らまし (『古今和歌集』春上13 大江千里) 千年以上前の春空に響く鶯の声 もっと瑞々しく、澄みきっていたんだろうな…
桜の季節が去って行く 春のかたみと共に 限られた時間 色とかたち すべてがいつか必ず、 風に溶けてゆくもの それでも、 季節はめぐる
久しぶりにシフォンケーキを焼いた いちごと生クリームを添えて 最後の1ピースのケーキ その甘さをいつまで味わえるのか 味わい尽くした後には 何が残るのか 失敗 凋落 喪失 1ピースの重さに、 その向こう側にある誰かの痛みに 気づく日は来るのだろうか
春 祈りの季節がはじまる 山から降りてきた農神に 豊穣を祈る 祈りを失った日本人は これからどこへ向かうのだろう 何をよりどころにして いのちをつないでいくのだろう
椋鳥… 協調性があり、愛情深い鳥 近年、都市で暮らすようになり 益鳥から害鳥となった 人間は、自分たちにとって不都合な存在に 「害」という文字を貼り付けて排除しようとする 命あるものは、すべて意味があるから存在している 自分の罪には目を向けず まやかしの正義で、排除、そして殺戮 人間以外の生き物の世界に戦争はない 戦争の論理は、人間以外には通用しない
今年も桜が咲いた わたしの心の中にあるのは、 街灯の湿った白い光の下 肩を落として、身じろぎもせず立ち尽くす 灰色の桜 その花色を見て、 自分の手に、自分の人生を取り戻すことを決めた。 遥か遠い昔の記憶
子どもの頃、 玉虫厨子に描かれた捨身飼虎の一場面を、 初めて見たときの恐怖心を忘れない。 苦痛と消滅への畏怖は、すべての生命にとって、 根源的なものなのだろう。 玉虫厨子は為政者がつくり、その傍らに置かれていた。 国家の黎明期、 究極の自己犠牲を表現する一枚の絵画を前に、 彼らはどんな志の中で、 新しい国のかたちを思い描いていたのだろう。 玉虫厨子を飾る、古代を生きた玉虫の羽根。 無垢な宿願を秘めたその輝きは、 千年を超える時のうねりの中で、 この国が行き着く先の風景を、 ど..
しばらく見かけなかったイソヒヨドリ 春の訪れと共にそっと現れた 子どものころ読んだ、 メーテルリンクの『青い鳥』 本当の幸せは、 空気のように、 すぐそばにあった。 この国の平和を支えてくれていたのは、 戦火を生き抜いた人々。 多くの支えを失った今、 誰がこの国の、 空気のように在る平和を 支えていくの? 平和は脆く、儚いものなのに…
西空に上弦の月 あのシジュウカラは どんな夢をみているのだろう 鳥も植物も、虫も魚も、動物も人も 命あるもの すべて、みんな平等 意味があるから今、ここに存在している 意味がないものなど ひとつも存在しない なぜなら、すべてが、 人には及びもつかない 宇宙の意志の中にあるから…